第17話 映画

 そして土曜日。俺はクラウンの前で一人、てんちゃんを待っていた。


 時刻は十三時五十分を少し回ったところ。つまり、約束の時間のおよそ十分前。俺にとっては、いつも通りの時間だ。


 待つ事、数分。こちらにやってくる天ちゃんの姿が、俺の視界に映る。


 向こうも俺に気付いたらしく、歩きながら、大きく手を振ってきた。

 それに俺も、手を振り、返す。


「こんにちは、香野こうの先輩。相変わらず、早いですね」


 そう言って、天ちゃんが俺の前に立ち止まる。


「女の子を待たせるわけにはいかないからね」

「それ、どれだけの人に言ってるんです?」

「……さぁー、行こうか」


 天ちゃんにジト目で見られた俺は、逃げるようにその場を離れる。


「うふふ。冗談ですよ」


 笑いながら、俺の隣に並ぶ天ちゃん。


 まったく。これだから女の子は恐ろしいというか、油断出来ないというか……。


 二人で壁沿いに移動をし、出入り口を目指す。


 自動扉をくぐり、建物の中へ。


 クラウンは、この辺りでは一番大きな映画館である。


 とはいえ、屋内にあるのは映画施設だけではなく、ゲームセンターにレストラン、それにカフェも併設されており、映画の待ち時間や映画をた後も楽しめる、どちらにとっても過ごしやすい空間となっている。


「そういえば、今日って何観るの?」


 その他の施設の横または前を通過しながら、隣を歩く天ちゃんにそうたずねる。


「あれ? 私、言ってませんでした?」

「うん」


 あの日俺は、映画を観るとしか聞いておらず、そのタイトルまでは聞いていなかった。


「今、高校生の間で話題の泣けるアニメです」

「へー」


 激しくデジャブを感じる。まさかこれは……。


「ちなみに、その作品のタイトルって――」

「はい」


 天ちゃんの告げたタイトルは、俺が数日前に千里せんりの口から聞いたものと全く同じものだった。


「……最近流行はやってるもんね、そういう系の映画」


 内心の動揺を悟られないように、俺は至って冷静に言葉を繋ぐ。


「私はそんなに普段アニメとか見ないんですけど、こういうのだけは別というか、流行ってるし、一応観ておこうかなって感じです」

「なるほど」


 まぁ、〝友達〟と会話をする上で流行りものは必須みたいなもんだし、そういう考えも理解出来なくはない。


「香野先輩は見ます? アニメとかって」

「俺もあんまり見る方じゃないかな。漫画は読むけど、アニメはなぁ。時間合わないし、録画してまで見る程好きじゃないから」

「大学生って、香野先輩から話を聞くまで私、もっと楽して単位取ってるのかと思ってました」

「俺も。授業なんて、三回くらいなら、サボっても全然問題ないんじゃないかと思ってたよ」


 実際にサボるかどうかは別にして、そういうイメージが大学生に確かにあった。

 しかし、ふたを開けてみたら、出席は授業の最初と最後にしっかり取るし、何をするにも自分専用の電子カードを使うため、なかなかそれを誤魔化ごまかす事は難しく、また教授によっては三度休んだら問答無用でその単位を取らせないという人もいて、思ったより真面目な大学生活を少なくとも俺の周りの人達は送っている。


「ま、とはいえ、高校と違って、毎日六時間丸々授業を受けるわけじゃないから、自由な時間が増えるのは事実かもね」

「香野先輩は、その自由な時間を何につかってるんですか?」


 何に、って……。


「……バイトとか、遊びとか?」

「なんで疑問系なんです?」

「いや、言う程遊んでないかなって思って」


 遊ぶと言っても、精々人と会って遊ぶのは週に二回程度だし、一人で家にいる時は特に何をするでもなくゴロゴロしている事が多い。

 改めて考えると、大丈夫か、俺。


「香野先輩」

「ん?」

「ドンマイ?」


 小首をかしげ、自信なさげにそう言う天ちゃん。


「……」


 なぜだろう。鈴羽に言われてもただただムカつくだけなのに、同じ言葉でも、天ちゃんに言われると心に来るというか、若干へこむというか……。


 うん。頑張がんばろう、明日から。 

 具体的に何をっていうわけではないけど、何かを。




 映画のあらすじは、簡単に言うとこうだ。


 ある日男子高校生はクラスメイトの女子高生の秘密を知ってしまう。それは彼女がそう遠くない未来に病気によって死ぬという事。その秘密を知った事により、それまでほとんど交流がなかった二人は急接近し、一緒に遊ぶようになると、まぁ、ざっくり言うとそんな感じのストーリーである。


