第30話 大道寺先輩(2)

 水曜日。授業が急遽きゅうきょ休校になった私は、一人エントランスでぼっと飲み物を飲みながら時間をつぶしていた。


 本来ならこういう時間を使って、趣味でやっているある事を進めたりするのだが、今日はどうもそういう気分にならず、かといってスマホを眺める気にもならなかったため、こうして何をするでもなく暇な時間をただただ無為むいに垂れ流していた。


 元々あった暇なら、前もってそれを潰す方法を考えてきたりするのだが、今回は本当に急に降って沸いた話なのでそういうわけにもいかず……。


「ここに座っても?」


 ふいに声が近くからして、視線をそちらに移す。

 そこには大導寺だいどうじ先輩がいて、正面から私を見ていた。


「え? あっ」


 自分の置かれた状況にようやく気付き、私は慌ててその場に立ち上がる。


「そんなに慌てなくても」


 そう言って大導寺先輩が、その顔に苦笑を浮かべる。


「あ、いえ、そうですね。すみません」


 あまりにも失礼な自分の態度を反省し、私はしずしずと椅子に座り直した。


「それで、どうかな?」

「あ」


 そう言えば、大導寺先輩からされた質問に私は、まだ答えていなかった。


「どうぞ……」

「ありがとう」


 私の言葉に笑顔を返し、大導寺先輩が私の正面に腰を下ろす。


「先輩も休校ですか?」

「いや、私はそもそもこの時間の授業を取ってなかったから、普通に空き時間だ」

「そうですか……」


 極力そうしないようには気を付けてはいるが、やはりどうしても大導寺先輩の前では緊張をする。まぁそもそも、気を付けている時点で、正常な状態ではないんだけど。


「そう言えば、昨日君からすすめられた本、少し読んだよ」

「どう、でした?」


 最終的には大導寺先輩が決断した事とはいえ、あの本を勧めたのは間違いなく私なので、そこはどうしても責任を感じざるを得ない。


「そうだな。まず読みやすい文章の書き方だなというのが、初めの印象だな。もちろん、いい意味でそう思ったという話だ」


 読みやすい文章という表現に作家は、敏感らしい。人によってはそこからネガティブなイメージを受ける作家もいるようなので、感想にそのような表現を使う時は注意が必要だ、という話を私も以前何かで読んだ記憶がある。大導寺先輩もそれを知っていて、一読者である私に対しても気をつかったのだろう。


「後はすっと物語に入りやすい感覚もあって、読み手や場所を選らばなそうな印象も受けたな。別に嫌いでないが、ものによっては長文の独り言や説明、景色の描写から始まる作品もあるから、そういう作品に比べるとあの作品は、なんというか、力を入れずに読める、は失礼か。力まず、も同じ意味だし……」


 必死に自分の感覚とぴったり合い、尚且なおかつ失礼でない言葉を自分の頭の中から探そうとする大導寺先輩。その姿に私は思わず、口元がほころんでしまう。


「ん? 何かおかしかったかな?」


 私のその表情に気付き、大導寺先輩がそう聞いてくる。


「いえ、すみません。ただ、大導寺先輩がそれだけ言葉を選ぶのが意外で……。勝手に先輩は、誤解を怖れずものを言うタイプだと思ってたので」


 常に自信にあふれ、自分の言いたい事は言う、そんな人だと私は大導寺先輩の事を思っていた。


 しかしさっきの大導寺先輩は、そんな私のイメージの中の彼女とは程遠く、また一生懸命最適な言葉を探す彼女はこう言ってはなんだが、とても可愛かわいらしく、そして愛らしかった。


「時と場合によるかな。どうしても曲げられないものなら、もちろん場の空気よりそちらを優先するが、物語の感想は人それぞれだし、そこに齟齬そごが生まれるのは当然というか、避けられない宿命のようなものと、私は思っている。だからこそ私はこういう時、誤解を与えないよう、相手に相応ふさわしい言葉で話すよう心掛けているんだ」

