第21話 千里

 金曜日。約束の時間のおよそ十分前に、待ち合わせ場所である大学前に到着した俺は、その姿を見て驚いた。


 驚いたと言っても、別に千里せんりが奇抜な格好かっこうしていたり変なポーズをとっていたりしたわけではない。むしろ、その逆というか……。


「よう」


 近付きながら、手をげ千里にそう声を掛ける。


「やぁ、隆之たかゆき。今日は遅かったな」

「……」

「いやそこは、お前が勝手に早く来たんだろって、突っ込んでくれないと」

「あぁ、悪い」


 千里の軽口に適当に返事を返しつつ、俺は再び千里の姿を上から下までちゃんと見る。


 日頃の千里はシックな色合いのズボンに、これまたシックな色合いのシャツやTシャツを合わせる事が多い。本人曰く、華やかな物は自分に合わないからという事だったが、今日の姿を見る限りそれが当人の思い込みだという事がここにはっきりと証明された。


 今日の千里の出で立ちは、空色のブラウスに濃い緑色の膝下丈ひざしたたけのフレアスカートと、千里にしては珍しく女性らしい恰好かっこうとなっていた。


「今日はどうしたんだ、一体」

「変、かな」


 俺の若干失礼な発言に不安になったのか、千里がまゆを下げそう聞いてくる。


「いやそんな事はないけど……。普段見ない恰好だから、何か理由でもあるのかなって」

「別に特に理由らしい理由があるわけではないんだが、この前友人と買い物に行ってこの服をすすめられたんだ。それで今日初めて着てみたのだが……」


 言いながら俺を見る千里。その瞳は不安に揺れており、まるで幼い子供のそれのようだった。


「うん。大丈夫。すごく似合ってるし、普通に可愛かわいいから、全く問題ないよ」

「そうか……。それは良かった」


 俺の言葉に千里が、ほっと胸をで下ろす。

 内心、慣れない自分の恰好にドキドキだったのだろう。


「行こうか」

「あぁ」


 千里をうながし、クラウンのある方に歩き出す。その隣に千里が並ぶ。


「折角似合うんだから、普段からそういう恰好すればいいのに」

「それはちょっと難しいかな。恥ずかしいし、何より落ち着かない」


 そう言う千里の様子は確かにそわそわしており、見るからに落ち着かない感じだった。


「そっか。それは残念だな」


 冗談抜きに、素直にそう思う。

 それくらい、千里の今日の恰好は本当に似合っていた。


「別に、一生着ないとは言ってないだろ。機会があればまた着てみせるよ」


 俺の反応を見たからか、千里がそう言って、なぜかねたようにそっぽを向く。

 照れ隠しだろうか?


「ち、ちなみに、君はどういった服装が好きなんだ?」


 視線は相変わらず俺とは逆の方を向いたまま、千里がふいにそんな事を聞いてくる。


「どういうと言われても……」


 別に日頃から女性の服装について、アレコレ考えているわけではないので、ちょっとすぐには答えが思い浮かびそうにない。


「うーん。その人に似合ってればなんでもいいんじゃないか」

「当たりさわりのない、適当な答えだな」


 そう言って、千里がその顔に苦笑を浮かべる。


「いやだって、着る人によって似合う似合わないは違ってくるし、逆にどんなにいい恰好をしててもその人に似合ってなければ意味ないじゃん」

「それはそうだが……」


 まぁ、俺の解答と千里の聞きたい事が食い違っているのは重々承知しているが、俺にとって服装は人ありきのものなので、軽々しく例えばミニスカートが好きなんて事は言えないし、言いたくもない。


「じゃあ、私が着ると仮定したらどうだ? 私にはどんな恰好が似合いそうだと思う?」

「千里に似合いそうな服か……。でもやっぱり、千里には今日みたいに落ち着いた服装が似合うと思うから、いつもの恰好以外から選択するとしたら、やっぱりあまり丈の短過ぎないスカートが一番かな。ワンピースとか、今日着てるやつとか、後は逆にめちゃくちゃ丈が長いやつとか」