 なるほど。確かにこれは泣ける映画だ。


 天ちゃんの手前我慢しているけど、一人で来ていたら本気でヤバかったかもしれない。

 それぐらい、この映画は感動する。


 ちらりと横に目をやると、天ちゃんは物語の中に入り込んでいるのか、一心に前方のスクリーンを見ていた。その瞳にはうっすら涙が。


 ハンカチを渡そうかとも思ったが、邪魔になるといけないので今は止めておこう。


 映画が終わり、室内の照明が明るくなる。


 天ちゃんは未だ映画の世界から帰ってこられていないのか、放心状態だった。


「天ちゃん」


 呼び掛け、肩を揺する。


「え……?」


 それまで前方に固定されていた視線が、数時間ぶりにこちらを向く。


「あ、すみません。ぼっとしてました」


 そう言って謝る天ちゃんに俺は、ポケットから取り出したハンカチを渡す。


「え? あの」


 反射的にそれを受け取りながらも、天ちゃんはハンカチを手渡された意味が分からないらしく、戸惑いの表情をその顔に浮かべる。


「涙、いたら」


 俺は自分の目を指差し、ハンカチを渡した意図を天ちゃんに伝える。


「涙、ですか?」


 言われるまま、ハンカチで自身の目の周りを拭く天ちゃん。


「――!」


 天ちゃんの目が見開き、その動きが止まる。


「す、すみません、私、ちょっと、お手洗いに」


 慌てて席を立とうとする天ちゃんだったが、今まで座りっぱなしだった事もあり、一歩目を踏み出したところで思わず彼女の体が前につんのめる。


「おっと」


 立ち上がると俺は、反射的に天ちゃんの腕を手に取り、こちらに引き寄せた。


「わっ」


 勢い余って、俺の胸に天ちゃんの顔がぶつかる。


「大丈夫?」


 胸の中の天ちゃんに俺は、そう尋ねる。


「はい……」


 返事こそあったが、色々なショックからまだ回復しきってないのか、天ちゃんはそのまま動こうとしなかった。


「天ちゃん?」

「え? あ、すみません」


 俺に名前を呼ばれ我に返ったのか、天ちゃんが慌てて俺から自分の体を離す。


「落ち着いた?」

「はい……。すみません」

「じゃあ、行こうか」


 俺の言葉にうなずき、天ちゃんが今度はゆっくりとした足取りで出入り口へと向かう。

 その後に俺も続く。


 天ちゃんがお手洗いに行ったため、俺は適当な壁に寄りかかりそれを待つ事にした。


 それにしても、いちいち可愛かわいい子だな、天ちゃんは。

 反応が初々しいというか、擦れていないというか……。まぁ、時々小悪魔ちっくなところもあるけど、そこがまた可愛いというか……。そう考えると、つかさの気持ちも分からないでもないな。


「あれ? せんぱいじゃないですか」

「!」


 突然聞き馴染なじみのある声に呼ばれ、思わずびくっと体が動く。


鈴羽すずは

「はい。せんぱいも映画ですか?」

「あぁ、お前もか」

「そうです。めぐみんと来たんですけど、今はトイレ中です」

「なるほど」


 それは不幸中の幸いというべきか、なんというか。


「せんぱいは一人ですか?」

「いや、俺もツレがトイレ中で待ってるとこ」

「へー。女の子ですか?」

「なんでたよ」


 そう答えている時点で、イエスと答えているようなものだが、肯定こうていも否定も出来ず、とうしてもそんな言い方になってしまった。


「なんとなく、待ち方がそうかなって」

「……」


 確かに、男友達を待っているなら、スマホをいじったりしてもう少しぞんざいな態度を取って待っているかもしれない。


「じゃあ、鉢合せしてもアレなんで、私は行きますね」

「いや別に、そういうんじゃないから」

「はいはい。分かってますよ」


 そう言って、本当にどこかに去っていく鈴羽。

 本当に、そういうんじゃないのに……。

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