第27話 悩み

 あんな事があろうとどんな事があろうと、日曜日は普通にやってくる。

 そして日曜日はバイトの日。更に言えば、天ちゃんとシフトのかぶるバイトの日、だ。


 休憩室に入ると、先客がいた。

 部屋の隅、テーブルの端っこに座る、天ちゃんだ。


「あ、お疲れ様です」


 俺の姿を見て、天ちゃんがそう言って軽く頭を下げる。


「お疲れー。天ちゃんも休憩?」

「はい。今日は空いてるから早く入れって」


 確かに今日は珍しく引きが早く、昼過ぎだというのにすでに空席がちらほら見受けられた。おそらく、雨脚が強まってきたため、外出を控える人が多いのだろう。


 後から人が増える事も考え、俺もテーブルの端に座る。自然、天ちゃんとはテーブルを挟んで向かい合う形となった。


「凄い雨だね」


 仕事中は店内のBGMや様々な音のお陰で気にならなかった雨音も、こうして静かな場所に来るとよく聞こえ、不快とまでは行かないが少しやかましく感じる。


「今日は夜まで降るみたいですよ」

「だね。昨日がこうじゃなくて良かったよ」

「そう、ですね」


 昨日という言葉に反応したのか、天ちゃんが僅かに変な反応を見せる。

 昨日の今日で、まだ気持ちの切り替えが出来ていないらしい。まぁ、無理もないか。かくいう俺も、変な緊張感を覚えており、平静を保つのに内心では苦労していた。


 正直、天ちゃんの事は今まで妹のように思っていた。女子高生だし、友人の妹だし、二個下だし。でも、昨日告白され、その認識に変化が生まれた。

 俺は今、天ちゃんの事を女の子として見ている。それが彼女の狙いだとしたら、まんまと策略に乗せられた形だ。


 元々、天ちゃんの事を可愛いと思っていたが、それはあくまで人としての思考でありそこに男性としての思考は一切含まれていなかった。しかし、今はどうだ。なめらかな髪、大きな瞳、小ぶりなくちびる、すらりと伸びた手足、程々に主張をする二つの膨らみ、折れそうな程細い腰……。その全てが俺に、天ちゃんの女性としての魅力を伝えてくる。


 彼女が同級生だったら大変だっただろうなと過去に思った事があったが、同級生でなくても十分大変だった。そんな当たり前の事に、今更になって気付かされるとは。告白、恐るべし。


「そろそろ梅雨の季節だし、こんな日がこれからは続くのかな」


 色々と頭の中で考えてはいるものの、俺も今年成人を迎える大人だ。そこは持ち前のポーカーフェイスを駆使して、何事もなかったかのように会話を続ける。


「どうなんでしょう? 年によっては全然降らない時もあるし、最近は異常気象なのかそういう時が多い気がします」


 俺の誘導の賜物たまものか、天ちゃんも特に不自然さを感じさせない、いつも通りのレスポンスを今度はしてきた。


「雨の日って、髪が長いと大変そうだよね」

「縛っちゃえばまだ誤魔化ごまかせるんですけど、縛らないと変に広がって自分でも気になっちゃうんですよね。まぁ、自分で思う程、人は私の髪型なんて気にしてないとは思うんですけど」


 それはどうだろう。天ちゃんくらいの美人さんだと、同級生、特に男子なんてその一挙手一投足に日々見惚みとれていそうだ。接点のない他人なら尚の事。


「シュシュ付けてる女の子って可愛いよね」

「……言ってくれれば昨日付けたのに」

「え? ごめん。そういうつもりで言ったんじゃなかったんだけど」


 今も天ちゃんは髪を後ろで一つに縛っているが、仕事中という事もありシュシュは付けていない。昨日はそもそもそこまで邪魔じゃなかったのか縛っていなかったし、そういえばシュシュを付けた天ちゃんって俺、見た事ないような……。


「明日、帰る時にシュシュ付けますね」

「あ、うん。そうだね」


 なんか、考えなしに言った事が、天ちゃんの心に火を点けてしまったようだ。これはアレだな。責任を取らないといけないパターンのやつだな。うん。分かっている。ちゃんと、明日はめ言葉を言おう。絶対に。


「縛り位置についてはどう思います?」

「縛り位置?」

「高い所がいいとか低い所がいいとか、長ければ横で縛るって方法もありますよね」

「いや別に、そこまでポニーテールにこだわり持ってるわけじゃないから」

「そうなんですか?」

「そうなんですよ」


 まったく。俺はマニアじゃないっての。


「髪、伸ばそうかな」

「だから、違うからね」


 何やら勘違いしているようだが、俺は特に髪型にこだわりはない。可愛ければそれでいいので、ショートだろうとゼミロングだろうとロングだろうと、その人に似合ってさえすれば然程気にする事はない。もちろん、髪型の変化にドキっとする事はあるが、それはそれこれはこれ、全く別の話だ。


