第5話 食卓

「あ、香野こうの先輩。どうぞどうぞ、こちらへ」


 リビングに顔を出した俺に、天ちゃんがそう言って食卓の一角をすすめてくれる。


「ありがとう」


 お礼を言い、俺はそこに腰を下ろす。

 続いてつかさが俺の左斜め横に、その対面にてんちゃんが座る。


 食卓の上にはすでに料理と食器が並んでおり、食事を取る準備は万端に整っていた。


「じゃあ、食べ始めましょうか」


 天ちゃんのその言葉を合図に、食事が開始される。


 スプーンを手に取り、まずはカレーライスをいただく。

 カレーとライスを両方スプーンに乗せ、それを口に運ぶ。


 辛い。普段家で食べるカレーライスとは、また違った辛さが口の中一杯に広がる。どちらかと言うとお店の味に近いが、それとも少し違う。

 俺は専門家じゃないから詳しい事は分からないが、多分スパイスの量や種類がどちらの物とも違うのだろう。


 まぁ、何はともあれ――


美味おいしい」


 味の感想が自然と俺の口からこぼれる。


 それくらい本当にこのカレーライスは美味しかった。


「ホントですか?」

「うん。すごく美味しい。こんなカレーが家でも作れるんだ」


 お世辞抜きで本当にそう思う。


 ウチのカレーライスはいつもルーを使って作られた物で、それが家庭の当たり前の味だと俺は思っていた。

 だけど、このカレーライスはそうではなく、いくつものスパイスが絡み合い、複雑な味を上手くこの中で表現している。

 大げさな言い方をすれば、目からうろこが落ちたようなそんな感情を、今俺は抱いていた。


「うふふ。良かった」


 口元の前で両手を合わせ、そうつぶやくように言う天ちゃんは本当にうれしそうで、見ているこちらまでも幸せになるようだった。


「天ちゃんは料理好きなの?」

「うーん。どうでしょう? 嫌いではないと思いますけど、好きかと聞かれたらちょっと分かんないですね」

「そっか。でも、これだけ本格的な料理を作ろうと思ったら、準備もそうだけど試行錯誤を何度も行わないといけないんじゃない? それが出来るってだけでも、相当凄い事だと思う」

「それに付き合わされるのは俺達だけどな。――って、いってぇ!」


 ポツリとこれ見よがしにそう言った司だったが、最後には天罰でも下ったのか、叫び声を上げ椅子いすの上にその腰を少し浮かした。


「料理って、毎日食べるものじゃないですか? だからこそ、少しでもいい物をって思うんです。その結果、香野先輩みたいに美味しいって言ってくれたら、更に頑張ろうって。結局、その積み重ねかなって」

