第六章 神崎鈴羽は意識させたい。
第30話 意図
実のところ、弁当は作ってくるのを忘れたのではない。持ってくるのを忘れたのだ。
取りに行くのは面倒だったため、お母さんに連絡して処分は任せた。おそらく、お母さんのお昼になる事だろう。……二人分あるが、そこは深く考えてはいけない。私の手を離れた以上、あの弁当達のその後は母のみぞ知る不可侵領域だ。
……何を言っているんだ、私は。一昨日の事があって、まだ頭が混乱しているのかもしれない。それ程あの出来事は、私にとって衝撃的だった。
お母さんに買い物を頼まれ、たまたま通りかかった公園。そこで私は見知った顔をみつけた。
一人はせんぱい、もう一人は……。
二人は何やら大事な話をしているようだった。遠くからだったので声は断片的にしか聞こえなかったが、雰囲気でなんとなくそれが分かった。
そして
『
愛の告白。
その後せんぱいが、なんて答えたかは知らない。すぐに私は、逃げるようにしてその場を離れたから。
天使さんが、せんぱいに好意を持っている事は以前から薄々勘付いていた。だけど、まさか告白するなんて。
彼女は二つ下の後輩で、せんぱいにとっては友人の妹だ。眼中にない。対象外だと勝手に思っていた。その思い込みが、告白によって一瞬にして私の中で崩れた。なぜ彼女は違うと思っていたのだろう。彼女だってせんぱいの恋人になる可能性がないはずがないというのに……。
「はぁー」
三時限目の授業があった私は、せんぱいより一足早く大学へと戻っていた。
教室の
ひどく気持ちがモヤモヤする。
結局、あの後どうなったかはせんぱいに聞けなかった。聞けるはずもなかった。
もしオッケーしていたら? 二人は付き合って、私は……。
「すーずは」
声のした方を向く。するとそこに、めぐみんが立っていた。
「めぐみん……」
「どうしたの? 顔暗いよ」
「色々あって」
「色々?」
そう言いながら、めぐみんが私の隣の席に座る。
「うーん。どっちだろう?」
「どっちとは?」
めぐみんの中で、どういう選択肢が今浮かんでいるの?
「香野先輩絡みか
「……」
鋭い。鋭過ぎて怖い。
なんでそんな事が分かるんだろう? エスパー? エスパーなの、めぐみん。
「その顔は当たりだ」
「うん。まぁ……」
そこまで言い当てられては、さすがに否定出来ない。
「……実は――」
私は少し迷った
「なるほどねー。で、
「え?」
「だって、香野先輩取られちゃうかもしれないんでしょ? 鈴羽はそれでいいの?」
「……」
良くない。良くない、けど――
「大丈夫。鈴羽は
「何それ」
めぐみんの根拠のない励まし(?)に、私は苦笑を浮かべる。
「それに、もしダメだったら、私が嫁に貰ってやる」
「いや、意味分かんないから、それ」
いや案外、そっちが狙いだったのだろうか。だとしたら、
「うん。私、
何をどう頑張るかは今のところ不明だが、とにかく行動には移すべきだろう。告白、アピール、き、規制事実とか? いや、さすがにそれはないか。お付き合いする前にそういう事するのは、なんと言うか、私のキャラじゃないというか、べ、別にビビっているとかそういう話ではなく……。
「何顔赤くしてるの? もしかして、頑張るってそういう……」
「ち、違うから。ちょっと考え過ぎて、知恵熱が出ちゃっただけだし」
「はいはい。でも、鈴羽知ってる? 知恵熱って乳児にしか出ないんだって。つまり、知恵熱が出ちゃう鈴羽は赤ちゃんって事だね」
「もう。知らない」
めぐみんにからかわれた私は、抗議の意を示すため、
「ごめんって。鈴羽が可愛いからついからかいたくなっちゃって」
「おだてれば済むと思って」
「そんな事ないよ。鈴羽は可愛い。これはマジ」
「ホント?」
「うわ。ちょろ過ぎて不安になる」
「なんだと」
こうして私とめぐみんの悪ふざけは、延々教授が来るまで続いたのだった。
四時限目が終わり、私達は教室を後にする。
「鈴羽は次、香野先輩と一緒だっけ?」
「う、うん」
