第四章 天使天は誘いたい。

第19話 天使兄妹

「お待たせしました」


 店の裏口近くの壁に背中を預け、ぼんやり空を見上げていた俺の耳に、扉の開閉音の後、そんな声がふと届く。


「行こうか」


 壁から背中を離し、敷地外へと歩き出す。

 そのすぐ隣にてんちゃんが並ぶ。


「もう六月ですね」

「あぁ。で、気付いたらあっという間に十二月ってね」

「嫌な事言わないでくださいよ」


 俺の言葉に、本気で天ちゃんが顔をしかめる。


 なるほど。彼女は受験生だった。


「悪い。おびにあめちゃんをあげよう」


 そう言うと俺は、ズボンのポケットから飴を取り出し、天ちゃんに差し出す。


「わーい。って、こんなんで喜びませんよ。というか、なんでこんなもの持ってるんですか」


 飴を受け取り、一瞬うれしそうに喜んだ天ちゃんだったが、すぐにテンションを元に戻し、俺に追及をしてくる。


寺田てらださんだよ。帰る時に偶然会って渡された。有無を言わさずって感じで」

「なんで寺田さんが?」

「ほら、あの人、タバコ吸うじゃん。でも、ウチ店長の方針で店内でも店外でも禁煙だから、口寂しさを誤魔化ごまかすためにいつも休憩中は飴めてるんだよ」


 で、たまにこうして飴をくれると。


「へー。寺田さん、タバコ吸うんですね。いがーい……。でも、ないか。言われてみれば、なんか似合いそう」


 タバコを吸う寺田さんを思い浮かべているのか、天ちゃんが自分のあごに指を当て、宙を見上げる。


「けど、いいんですか? 寺田さんからのもらい物、私なんかにあげちゃって」

「? 別にいいでしょ、飴くらい」


 もっとこう高価な物や大事な物なら、さすがに俺も人にあげたりしないが、飴なら別にあげても問題ないだろ。


「えー。もしかして寺田さん、香野こうの先輩に気が合って飴を渡してるのかも」


 そう言って、急に悪い顔になる天ちゃん。


「そんなわけないだろ」


 寺田さんはいい大人だし、俺みたいなガキ範囲外どころか、対象にすらならないだろう。


 ちなみに寺田さんは、いつも眠たげな眼をしたアンニュイ系のお姉さんで、今年で三十になるとかならないとか。顔はまぁ、綺麗きれいだ。ただし、性格がずぼらで基本面倒くさがりなので、彼氏はいないらしい。『一人は気楽でいいぞー』が彼女の口癖くちぐせだ。


 敷地外に出て、道路を右に曲がる。

 そして俺は、さり気なく立ち位置を入れ替えた。左側に立った方が、なんとなく落ち着くのである。


「ま、香野先輩がそういうならいいですけど」


 言いながら天ちゃんは、包みをほどくと飴を口に入れた。そして、包みはたたんでの制服の胸ポケットに。


 こういう動作の一つ一つにも、人の性格は表れる。

 鈴羽すずはなら、畳まずぐしゃぐしゃにしてしまいそうだ。千里せんりなら、同じく畳むかな?


「そういえば香野先輩、聞いてくださいよー」

「何?」

「最近、チェックしてる作家さんの更新が止まってるんですよ。大体、三日置きくらいには欠かさず更新してた人だったんですけどね。なんと今は十日も更新してなくて。お気に入りの作家さんだったから余計に気になっちゃって、私、勉強が手に付かないんですよ」

「へー。そうなんだ。プライベートが忙しいのかな?」

「ですかね? 病気とかじゃなければいいんですけど……」


 それにしても、作家さんもここまで読者に思われれば本望だろう。


「だから香野先輩、私をなぐさめてください」

「はい?」


 なんでそんな話に?


