第20話 天使との遭遇

 天使あまつかてんという子と初めて会話をしたのは、校内ではなくバイト先で、だった。


 そもそも天ちゃんと兄であるつかさの仲はそれほど良くなく、――というか、あの年頃の兄妹きょうだいならそれが普通、なのだろう――俺と天ちゃんにバイト先で出会うまで接点らしい接点は存在せず、挨拶あいさつすら交わした事がなかった。


 ある日の休み時間だった。

 休憩きゅうけい室で俺が休憩を取っていると、一人の女性と一人の少女が室内に入ってきた。


寺田てらださん、お疲れ様です」


 椅子いすに座った状態のまま、俺は先輩である寺田さんに挨拶をする。


「おぅ、隆之たかゆきか。ちょうど良かった」


 寺田さんは俺の姿を見つけるなり、楽しげに口角を上げた。


 嫌な予感がする。具体的に言うと、何か面倒事を押し付けられるような、そんな予感が。


「この子、最近入ったばかりの新人の天使天ちゃん、高校一年生のJKだ」

「天使天です。よろしくお願いします」


 寺田さんに背中を押され、天使さんが一歩前に出る。

 その表情は慣れていない場所・環境という事もあってか、少しえなかった。


香野こうの隆之、高校三年生。担当はホールです。よろしく」


 それに俺は、特に気負いなくこたえる。

 俺がここに入って早くも二年の月日が経過した。もうこの手の対応には随分ずいぶんと慣れた。


「じゃあ、天使さん、そっち行って」

「あ、はい」


 寺田さんにやはり背中を押され、天使さんが部屋の左側、俺の座る位置の反対側に進む。


「はいはい。では、ここに座って」


 そうして、寺田さんに肩を押さえ付けられるようにして俺の正面に座る。


「え? あの……」


 戸惑う天使さんと楽しそうに笑う寺田さん。

 その表情は非常に対照的で、見ているこちらとしては若干天使さんに同情をしてしまう。


「では、後は若いお二人で」


 そう言うが早いか、寺田さんは足早に部屋を出て行ってしまう。


 逃げたな。もしくは、アレが切れたか。


「え? え? え?」


 その様子に、激しく狼狽ろうばいをする天使さん。


 当然だ。普通の人ならこうなる。寺田さんの性格を知っている俺としては、もうなんの感情の変動もないが。


「天使さんはキッチン?」

「え? あ、はい。料理は嫌いじゃないですし、ホールよりは向いてるかなって」


 今回入ったのはバイトが二人に、パートが一人。はてさて、何人が一年続く事やら。


「その、香野先輩はここ、長いんですか?」

「高一になってすぐからやってるから、もう二年以上になるかな」

「二年。じゃあ、ここでの事も結構詳しいんですか?」

「そうだね。バイト・パートの人間関係、常連さんの注文パターン、時間ごとの混み具合等々。まぁ、何か分からない事があったら聞いてよ。俺が答えられる範囲なら教えるから」


 と言っても、知っていても教えられない事も当然ある。例えば、店長のこれまでの経歴とか、常連さん同士の秘密の関係性とか。


「なら、早速一つだけ」

「何?」

「彼女はいますか?」

「……は?」


 予想の斜め上を行く質問に、俺の頭は一瞬真っ白になる。


 何? 彼女? どゆ事?


「いえ、その、違くて、彼女がいるなら、彼女がいるなりの付き合い方というか、あんまり近付き過ぎると彼女さんに怒られちゃうなぁ、なんて」


 そう言うと天使さんは、誤魔化ごまかすように「あはは」と笑う。


 なるほど。そういう事か。


「彼女はね、うん、いないよ」


 今は。


 ちくりと痛む胸のうずきをなんとか飲み込み、天使さんにそう笑顔で伝える。


「そうですか。じゃあ、安心ですね」

「何が?」

「さぁー。それより、もう一つ聞いてもいいですか?」

「別にいいけど……」


 この子、最初の大人しそうな印象と違って、結構グイグイ来るな。

 猫、被っていたのか? いや、単に緊張がけただけか?


「香野先輩って、どこの高校通ってるんですか?」

「え? あー。聞いてないんだ?」


 てっきり、寺田さん辺りから聞いているものだとばかり思っていた。


「天使さんと同じ坂北さかきただよ」

「え? 嘘? ホントのホントに先輩だったんですね」

「そう。ホントのホントの先輩。ていうか、俺は天使さんの事、前から知ってたけどね」

「……もしかして、兄絡みですか?」


 聞いていた通りあまり仲は良くないのか、天使さんの声のトーンが一段回下がる。


「ま、それもあるけど、三年の間でも噂になってたから。一年に可愛かわいい子が入ってきたって。しかも、その子の苗字が天使あまつかで、見た目もまさに天使てんしみたいだって。……って、ごめん。本人に言う事じゃないよね」


 いくらめ言葉とはいえ、この手の噂話は本人の取り方によってはからかいへと変わり、それを嫌がる者も少なくないはずだ。


「いえ、苗字が苗字ですから、そういう話は慣れっこというか、今更なので。……ところで香野先輩、兄とはどういう……」

「一応、友達かな。クラスメイトだし」

「ご迷惑をお掛けします」


 俺達の関係性をろくに知りもしないのに、その言葉が出てくる辺り、彼女の中の司評つかさひょうが知れるというものだ。


「ま、なんやかんや仲良くやってるよ。扱い方さえ知れば、基本楽しい奴だし」

「そうですか。なら、良かったです」


 その言葉の調子からは、司への興味のなさがありありと伝わってきた。


「改めまして、天使司の妹で坂崎北さかざききた高校一年の天使天です。これからよろしくお願いしますね、香野先輩」


 そう言って、満面の笑みを俺に向ける天使さん。


 こうして俺と天ちゃんは出会い、同じ高校という亊もあり次第に仲良くなっていった。

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