第8話 どちらの球体をお求めですか?
しばらくずっと泣いているだけのえくぼの背中をさすり、「大丈夫。大丈夫」と小さな子供をあやすようにしていると次第にえくぼは落ち着きを取り戻した。
「――えくぼ、どうして俺がここにいるのがわかったんだ?」
「それは……」
えくぼは指で溢れる涙を擦り、ところどころ言葉を詰まらせながら俺に今回の軟禁事件について自分が知っていることを話し始めた。
まず、えくぼは俺をぼっちから救うべくある行動を起こした。
それは同じ委員で、ある程度仲も良かった伊勢への接触。
久しぶりに伊勢に声をかけ、えくぼは二人で少しの間他愛もない話をしたらしい。
そして別れ際、えくぼからすると本題だった「伊勢くんが倫ちゃんと仲良くしてあげて、男子クラスメイトの輪に入れてあげてほしい」という話を伊勢に持ち掛けた。
その場では濁した感じはありながらも一応了承してくれた伊勢にえくぼは安心していて、それから特に放課後練習について愚痴を言わなくなった俺を見て無事に解決したと思い込んでいたと(俺は一人で勝手に開き直りして強がってたただけなんだけど)。
そして今日、予想外な事件が起きた。
いつまで経っても姿を見せず連絡も返さない俺をおかしいと思い、一度一人で家に帰り俺の家を訪ねると母さんに「まだ帰っていない」と言われ、妙に胸騒ぎがしたと。
学校に引き返している最中に偶然下校中だった俺と同じクラスの男子生徒に遭遇し、えくぼは俺のことを問いただした。
最初は教えてくれなかったけど俺が行方不明と説明するとクラスメイトの奴らも焦ったように顔を見合わせて、俺にした嫌がらせを白状し始めた。
内容としては“体育用具室に閉じ込める、という計画を立てていたけどさすがに冗談でそこまで決行する気は全くなく、実際はただ体育館に行っている間に全員で俺の荷物を隠し置いて帰る”というもの。
「――じゃあ、私が聞いた桜間くんを閉じ込める計画は話してただけで実際する予定じゃなかったってこと?」
「そうなるな……その場合九重さんが一人で無意味にここに待機してるだけになるからそれもどうかと思うけど。けどその話どう考えてもおかしいだろ! 俺は実際ここに閉じ込められてんのに!」
「それはっ……伊勢くんのせいみたいで……」
「伊勢!?」
えくぼからの思いがけない告発に俺は全身が身震いした。
伊勢が、俺を閉じ込めただと?
少しだったとしても唯一俺を気にかけてくれていた、あの伊勢が?
「問い詰めてる時に、そういえば片付けの途中から伊勢くんの姿が消えてたって証言が出て来て、どうしても気になって――倫ちゃんのことを頼んだ時に連絡先を交換してたからすぐに電話して、伊勢くんに倫ちゃんの居場所知らないか聞いた。最初は知らないの一点張りだったけど、最後はカマかけたの。“全部伊勢くんの仕業でしょ”って――そしたら伊勢くん、今ままで見たことない顔をしていきなり笑い始めて……」
「――それで、伊勢が自白して犯人ってわかったのか」
えくぼは首を小さく縦に振った。
「――わたしだって、知らないでいてほしかった。伊勢くんが犯人だなんて信じたくなかった。ヤケになったように倫ちゃんの居場所もこっちが聞く前に全部教えてくれたけどこんなことをした理由だけは教えてくれなかったから……わたし聞いたの。“何でこんなことしたの”って……」
「伊勢は、何て言ったんだ?」
「――“お前の発言が気にくわなかった”。久しぶりに話せて嬉しかったのに、結局自分に話しかけたのは倫ちゃんの為っていうのがわかって無性に腹が立った、って……だから今回倫ちゃんがこうなったのは九重さんのせいじゃなくわたしのせいだって……」
……何だよそれ。
無茶苦茶な理由にも程あるだろ。
ああでも、話を聞く限り――そうか。
伊勢は一年の頃からずっと、えくぼのことが好きだったのか。
「だっ、だから、倫ちゃんがこうなったのはわたしのせいなの。ごめんなさい倫ちゃん。ごめんなさい」
「あーっ! 謝るなってえくぼ! お前のせいじゃないし、俺はえくぼに怒ってない。謝られる理由なんてねーよ」
