11.友達でいてくれますか?

 楡の木陰に設置された白いテーブルの上には、午後のお茶の準備がされている。本日のおやつは、ラベンダーシュガーを入れた紅茶と、ビオラの花びらの砂糖漬けを飾ったクッキーだ。

 細部まで精巧に描かれたキクイタダキとりんごの枝花の絵が、皿にも茶器にもあしらわれていた。


 クッキーののった皿の向こうには、空色の猫のぬいぐるみが立っている。パルムはリーゼロッテを見あげていた。

 

「はい。魔法使いでなくても魔法を使える方法が、ひとつだけあります」


 彼は語る。リーゼロッテの再度の熱をこめたさいそくを受けてだった。

 そんなぬいぐるみに、子どもはひたむきな瞳を向けていた。


 リーゼロッテは、自分も魔法を使えないのかと訊いたときに、「できますよ」と答えたパルムの言葉を忘れてはいなかった。

 なぜか彼は、その詳細を語ることを気乗りしていないようだったので、リーゼロッテとしてもすこし遠慮していたのだけど。


 でも、もし方法があるならやはり知りたい。

 魔法という言葉は甘やかな魅力に包まれているから。龍や妖精が、女の子の心をつかみつづけているのと同じように。


「それは……」

 

 ぬいぐるみの空色の毛は、春の陽射しにぬくめられて、ほわほわになっていた。先ほど抱きしめた時には、ぬくもりとともにあまやかな香気を放っていた。干したての布団を思わせる匂いに、炒った小麦の香がほのかに混ざったような、うっとりするようなやさしい匂いだった。


「お金を払うことです」


 だが、彼の語る現実はやさしくなかった。


「ああぁ。だっる……」


 シビアな事実を伝えるパルムの声に、ひとりごとめいたカティヤのぼやきが横からかぶった。


 意外な答えに、リーゼロッテはぽかんとした。お金?


「玄関ホールの床磨きつらすぎるでしょ。ひざなくなっちゃうわよ……」


 リーゼロッテの側に控えているカティヤは、うつむいてひざ辺りをさすりながらつぶやいている。仕事の愚痴らしい。

 こちらは独り言のようなので、とりあえず放っておいてよさそうだ……。たぶん。

 

 そう判断したリーゼロッテは、パルムに問いかけた。


「おかねなの?」


 お金を払えば魔法使いになれるの?


「そうですよ。かわいいリーゼ」


 ぬいぐるみは、ブツブツ言っているカティヤにちらりと目をやったあと、リーゼロッテに向き直った。


「魔道具というものがあるのです。魔法の力が込められた道具です。ですが国の決まりで、これらは基本的には魔術師にしか扱うことが許されていません」


 パルムは、ふわふわの短い手をあげながら説明する。


「魔法というのは便利なもので、人々の生活を豊かにもしますが、反面、その力を恐れられてもいます。この大陸を支配していた古代帝国イブリスが、魔法によって滅びたという神話が聖典に載っていますからね。いまでも魔法の力というものは、簡単に使うことが許されていないのです」


 パルムはまるで先生みたい。リーゼロッテはそう思いながら、熱心に聞いていた。

 彼は、まるでこういった事象を語る弁舌に、天性の才があるかのようだった。小川のせせらぎのように軽快に、ここちよく語ってくれる。

 喋ることがあまり得意でないと自覚しているリーゼロッテは、パルムのそんな技能に感心してしまう。


「魔道具の中でも力の弱いものを『魔法玩具』と言います。玩具とはおもちゃのことですが、ここでは『つまらないもの』というような意味ですね。これのみ、使用目的を申請してお金を払えば国営店から借りることができるのです」


(そっかあ。かりられるのね)


 ほのかな希望と、もうすこし大きな落胆とが混ざりあう。想像していたより単純な方法だったが、いまのリーゼロッテには実現困難だろう。

 幼い彼女の生活費は亡き父が残してくれているが、本家に離れて暮らす兄・ジェレミアが管理して、その都度、必要な分だけ出している。自由にできるお金なんて持ったことがないからだ。


 なんだか、魔法について知るたびに、キラキラした憧れの衣がはがれていくような気がする。昔話に出てくる魔法使いも魔法も、もっと神秘のベールに包まれていて、それでいて煌びやかな光をはなっていて、心をワクワクさせてくれるのに。

 才能のない者は、お金が必要だなんて。


 それでもなお、魔法や魔法使いという言葉から、すっかり魅力が消えうせたわけではなかった。それを使えば、いまの自分にはできない望みだって叶えられるかもしれないから。


 リーゼロッテは魔法に関して、大きくわけてふたつの希望を持っていた。「美しい幻想を叶えてくれること」と「日常の困難を解決してくれること」だ。

 とくに後者は切実だった。

 

 あまり人には打ち明けたことがないが、母が亡くなり、親族から冷たい言葉をもらって以来、リーゼロッテは自分のことが好きになれなくなっていた。母に似ない容姿も、内向的な性格も。別人のように素敵になりたいと願っていた。


 日々の世話をしてくれる人たちもいるし、寝食に困っているわけではない。とはいえ、不安に思っていることも、怖いことだってある。魔法の力を借りてでも叶えたい願いなんて、いくらだってある。


「わたしもかりられる?」


「床、床、床……。ああ、もううんざりよ。最も美しい盛りの十八歳の春を、床磨きに明け暮れていていいものかしら」


 リーゼロッテの質問と、カティヤのつぶやきがかぶる。


「ええ。ただし、借りられるものにはさほど大した力はないです。ほんの娯楽として楽しむ程度の魔法ばかりだとか。それなのに相当な大金がかかりますので、実用的ではないですね」


 ほんの娯楽にはなるけど実用的ではないということは、どういうことだろう?

