第5話 推しは自引きできますか?

「えー本日入荷のXday缶バッジガチャ、これ以上の在庫はございませんので今ある分で終了になります! 一人二回まででお願いします!」


 やはり学校終わりというハンデはでかかった。

 昼過ぎに入荷したらしい新作缶バッジは俺達が到着した現時点で既に在庫僅かだというアナウンスを店員から聞かされる。

 個数制限は一人二個――新作は全キャラ二種類ずつの絵柄――つまり六分の二か。

 二回やって丁嵐さんの別絵二種コンプはさすがに難しそうだけど、俺達は今日三人いる。よって全員で六個分。これだったら十分可能性は上がる……!


 九重さん、連れて来て正解だったな。うん。

 周りを見てもみんな自分の推しだけに夢中で誰も九重さんを気にも留めてないし、マスク効果は絶大だ。

 

 俺達は店頭にあるガチャの列に並び、売り切れだけは勘弁してくれと心の中で願いながら順番が来るのを待った。


「すごい! 私こういうの並ぶの初めてだよ!」


 億劫な待ち時間ですら九重さんは初体験らしく、興奮気味で楽しそうにしている。


「私の握手会に来てくれた人達も、こんな風にわくわくする気持ちだったのかなぁ」

「こんなもんじゃないだろ。推しが出るかわからないガチャが先にあるのと自分の推し本人が必ず待ってんのじゃ緊張もわくわく感も別物だと思うぞ」


 俺だってこの列の先に丁嵐さん本人が待ち構えてるってなったら手が震えてまともに立っていられない。

 ん? てかそう考えると――


「……九重さんって、俺のオタクって割には全然俺に緊張もしないし寧ろ積極的に話しかけてくるけど……俺の前で緊張とかないわけ?」

「へっ?」

「あ! い、いや! 今のなし! 何言ってんだ俺」


 疑問に思ったことをついそのまま口に出して言った後、九重さんのきょとんとした目と声で我に返り激しい後悔に襲われた。

 俺に緊張しないの? って――誰に言ってんだ! 相手は元アイドルだぞ! 俺なんかにするわけないだろ! 逆に俺がしないのかって聞かれる方が普通だ。


「緊張はしないけど、桜間くんといたり、桜間くんのこと考えるとわくわくして楽しくなるよ」

「……楽しくなる?」

「うんっ! 桜間くんもふうかちゃんのこと考えてる時間って楽しいでしょ? それと同じ。今はもっと桜間くんと一緒にいて桜間くんをもっと知りたいって気持ちが強いからあんまりわかんないかもだけど……最初教室で会った時は緊張して心臓バクバクだったんだよ?」

「いや……全然そうは見えなかったけど」

「実際推しに会うとテンション上がっちゃうタイプと緊張して話せないタイプがあるとしたら私は前者のオタクなのっ!」


 ああ。そう言われたらわかりやすい。確かに常にうざいくらいテンション高いもんな九重さんって。

 今まで軟禁されてた解放からかと思ってたけど推しに会えて嬉しいテンションの上がり方か。ここで話されてる推しが“俺”じゃなければかなり説得力あったな。


 そして俺は絶対に後者タイプのオタクだ。

 画面越しでも可愛すぎて言葉が出ないことあんのに――俺三次元に推しいたらどうなってたんだろう。


「えくぼはどっちのタイプだ? 例えば異性の推しができたとしたら」

「え? わたし? わたしは……」


 無言で列の前だけを見つめ俺と九重さんのやり取りを聞いていたえくぼに話を振ると、えくぼは親指を顎に当てて首を傾げる。


「内心はすっごくテンション上がってるけど……それを態度には出せないで緊張しちゃうかも。いいとこだけ見てもらいたいから変にいい子ぶっちゃったり……そんな感じかな」

「あー確かに。えくぼらしい! でもえくぼはそのままにしててもいい子だって」

「そうかな?」

「おう。ずっと一緒にいる幼馴染の俺が保証する!」


 えくぼも今まで俺と一緒でずっと二次元オタクだったから、現実の、それも男の推しを前にしてる姿が想像つかないけどきっと俺と一緒にいる時と変わらず優しくて癒しオーラ全開の良心的なオタクなんだろう。