「でも、でもっ、わたし」
「寧ろ感謝してる。えくぼのお陰で俺と九重さんはここから出られるんだから。ありがとなえくぼ。俺を助けるって言ってくれたの――本当だったな」
「――倫ちゃん」
「だからもう泣かないでいいし謝るな。わかったか?」
俺は泣きすぎと擦りすぎで赤くなったえくぼの目尻を親指で優しく撫でながら、えくぼの顔を覗き込む。
「……うん。わかった」
えくぼはここに来て初めての笑顔を見せてくれ、俺の言葉に頷いてくれた。
「よし! じゃあ帰るか! あー俺もうお腹ペッコペコで凹んでるわ。あ、えくぼが持ってるの俺の鞄? 取り返して来てくれるなんてさすが気が利く「ところで倫ちゃん」――はい?」
「どうして九重さんも一緒なの? あと入ってきた時抱き合ってたように見えたんだけど、わたしが必死に倫ちゃんを探している間二人は一体ここで何してたの?」
さっきまでの泣きべそえくぼはどこへやら。
今まで俺とえくぼのやり取りに感動して隅っこで珍しく空気を読み小さく拍手していた九重さんもいきなり話を振られ焦っている――かと思いきや。
「私はTOとしての任務を遂行してただけなんだよ琴ちん! タチの悪いアンチから桜間くんを守りたかったの!」
「意味不明なんだけど……タチの悪いアンチって九重さんのことじゃないんだよね?」
「どうして私が桜間くんのアンチになるわけ!?」
「えー? だってTOもアンチもタチの悪さレベルは一緒だと思うんだけどなぁ」
えくぼ、それは一理ある。あるけど今は何故か始まりそうな喧嘩を止めるのが先だ。
この二人同担同士だからかまだわかりあえていないのか。ささめん……罪深い女だぜ全く。
「やめやめ! 今お前らが言い合いしてどうすんだよ。えくぼ、九重さんは俺が閉じ込められる話を聞いて俺を一人にさせない為に先に体育用具室に隠れてくれてたんだ」
「隠れてくれてた? 聞いてたなら倫ちゃんに言えば未遂に防げてたんじゃないのかな!?」
「ごめん琴ちん。それさっき桜間くんに言われてからやっとその事実に気づけたんだ……」
「まぁまぁまぁ! 九重さんも自分なりのやり方で俺を助けてくれようとしただけって話だ。ちなみに抱き合ってたように見えてたのは勘違いだと思う」
「うーん。何か腑に落ちないけど、倫ちゃんの……九重さんの両親だって遅くなって心配してるだろうから、今日のところは納得しとくね」
いつの間にか暗くなっていた空のお陰でえくぼの追求が終わり、俺達三人は無事に体育用具室から脱出することができた。
外に出ると、今まで息苦しい狭いところにいたからか外の空気や風が肌で感じられて気持ちいい。
俺を真ん中にして右にえくぼ。左に九重さん。
三人で並んで歩いている途中、思わず俺は立ち止まる。
「桜間くん?」
「倫ちゃん?」
数歩先で、二人は急に足を止める俺を振り返った。
――今日は散々だった。まさか自分がこんなことになるなんて。でも、
「こんな熱心なオタクと過保護な幼馴染がいて、俺助かったよ」
三人で歩きながら、俺は確かに、強くそう思った。
****
高校生活最後のクラスマッチ当日。予報通り快晴。
えくぼに無理して行かなくてもいいと朝迎えに来た時に説得されたけど、行きたくないという気持ちは朝起きた段階でそれなりに消えていた。
それに今日休んだらサボらず毎日放課後練習に出てた時間が無駄になる。
ボールと大親友になった俺の実力、見せつけるなら今日しかない。
えくぼと別れ教室に入ると、クラスメイトの男子達が一瞬気まずそうな顔をして俺を見る。
俺はその反応を気にも留めずに席に着き一人でスマホをいじっていると、九重さんが教室に入って来た。
一気に華やかになる教室内。九重さんの登校と共に何人もの生徒が九重さんに「おはよう」と声をかけている。
今日も俺とは違い人気絶好調だなと感心していると、俺の前にある自分の席へとやって来た九重さんと目が合ったので、
「――おはよう」