「料理は積み重ねか……」


 日々の努力と思いがここに集約されていると思うと、このカレーがまたひときわ凄い物のように思える。


 スプーンの先をカレーライスにうずめ、掘り起こしたそれを再び口に運ぶ。


「うん。美味しい」

「皆が皆、香野先輩くらい素直に感想を口にしてくれればいいんですけど……」


 そう言うと天ちゃんは、司にちらりと視線を送る。


「……まぁ、不味まずくはない」

「不味くないって事はつまり?」

「……美味い、かな」

「かなって。素直に美味いだけでいいじゃん。なんで要らない言葉を付けるかな」

「気恥ずかしいからでしょ」

「ッ。お前」


 兄妹の会話に横から口を挟んだ俺を、司が裏切り者とでも言いたげな表情でにらむ。


「距離が近過ぎると、そういう言葉ってなかなか伝えられないんだと思う。特に家族とかだと」

「そうなの?」


 俺の言葉に乗っかるようにして、天ちゃんが楽しそうに司に追い打ちを掛ける。


「知るか。大体お前、料理出来る風を装ってるけど、実際に作れる物って言ったら、片手で数えれるくらいだろ」

「わぁー。香野先輩の前でなんて事言うの! 違うんですよ。作る機会がないってだけで、それだけしか作れないわけじゃ決してなく……」


 どうやら司の指摘は図星だったらしく、天ちゃんが慌てた様子で、そう言い訳の言葉を口にする。


「まぁ、まだ高校生だし、今のご時世、別に女性が絶対料理をしなければいけないってわけでもないから、そんな気にしなくてもいいんじゃないかな」

「あぅ」


 どうも俺のフォローは、残念ながら天ちゃんには響かなかったようで、余計に彼女をへこませてしまった。


「ごちそうさん」


 当事者の一人であるはずの司は、我関せずと言った感じにそう言って立ち上がると、おもむろに自分の使った食器を片付け始めた。


「おい」

「後は任せた」


 俺の呼び掛けを交わすように、そんな言葉を残し立ち去る司。

 それを俺は、黙って見送る他なかった。


「最近はいつもあんな早いの? あいつ」

「比較的早い方は早い方ですけど、今日はいつもに増して早食いだったような……」


 司の奇行に、俺だけでなく妹である天ちゃんまでもが首をひねる。


「ま、邪魔者がいなくなったところで――」

「邪魔者って」


 兄の事をナチュラルにディスる天ちゃんに、俺は思わず苦笑を浮かべる。


「香野先輩はゆっくりカレーを味わってください。お代わりもありますから」

「うん。ありがとう。そうさせてもらうよ」


 カレーライスだけでなく、サラダやスープにも口を付けながら俺は、引き続き天ちゃんと食事を共にする。


「香野先輩とこうして食事するの、すごく久しぶりですよね」


 司がいなくなって二人になったからか、天ちゃんがそう改めて言う。


「確かに。俺が大学入ってからは、あまりなかったような気が……」


 高校時代はよく司の家で夕食をごちそうになっていたが、最近はそもそもここを訪れない事もあってその機会もめっきり減ってしまった。


「兄にきたんですか?」

「いや、別にそういうわけじゃないけど。てか、飽きるって何?」


 そりが合わなくなるとかならまだ分かるけど、飽きるって……。俺と司は、天ちゃんの中でどういう関係なんだろう?


「まぁ、大学に入って新たに知り合った友達もいるし、そのせいで司とあまり遊ばなくなったってのは確かにあるかもね」

「女ですか?」

「いや――」


 違うとも言い切れないか。

 千里に、鈴羽に、ことり。そして、天ちゃん。

 改めて考えてみると、俺最近、なんか女の子とばかり遊んでいるような……。


「香野先輩って、意外とモテますよね」

「意外って……。まぁ、いいけど」


 一見すると悪口とも取れる天ちゃんの発言に、俺は苦笑を浮かべる。


「あ、すみません。そういう意味じゃなくて」

「うん。大丈夫。分かってるから」


 天ちゃんに俺をおとしめる意思がない事も、俺がモテそうな風貌ふうぼうをしていない事も。


「香野先輩は、彼女作らないんですか?」

「いや、俺そもそもモテないから」

「……」


 俺としては正当な主張をしたつもりだったのだが、なぜか天ちゃんからジト目を向けられてしまう。

 まぁ、そういう答えを期待しての問いでない事は、なんとなく分かっていたが。


「出来るか出来ないかは別にして、自分から率先して作るつもりはないかな。今のところ」

「それはどうしてですか?」

「付き合う事に俺が今、臆病になってるから、かな」

「臆病? ですか?」


 俺の言葉の意味がよく分からなかったのだろう、天ちゃんが可愛らしく小首をかしげる。


「色々ね、あったんだよ、過去に」


 と言っても、そんなに重い話ではないが、気安く人に話すようなたぐいの話でもないと、俺自身は思っている。

 どうしてもこの手の話は、不幸自慢のように聞こえてしまうので、出来れば話したくはない。どうせ話したところで、面白おもしろい展開にはならないだろうし。


「まぁ、香野先輩が言いたくないのなら、無理には聞きませんけど。なんとなく、その片鱗へんりんくらいは知ってるつもりですし」


 天ちゃんの言う片鱗とは、ことりとの事だろう。

 となると、話の出どころは司のやつか。別に口めするような話ではないので、天ちゃんに話してしまっても問題ないのだが……それはそれとして後であいつはめよう。


「あ、そうだ。香野先輩、後で勉強教えてください」

「勉強? いいけど、俺そんなに頭良くないよ」


 それに、高校で習う勉強と大学で習う勉強はそもそも種類が違うので、果たして今の俺にどれだけ当時の知識が残っている事やら。


「大丈夫ですよ、私の志望校に合格してるんですから」

「いや、そんな事言っても、俺は推薦だし学部も……。って、天ちゃん、志望校ウチなの?」

「はい。言ってませんでしたっけ? 香野先輩が今通ってる学校が、私の志望校です」

「そう、なんだ……」


 別に、だからと言ってどうという事でもないのだが、天ちゃんが再び大学でも後輩になるかもしれないと考えると、なんだか不思議な気持ちだ。


「それに、私推薦がもらえるかもしれないんです。なので、その辺りの事も詳しく聞きたいなって」

「そっか。うん。じゃあ、ご飯が済んだら、少し勉強を見てあげるよ」

「ホントですか? ありがとうございます」


 そう言えば、去年は鈴羽すずはに頼まれて何度か勉強を見たっけ。まぁ、天ちゃんの場合、鈴羽と違って本当に見るだけになりそうだけど。

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