第4話 天使家

「今日両親二人共いないんだけど、良かったらウチに来ないか?」

「……」


 突然なんの脈絡もなく気持ちの悪い台詞せりふを吐いてきた友人の顔に、俺は無言で右ストレートをお見舞いする。


「いたっ! 何するんだよ!?」

「うるせー! いきなりお前が、キモイ事言うからだ!」


 火曜日の三時限目、いつものように自分の隣に腰を下ろした俺に、つかさは唐突に「あのさ」と言って今の台詞を吐いた。


「司。残念ながら、俺にそのはないんだ」

「俺にもねーよ。そんなもんは」

「嘘け。なければさっきみたいな台詞が、口から出てくるわけねーだろ」

「だ、か、らー、最後まで人の話を聞けって」


 そう言うと司は、自分の気持ちを落ち着かせるためか、一つ大きく息を吐いた。


「前に言ったかもしれないけどさ、ウチの両親共働きで母親が帰ってくるの遅い時が多々あるわけよ。そういう時は妹が夕食作ってくれるんだけど、最近何を思ったのかカレーライスばっか作んの。しかも結構連チャンで」

「へー」


 カレーか。そう言えばこの間、てんちゃんに何が好きか聞かれてカレーって答えたけど、まさかそのせいじゃないよな。


「どうせお前が何か言ったんだろ。カレーが好きだとか、カレーが食べたいとか」

「……あはは。まさかそんな事言うわけないじゃないか。ヤダなー。第一もし仮に俺がそういうニュアンスの事を言ってたとして、それとこれになんの関係が?」

「大有りだろ。どう考えても天のやつ、お前に食わせる前に俺や両親を練習台として使いつぶす気満々だぜ。勘弁してくれって話だよ、まったく」


 そう言う司の顔は本当に疲れており、その言葉が心からのものだという事を、雄弁に物語っていた。


「つまり、俺に天ちゃんのカレーを食べに来いと、そういう事だな」

「だから、初めからそう言ってるだろ?」

「言ってねーよ。たく、説明下手か、お前は」


 初めから司が、まともな説明をしてくれていれば、こんなややこしい話にはならなかっただろうに。


「ま、今日は特に用事もないし、お前の家に行くのは別に構わんけど。いいのか? 天ちゃんに相談もせずにそんな事決めて」

「いいんだよ。どうせ、オッケーとしか言わないんだから」


 などと言いつつ、スマホを取り出し、何やら操作する司。

 おそらく、天ちゃんにラインを送っているのだろう。


「とりあえず、これで良し、と」

「ホントかよ」


 そう言っている間に、司の手の中でスマホが震える。


「何々……」


 画面に目を落とした司の表情が、見る見る内にえないものへと変わっていく。


「……全然オッケーだってさ。ユアウェルカムって、天が」

「嘘吐け。ユアウェルカムって顔かよ、お前のそれ」

「嘘じゃねーよ。まぁ、その前後の文章はちょっとお前には見せられないけど」


 怒られたな。しかも結構厳しめの物言いで。

 なぜだが知らないけど、天ちゃんは司に対してかなり厳しい。年頃の兄妹なんてどこもそんなものなのかもしれないが、さすがにそれでも少し同情をしてしまう。


「司、今度なんかおごってやるよ」

「なんだよ、急に」

「いや、なんとなくさ。そういう気分っていうか、そうしないと気が済まないというか……」


 今回の件も半分は俺のせいみたいなところあるし、それを差し引いても司はいつもいつも不憫ふびんで本当に可哀相かわいそうな奴だから、それぐらいしてやらないと到底割に合わない。