 具体的に、なにができるのだろう? 


「きれいなおひめさまにはなれないの? そらはとべないの?」


 ためしに、リーゼロッテはそう訊ねてみた。

 パルムが答えようとした瞬間、


「いいわけないわ!」


 カティヤの声が興奮をおびた。子どもはビクッと肩を震わせた。

 赤髪のメイドを再び見やるパルムの眉間に、しわが寄った気がした。


「積極的に出会いを求めなきゃだめよ。いい男が空から降ってくるっての?」


「はい、空は飛べないでしょう。そしてお姫様というのが、王女や公女のような地位という意味ならむずかしいです。魔法玩具はもっとささやかなものです。たとえば暗闇でいっとき発光する石が、貴族の夜間のパーティーで使われるのが流行っていると聞きま……」


「だいたいお嬢様もいけないのですわ」


 パルムの言葉をさえぎって、カティヤが不満を述べた。キッと吊りあがった緑の瞳が、リーゼロッテの丸い瞳を見つめた。


「もうお体は元気ですのに、このままずーっとお屋敷に引きこもって生きていくつもりですの? 主が社交活動をしてこそ、使用人もそのおこぼれ……恩恵を得られるってものですのに。もう六歳にもなるのですから、ちょっとはお友達でもつくって、外の世界を知らなきゃだめですわ」


「すみません、ちょっとあとにしてもらえませんか」


 とうとう、うんざりしたようすのパルムが制止するように手をあげると、カティアに向けて言った。

 同時に話しかけられるリーゼロッテの頭の中が、混乱しているのを見てとったからだ。


 ぬいぐるみの顔はいつもと同じに見える。丸い目にほほえみを浮かべた口元も。でもその声にちくりとしたとげがあるのを、リーゼロッテは感じとった。


 パルム、おこったのかしら。


 彼はリーゼロッテの前では、いつも楽しげでやさしいのに。ときどきはイライラすることもあるのかしらと、意外に思う。


 カティヤは腕を組むと、パルムに向けて眉をそびやかしてみせた。


「あたしだってお嬢様とふたりきりで話したいのよ? でもできないの。なぜだかわかる? あたしには一日中仕事があるし、お嬢様にはいつだって変な毛玉がくっついてるんだもん。あんたこそどっか行ってよ」


「承諾しかねます。それから、自分の欲望のために幼い主を利用するのは感心しませんよ。リーゼの社交活動は、あくまでリーゼが望んだ時だけに行われるものです」


「けっ」


 いい子ぶりやがってと言いたげな目つきで、カティヤは舌打ちをした。


「生意気ね。あんたなんてお嬢様に言えないこと、あるくせに」


 そう言いながら、意地悪そうに口の端をあげて笑う。

 ぬいぐるみは両手を広げると、大げさに、愛らしく、首をかしげてみせた。こくり。


「なんのことだか」


 視線を交える、赤髪の女性と空色のぬいぐるみ。

 カティヤがパルムに好感を抱いていないのは、リーゼロッテもなんとなく感じていた。パルムからも、あえてカティヤに話しかけようとはしなかった。


 怒るとまるで燃えさかる炎のように手のつけられなくなるカティヤと、常に凪いだ湖面のように落ち着いたパルム。性格のまったく異なるふたりは、出会った頃からあまり気が合うようすではなかったが、リーゼロッテの前でここまであからさまに対決したのは初めてだった。

 これまでは、カティヤが噛みついてきても、パルムがのらりくらりと受け流してきたからだった。

 

 ふたりの間にみなぎる張りつめた空気を感じて、リーゼロッテは困ってしまった。

 それぞれの友達として、またはカティヤの主として自分はどうすべきか、頭を悩ませてみる。


 思い返してみると、もともとはパルムが先だった。午後のお茶をしながら彼と話していたら、そこに給仕のために控えていたカティヤが割って入ってきたのだ。


 ここはひとまずパルムの方に肩入れするべきだろう。

 カティヤの怒りを、やんわりなだめなければ……。


「パルムがさきにおはなししてたから、パルムからね。カティヤはまっててね」


 リーゼロッテはそう言うと、皿から菓子をひとつ取って、カティヤに渡した。青いビオラの花の砂糖漬けがのったクッキーだ。

 甘いものはおいしいから、誰だって好きに決まってる。これで機嫌をなおしてほしいという意味だった。


 ちいさな手から、無邪気なほほえみと同時に差し出されたお菓子を見ながら、メイドは気まずそうにつぶやいた。


「ええ……甘いもの、控えてるんだけど……。まあ、ありがとうございます」


 癇の強い彼女ではあるが、さすがに幼い好意を受け取らないのは気が引けたらしい。顔に浮かんだ怒りをおさめ、しぶしぶといったようすでお礼を言いながら、クッキーをエプロンのポケットにしまう。


 それを見届けたパルムは、リーゼロッテの方を向いて「よくやりましたね」と言わんばかりにうなずいた。

 

「では……」


 しかし、パルムの語りはまたもや中断された。草深い小道の向こうから近寄ってくる人影が見えたからだ。


「カティヤ、来て。急いで!」


 古参キッチンメイドのエルシーが、黒いスカートの裾を両手でつまんで、小走りに駆けてきたのだ。


 カティヤはつんとすましてこたえた。


「なによ。お嬢様のお給仕をしてるのよ」


「エステルったらすごく怒ってるようだから、早く! あんたの勤務態度のこと、本家に出向いてジェレミア様に報告するって。いまにも馬車を出しそうだったわよ」


 リーゼロッテの兄の名前にカティヤはたちまち顔色を変えると、あわてて屋敷に戻って行った。


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