改めてめぐみんに言われ、意識しないようにしていたその事実を、私は再認識してしまう。
「告白しちゃう?」
「なんでよ。周りに人居過ぎでしょ」
「じゃあ、規制事実作っちゃう?」
「いや、もっと有り得ないでしょ。公衆の面前で何させようとしてるのよ」
でも、授業中にみんなに隠れてキスって、ちょっとロマンティックかも。……いや、やらないけど。やらないけど。
「なんにせよ、あんま暗い顔してると、香野先輩に変に思われるよ」
「それはまぁ、うん」
全く持ってその通りだ。さっき会った時は多分、というか間違いなく、変に思われた事だろう。今更かもしれないけど、今度は気を付けなければ……。
「あ」
遠くにせんぱいの背中が見えた。千里さんとは別れたのか、今は一人だった。
「ほら」
「――」
背中を押され、少しよろめく。
振り向くと、めぐみが歯を見せてにぃっと私に笑いかけていた。
「行ってらっしゃい」
「うん。行ってきます」
親友に背中を押され、せんぱいの元に小走りで向かう。
そして、
「どーん」
背後から体をぶつける。
「なっ! って、鈴羽か。急に背後から危ないだろ」
「せんぱいが、無防備な背中向けて歩いてるのがいけないんですよ」
「無茶言うな。たく」
良かった。いつものやり取りだ。これなら、変に思われる事もないだろう。
「……行くか」
「はい」
せんぱいと連れ立って、私は次の授業が行われる教室を目指し歩き始めた。
「そういえば、あのトオチカとかいうネットノベル、最近更新されてないんだな」
「え?」
「いや、俺はまだ全然最新話まで追いついてないんだけど、
「へー。千里さんが……」
千里さんは私があの作品の作者である事は知っている。そんなわけないのだが、ついついそこに何か意図があるのではないかと深読みしてしまう。例えば、せんぱいに作者が私だと伝えようとしているとか……。ない。それはない。千里さんに限って、そんな……。まぁ、ただの世間話の一環だろう。うん。深読み良くない。意味なく人疑うの、ダメゼッタイ。
「小説書くのって大変なんだろうな」
「まぁ、書かない人には分からない苦労があったりなかったり?」
「俺なんか読書感想文書くのですら四苦八苦してたから、素直にすげーって思うわ、小説書ける人」
「……ですね」
これはなんて答えるのが正解なんだろう。趣味とはいえ、なまじ小説を書いているだけに受け答えにどうしても、変な雑念のようなものが混ざる。気を付けて答えないと、その内ボロが出そうだ。
「鈴羽は書いてみた事ないのか?」
「いやー、書いてみた事はあるんですけど、最後まで書き切る事が出来なくて結局止めちゃいました」
全くないと言うより、こちらの方がリアリティーを感じる。それは千里さんとの会話で学んだ事だった。
「そうか。まぁ、そう簡単にはいかないよな」
「ですです」
簡単にはいかない。それは今の私がまさに痛感している事だった。千里さんの言うように、フィクションはフィクションと割り切れればいいのだが……。
「ところでせんぱい、読書感想文はダメなのに、レポートは割りと卒なくこなせるのはなんでなんですか?」
「レポートはコツさえ掴めばなんとなくいけるだろ」
「だったら、読書感想文も同じなのでは?」
「いや、読書感想文はまず、その本の内容を理解するところから始めないとダメだろ。だから、俺にはハードル高いんだよ。何せ俺は、本を読むのが下手だからな」
「なるほど……」
前々から分かっていた事ではあったが、この人は本当に
でも、そんなところが――
「ん? 何か言ったか?」
「いえ、それより、あんまりのんびりしてると、次の授業遅れますよ」
「まだ
何か言い掛けたせんぱいの背後に周り、その背中を後ろから押す。
「ほら、ハリハリー」
「分かったから。分かったから押すな」
すき、だらけですよ、せんぱい。なんてね。
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