「ま、お前がそういうなら、素直にその好意に甘えさせてもらおうかな」

「缶コーヒーでいいか?」

「え? 缶コーヒー? 食事とかじゃなくて?」


 俺の言う事が信じられないとばかりに、司が微妙な表情をその顔に浮かべる。


「ヤダなー。冗談。冗談だよ。ちゃんと晩飯奢ってやるから」

「焦ったー。今の話の流れで、それはないわーってちょっと引いたもん、俺」

「じゃあ、今日の夜にでも行くか」

「いや、だから、カレー!」


 こうして俺は、ひとしきり司をからかい、授業が始まるまでの時間を有意義に潰した。




「ただいまー」


 そう声を上げ、司がくつを脱ぎ玄関に上がる。


「お邪魔します」


 その後に俺も少し遠慮がちに続く。


 高校時代はよくこの家を訪れていたものの、大学に入り俺が一人暮らしを始めた事もあって、最近は数ヶ月に一度くらいの頻度でしかここにも足を運んでいない。

 まぁ、千里や鈴羽と遊ぶ事が増えたのも、その要因の一つにはあるのだが。


 俺が玄関に上がり程なくすると、リビングの方からバタバタと音がして、誰かが飛び出すように現れた。


香野こうの先輩、今日はようこそ我が家に。私は料理で手が離せませんが、この不肖ふしょうの兄に相手をさせますので、どうぞ寛いでください」

「おい。誰が不肖の兄だ。誰が」

「うん。ありがとう。天ちゃんの料理、楽しみに待たせてもらうね」


 司の抗議は二人共に無視して、そう会話を交わす。


「カレーが出来るまでまだもうしばらく時間が掛かるので、兄の部屋にでも行って待っててください」

「いや、俺の部屋だぞ。何を勝手な事を……」

「ありがとう。じゃあ、またカレーが出来た時に」

「はい」


 満面の笑みでうなずき、天ちゃんが楽しそうにリビングへと帰っていく。


「というわけで、行くか、お前の部屋に」

「……おぅ」


 なぜか若干テンションの下がった司を船頭に、俺は階段を登り、司の部屋を目指す。


 司の部屋は二階の一番奥にあり、その隣は天ちゃんの部屋となっていた。


 扉を開け中に入る司に続いて、俺も室内に足を踏み入れる。

 司はスポーツが好きでよく観戦もしているため、それ関連のグッズがそこらかしこに飾ってある。その中でもやはり野球がよく目立つ。


「なんか適当に持ってくるわ。飯前だから菓子かしは止めとくけど」

「あぁ、よろしく」


 部屋の主が去り一人になった俺は、本棚から雑誌を手に取り、床に腰を下ろす。


 スポーツ全般を掲載するその雑誌は一般的にも結構有名なようで、ラーメン屋や美容院でもよく見掛ける。買ってまで読もうとは思わないが、たまに読むとやはり面白い。


 今月は、海外サッカーがメインで特集されているらしい。あまりサッカーに詳しくない俺でも知っている名前がいくつかっており、その中には日本人の名前もちらほら見受けられた。


 ガチャと音がして扉が開く。

 空のコップ二つと飲み物の入った大きめのペットボトルを持った司が、その後すぐに部屋に入ってくる。


「コーラで良かったか?」

「あぁ、サンキュー」


 テーブルの上に置かれたコップに、黒い液体がドボドボと注がれていく。八割程入ったところでそれは止まり、同じようにもう一つのコップに液体が注がれる。


 ペットボトルを近くの床に置くと、司は俺の隣に少しのけ、座った。


「天に怒られるからな。あんま飲み過ぎるなよ」

「分かってるって。てか、カレーっていつ頃出来る予定なんだ?」


 雑誌をベッドの上に置き、俺は司にそうたずねる。


「多分昨日からある程度は仕込んであるだろうから、七時には出来ると思うぞ」


 現在の時刻が六時過ぎなので、後一時間といったところか。


「それまでゲームでもするか?」


 夕食までの時間がまだ結構あるという事で、司がそんな提案をしてくる。


「おう。ジャンルは?」

「うーん。格ゲーとか?」

「いいけど、負けても泣くなよ」

「泣かねーよ」


 お互いに軽口を叩きながら、ゲームの準備を続ける。

 ちなみにゲームの結果は、俺から見て十勝五敗。俺の大勝だった。

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