メイドたちの思い

 厨房近くにある使用人ホールは、この屋敷で働く者たちの休憩や食事、手作業などに使われている。

 雪は降っていないが、今日は足元から凍てつくように寒い。暖炉に火が燃えているが、がらんとした広い部屋を十分に温めるには至っていなかった。

 葬儀以来の目まぐるしい慌ただしさも落ち着いてきたある日。 リーゼロッテと仲の良い三人の若いメイドたちが、仕事の合間に長テーブルについてお茶をしながら、幼い主の健康状態について頭を悩ませていた。


 リーゼロッテがベッドの中で過ごす時間は日に日に増えていき、いまではもうほとんど起きている姿を見ることはできなくなっていた。主人用の食堂もテーブルも、毎日掃除をしているものの、誰にも使われなくなって久しい。


 メイドのひとり、あでやかな容姿をしたカティヤが、はきはきと切り出した。


「悲しいのはわかるわ。あたしだってそうよ。けどさ、いつまでもベッドに寝たっきりなんてリーゼロッテお嬢様も気が弱すぎるわよ。無理矢理にでもテーブルにつかせて、ご飯を食べさせなきゃだめだと思うわ。親を亡くした子どもなんて世の中にどれだけいると思うのよ」


 鮮やかな赤い髪を背中まで伸ばし、くっきりと吊り上がった眉に、勝ち気な緑の瞳をした美人だった。


 焦げ茶色の髪を古風な形に整然と結い上げて、いまでは廃れてきた昔ながらの白いメイドキャップを被ったエステルは、そんなカティヤにとがめるような視線を向けた。


「お嬢様のお気持ちになってみなさい。たった五歳なのよ。大人だって親しい人との別れには打ちのめされるものでしょう。寂しくて心細くてたまらないのよ。立ち直るには時間が必要だわ」


「ご飯を食べられないなんて、かわいそうですね……」


 リンゴの砂糖づけと生クリームをのせたパンケーキをむぐむぐほおばりながら、最年少のミアが言った。淡い茶金色のゆるやかに巻いた肩までの髪に、榛色の丸い瞳の、ぽっちゃりした娘だった。


 さらに、チーズタルトにふっくらした手を伸ばしながら、


「奥様のこと、あたしたちだって、まだすごく悲しいんですもん。お嬢様はもっとですね。お菓子だけでも食べてくれたらいんですけど」


 そう言うと、口の中にめいっぱいつめこんで、犬のようにあっという間に飲みくだした。


「あんたの半分の食欲もあれば、リーゼロッテお嬢様もすぐ元気になるでしょうね」


 ひややかな目で言ってよこすカティヤに、ミアは素直にうんうんとうなずいた。


「どうしたらいいんでしょう? もっとおいしいもの、いっぱい探してきたらいいんでしょうか?」


「お嬢様に食べる気がないから無理だわ。お医者様がおっしゃるには、生きようと思ってらっしゃらないのよ」


 エステルはそう返すと、みるみる熱を失っていく紅茶のカップを手にしたまま、どこか宙を見つめていた。

 テーブルの上にならんだお菓子たちは、リーゼロッテのためにコックが作ってくれた、彼女の好物ばかりである。それらがまったく見向きもされずにさげられて、並べて置かれているさまは、もの悲しいものであった。


 心から慕い頼りにしていた奥様は亡くなり、いとけないお嬢様の容態も思わしくない。いったい、この屋敷はどうなってしまうのだろう?

 薄々予感はしていた。だからあの悲しい日に、幼子を部屋にひとりきりにしたまま、どう母の死を告げたら良いものか悩みつづけたのだ。

 ずっと成長を見守ってきたエステルの目から見て、リーゼロッテはしっかりした気丈な子どもだとは思えない。どちらかというと夢見がちで繊細な女の子だ。


 鉛色の重苦しい冬空の下、大人たちに囲まれて、墓地にたたずむ小さな黒装束姿が思い出される。

 母の眠る棺桶に、土がかけられてゆくのを見ているリーゼロッテのあの無関心な顔。まるで樹に空いたうつろのように、なにも映っていないかのような、感情のない瞳。

 それを見たときに、えたいの知れない恐ろしいものが、大切なお嬢様までも連れていこうとしているのではないかと、背中が冷たくなったのをおぼえている。


 エステルは不吉な考えを頭から振り払うと、悩まし気な表情で口を開いた。


「私がお嬢様を本邸にお連れしたのが良くなかったのだわ。いまならご親族も同情して態度を変えてくださるのではないかと、甘い期待をしてしまったの」


 良くなかったとはいえ、家長であるジェレミアが、今後のリーゼロッテのことについて話し合うために、本邸に親族たちを呼び寄せたのだ。もちろん、リーゼロッテ本人も。使用人の立場としては断ることは困難だった。