「大道寺先輩は、誠実な人なんですね」

「どうだろう。その辺りは、自分自身じゃ分からない部分だからね。人の評価に判断を任せる他ないというのが、正直なとこかな」


 苦笑を浮かべ、大道寺先輩はそうやんわりと私の言葉をかわした。


「印象といえば、私の方こそ君はもっと猪突猛進で、我が道を行くタイプだと思っていたんだが、実際に話してみるとどうもそうではないらしい」


 おそらくその大道寺先輩の印象は、せんぱいが話した私から発生したもので、今の私とその私が似ても似つかないのは、何もせんぱいの話し方が悪いせいだけではないだろう。


「それとも、隆之たかゆきの前じゃないと、そういう君は見られないのかな?」

「――ッ」


 くしくも、考えていた事に非常に近しい事を言われ、私は思わず動揺を隠す事も忘れ、大道寺先輩の顔を真正面から見据えてしまう。


「本当に可愛いな君は」


 そう言って大道寺先輩は、私の顔を見て、にこりと微笑ほほえんだ。


「――ッ」


 瞬間、全身――特に顔周りが沸騰ふっとうしたように熱くなる。


 やばいやばいやばい。これはなんというか、とにかく……やばい。大道寺先輩は女の人なのに。大道寺先輩は女の人なのに。


「すまない。君があまりにも想像通りの反応をするものだから、少しからかい過ぎてしまったようだ。からかいも度が過ぎると笑えなくなるからな、気を付けるよ」


 どうやら私の反応を別の意味に勘違いしたらしい大導寺先輩が、そう謝罪の言葉を私に対して告げてくる。


「いえ、そうじゃなくて、大導寺先輩の笑顔に少しドキッとさせられたというか、不意打ち気味だったから余計に動揺させられたというか……」

「そうか。よく分からないが、別に不快な思いをしたわけではないのだな。それなら良かった」


 そう言うと大導寺先輩は、文字通り、ほっと胸をで下ろした。


「大道寺先輩って、意外と気にしいですよね。……って、すみません」


 いけないいけない。またいらない事を口走ってしまった。相手はせんぱいじゃないんだから、さすがに自重しなければ……。


「私はどうやら、人と少し違った感性を持っているらしい」

「え?」


 突然の告白に、私は戸惑い、思わず言葉をこぼす。


「だから、どうしても時々、ズレた発言をして相手を困らせてしまうんだ。自分でも気を付けなければと思ってはいるのだが、これがなかなか難しくて……」


 あ。せんぱいが言っていったのは、もしかしたらこの事なのかも……。


「私も同じです。私もいつもズレた発言をして周りを困らせてしまって……」

「似たもの同士、という事か。もしかして、隆之が言っていたのはこの事なのか?」


 どうやらせんぱいは、大道寺先輩にも私にしたのと同じような話をしていたらしい。


「神崎さん」

「はい!」


 急に改まった様子で自分の名前を呼ばれ、私は思わず背筋を伸ばした。


「私はもっと君の事を知りたいと思っているし、もっと話をしたいとも思っている」

「はい。あの、それはとても光栄な事だと思ってます」

「それだ」

「え? どれです?」


 それと言われても、何がそれなのか全く見当が付かない。


「前にも言ったと思うが、私は君と同じ普通の女子大生だ。だから、必要以上に畏まるのは止めてくれ。私は君と対等に話したいんだ」


 そう私に言った大導寺先輩の顔は真剣そのもので、私は自分の今までの言動を恥じる。


 大導寺先輩は私と対等に話したいと言った。だけど今までの私は、大導寺千里という人の雰囲気や噂を意識するあまり、彼女の本質を全くと言っていい程見ていなかった。いや、見ようとしていなかった。


「大導寺先輩」

「なんだろう?」

千里せんりさんとお呼びしてもいいでしょうか?」

「……いいぞ」


 答えの前のわずかな間が気になるが、とりあえず許可はもらえたという事で、あえてそこは無視しよう。


「千里さん」

「おぅ」


 まるで何かの鳴き声かのように、大導寺先輩――改め、千里さんが私の呼び掛けに対して返事をする。


「いや、すまない。年下から名前で呼ばれた経験があまりないものだから、少し照れ臭いようなムズがゆいような不思議な感覚におちいってしまった」


 感情を整えるためか、そこで千里さんが「こほん」とせき払いをする。


「では改めて、これからよろしく。……鈴羽すずは

「はい。千里さん」


 こうして私と千里さんは、本当の意味で知り合いになったのだった。

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