「なるほど」

「いや、俺の個人的な感想というか主観がバリバリに入った意見だから、そんなに真面目に受けとめなくても。やっぱ最終的には、自分の着たい物を着るのが一番だと思うしさ」


 俺の意見が、いわゆる男性全般の意見だと思われたら困るし、そこまでの責任を負うつもりも毛頭ない。


「そんなに心配しなくても、ただ聞いてみただけで、君の意見を鵜呑うのみにする気はさらさらないから安心してくれ」

「だよな。いや、だったら別にいいんだ」


 そうか。そうだよな。普通に考えて、俺の意見を全面的に信じて千里が、服選びをするわけないよな。いやー、なんか自意識過剰だったみたいで恥ずかしい。


「ま、参考にはさせてもらうが」

「え? あぁ。参考ね。あくまでも一意見として事ね」

「……」

「なぜそこで黙る」

「さぁー。なぜだろうな」


 そう言うと千里は、まるで悪戯いたずらっ子のようにニヤリと俺に笑ってみせた。




 映画を終わった俺達は、そのまま建物からは出ず、館内の喫茶店に向かった。

 店内はそれなりに盛況で、三十程ある座席のおよそ八割が、俺達が来た時にはすでに埋まっていた。


 窓側の席か空いていたため、そこにテーブルを挟んで向かい合って座る。


 程なくして来た店員にそれぞれ注文を伝え、俺達はようやく一息をいた。


「確かに面白い映画だった」


 未だ映画を観た熱量が収まらないのか、千里が少し興奮した様子でそう感想を告げる。


「千里泣いてたもんな」

「泣いて……たな、確かに」


 反射的に否定をしようとして、すぐに千里がそれを止める。あれだけ涙をこぼしては、到底誤魔化し切れないと言葉の途中で観念したのかもしれない。


「耐性がないんだ、あまり見ないから」

「そうか」


 まぁそれも、全くの言い訳というわけでもないのだろうが、この状況で聞くと残念ながらそう聞こえてしまうから不思議だ。


「逆にあれで泣かない方がおかしいだろ」


 俺のそんな感情を読み取ったのか、千里がそう言って語気をらげる。


「いや、そんな事言われても、そこは男性と女性の違いというか……」


 一概いちがいには言えないが、一般的に男性より女性の方が人前で涙を流す頻度ひんどが高いと言われている。古来からある男性は人前であまり涙を流すべきではないという考え方もその理由の一つとしては確かにあるのだろうが、そもそも生物学的に元からそういう風に人間は作られている、とかいないとか……。


「お待たせしました」


 注文してから数分、飲み物の乗ったおぼんを手に、店員が俺達の席にやってくる。

 俺の前にアイスコーヒーを、千里の前にアイスミルクティーをそれぞれ置くと、店員が一礼の後、「どうぞごゆっくりおくつろぎください」と告げ去っていく。


 コップを手に取り、口に運ぶ。


 うん。良くも悪くもない、普通の味だ。


「千里は日頃泣く事とかってあるのか?」

「そりゃ、私だって人間だから、日常生活の中で泣く事の一つや二つくらい……」

「へー。どんな?」

「どんなって……。そうだな。動物ものとか、再現映像とか、かな。そういう隆之はとうなんだ。日常生活の中で泣く事はあるのか?」

「泣く事ね……」


 そう聞かれ、最近の記憶を思い返してみるが、思い当たるものは残念ながらなかった。


「泣きそうってのはあるけど、実際に涙が落ちたっていうのは少なくともここ数年はないかな」

「薄情ものなんだな、隆之は」

「まぁ、否定はしない」

「しないのか」


 そう言って苦笑を浮かべる千里。


「達観主義っていうか、基本冷めてるんだよ、俺は」


 何事にも熱くなれず、熱くなれる人を羨ましいと思う反面、自分とは違う世界の人間だとどこかでその人達と自分を区別してしまっている。香野こうの隆之という人間はそういうやつだ。


「冷めてるね……」

「なんだよ」


 その意味ありげな笑いは。


「少なくとも私は、冷めてる人間が見ず知らずの迷い子の同級生に声を掛け、あまつさえそこまで一緒に行ってくれるとは思わないけどな」

「それは……」


 俺なりにそうした理由があったのだが、本人にはとてもじゃないが言えない。いや、本人以外にも別に言う気はないのだが。


「まぁ、いいさ。自己評価と他人からの評価が食い違うのはよくある事だし、それによってこちらが何か嫌な思いをするわけでもないから、この件については平行線のままにしておこう」

「そりゃどうも」


 なんか釈然しゃくぜんとしない物言いをされている気もするが、別段重要な話でもないし、ここは千里の言う通り、白黒付けるのは止めて、なんとなく話を打ち切る事にしよう。


「ところでこの後どうする? 夕食までまだ時間は少しあるけど……」


 現在の時刻は、四時半をわずかに回ったところ。電車に乗って帰る事を考えても、まだ夕食まで二時間近くの余裕がある。


「そうだな……。じゃあ――」

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