 仲の悪い親族たちも、さすがに母親を亡くしたばかりの子どもにはやさしくしてくれるのではないか、関係が改善するのではないかとの期待もあり、強いて連れていったのだが。

 リーゼロッテは異母兄弟の前では気後れしてモジモジするばかりだし、そんな愛想がなくなつかない子どもの様子に、親族はイライラを募らせるだけであった。


 その日、リーゼロッテが明確に言葉を発したのはただ一度、


「これからはこの屋敷で暮らしてはどうか。両親のいない別邸に戻ることもあるまい」


 という長兄ジェレミアの提案に、


「……いや」


 と、おびえるように拒否をして、エステルのスカートの後ろに隠れた時だけだった。


 ジェレミアが皆に、これからはリーゼロッテの力になるようにと一族の長らしく注意はしたが、それ以上の実践的な指示はなかった。親族の態度が変わる様子はいまもない。見舞いに来てくれる者もない。

 リーゼロッテの父母との関係から生まれた長年の感情のもつれは、理屈で容易にどうにかできるものでもないのだろうが。


 とりわけ、兄弟の中でも次女、三女と、ジェレミアの妻は、リーゼロッテを厭う筆頭であった。

 リーゼロッテがいなければ、遺産の大半は長男ジェレミアに譲られたはずだ、他の者たちにももう少し恩恵があったはずだという野心。加えて、とても義理の母とは思えないほど若い後妻とその子が、ぬけぬけと一族の中に割りこんできて、父の愛情を奪い取ってしまったという不快感からだった。


 親族の集まったウェザリー邸の大広間で、隅にたたずむリーゼロッテは、黒一色のドレスに身をつつんでうつむいていた。


 痩せたちいさな手を握るエステルの耳に、 


「まあ気味の悪い。骨と皮が歩いているみたい。それにあの陰気な顔」


「なんて醜い子かしら。おまけに愛想もないのね」


「あの女は顔が取り柄だったのにね。娘は哀れなことね」


 彼女たちがそうささやくのが聞こえた。ささやきにかこつけた攻撃だった。

 その日を境に、リーゼロッテは自分の部屋から出なくなってしまった。やはり身を挺してでもお会いさせるべきではなかったと、エステルは後悔しつづけている。


「ご親族は力になってくださるどころか、お嬢様にひどいことを言ったわ。あのことでより孤独を感じられたのだと思うわ」


「例の遺産の恨みね。たった五歳のお嬢様にあたるなんて馬鹿げてるわ。まったく、どいつもこいつもぶん殴ってやりたいわね」


 顔をしかめたカティヤが息巻き、ミアはしょんぼりうなだれながらプリンをせっせと口に運んだ。


 ジェレミアとて、弱っていく年の離れた妹を見て、なにもしなかったわけではない。子どもの扱いに慣れた乳母や家庭教師の経験豊富な婦人を、何人も手配してよこした。

 それでも、リーゼロッテが誰かに心を開くことはなく、はかばかしい成果は得られないでいた。


 せめて……。

 と、エステルはもどかしかった。

 兄みずから妹を見舞いに来て、手でも握って、あたたかな言葉をかけてはくれないものだろうか? お嬢様は、家族のぬくもりをなにより恋しがっているのに。


 ジェレミアは性根の悪い人間ではない。厳格ではあるが私欲にかられることもなく、父の遺言を忠実に守っている。

 リーゼロッテのものである遺産を適切に管理し、幼子が贅沢をおぼえぬ程度にと気を配りつつも、不自由のない生活をさせている。むしろ家長としての務めを誠実に果たしていると言えた。