俺もみんなと同じように、九重さんに「おはよう」の挨拶をしてみた。
「――!」
ら、九重さんは目をまんっまるにして放心状態。早く座れよ。
「桜間くんからおはようって言われたの……初めてだよね?」
「え? そうだっけ」
「そうだよ! いつも私から言っても返してくれるけど目も合わせてくれないことが多かったのに……どうしたの今日は! 槍でも降っちゃいそうだよ!」
それを言うなら降るのは雪だ。本当にこんなので槍が降るなら今すぐ振ってグラウンドをメッタ刺しにしてくれ。
「別に、みんなも言ってるから俺も言っただけだよ」
「でも桜間くん……教室内で私と関わるのはやっぱり、特に今は嫌なんじゃ」
「あーもうそういうの気にしないことにしたから俺。めんどくさいと思ってたけど気にする方がめんどくさい」
「じゃあ、これからも桜間くんを追っかけていいの? クラスでいっぱい話しかけても? 今度から塩じゃなくて砂糖対応してくれるんだね!?」
「今までどんなにやめろって言っても勝手にいっぱい話しかけてきてたろ! 今更か! あと砂糖対応の約束はできない」
「――うん! これからも勝手にする! 塩でもいいよ! 胡椒でもごま油でも! ふふっ」
ごま油対応ってのがあるならどんなもんなのか一度実演してほしいもんだ元アイドルさんよ。
――ハァ。にしても、九重さんもやっぱり気にしてたのか。今の状況で俺と今まで通り接していいかどうか。
どうせ九重さんの目が光ってる教室内じゃ俺は安心安全。
今後男女別の行事なんてものはないし、
伊勢が言っていた。
『どっちにしろ気にくわねーんだよ。アピール受けても、避けても』と。
成す術なしなら、いっそ俺の好きにしようということだ。
今まで九重さんに自分から一切接触をしなかったのははめんどくさいことになるのが嫌だったってのが実際一番の要因だったけど、めんどくさいことが起きた後だしもう関係ない。
それに――たかが俺から「おはよう」って言うだけでこんな嬉しそうにしてくれるなら、もっと早く言ってやればよかったな。
「……桜間、ちょっといいか?」
いよいよクラスマッチが始まる寸前。
グラウンドで一人アップしている俺に、伊勢が声をかけてきた。
俺は動きを止めて、いいともダメとも言わずに無言で伊勢を見る。
「あんなことして、本当に悪かった」
表情一つ変えない俺とにらめっこするにはバツが悪すぎたのか、伊勢はすぐに頭を下げ俺に謝った。九重さん、えくぼに続き今度は伊勢。この短時間で人に謝られるのは三回目だ。
「――いいって。俺怒ってないからマジで」
こう返すのも、もう決まり文句みたいになっていた。
「怒ってないって――そんなわけないだろ。閉じ込めたんだぞ? 窪江がいなかったらいつ出られたかもわからなかったのに。そんな気遣いやめろよ。怒ってくれた方が全然楽だ。クラスの奴らに言いふらしたっていい。俺は、最低だ」
伊勢は昨日えくぼから話を聞いた時とは別人のように、両手を強く握り過ぎて震わせながら俺の返答を否定した。
「そう言われても、俺は本当に怒ってねーんだよ。ほらアレだ。ギャルゲーが好きな俺からしたらサプライズイベントみたいなもんだったし。ははっ」
「――俺は本気で謝ってるんだぞ? お前のそれは冗談なのか? それとも本気で怒ってないっていうのか?」
「だから! 俺は俺にされたことに関して伊勢を責める気はねーし怒ってもねー。けど、えくぼと九重さん、二人を巻き込んだことに関してはきちんと謝ってほしい――いや九重さんに関しては別に伊勢のせいってわけじゃないけど」
伊勢本人もあの場に九重さんがいたなんて思ってもみなかったろうしな。でもえくぼに酷いことを言ったのは、変えられない事実だ。
「……そうだな。桜間の言う通りだ。後でちゃんと謝っておくよ」
「そうしてくれるならもう俺から言うことはなし! 口外もしない。したところで俺の発言信じる奴がいるか? 今伊勢がすべきことは運動馬鹿グループとしてクラスを引っ張り優勝に導くこと。それだけだろ」
「桜間……」
