10.パルムの秘密

「パルムー パルムー ふわふわシフォンケーキのパルムー おあじはね たっぷりあまくてぇ クリーミーなのよぉ」


 リーゼロッテは自室の椅子に腰をかけて、ピンクのうさぎのぬいぐるみを抱っこしながら、陽気な歌をうたっていた。

 その様子を、テーブルに座ったパルムが見つめている。なにかを隠すように口元に手を当てたが、忍び笑いのくすくす声は遠慮なくもれていた。


「なんなんですか? その歌は」


「パルムのうたよ。わたしがつくったの」


 今日はとりわけ暖かくて気持ちがいい。ひと足早い夏の気配さえ感じる。なんだか胸の底からしぜんと陽気な歌が躍り出てくるようだ。

 リーゼロッテはきげんよくうたった。


「べんごしさんとー あそぶーこねこー うみにおちてー ないちゃった みゃおみゃおちゃんのおはなし これでおしまい」


「っははは」


 パルムはたまらないように笑いだした。手でぎゅっと口元を押さえたが笑いは止まらない。

 リーゼロッテはきょとんとした。


「わたしのうた、へん?」


「いえ。あまりにかわいすぎて笑ってしまいました。むしろ才能があるんじゃないでしょうか」


「ほんとう?」


「ええ、とても子どもらしくて独創的だと思います。声も愛らしくて綺麗ですね。リーゼは想像力も豊かですからね。物語作家や歌手に向いているかもしれませんね」


 パルムの過大なほめ言葉を、リーゼロッテはまともに受け取った。将来、作家や歌手になるのも悪くないかもしれない。ちょっとやってみたいかも。

 それならたくさん本を読んで語学の勉強をして、さらにいい歌を作って、うたう練習もしなくては……。

 そんなことを想像していると、エステルがリーゼロッテを呼びに来た。


「お嬢様。お風呂の用意ができました」


「え、いま?」


「はい。お天気がよくて暖かい気候であれば、午後からお体を洗う予定だと申しましたよ」


 リーゼロッテは「はあい」と返事をすると立ち上がり、うさぎのぬいぐるみを代わりに椅子に座らせた。

 風呂がきらいなわけでもないが、頭から湯をかけられてゴシゴシ洗われるのは好きでもなかった。ごきげんで遊んでいるときに中断されるのはいやだったが、仕方がない。


「じゃあ、パルム。おふろにいってくるね」


「いってらっしゃーい」


 パルムはひらひらと手をふって見送った。





 暖かな居間にしつらえたバスタブの中で丁寧に洗われて、念入りに体を拭かれて、暖炉の火の前でよく乾かされたあと、リーゼロッテは自室に戻った。ハーブ入りのせっけんの香りが、歩みとともにゆれて、よい気分だった。


(あれ、パルムがいない)


 部屋の中で待っているはずのパルムの姿は見当たらなかった。

 どこへ行ったのだろう?


「パルムー?」


 調度品の陰にでも隠れているかもしれないと思い、名前を呼んでみた。返事はない。


(やっぱり、ここにはいないみたい)


 廊下に出て、すこし迷ってみてから、とりあえず同じ階の近くの部屋を捜してみることにした。

 寝室の隣は母の部屋だった。ドアが少し開いているのに気づいた。故人の愛用品を収納してあるその部屋は、いまは誰も使用してはいないのに。

 リーゼロッテはそっと覗いてみた。


 パルムはいた。空色のふかふかの背中が見える。

 ちいさなぬいぐるみは、母の愛用していたペンやインク壺、花瓶などを飾ったテーブルに座りこんでいた。

 

 見上げる彼の視線の先辺りにあるものに目がとまった。


(おかあさまの、え……)


 パルムが静かに見上げているのは、壁にかけられたアリーシャの肖像画だった。

 美しいほほえみを浮かべるその肖像画は、元は亡き父の部屋に飾られていた。母がいなくなってから、リーゼロッテをなぐさめようとしたエステルが、居間の壁に飾り直したこともあった。

 だがその絵を見ていると、つらくなって涙が出てしまうため、見えない所にしまって欲しいとお願いしたのだ。

 それからは、この部屋で母はほほえみつづけている。

 いまではリーゼロッテも、時にはその絵を眺めに来ることがあった。親しみと罪悪感の混じった気持ちで。見たくないなんて言って、ごめんね。だいすきよ、と話しかけながら。


 じっと絵を見つめるパルムの背中は微動だにしなかった。まるで魂の抜けた、ただのぬいぐるみが置いてあるだけのようだ。


(なにしてるの?)


 パルムの背中はこんなにちいさかっただろうか。

 動かないパルムを見ているうちに、リーゼロッテは不安になってきた。いつも笑わせてくれる楽しいパルムの知らない側面を垣間見てしまったような。彼がどこか遠くへ行ってしまうような気さえした。

 そっと部屋に足を踏み入れると同時に声をかけた。


「パルム。どうしたの?」


 パルムはパッと振り返った。驚かせてしまったようだった。


「リーゼ……? なんだ、急に声がしたからびっくりしましたよ。思ったより早かったですね。しっかり乾かしてきましたか? 髪の毛もふいてもらいました?」


 あわてたような早口は、話すうちに少しづつ落ち着いてきて、いつもの気さくな彼の調子に戻った。


「うん。かわかしたわ」

 

(パルムも、おかあさまがあまりにきれいだから、みとれていたのかしら?)