 しかし、妹への愛は感じられない。

 仕事が忙しいにしても、もし衰弱して寝こんでいるのが我が子なら、なにを置いても駆けつけるだろうに。

 使用人を派遣して、執事に代筆させた短い手紙をよこすだけだなんて、愛情がないのを隠そうともしない行為ではないか。


 赤子のときから見守っているリーゼロッテに、自分が肩入れしすぎているせいかもしれないが、親族たちの仕打ちがひどく理不尽に思えて悲しかった。


 エステルは、たまった不平不満を吐き出してしまいたい気持ちをこらえて、空いた皿をまとめ始めた。


「私たちだけでは力が足りないのがもどかしいの。もう本邸の方々は頼りにできないわ。使用人の身で出過ぎたことをするのは良くないけれど、お嬢様の命には代えられないわ」


 そう口にしながら、あらためて決意を固める。


「ブライトウェル家に相談の手紙を書いたわ。どなたか親身になってくださる方が必ずいらっしゃると思うの。どんな手を使っても私たちでお嬢様をお助けしましょう」


「ブライトウェル家って、奥様のご実家のよね?」


 だらしなく頬杖をついたカティヤが聞いた。

 良家のお嬢様に仕える使用人にふさわしからぬその姿態を、エステルは注意しかけたが、やめてただうなずいた。いまは勤務時間外だ。

 それに、カティヤは口も態度も悪いが、リーゼロッテの側を頑として離れようとはしない者のひとりだった。


「奥様はおやさしい方だったもの。ご家族に深く愛されていたに違いないわ。リーゼロッテお嬢様のことだって、あちらの方が力になってくださると思うの」


 生前のアリーシャは、貧しい人々や困難を抱えた人々に、寄り添う奉仕活動に力を注いでいた。とくに、家庭に恵まれない子どもを救う活動に、生きがいを見出していたようだった。


 女手一つで育ててくれた母を亡くし、救貧院に身を寄せていたエステルを、屋敷のメイドとして迎え入れたのも彼女だった。

 自立して生きていけるように家事仕事を仕込むだけでなく、我が子と同じように自ら勉強を教え、寝心地の良いベッドと十分な食事を与えた。

「子どもはたくさん食べなくてはだめよ」がアリーシャの口ぐせだった。子どもがおいしそうに食べている姿を見るのが、なによりのしあわせだと語っていた。

 主人というより、姉か母のような人だった。

 境遇はそれぞれだが、カティヤやミアも同じような経緯でここにいる。だからリーゼロッテを見捨てることができないのだ。


 ブライトウェルかあ……と、カティアは考えこむようにつぶやいた。


「いままであんまり交流なかったわよね。それにお葬式の時はバタバタしすぎてて、御当主夫婦以外はどんな方々だったかよくおぼえてないわ」


 エステルは来客の対応やってたけど、あたしは裏方ばっかりだったしさー、と不満げにつけたした。

 当日はカティヤも、混乱したままの心で目の前の仕事をこなすのでいっぱいいっぱいだったが、落ち着いてくると、なんで自分がずっと裏方だったのかという不満を感じた。

 己の美貌を誇る彼女は、家事や力仕事より、来客を出迎えるような表向きの華やかな仕事こそが、自分に合っていると考えているのだ。


 エステルはしみじみと思い出すように語る。


「奥様はこちらに気を使っていらしたから、ご交流も控えめだったの。ここでなにか問題があってもご実家に相談するようなことはなかったのよ。心配をかけたくなかったのでしょうね。でもとても仲の良いご兄弟だったそうよ。お兄様もお姉様も弟君も……」


 それを聞くなり、カティヤはころりと表情を変え、勢いよく立ち上がった。


「兄弟! そうよ! 貴族でしょ!? 貧乏だけど貴族でしょ!? ぜひ交流しましょうよ。あの奥様のご兄弟ならきっと美形だわ。美形の貴公子とお近づきになるチャンスよ!」


 テーブルを平手で叩いてエステルは立ち上がった。


「なにを聞いてたの!」


 怒りの形相で同僚をにらみつける。


 遅れてミアもあわあわと立ち上がる。困り切ったように、おろおろとふたりの顔を見比べた。


「あ、うあ……。けんかしないでください。ね。おいしいの、食べたらいいですよ」


 とりなすようにそう言うと、皿の上に取り分けていたクッキーを口いっぱいに押しこんで、むぐむぐと飲みくだした。

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