 少なくとも九重さんのような強引で積極的な押し掛け女房タイプではない。逆に九重さんのガッツはオタクとしては相当レベル高いんじゃないか? 嫌われたらどうしよう、みたいな不安も彼女の頭になさそうだし……


 ちらりと横目で九重さんを見ると、後ろの列の人の痛バをまた目を輝かせ凝視していた。


 ――いや、九重さんは多分何にも考えてないだけだ。何故ならオタク初心者だから。

 自己完結したところで、自分の順番が回ってきた。

 よかった。まだ在庫はある。でももう一周できる余裕は後ろに並んでる人数を見るとないだろう。


 この二回に、全てを懸ける!


「おぉぉぉぉ丁嵐さぁぁぁぁあん!」


 右手に丁嵐さんへの愛を集中させ、俺は運命ガチャ一回目を回した。

 カプセル同士が擦れ合いながら動いた後、ゴトン、と俺の元に一つの選ばれしカプセルが。

 


 俺はそっと手に取り、ゆっくり深呼吸をしてから中身を確認する。

 

「……っ!」


 声が出なかった。

 俺の手にあるカプセルの中に、確かに愛してやまない丁嵐さんの姿を確認したからだ。


 新規絵の丁嵐さんは当たり前だが今まで見たことのない顔をしてこちらに微笑みかけている。ぎこちないその笑顔は、俺の口元を最高に緩めさせた。


「……出た! 丁嵐さん!」


 遅れて歓喜の声を上げると、後ろで俺の様子を見守っていたえくぼと九重さんも一緒に喜んでくれる。

 

 どうやら今日の俺は調子がいいようだ。

 

 そう確信した俺は、ラスト一回も丁嵐さんがくることを確信し今度は勢いよくガチャポンを回した。

 そうして俺の手元にやって来たのは――


「……あさひか」


 丁嵐さんと違い満面の笑みを見せる晴巻あさひ。新規絵とは思えないいつも見る百点満点の笑顔が眩しい。

 ここでささめんが出てくれればまだえくぼか九重さんにあげたりできたんだけど、正直一番微妙な位置が手元に来てしまった。先に言っておくけどあさひに何の罪もないのは承知だ。


「でもまぁ一つでも推し引けただけラッキーだよな。二人も頑張れよ」


 俺は一足先に列から抜け、次はえくぼがガチャを回す番になった。


「ささめん……っ」


 手を合わせささめんの名前を小さな声で唱えると、えくぼは課金額二百円を台に突っ込み小さな手でガチャを回した。

 えくぼは一つ目のカプセルの中身を確認しないまますぐにまたお金をいれ二回目を回す。俺とは違う、これがえくぼ流「まとめて確認」である。


 二つのカプセルを手に持って、えくぼは素早く中身を確認すると走って俺のところにやって来た。


「見て! 倫ちゃん!」


 えくぼの両手にはなんと二つともささめんの缶バッジが握られていた。しかも絵柄の違う二種類が。


「――おぉぉぉ! やったなえくぼ! 激アツ展開!」

「うん! 今日は神引き! ささめんがわたしにデレてくれたぁ」


 生まれて初めてのライバルを前に推しを両方引き当てるなんて、もし先に九重さんが引いてたらそのささめんは九重さんの手に渡ってただろうに……えくぼの奴、もってるな。


 九重さんの方を見ると、えくぼに負けないようになのか気合を入れて「おりゃぁ!」とか言いながらガチャを回している……が、その後急に「あれ? あれれ?」とおろおろとし始めた。


「……あー、ガチャ詰まったぽいな」


 中身が出てこないってのはよくあるトラブルだ。

 