「じゃあ、今のままの私でも十分可愛いって事ですか?」

「うん。可愛い。天ちゃんはめちゃくちゃ可愛い」

「……うぅ」


 返されて照れるなら、言わなきゃいいのに。

 この手の攻めには、恥ずかしがらずに相手の想定を上回る返しをするべし。まさに理想通りのリターンが相手のコートに返った瞬間だった。




「悩み事かい?」


 月曜日。校舎に向かう途中で一緒になった千里が、挨拶もそこそこにそんな事を俺に聞いてくる。


「なんだよ、やぶから棒に」

「いや、なんとなくそう思っただけで、検討外れの指摘だったら謝るよ」

「……」


 まぁ、検討は全く外れていないので、謝ってもらう必要は全然ないのだが。


「悩みっていうか、気になる事かな。別に、大した事じゃないって言えば、大した事じゃないんだけど」

「隆之さえ良ければ、話ぐらい聞こうか?」

「……実は――」


 俺は千里に、バイト先の後輩に土曜日にショッピングセンターで勉強を教え、その帰りに告白された事を素直に話した。こいつなら人に言い触らす事はしないだろうし、話しても別に問題ないだろう。


「それで、君はどうするんだい?」

「どうするも何も、答えはいらないって話だから、今まで通り、普通に接するつもりだけど」

「いや、そうか。まぁ、うん」


 なんとも煮え切らない態度だ。言いたい事があるのに、口に出すのを躊躇っている、まさにそんな感じだ。


「なんだよ、言いたい事があれば言えよ」

「君はその、その子の事が好きなのか?」

「どう、だろう? 告白さえるまではただの後輩、妹みたいな感じだったんだ」

「だった。つまり、今は違うと」

「今は、少なからず女の子として意識してる。笑っちゃうだろ? 告白されたら急に意識し出すなんて」


 ホント、我ながらいい性格をしているものだと、呆れているところだ。


「別にいいんじゃないか」

「え?」

「恋だの愛だの言ったところで、そこに決まりがあるわけじゃないし、最低限の節度さえ守ればどんな始まりだって許されるだろう」

「そういうもんかね」

「さぁ、何せ私には恋人がいた試しがないのでね。思い付いた事を適当に口にしてみただけさ」

「おい」


 なんだ、それ。真面目に聞いて損した。


「そういう意味じゃ、君の方がその手の事には詳しいんじゃないか?」

「からかうなよ」


 あれはそれこそ、愛だの恋だのとは無縁の、まがい物のような関係だ。きっかけらしいきっかけもなかった上に、関係の変化もあまりなかったのだから。


「まぁ、なんにせよ、大事なのは自分の心に正直になる事だろう。君にとっての一番が誰なのかよーく考えて判断する事だ」

「おぅ……」


 なんだろう。千里にしては、やけに言葉に熱が籠っているような……。

 こう言ってはなんだが、千里はこの手の話題にあまり興味を示さないたちだと思っていた。単なる俺の認識間違いが、あるいはそんな事を言わせる何かが最近になって千里の身に起きたか……。


「こほん」


 自分でもキャラじゃないと思ったのか、千里がわざとらしく咳払せきばらいをして、自ら場を仕切り直す。


「ところで、その、君に告白したという女子高生の、写真は今持っていないのかい?」

「写真? なんで?」

「いや、君が可愛い可愛いという女の子が、どんな顔をしてる子なのか少し興味があってね」

「興味? まぁ、いいけど」


 ズボンのポケットからスマホを取り出し、ホーム画面を開く。


 写真か……。俺が天ちゃんを撮った覚えはないから、あるとしたら天ちゃんから送られてきたやつに映っているかだけど……。


 天ちゃんとのやり取りをさかのぼっていると、早々に写真を見つけた。映画をに行った時に、ふざけて撮ったツーショット写真だ。


「ほら」


 写真を開いた状態のままにして、千里にスマホを渡す。


「この子が……。確かに、君が熱を上げるのも分かる。アイドルとのツーショットと言われて渡されても、おそらく誰もが信じるだろう。その場合、距離が近過ぎるけどな」


 礼の言葉と共に差し出せたスマホを受け取り、ホーム画面に戻してからズボンのポケットにしまう。


 まぁ、千里の言いたい事は分かる。

 写真は天ちゃんによる自撮りで、その関係からか俺と彼女の距離は非常に近く、後少しで顔と顔が触れ合うという感じの距離感だった。鈴羽も距離感が近い方なので、気にした方が逆に恥ずかしい類のものかと思っていたが、やはり傍から見てもこの近さは気になるらしい。


「私が言うべき事じゃないかもしれないけど、バイト先の後輩だけじゃなくて、ちゃんと大学の後輩の方も構ってやれよ」

「構ってて……。別に、鈴羽とも顔合わせてないわけじゃないし、十分相手はしてるだろ」

「なら、いいんだが」


 どうも最近、千里は鈴羽と仲良くなって、必要以上に気に掛けている節が見受けられる。過保護とは少し違うが、溺愛できあいには近いのかもしれない。今まで仲のいい後輩はいなかったようだし、千里も多少浮かれているのだろう。


 問題は、おそらく当人にその自覚がないという事。自分の変化には自分が一番気付きにくいと言うしな。……難儀な話だ。

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