3.家庭教師とお嬢様 三
でも、それを口に出すのはためらわれた。とりわけルイスの前では。
思い出したくないし、認めたくないし、知られたくなかった。
リーゼロッテは気弱に答えた。
「ううん。じぶんで思ったの。わたしのかお、きらいよ」
ぽつりと、つぶやく。
以前は、母親譲りの白金の髪と青い瞳、ミルクのように白いすべらかな肌だけは、人からよくほめられるし、自分でもなかなかのものではないかと思っていた。
でもいまは、すっかり自分の容姿のすべてが嫌いになっていた。
「いいえ。そんなふうに思うのは間違いです。リーゼは誰よりもかわいいですよ」
「それはちがうの。ルイスは、ひいきめだから、そう言うの」
少し背伸びをして、うろ覚えの言葉を使ってみる。
ルイスが励ましてくれる気持ちはうれしいが、それを素直に信じられるほど、心の傷は浅くなかった。
「難しい言葉を知っているのですね。たしかにひいき目で見てしまっているのかもしれません。僕にとってはリーゼが一番ですからね。美人でもそうでなくても。でも本当にかわいいのですよ」
「かわいいって、子どもだからでしょう。子どもはみんな言われるのでしょう。しってるのよ。うつくしいのがいいの」
リーゼロッテは熱心に語った。
「わたし、びじんならよかった。そしたら、ルイスだって、おくさまにしたくなるでしょう?」
「ああ……そういうことか……。違いますよ。あなたはまだ子どもだから結婚はできないのです。大人になってからまたよく考えてくださいね」
「おとなって、いつなれるの?」
「そうですねぇ……」
ルイスは少し考えてから言った。
「野菜を食べられるようになったら大人ですかね。とくにニンジンとか」
「ええぇ」
野菜が苦手で、とりわけニンジンが大嫌いなリーゼロッテは、絶望的な声を出した。
「そんなのうそでしょ。ほんとうだったらわたし、すぐにたべてみせるわ」
「それは困りましたね。いや、野菜を食べてくれるのは歓迎ですけど」
では……とルイスは語る。
「お母様が残してくださった青いドレスがありますよね。この前、お気に入りだと見せてくださったあれです。これからリーゼの背が伸びて、あの服がピッタリ着られるようになったら、もう大人と言ってもいいでしょうね」
それは納得できる気がしたので、素直にうなずいた。
でも、まだ六年しか生きていないリーゼロッテにとって、母親と同じ背丈になる日なんて、あまりに遠すぎるように思えたが。
子どもは愛らしく微笑みながら口を開いた。
「あのドレスをきられたら、けっこんしてね」
そんな話ではなかったはずだが、いつの間にかリーゼロッテの中では、大人になったらルイスと結婚できることになっていた。
ルイスは承諾も辞退もせずに、あいまいな態度で少しだけ首を傾けた。
「ありがたいお話ではありますが、そもそも使用人と結婚するおつもりなのですか?」
その言葉を聞いて、子どもの顔が不安にかげった。
「だめなの?」
「あなたのような良いお家のお嬢様にとっては好ましくないでしょうね。なによりジェレミア様が許されないと思いますよ」
ルイスの声はいつにも増してやさしかったが、言い聞かせる内容はリーゼロッテにとって手厳しいものだった。
「こんな風に気安く話すことだって、本当は良くないのです。僕の立場的にはあなたのことはリーゼという愛称ではなく、リーゼロッテお嬢様と呼ぶべきですしね」
ルイス先生が愛称で親しげに呼んでいるのは、もちろんリーゼロッテがそう希望しているからだった。
ルイスはもう自分とは仲良くしたくないのだろうかと、心配になったリーゼロッテは、おずおずと確認した。
「でも、わたしたち、おともだちじゃないの?」
「そう思ってはいますよ、かわいいリーゼ。そして同時に生徒と先生でもあり、主人と下僕でもあります。あなたにお仕えする身なのですよ」
「先生なのに? えらくないの?」
「たとえば名のある学者の家庭教師であれば、また話は違ってきますが。僕はあなたのお世話係として雇われているただの使用人ですからね。たまたまお勉強も見ているだけで、なにも偉くはないのです」
リーゼロッテは、ちいさな桜桃色のくちびるを引き結んだ。こんなに仲良くしているのに、なぜ立場というものが邪魔をするのか、よくわからなかった。
ルイスとの結婚をジェレミアが許さないのは、大問題だと思った。いつも厳しい目をしたお兄様のお怒りになる様子を想像すると、恐ろしさに身がすくんでしまう。
だけど、納得いかなかった。世界一かっこよくてやさしくて賢くて美しい素敵な男性なのに(と、リーゼロッテは思いこんでいた)、どうして使用人だとだめだなんて言われるのだろう。リーゼロッテの周囲にいる使用人たちは、やさしい立派な人ばかりだ。なんの問題があるだろう?
なんと言っていいのかわからなくて、せめてもの抵抗を示すために、頭を横にふった。リーゼロッテはたいていは穏和で素直な子どもだが、激しく一途な面もあった。どうしても自分の納得のいかないことや、大好きなものに関する事柄だけは、しばしば頑固に譲らずに周囲を困らせた。
「それにリーゼが大人になる頃にはもう僕はおじさんですし、あなたのほうが嫌になっているかもしれませんよ」
笑いを含んだルイスの言葉を聞いて、リーゼロッテはあわてて否定した。
「そんなことないわ。ずっとすきよ」
きっぱりそう言うと、ルイスのおだやかな瞳を見つめた。
「わたしがおとなになるまで、まっててね?」
あきらめる様子のないリーゼロッテの言葉に、ルイスは困ったように微笑んだ。
「考えておきましょう」
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