「どうしよう桜間くん! 私、機械壊しちゃったみたい!」


 大焦りしながら九重さんは俺に助けを求めた。全然壊してないから安心しろ。


「大丈夫だって。壊れてないよ。俺店員さん呼んでくるからここで待ってて」

「ほんと?」

「本当本当。店員さんがちゃちゃっと解決してくれっから」


 列形成している店員さんを呼ぶのは迷惑と思い、俺は店内に入り一番近くにいた店員さんに事情を伝えるとすぐさま店員さんは外に出て対応してくれた。

 俺もそのまま戻ろうと思った――が、欲しかったグッズが再入荷して目の前に並べられている。


 よし、中に入ったついでにこれも買って帰ろう。


 店内に入ると誘惑に負けいつも何かを買ってしまうので、新作発売以外ではあまり入らないようにしていたが今回は致し方ない。


 俺はレジに並んで会計を済ませてから店頭に戻った。

 列がなくなって人がいろんなとこに散っている。どうやら缶バッジは在庫終了したみたいだ。


「ちょっと倫ちゃん! どこ行ってたの!」

「悪い。店員さん呼んだついでに買い物しちゃってさ」

「それより、さっきから九重さんがわがまま言ってきて大変なの」

「……どうしたんだ?」

「わがままじゃないもん。私みぞれちゃん一つも出なくて、琴ちん二つあるなら一つ分けてくれないかなって」

「だから種類違うから無理だってば……」


 九重さん、ガチャ引き結果撃沈したのか。


 えくぼにぶった切られて落ち込む九重さん。

 推しが引けないのって残念だよな……悔しいよな……しかも在庫切れだから今すぐリベンジすることも許されないなんて残酷だよな。

 でもこんなことはオタクには日常茶飯事だ。今日はその悔しい気持ちを学んだと思ってまたチャレンジすればいい。

 次こそ“推しを自引きした喜び”を学べるように……な。


「あ。ねぇねぇ桜間くん」

「ん? 何だよ」

「これ、桜間くんにあげる!」


 下を向いてしゅんとしていた九重さんが急に顔を上げ、自分が持ってる内の一つのカプセルを俺に差し出した。


「っ! こ、これは……っ!」


 それは、俺が持っていないもう片方の丁嵐さんの缶バッジだった。

 さっきのぎこちない笑顔と違い、クールな表情をした丁嵐さんの力強い瞳が俺の瞳をまっすぐに捉える。


「俺に、くれるのか?」

「うん。だってふうかちゃんは桜間くんの推しでしょ? 桜間くんTOの私から初めての桜間くんへのプレゼントですっ!」


 九重さんは固まっている俺の手のひらの上にカプセルを置いて、ぎゅっと俺の手ごと握ると自分の手をそっと離す。


 俺の握られた手の中には、大好きな丁嵐さんがいた。


「九重さん……まじでありがと……めーっちゃ嬉しい!」

「私にとってはその笑顔が一番の大当たりだよ」


 なっ……よくそんな恥ずかしいことを相変わらずぬけぬけと……まぁいい。

 もらった丁嵐さんを大事に鞄にしまうと、俺の頭に一つの疑問が浮かんだ。


「あれ、九重さんもう一つは誰だった?」

「これ、あさひちゃん。見事にみぞれちゃんだけ私に振り向いてくれなかったよ」


 九重さんが見せてくれたのは俺が引いたのと同じ柄のあさひ缶バッジ。

 もしこれがもう一種類の方だったら六人で全種コンプしてたことになってたのか。それはそれですごい。惜しかったな。


「……仕方ねーなぁ。よし、SNSで交換探しとくよ俺」

「交換? SNSで?」

「あさひ、Xdayで実は今一番人気なんだよ。ささめんとの缶バッジ交換俺がオタクアカウントで呼びかけてみる」

「へぇ! そんなことできるんだ! でもそれなら今周りにいる人に声かけてみた方が早いんじゃ――」

「やめろ。俺とえくぼはお前と違って消極的オタクなんだ。九重さんも勝手な行動しないこと」


 そんなのわかってる。今までだってそれができたら苦労していない。

 でも自分から誰が手元にあるか誰推しなのかもわからない相手に話しかけられないんだよ! 向こうから来てくれたら話は別だけど! 俺は超絶受け身型なんだ!


