第31話 せんぱいと先輩

 一時限目の授業を終え、一人で廊下を歩いていると、前方に見知った二人の姿を発見した。


「せんぱーい、千里せんりさーん」


 その背中に声を掛けながら私は、小走りで前の二人の元に向かう。


 二人が立ち止まり、こちらを向く。片や面倒くさそうに、方や笑みを浮かべて。


「こんにちは」


 二人に追い付いた私は、その前で足を止める。


「朝っぱらから元気だな、お前は」

「こんにちは、鈴羽すずは。今日も元気だな、君は」


 二人の先輩が、三者三様ならぬ二者二様の顔付きで、似たような事を私に向かって言う。


「ってかお前達、いつの間にか名前で呼び合うようになったんだな」

「あぁ、紆余曲折うよきょくせつあってな」

「せんぱいの知らない間に、なんやかんやあってそうなりました」

「ふーん」


 まぁ、いいや、とでも言いたげな表情で、せんぱいが前方に視線を戻す。それが合図だったかのように、三人で同じ方向に向かって歩き出した。


「鈴羽も次の授業は受けないのか?」

「はい。受けたい授業がなかったので。千里さんは授業ですよね?」

「あぁ、残念ながら」


 そう言って千里さんは、本当に残念そうにまゆを寄せた。


「二人はこれから食事か?」

「いや、前までならそうだったんだが、最近は事情が変わったからな。食事は、どこかで時間をつぶしてからだな」

「事情? ……あぁ」


 どうやらその辺りの事は、千里さんもせんぱいから聞いて知っているらしく、うなずきながら私に向かって意味深な目線を向けてくる。


「機会があれば、私もご相伴しょうばんに預かりたいものだが」

「え? 別に、千里さんが来るのを待ってから食事を始めても、私は構いませんよ」

「いや、そう言ってくれるのは非常にありがたいのだが、今日は先約がいてね。すまないが、そちらを優先させてもらうよ」

「そうですか……」


 まぁ、いきなりだったし、しょうがないよね。

 なんて事を考え、自分で自分をなぐさめていると、突如とつじょ頭に手が乗っかり――


「その内、な」


 千里さんが私に向かって、少し困ったような顔で笑いかけてくれた。

 それはまるで少女漫画に出てくるイケメンのようで、私は不覚にも少しときめいてしまった。


「じゃあな」


 千里さんが片手をげ、私達と別れる。


「おぅ」

「授業頑張ってください」


 エスカレーターで上に向かう千里さんを二人で見送り、その後、私達も下に向かうエスカレーターに乗る。


「結構仲良くなったのな、お前ら」


 エスカレーターに乗るなり、せんぱいがふいにそんな事を言ってくる。


「まぁ、お陰様で」


 せんぱいという存在がいなければ、そもそも私と千里さんが出会う事はなかっただろうし、せんぱいのアドバイスがなければ、私と千里さんが今みたいに話す事もなかっただろう。


「もしかして、いてるんですか?」

「ばーか」


 私の軽口に、せんぱいが私の髪をくしゃくしゃにするという暴挙で対抗する。


「わぁ、何するんですか?」


 慌てて私はそれから逃れるために、体を後ろにらした。


「うるせー。お前が馬鹿ばかな事言うからだ」

「たく……」


 髪を手櫛てぐしで直しながら、ちらりとせんぱいの顔をのぞき込む。

 その顔は、確かにいつも通りの仏頂面に違いなかったが、そのほおわずかに赤く、私の軽口がただの的外れでなかった事を雄弁ゆうべんに物語っていた。


「せんぱいって、案外可愛かわいいとこあるんですね」

「は? 何言ってんだ、お前」

「大丈夫ですよ。私にとってせんぱいは、先輩の中の先輩であり、先輩オブザイヤー受賞の名誉先輩ですから」

「……ホント、大丈夫か、お前」


 あ、これは照れ隠しでなく、マジなやつだ。目をみれば分かる。マジなやつだと。


「いや、でも、仲良くなってくれて良かったよ。二人共、なんとなく気が合いそうだと思ったからさ」

「せんぱいって、なんだかんだ言って面倒見いいですよね」

「……まぁ、否定はしないかな」

「しないんだ」

「したところで仕方ないしな。こういうのは自分がどう思うかより、人がどう思うかだからな」


 なるほど。確かにその通りかもしれない。

 とはいえ、あまりに簡単に肯定されては、それはそれで面白くないというか、張り合いがないというか……。


「おい」


 せんぱいに呼ばれ、我に返る。


 少し考え事をしていたせいで、注意力が散漫になっていたようだ。そしてそれは、もろに私の行動に表れて――


「っと」


 エスカレーターの最後の所、段が吸い込まれる所に軽く足を取られ、少し体が前のめりになる。するとそこには、せんぱいが待ち構えていて……。


「わぁ」


 私の体はそのまま、せんぱいの胸に吸い込まれてしまった。

 女性のそれとは違う広く固い胸板に、私の顔はすっぽりと収まり、私はその事に安心感を覚える。当たり前の事だが、せんぱいはやはり男性なのだ。


「気を付けろよ、お前。こんなとこでケガしたら、ホント笑えないからな」

「え? あ、はい。すみません」


 私は素直に謝り、せんぱいからゆっくりと体を離す。


「ほら、行くぞ」


 きびすを返し、せんぱいが前方に向かって歩き出す。


「あ、はい」


 返事をし、私もそのすぐ後に続いた。


 いきなりの事に動揺をし、まだ心臓がバクバク言っている。これは何も、驚きだけがその理由の全てではないだろう。


 それにしてもやっぱり――

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