「あとさ、お前は勉強も出来て背も俺より高くて爽やかなイケメンで、俺がお前に勝ってるとこ見つけろって方が難しい。だから――変なことしないで、そのままのお前でアピールしろよ。十分戦える装備が整ってる男だぜ伊勢は」
既に男子クラスメイトというパーティーも従えてんのに、その自信と余裕のなさは一体どこから湧いてきたんだよ。イケメンと身長と爽やかさの無駄遣いだ。その中の一つのスキルも持ってない俺に失礼極まりない。
「……正直、殴られてもいいと思って覚悟して桜間に話しかけたのに……拍子抜けしたよ。桜間ってやっぱり変わってるな」
「人を変人扱いするな。俺は伊勢とは違ってただの平の凡なオタク人間なの」
「はは。そうだったとしても――俺は多分、ずっとお前が羨ましかったよ。桜間」
「……俺が? なん」
「伊勢ー! 何してんだよ! 試合始まるぞ」
「おう! すぐ行く! 桜間もほら、行くぞ」
「あっ……うん」
何で、と聞こうとしたが、伊勢はクラスメイトに呼ばれ輪の中へと戻って行った。
伊勢、俺の話聞いてた?
俺が伊勢に勝ってるとこなんてないんだって。
ああ、えくぼと幼馴染だからか? それはきっと俺が生まれた時に生誕ガチャで「幼馴染特典」を引いたからだ。あんな可愛い世話焼き幼馴染がいることは俺にとってラッキーだったとしか言いようがない。
あの伊勢が俺なんかを羨ましいと思うくらい、伊勢はえくぼに惚れこんでいたんだってことを俺は改めて再確認した。
……えくぼ、知らないところでモテてたんだな。今まであんまり考えたことなかったけど普通に見た目も小さくて女の子らしくて可愛いし、でも中身はしっかりしててお姉さんっぽさもあるし。
えくぼが誰かに告られて付き合い始めてってことも全然あり得る話なんだよなぁ……えくぼが三次元男子をかっこいいって言いてるのを聞いたことないし、いまいち想像はできないけど。
伊勢はえくぼのどこに惚れたんだろう――やっぱり笑った時に両頬にくっきりできるえくぼか?
控えめなえくぼがたまに見せるあの笑顔に惚れたとしたなら伊勢はいいセンスしてる、と幼馴染として俺は勝手に伊勢を評価した。
****
試合が始まり、案の定パスが俺に回ってくることもなく時間だけが過ぎて行った。
九重さんの人気が落ちることはなさそうだし九重さんの推しが俺である以上この嫉妬という感情に取り憑かれた男子問題は根本的に解決は難しいんだろう。
楽だし全然いいけど。頑張る振りすらしなくていいし。クラスマッチが終われば夏休みは目の前だし。
伊勢には勢い余ってああ言ったけど、いっそのことさっさと負け確してくれという俺の期待も虚しく、俺達B組は順調に勝ち続けた。
最後の試合が始まってすぐ、同じく女子も決勝戦真っ最中という情報が俺達男子の耳に入り、ダブル優勝しようと気合いが入るクラスメイト達。
同時に女子だけが優勝して自分達が負けたらかっこ悪いというプレッシャーからなのか、さっきまで動きが良かった奴がミスを連発し始めそれが周りに伝染するように全体的にミスが目立ち始めた。
俺を除けばチームワークだけはきっと他のクラスよりダントツであったB組がギスギスし出したのを感じる。おいふざけんな。仲良くしろお前ら。お前らの団結力は俺という犠牲の上で成り立ってんだぞ。
後半戦残り時間も僅かになった頃、突然ピーッ! とホイッスルが鳴りキーパーに駆け寄るクラスメイト達。
どうやらさっきのボールをセーブした際に足をひねってしまったようで、もう動けないとのことだった。
踏ん張りどころの場面でこの緊急事態。
代わりのキーパーを誰がやるか、の話し合いが始まったが、残りはあと数分。点数は同点。
敵クラスは一回負けているが俺達は全勝。同点を守れば俺達の優勝が確定する。
言い換えれば一点だって失点できない。延長戦に持ち込められれば今まで全試合鉄壁の守りを見せてくれた唯一のキーパーを失った俺達に勝ち目は極めて薄いことを全員わかっていた。
……誰もやりたくないんだろうな。でも誰かがやらなきゃいけないけどな。俺以外の!
