第6話 妹

 水曜日。二時限目の授業を受けるべく教室に向かって校舎内を歩いていると、


「おわぁ!」


 背後から攻撃を受けた。

 いわゆる突進というやつだ。相手の体重が軽かったからいいもの、油断をしていたところに来たので、それでも一歩足が前に出た。


 攻撃してきた犯人の顔を見るため、背後を振り返る。


「おはようございます、せんぱい」


 すると案の定、笑顔を浮かべこちらを見る鈴羽すずはの姿がそこにあった。


「お前っ。危ないだろ、普通に」

「せんぱいはこんな時間に重役出勤ですか。いいご身分ですね」


 聞いちゃねーな、こいつ。


「重役出勤って、まだ二時限目だぞ。それより、背後からの攻撃は止めろ。いつかケガする」

「はーい」


 絶対またやるな、こいつ。


 というか、このやり取りも一体何回目だ。四回。いや、五回目くらいか。とにかく、いつかどこかで本格的な説教が必要だな、これは。


 きびすを返し、エスカレーターに向かう。

 その横に鈴羽もすぐに並ぶ。


「昨日はどこで遊んできたんですか?」


 昨日の帰り際、鈴羽からラインで遊びの誘いが来たが、先約があったので断った。それがあって、今の台詞せりふだ。


「司の家でゲームやったり? 後は夕飯をごちそうになってきた」

「へー。夕飯、ですか?」

「なんだよ……」


 なぜそこで、そういう感じの反応になる。別に、変な事は言ってないのに。

 女の勘というやつだろうか。だとしたら怖いな、女の勘。


美味おいしかったですか、夕飯」

「へ? あぁ、美味しかったよ。カレーだったんだけど、市販のルーを使わないやつでさ。初めて食べた味だった」

「カレー好きですねもんね、せんぱい」

「え? あぁ、うん。一番好きかもな、カレー」

「そうですか。じゃあ、今度私も作りますね、カレー」


 そう言った鈴羽の顔は確かに笑顔だったが、何やら別の感情が入り混じっているようで少し怖かった。


 一緒にエスカレーターに乗り、上の階層を目指す。


「せんぱいはもう少し、色々と思考を巡らせた方がいいと思います。特に女性関係について」

「女性関係って……」


 文句を言おうと思ったが、ことりの事があった手前、あまり強く出る事が出来ず言葉を途中で飲み込む。


「まぁ、そこがせんぱいのいいところでもあるんですけど」

「なんだそれ」


 反応に困る鈴羽の言葉に、俺は苦笑を返す。


「そのままの意味ですよ。ところでせんぱい、千里せんりさんの誕生日って知ってます?」

「知ってるけどなんで?」

「いや、だって、私だけ祝ってもらってそのままってのもなんだが悪いですし、それでなくとも、千里さんの誕生日はお祝いしたいなって」

「なるほど」


 まぁ確かに、俺が鈴羽の立場でも、同じように千里の誕生日は気になっていたかもな。


「本人には聞いたのか?」

「はい。それとなく。でも、なんかはぐらかされてしまって……」

「あー。だろうな」

「だろうな? なんでですか?」

「あいつ、自分の誕生日があまり好きじゃないんだよ。日にちが日にちだから」


 そのため、自分の口からは余程の事がない限り、話したがらない。


 とはいえ、どうしても秘密にしたいというわけではないらしい。まぁ、誕生日なんて、書類に記載されたり書いたりするものなので、どこかしらで知られる事はあるだろというスタンスのようだ。


「日にち? 何かの日なんですか?」


 そこで乗っていたエスカレーターから降り、次のエスカレーターに乗り換える。


「二月の十四日。バレンタインだよ」

「バレンタイン。なんで、いいじゃないですか。バレンタイン生まれって、こう、なんか可愛かわいらしくて」

「本人にしてみれば、それが嫌なんだろ。ほら、あいつ、自分には女らしい事が似合わないと思ってる節があるから」


 日頃の恰好かっこうが、もろにそれを物語っている。


「そうですか。じゃあ、本人にはあまり、そういう事は言わないようにしますね」

「なら、ついでに俺から聞いた事も黙っておいてくれ」

「それは無理ですよ。他に知りようがないですから」

「だろうな。言ってみただけだ」


 それに、知られたからどうという話でも別にない。少し困った顔くらいはされるかもしれないが。




 教室に着くと、適当な席を見つけそこに二人並んで座る。

 前過ぎず後ろ過ぎず、程よくスクリーンから距離が取れるいい位置だ。


「そう言えばせんぱい、まだネットノベルの方は続いてるんですか?」


 鞄から筆記用具とうを取り出しながら、鈴羽がふとそんな事を俺に聞いてくる。


「一応、な。毎日読んでるわけじゃないけど、数日に一回は目を通してる」


 今までその分野に全然触れてこなかった人間からしてみれば、それでも十分続いている方だと思う。とはいえ、読んでいる作品の更新頻度ひんどにすら負けている現状では、いつまでっても最新話には追い付けそうにないが。