 そんなことを考えながらリーゼロッテが「そのえね、わたしのおかあさまなの」と教えると、パルムは軽くうなずいて答えた。


「お綺麗な方ですね。雰囲気がリーゼによく似ていらっしゃいますね」


「そう?」


 白金の髪や青い瞳の色が同じだからだろうか。顔立ちはあまり似てないとよく言われるのに。

 まるで高名な芸術家の手がけた彫刻のように整った母の顔立ちに比べ、リーゼロッテの顔はいくらか個性的だった。遠慮のないカティヤが「奥様の顔をべちょっと壁に叩きつけたらお嬢様の顔になりそう」と褒めているつもりで口にしたことがある。


 親族に「醜い」と誹られてから、鏡を見ると自分のいやな部分がよく映るようになった。いやな部分とは、主に母と似ていない部分のことだった。

 彫りの深い母の顔は濃い陰影に彩られていたが、自分の顔はどうもそれに比べると平坦だということに気がついた。一度そう思い始めると気になってしょうがなくなった。それが最初だった。

 とくに自分の低い鼻がみっともなくてきらいだった。どうして母のうっとりするような高くて整った鼻にまったく似てくれなかったのだろう。

 ちいさくて低い鼻に合わせたかのように、口も極めてちいさい。口元とほっそりした品のある顎の辺りだけは母娘でそっくりだった。


 なによりアリーシャは、スッと切れ長で縦幅もふっくりとしたアーモンドのような形の蠱惑的な瞳をしていた。老若男女がそのサファイアの瞳の虜になった。太陽のように輝かしくも見え、物憂げに艶めいても見えた。

 対して、リーゼロッテの瞳は丸くて大きくて、他の部位との釣り合いなどお構いなしに己の存在ばかりを誇示していた。

 まるでアリーシャの容貌から高雅な趣を排除し、幼い頼りなさを強調して作られたかのような娘の顔立ちだった。


 あまりに整った顔というものは、時に冷たさを感じさせる。この国よりも長い歴史を持つ貴族の血筋を濃く受け継ぐ母の美貌は、見る人をひれ伏させるような畏怖をもたたえていた。

 リーゼロッテの顔は、完璧な美人とはいえない特徴があるからこそ、母よりも愛嬌にあふれていた。成長途中の体と同じように、そのバランスの欠如がどこか危なっかしく感じられて、見るものの庇護欲をそそった。それも一種の魅力だった。


 しかし、これまで彼女にそんなことを語ってくれる人はいなかった。リーゼロッテにとって整っていないことは欠点でしかない。

 アリーシャのことを憎み、なにかにつけて悪態をついていた親族だって、彼女の容姿をあげつらうことはできなかった。もし娘の自分が親譲りの美貌を誇っていたなら、彼らだってリーゼロッテを醜いと罵ることはできなかっただろう。

 母に似ない己の容姿が親族の笑い者になっていることが、つらく恥ずかしくてたまらない。


「せんぜんにてないとおもうの。おかあさまのほうが、ずっときれいだもの」


 しょんぼりとつぶやくリーゼロッテの手を、パルムのちいさなふたつの手が掴んで引き寄せた。パルムはその手に、ぎゅっと顔をうずめるようにして抱きついた。


「いいえ、あなたはお母様によく似ていますよ。ね? 可憐な口元なんてそっくりじゃないですか」


「そうかしら……」


「そうですよ。それに長いまつげに、おだやかな雰囲気に、品のある仕草……」


 そこまで言いかけて、パルムはふいに口を閉ざした。

 なにかをとりつくろうように、ぽふぽふとリーゼの手の甲をなでた。


「似ているかどうかに関わらず、あなたは美しいですよ。僕にとってはね。ほら、肌だってこんなにすべすべで綺麗なのに」


 パルムはいつだって味方でいてくれる。美しいか醜いかに関わらず。

 うれしいのに、なぜかほんのすこしだけ泣きたいような気もした。

 

 わたしだって、パルムのことがだいすき。


「ありがとう。すべすべでしょう? ちゃんとあらったもの。ハーブのせっけんよ。まじょがつくったの」


 魔法使いのうち、国家に従属しその繁栄のために働くものを魔術師といい、国に属せず戸籍も持たずに隠れ暮らすものを魔女といった。魔女は男女を問わない。

 世間一般の人々には魔法使いなどほとんど縁のない遠い存在だが、彼らが作ったという薬品や生活用品、料理などは広く世に出回っていた。魔女はとくに薬草とハーブの専門家というイメージが強いため、その関連品は多い。

 また公権力である魔術師を勝手に騙ったことが知られれば問題になりかねないが、魔法使いや魔女はそれより自由に使いやすい言葉だった。


 リーゼロッテが使っている歯磨き粉だって「魔女の作った歯磨き粉」という触れ込みで売られていたものだ。とはいえ単にセージとタイムと塩を混ぜ合わせた代物で、魔法がかかっているわけではない。「魔法使いが考案した」というところに権威があるだけで。

 そういった品は真偽のほどは不明なものが多い。「魔法使いの」「魔女の」と商品名につけたものは、そうでないものよりも往々にして高値で売れたからだ。


「こんど、パルムもあらってあげるね」


「ぜひお願いします。この自慢のふかふかの毛がもしダニにたかられてしまったら、このお屋敷からつまみ出されてしまうでしょう。そうなったら、もうリーゼと遊べませんからね」


 パルムは自分の頬を両手でもふもふしながら冗談っぽく言った。リーゼロッテは笑い声をたてながら、彼を抱きかかえて一緒に部屋を出た。

 母の部屋でパルムがなにをしていたのか気になっていたが、一緒に遊んでいるうちに、すっかり忘れて聞きそびれてしまった。


 彼の心をリーゼロッテが知るのは、まだ先のことである。

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