だってお前らは俺を今の今まで空気のように扱ってたんだ。俺はチームにいないも同然。キーパーなんて大役任されるわけがない。
俺にできることはここで貧乏くじを引かされる奴を見届けることだけ。さぁ、一体誰なんだろうなぁ?
「桜間、お前キーパーやれよ」
はいけってーーい! 貧乏くじを引いたのは桜間くーーん……はい?
「俺!? 何で!?」
「だってお前何にもしてねーじゃん今まで」
「はぁぁ!? 別に好きで何もしなかったわけじゃ」
「じゃあいいだろ。桜間に決定。みんなもいいよな?」
頷くクラスメイト。こんな時だけまた一致団結しやがってこいつら……!
「待て。それなら俺がやる。俺はサッカー経験者だし、ここは俺がやるのが一番いい」
「……伊勢!」
俺を囲むクラスメイト達の輪から俺を庇うよう、俺の隣に伊勢が立ちキーパーをやると立候補した。
「それは困る! 伊勢がいなくなったら攻めの要がいなくなるだろ」
「そうだ! 伊勢は最後まで相手チームを攻めまくってくんないと」
お前達は最後の最後まで俺を攻めまくってるけどな。攻める相手間違ってんじゃないか?
それに今の状況を考えろ。守れば勝ちなんだからキーパーに伊勢を置く方が確実に決まってるだろ。攻めるのは残りの運動馬鹿に任せとけば問題ない。
「もう時間がない。桜間、お前がキーパーだ」
「だから何でだよ! 伊勢の方が絶対安心だって!」
「……練習の時見たけど伊勢はキーパー下手くそなんだよ。他の誰もやりたがらないし、お前が適任だろ」
それは万が一点を入れられても、俺がキーパーだったら全部俺に責任を押し付けられるからって意味か?
「言っとくけど、絶対守れよ桜間」
「――マジかよ」
キーパーグローブを強引に胸に押し付けるように渡され逃げ場をなくされた俺はどうすることも出来ず、生まれて初めてグローブをつけゴール前に立った。
思ったよりも広いゴール。むかつくクラスメイト達全体がよく見える。
……キーパーって、こんな景色なのか。
ホイッスルが鳴り試合が再開した。
時間はちょっとしかない。相手に攻めさせなければ俺はこれまで通り何もしないで突っ立てるだけで試合を終えることが出来る。
頼む、頼むからゴール前に来させないでくれ!
俺の想いが伝わっているのか、伊勢が前線でかなり頑張ってくれている。
よし、いいぞ伊勢! そう、そのままボールを持ち続けろ。誰にも渡すな! あ、やばい、伊勢の足がボールに追いつかなくなって――ああーーーーっ!
俺がキーパーになってから初めて敵クラスにボールが渡った。
もう時間がない。このチャンスを敵は絶対に逃さないだろう。
敵クラスの巧みなパス回しであっという間に遠いところにあったボールが俺の近くまで運ばれてくる。
ヤバい。マジヤバいって。本気でゴールまで来ちゃうってこいつら。
すぐ近くにいる敵クラスのボールを持っている生徒と目が合った。明らかに俺の後ろにあるゴールを見据えている。
助けてくれ。誰かこいつを止めてくれ。そう思った瞬間目の前にいた生徒が倒れ込み、またもやグラウンドにホイッスルが鳴り響いた。
何が起きた? まさか俺の強い意志が発動し敵の足に何らかのダメージが……
「B組ファウル! PKだ!」
「逆転あるぞこれ!」
うおおおお! と盛り上がる敵クラスとギャラリー。
反して絶望し膝をつくクラスメイト達。
「ぴー、けー?」
今めちゃくちゃ耳を塞ぎたくなる単語が聞こえた気がしたんだが。
倒れた選手を見ると、そいつの足に絡みつくように思いっきりファウルしたてほやほやな伊勢の姿が目に入った。
何やってんだお前はぁぁぁぁぁぁぁ!
