第32話 小説

 私が本格的に小説を読み始めたのは、高校に入ってからだった。


 それまでの私はどちらかと言うと、長い文章というものが苦手で、教科書はもちろん新聞などにもまともに目を通さない、いわゆる本が読めない子で、よく親からそんなんで大丈夫かと心配をされていた。


 きっかけは、友達からすすめられたネットノベルだった。


 当時、私の周りではネットノベルが流行はやっており、クラスの三割くらいが、それにはまっていた。

 その中の数人と私も仲良くしており、初めは話を合わせるためになかば義務のように、ネットノベルを読んでいた。しかし次第に私自身がネットノベルにはまり出し、夢中になって色々な作者の作品を私は読みあさるようになった。


 何しろネットノベルにはお金がいらない。お小遣こづかいが少ない私にとっては、これ以上効率的な趣味はなかった。そしてその触手は、徐々に市販の本にまで伸びていき……。


「あんた、また小説買ったの?」


 金曜日。本屋で買ってきたばかりの本を取り出し、その取り出し先の袋をビニール用のゴミ袋に入れていると、ちょうど台所にやってきたお姉ちゃんにそう声を掛けられた。


「いいでしょ、別に」


 自分のお金で買った物にケチを付けられるいわれはないし、まして本を買ってきて文句を付けられる謂れはもっとなかった。


「いや、いいけどさ。ただ単純にすごいなって話」


 そう言うと、お姉ちゃんはコップを洗面台横のコップ置き場から手に取り、そのまま冷蔵庫を開いた。


「私も昔は本結構読んだけどさ、あんた程じゃなかったし、そこまで楽しそうには読めなかったから、少しうらやましいっていうか、いいなって思っただけ」


 コップに注ぎ終えたペットボトルのコーヒーを冷蔵庫に戻し、お姉ちゃんがその扉を閉める。


「まだ続けてんの? あっちの方は」

「一応……」

「そう。じゃあ、気が向いたら見せてよ。素人感想で良ければ話すからさ」

「気が向いたらね」


 私のその返事に、わずかな苦笑を浮かべながら、お姉ちゃんが私にひらひらと手を振り、台所から去っていく。


 確かに、私の小説を買う量は、人と比べて多いのかもしれない。それもこれも、この世界にごまんといる、素敵な小説を作る作家さんのせいである。決して私の我慢が足りないせいではない……よね?


 とりあえず、私が小説をたくさん買うのは誰のせいかという問題の答えは一旦保留にして、私は自分の部屋に戻る事にした。


 台所を出ると、リビングを通り、玄関に向かう。


 玄関の正面には人一人半分の横幅の階段があり、その先は二階に繋がっていた。

 階段を登り、少し歩くと、一つの扉の前で私は足を止めた。


 ここが私の部屋だ。


 扉を開け、中に入る。

 当然ながら室内には誰もおらず、また人が隠れている気配もなかった。


 そういえば昔、ベッドの下に隠れている男の話を聞いて、本気でビビった事があった。

 あの時はそれから三日間尾を引いて、毎回自分の部屋に入る度に恐る恐るベッドの下を確認したものだ。

 ちなみに、似たような話に、侵入者の姿をとらえるために自室にビデオカメラを設置した話もあり、あの時は自分の部屋に入る度に――以下略。


 私は床に座ると、肩から掛けていたかばんをその隣に置き、早速小説を開いた。

 実は本屋で少し立ち読みをして、ずっと続きが気になっていたのだ。


 小説を買う時私は、まず表紙か背表紙を見る。


 何を当たり前な事と言われるかもしれないが、そこに何か運命的なものを感じない限り、私はそれを手にする事はない。


 そして次に、数ページ実際にそれを読んでみる。

 大体の作品は、最初の一・二ページで読むのを止める。多分そこには私なりの好き嫌いがあるのだろうが、自分でもそれはよく分からない時が多い。なんとなくこの作品は自分とは合わない、そう思い本を置くのだ。


 そこまでして私はようやく、その本を買うかどうか悩む。


 まだこの段階では買うとは決めてない事が多く、決定打がなければそのまま本を置く事もある。決定打はその時々によってまちまちだが、大抵はフィーリングかあらすじで、後は最近の自身の読書状況に左右される事もたまにある。


 とはいえ、その読書状況による判断もその時々によってまちまちで、最近同じジャンルばかり読んでいるからまた同じジャンルを買おうという時もあれば、最近同じジャンルばかり読んでいるから今度は違うジャンルを買おうと思う時もあり、自分でもその辺のさじ加減は本当に分からない。


 と、今はそんな事より、この本の方が大事だ。


 ……。

 …………。

 ………………。


 結論から言うと、この本は当たりだった。


 私ごとき一読者が出版されている小説に対して、当たり外れの評価をするのは大変おこがましいのだが、とにかく私にとってこの本は当たりだった。


 何より文章の書き方がいい。

 引っ掛りが少ないと言うべきか。多分私と作家さんとの間で感覚のれが少ないんだと思う。読んでいてストレスを感じない作品は、それだけで私にとっては良作だ。


 三十ページ読んだところで、私は本を閉じた。


 こんな良作と出会える事は、一月に一度あるかないかだ。急がずゆっくり読もう。


 というわけで、急にやる事を失った私は、テーブルの上に置いてあったノートパソコンを開き、電源ボタンを押した。ノートパソコンはスリーブモードになっていたため、すぐにパスワード認証画面に切り替わる。


 私はパスワードを入れ、ノートパソコンを立ち上げた。

 数秒の間の後、画面に映ったデスクトップからお目当ての物をさがし、マウスを使ってそれをダブルクリックする。


 さて、まずは――


 十五分後、私は自分の集中力が切れたのを自覚し、作業を止めた。


 私の集中力は多分人より持続力が低い。鈴羽すずはは短期集中方だからとは、友達の私に対する評価だ。


「うーん」


 読者と合わせて一時間近く座りっぱなしでり固まった体を、私は声を上げながら伸びをしてほぐす。


 少し休憩して、作業はまた気が向いたら進めよう。


 今度こそ完全にやる事を失った私は、リモコンでテレビをけ、適当にチャンネルをザッピングする。特に面白そうなものはやってなさそうだ。


 諦めてチャンネルを無難なものに合わせると、突如かばんが震えた。


 そういえば、スマホを鞄の中に入れっぱなしだった。本に気を取られてすっかり忘れていた。


 鞄からスマホを取り出し、画面に目をやる。


 ラインが届いていた。相手は――


千里せんりさん」


 慌てて私は、画面をタップしてラインのページを開く。

 その内容は――

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