「へー。続いてるんですね。せんぱいの事だから、一週間もしない内にフェードアウトしていくもんだと思ってました」

「まぁ、そこに関しては俺も驚いてるよ。なんか、波長が合ったんだろうな。後はタイミングがちょうど良かったか」


 趣味らしい趣味がない事を改めて意識しだしていた頃だったし、そういう意味では否定的な感情が少し弱まっていた時期だったのかもしれない。


「今はどの辺りを読んでるんです?」

「主人公とヒロインの事が同僚にバレそうになって、主人公が焦ってるシーン」

「あぁ、あそこですか」

「待て。ネタバレはするなよ。ちゃんと読みたいから」

「分かってますよ。てか、結構ハマってますね、せんぱい」

「悪いかよ」


 鈴羽には一度突っぱねた経験があるだけに、俺としては少し負い目ではないが、複雑な感情を抱いている。


「別に。いいんじゃないですか。せんぱいにも夢中になれるものが出来たって事で」

「……」


 鈴羽の口からそんな優等生的な発言をされると、なんだか反応に困る。

 いっそ、からかわれたり馬鹿にされたりした方が、まだ反応のしようがあるというものだ。


千里せんりも本読む方だけど、あいつとはそういう話するのか?」


 話の矛先を変える意味も込めて、そう鈴羽に少しズレた話題を振る。

 その流れに若干の不自然さはいなめなかったが、まぁ、あえてツッコミを入れる程ではないだろう。


「そう、ですね。しますよ。でも、一番するのは、誰かさんの話ですけどね」

「へー。誰だろう」

「お前だ!」


 誰の事だが分かっていながらわざとらしくとぼけてみせた俺に向かって、鈴羽が人差し指をこちらに突き出し、そう若干の大声で言う。


「人を指差すな」


 その人差し指を掴むと俺は、本来なら曲がらない方向にそれを少し曲げる。


「痛っ痛っ痛っ、痛いですよ、もー」


 俺から解放された人差し指をもう片方の手で握り、鈴羽が俺をにらむ。


「うっさい。どうせお前の事だから、千里にある事ない事吹き込んでるんだろ」

「さすがに、ない事は吹き込んでないですよ。例えば、せんぱいが高校時代に側溝に足をはめた話とか、生徒手帳窓から落とした話とか」

「それ、どっちも、態勢を崩したお前を助けた結果起こった事だからな」

「あれ? そうでしたっけ?」


 こいつ……。


「側溝は後ろから来た自転車に驚いたお前がこっちに倒れ掛かってきて起きた事だし、生徒手帳は廊下で男子生徒にぶつかられたお前がその拍子に俺にぶつかってきて起きた事だろ」

「あー。言われてみれば、そうだったような……」

「おい」


 たく、些細ささいな事だし恩に感じろとまでは言わないが、課程をぶっ飛ばして結果だけ吹聴ふいちょうするのはさすがに恩知らずもいいところだろう。


「なーんて、冗談ですよ。ちゃんと、どうしてそうなったかも含めて、千里さんには話してますよ」

「ホントかー?」


 なんか信用出来ないんだよな、鈴羽のする事だし。


「はい。というか、その話題が出たのは、せんぱいのいいとこを上げようっていう話の流れからですから」

「……どんな話してるんだよ、お前らは」

「え? お互いの共通の知人について話すのは、普通の事では」

「いや、俺の事を話すのは別にいいんだけど、その内容というか……まぁ、いいけどさ」


 悪口を言われているわけでもないのに、文句を言うのもおかしな話だし、何より内容はともかく鈴羽と千里が仲良くその事について話しているのなら、それは俺にとっても大変喜ばしい事だ。


「せんぱいってたまに、お父さんみたいな顔しますよね」

「誰がお父さんだ。誰が」

「じゃあ、お兄さん?」

「お兄さん、でもない」


 お父さんよりは抵抗がない上に、年齢的には有り得なくもないが。


「じゃあ、お兄ちゃん」

「……言い方変えただけじゃないか」


 しかも、さっきより気持ち込めやがって。俺にもしそういう趣向があったら、絶対危なかったぞ、今のは。多分。


「なるほど。せんぱいはお兄ちゃん呼びに弱いと」

「言いがかりはせ」

「えー。言いがかり、ですかー?」

「……」


 授業が始まるまで後数分、果たして俺はこの追及から逃げ切る事が出来るだろうか。

 出来たらいいな。多分、無理だけど。

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