止めるならもっと早く止めろ! 無理だったなら無理するな! 俺を助けてくれるつもりが絶体絶命に追い込んでどうするんだよ!
前言撤回する。伊勢に「そのままのお前でいけ」って言ったけど全然ダメだ。今のお前じゃえくぼのえくぼも見れやしない。
誰も俺に期待してない。俺だってしてない。完全に諦めムードが漂う中、PKの準備が整う。
それっぽく構えてみるものの、俺の身体はカチンコチンに固まっていた。
敵は深呼吸をし気持ちを整えている。そんなことしなくても蹴るだけでゴールできるぞお前。
「っ!」
敵が動いた。どこだ? どこに打つ? いやビビり過ぎて身体動かねーからどこ打たれても終わりだちくしょううう!
「頑張れ! 桜間くーーーーん!」
遠くから九重さんの声が聞こえ、それと同じか少し遅いくらいに敵がボールを蹴った。
「……ブフォアッ!」
気づけば顔面に強い衝撃を受け頭上で星がくるくると回る。
足元にボールが落ちる音がして、その瞬間試合終了であろうホイッスル……
か、顔が痛い……PKはどうなったんだ?
転がったボール……じゃなかった友達を拾い周りを見ると、みんなの視線は俺に向いてなく――その視線の先には、ジャージを脱ぎ捨て体操服を下で結び、完全におへそが露わになっているポニテ姿の九重さんが。
「勝った! 優勝だ! ナイス顔面セーブ桜間!」
「へ」
顔面セーブ? つまり俺はキーパーとしての役目を果たせたってことか?
伊勢が駆け寄り俺の頭をぐしゃぐしゃに撫でると、続くようにクラスメイトがわーっと俺の元に集まって来た。
「すげぇよ桜間! お前じゃなかったら絶対に無理だった!」
「へ」
「俺達誤解してたんだな。お前のこと!」
「へ」
「だってあんなセクシーな九重さんが急に出て来たら、みんな飛び跳ねて揺れる九重さんのおっぱいしか見てなかったのに……」
「あの状況で同じ球体でおっぱいじゃなくてボール見続けられる男、この学校でお前しかいねーよ」
「――そんなお前だから、九重さんはお前を推すんだろうな」
「「「今まで悪かった! 桜間!」」」
「…………おう」
九重さんがいる限り、九重さんの推しが俺な限り、根本的に解決不可能と思っていた問題は。
昨日俺が感じた柔らかさの正体であろう九重さんのおっぱいにより、無事解決となった。
悔しいけど、また九重さんに守られてしまったのか。
「桜間くんっ! 優勝おめでとう! 私達も勝ったよ」
試合後、九重さんがタオルとドリンクを持って俺のところにさっきの格好でやって来る。
……近くで見るとなかなかの迫力。男子高校生には十分な刺激だなこれは。
今までジャージを着てる姿しか見てなかったから知らなかったけど、九重さんって結構、あるんだな。
Xdayだとささめんが巨乳担当って言われてるけど、ささめんと同じくらいあるんじゃ――
「……九重さん、そんな格好してたらお腹壊すぞ」
「あっ、そうだね。試合して暑かったからつい」
みんなごめん。
さっきキーパーじゃなかったら、俺は間違いなくこっちの球体を見てしまっていたこの事実は墓場まで持って行くよ。
クラスマッチは見事男女ダブル優勝。
男子とも和解し、後は平和に夏休みを待つだけになった俺はまだ知らない。
『――桜間倫太郎。気をつけろ。女の嫉妬も醜いが、男の嫉妬はもっと醜いもんさ』
あの言葉の本当の意味を。
自分へ向けられる“嫉妬”と“恨み”の、本当の恐ろしさを――
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