「これでよし……っと」


 ぽちぽちと文字を打ち、交換希望の旨を発信すると俺は自分の連絡先のQRコード画面を開いた。


「ん」

「え?」


 九重さんにその画面を見せ差し出すと、九重さんは驚いた顔をする。隣でさっきから黙っていたえくぼも何故かちょっと驚いたような顔をしていた。


「交換できたら教えるから連絡先交換しとこっかなと思ったんだけど――嫌だった?」

「う、ううんっ! でも――いいの? 桜間くんの連絡先教えてもらうなんて」

「……寧ろ俺より九重さんの連絡先のが何倍も希少価値高いだろうけど大丈夫?」

「もちろんだよ!」


 大喜びしながら九重さんはQRを読み込み俺を友達に追加すると、嬉しそうにまだ空白の俺とのトーク画面を眺めてこう言った。


「二人ともありがとう! 今日は最高の活動日になったよ!」


 唯一推しを引けなかった人が一番幸せそうって不思議だ。

 いや――でも九重さんの最推しはささめんじゃなくて俺、なのか?

 だったら推しの缶バッジはゲットできずとも連絡先をゲットできたってことか。俺の連絡先なんてゴミみたいなレートだけどな。


「んじゃ帰るか――ってかえくぼ、さっきから何で黙ってんだ?」

「いや……ささめんはわたしのとこに来てくれたのに負けた気がして」

「はは。負けたって何にだよ」

「さぁ? ……何だろうね?」


 さっきまであんなに喜んでたえくぼのテンションが低いのが気になっていたら、えくぼは「帰ろっか」と言い俺の手を引く。

 行きと同じく勝手に先を行く俺とえくぼを見て、九重さんが慌てながらまた俺達を追いかけてきた、ら。


 恐れていた事態は、前触れもなく起きてしまった。


「ちょっと待って桜間くん琴ちゃん! 私駅までの道覚えてな――」

「あ、お姉さん。ハンカチ落としましたよ」

「わっ! すみません。ありがとうございます。最近くしゃみがよく出てハンカチ手放せなくて……くしゅんっ!」

「…………」

「あはは! すごいタイミングで出ちゃいました! ……どうかしました?」

「こ、こっ! 九重夏姫!?」

「…………あ、もしかしてくしゃみ凄まじすぎてマスクズレちゃってる?」

「ココナツだぁぁぁぁぁ!」

「え、ココナツ!?」

「どうしてアニマに!? ココナツXdayオタだったの!?」

「うわーん! 桜間くんごめんなさーい! 助けてぇー!」


 後ろにずしっと重みがかかる。九重さんが走って俺にしがみついてきたんだろう。


「……お前、最後の最後でやらかしてくれたな」

「うぅ、ごめん。私だってあんなくしゃみ出ると思わなくて」

「アイドルだろ!? マスク取れるほど勢い良いくしゃみすんなよ!」

「元だから! それに声は可愛めだったでしょ?」

「声に見合ったくしゃみしろ! 逆にどういう技術なんだそれ!?」

「倫ちゃん九重さん。喧嘩は後にして。とにかくこれ以上人が増える前に――駅までダッシュね」


 結局缶バッジを手に入れるという戦が終わった後も、始まる前と同様俺達三人はダッシュする羽目になったのだった。



 無事に幸い大きな騒ぎにならずに済んだその日の夜。

 無事にSNSであさひとささめんの交換が見つかり俺はそのことを九重さんにメッセージで送った。


 すぐに絵文字、顔文字だらけのキラキラしたお礼メッセージが返ってくる。メッセージまで眩しいのか九重夏姫。


【今日は本当に楽しかった。ありがとう桜間くん】


 最後の一文を見てただガチャを回しに行っただけなのに相当喜んでくれたんだな、というのが伝わってくる。

 楽しんでくれたなら、こちらとしても連れてった甲斐がある。最後のしくじりさえなければな。


 友達リストにある“九重夏姫”の名前を見ると、俺は少し変な感じに思った。

 えくぼ以外の身近な女子の連絡先は、初めてだったからかもしれない。


 交換するあさひの缶バッジを親指と人差し指で掴み、ベッドに寝転んだままそれを上に掲げ見上げる。


「……あさひ、ちょっと九重さんに似てるな」


 天真爛漫なキャラも被ってるし。

 あさひの笑顔が、今日の九重さんの笑顔と重なって見えた。


 ――少し、本当に少しだけ。

 俺があさひの缶バッジを手放すのが惜しいななんて思ったのは、きっと疲れていたせいだろう。


 

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