「更新の止まった作家さんの安否が心配で心配で溜まらない可哀相かわいそうな私を、香野先輩の言動で救ってください」

「飴あげたでしょ」

「貰い物の横流しじゃないですか」

「……」


 確かに、その通りだが。


「慰めるって、具体的にどうすれば?」

「それは自分で考えてくださいよ」


 む。これは少々厄介やっかいな事になったぞ。

 そもそもなぜ俺がという疑問はこの際置いておくとして、漠然ばくぜんと慰めてくれと言われても、一体何をどうしたらいいものやら……。


頑張がんばって?」

「弱いです。もっと心に響くようなやつを」


 心に響くようなやつと言われてもな。そんな咄嗟とっさに何も思いつかないし……。


「きっとこれからいい事あるさ」

「もう一声」

「もう一声って、値切りじゃないんだから……」


 こうして俺は、答えのない不毛とも言えるある種の大喜利おおぎりを、長々と天ちゃんによってやらされたのだった。




 火曜日の一発目の授業は、残念ながらつかさと一緒だった。


「どう考えてもむさくるしい野郎と一緒に授業を受けるより、千里せんり鈴羽すずはと一緒に授業を受ける方が楽しいし有意義だ」

「どうでもいいけど、隣に来るなり挨拶あいさつ代わりに、いきなりこちらのテンションを下げに来るの止めてくんない。まだ二時限目なんですけど」

「悪い。心の声がれ出れた」

「それ、なんのフォローにもなってないからな」


 あきれ顔で俺をにらむ司の隣に腰を下ろしながら、俺は次の授業の準備を始める。


「なんかさ、昨日ウチの妹がルンルンで帰ってきたんだけど、お前何かした?」

「何かって……。別に変わった事は何もしてないけどな……。飴あげたくらい?」


 いつもと違った事があったとすれば、それぐらいだろう。


「飴? なんだそれ」

「バイト先の先輩に帰りがけに貰って、たまたまポケットに入ってたんだよ。それで」

「ふーん。飴、ね……」


 そう言って、何かを考える素振りをみせる司。


 何を考えているんだか。……どうせ司の事だ。ろくな事じゃないだろう。


「なぁ、隆之たかゆきは俺の妹の事どう思ってる?」

「はぁ? なんだよ急に」


 しかも、司の口調はマジトーンで、全然洒落しゃれになっていなかった。


「あるだろ、なんか。感想というか、なんとなく思ってる事がさ」

「……」


 どうやら、茶化ちゃかす雰囲気でもなさそうなので、とりあえず真剣に考える。


 感想。感想ね……。


可愛かわいいとは思うよ。顔はもちろん、性格も良くて、人当たりも悪くない。俺にもバイトが一緒なせいかなついてくれてるし、個人的にも、うん、可愛いと思う」

「付き合いたいとかは思わないのか?」

「いや、お前、自分の妹の事だぞ。普通聞くか? そんな事」

「他の奴には聞かねーよ。お前だから聞いてんだ」


 そう言われてしまうと、こちらも真面目まじめに答えざるを得ない。


「うーん。付き合いたいって感覚は正直ないかな? お前の妹って事もあるし、どうしても年下の女の子、後輩、妹みたいって思っちゃうんだよな、なんか」


 初めの一つ以外は全て鈴羽にも当てはまるのに、あいつにはなぜかそういう感情は抱かない。やはり、友達の妹という認識が最初にあってからの対面、だったからだろうか。


「そっか。お前としては、そういう感じなんだ」

「あぁ。てか、何? マジで? 俺の妹はお前ごときにはやらん的なやつ? これ」

「ばーか。そんなんじゃねーよ。ただ……」

「ただ?」

「受験生だしな。あまり負担掛けたくないんだよ、兄貴としては」

「?」


 それがなぜ、今の話の流れになるのだろうか。


「そういうわけで、お前も気を付けてくれよ、色々と。少なくとも、受験が終わるまではさ」

「おぅ……。よく分からないが、とりあえずそうするよ」


 俺もわざわざ、受験生に変なプレッシャーを与えたりメンタルにダメージを与えたりするような真似まねは極力避けようとは思っているし、周りの人にもさせないつもりだ。

 受験生は大変。そんな事は重々承知している。何せ俺も、一昨年はまさにその受験生、だったのだから。


「ところで隆之、最近お前、天とどんな話してるの?」

「なんだその、気持ちの悪い質問は」

「いや、だって、俺も天ともう少しちゃんと話したいっていうか、高校入ってから冷たいんだよ、基本的にあいつ」


 確かに天ちゃんは、司に厳しい。年齢を考えればそれもいたし方ない事だと思うのだが、はたから見ているとその様はやはり少し可哀相かわいそうだ。


 まぁ、そういう事なら、当たりさわりのない程度であれば話してやってもいいが……。


「って言っても、別にいつも同じ話をしてるわけじゃないし、大した話もしてないけど……」

「例えば、昨日はどんな話したんだ?」

「昨日は……もうすぐ六月だとかバイト先の先輩の話とか、後は天ちゃんの読んでるネットノベルの更新が止まってる、みたいな話をしたかな?」

「脈絡ないな、なんか」

「そんなもんだろ、会話って」


 特に女子との会話なんて、急に明後日の方向に話が飛ぶ事なんてしょっちゅうで、いちいちそこにツッコミを入れていたら、それこそ会話にならない。


「ネットノベルって、何読んでるんだ、天」

「題名までは聞いてないが、前に恋愛ものや少し不思議な話は読むけど、いわゆるファンタジーや転生ものは苦手って言ってたような……」


 そういえば、更新が止まっているといった作品の題名も、結局昨日は聞かずじまいだった。


 まぁ、実際に言われても、俺はその手の話題に詳しいわけではないし、大した反応は出来なかったかもしれないが。


「ちなみに、天との会話の中で俺の話題なんかは……」

「……この世には知らない方がいい真実もある。つまりはそういう事だ」

「え? それって、どっちの意味だ。全く話題に上がらないのか、上がった上で聞かない方がいいのか」

「どっちだと思う?」


 俺は満面の笑みで、そう司に質問を投げ掛ける。


「……いや、やはり聞かなかった事にしよう。前者ならまだしも、後者だった場合、最悪立ち直れない可能性すらあるからな」

「懸命な判断だな」

「そこまでの内容なのかよ!」

「んー。聞きたいなら、話すけど?」

「いや、いい。俺もまだ死にたくはないからな」


 そう言って司が「ふふ」と不敵に笑う。


「……」


 言っている事は格好かっこういいが、内容で全て台無しだった。

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