第二章 神崎鈴羽は褒められたい。

第7話 後輩

 休憩時間になり、俺はホールから店奥へと引っ込む。


 キッチンの横を通り過ぎ、休憩室に。

 室内に入ると、部屋の奥まで進み、テーブル脇の椅子いすに腰を下ろす。


「ふぅー」


 一つ息をき、背もたれに背中を預ける。


 今日はなんだか異様に客が多く、仕事中いつも以上に疲労感を覚えた。春だからだろうか。


「お疲れ様です」


 声を上げ、一人の女の子が休憩室に入ってくる。


 彼女は天使あまつかてん。明るく優しく、気のく、まさに天使のような女の子だ。

 日頃はセミロングの髪を肩甲骨けんこうこつ辺りまでらしているが、今は仕事中という事で、後ろで小さく縛っている。


「あ、香野こうの先輩。今、休憩ですか?」

「あぁ、ホント今日は疲れたよ」

「ですね。キッチンもさっきまでてんやわんやでした」


 苦笑を浮かべ、てんちゃんが、俺の座る方とは逆の部屋奥にやってきて、俺の目の前にテーブルを挟んで座る。


「天ちゃんは、いつまでバイト続けるの?」

「うーん。悩み中です。夏休み入ったら本格的にみんな受験モードになるから、そこまでかなとは思ってますけど」


 天ちゃんは高校三年生なので、今年受験が控えている。本人はギリギリまでバイトに入りたいようだが、周りの心配もあり、いつまで続けるかは不透明な状態となっていた。


「先輩は、結構ギリギリまでバイトやってましたよね」

「俺は一人暮らし始めたかったし、推薦すいせんだったから、天ちゃんとは少し状況が違うかな」


 天ちゃんは高校に入って早々からここでバイトをしており、俺が受験生だった年にも一緒にバイトをしていた。そう考えると、俺達の付き合いもなかなか長いな。


「まぁ、受験生の本分は勉強だから、そっちを重視した決断をした方が、当たり前だけどやっぱりいいと思うよ」


 などと、とてもアドバイスとは呼べない、当たりさわりのないコメントを、とりあえず口にしてみる。


「そう、ですよね……」


 そんな俺の適当な言葉にも、天ちゃんはしっかりと反応をしてくれる。本当にいい子だな、天ちゃんは。


「俺に何か出来る事があったら言ってね。微力だけど力になるから」

「はい。頼りにしてます」


 そう言って天ちゃんがにこりと笑う。

 やばい。可愛かわいい。こんな妹がいたらと、思わずにはいられないそんな可愛いさだ。


「大学って楽しいですか?」

「うーん。どうだろう? 人それぞれだとは思うけど、少なくとも俺は楽しいかな。高校とはまた違った授業内容だったりスタイルだったりして、高校に比べたら自由度も高いしね」


 と言うものの、高校の時に思い浮かべていた程、大学生活は楽ではなかった。当たり前だが、授業にはある程度ちゃんと出ないといけないし、電子カードの導入により、代返はそれなりに難しくなった。


 まぁ、天ちゃんみたいに真面目まじめな子には、関係のない話だろうけど。


「食べ物屋さんも結構充実してるんですよね?」

「俺の通ってる所は、まぁまぁ充実してるかな? ラーメン屋に、サンドイッチ屋に、丼もののお店。後、普通にレストラン的なお店と喫茶店もあるから、お昼ご飯選びには困らないと思うよ」


 とはいえ、人それぞれ好みはあるから、外に食べに行く生徒も決して少なくない。かくいう俺も、この前鈴羽と行ったばかりだ。


「香野先輩はどうして、今の学校を選んだんですか?」

「俺の場合、自分が手の届くレベルの学校で尚且なおかつ、学んでみたい学部がある所って感じで選んだから、実はそこまで今の学校に思い入れがあったわけじゃないんだよな」

「なるほど……」

「ごめんね。しょうもない理由で」

「いえ、大丈夫です。とても参考になりました。はい」


 まともなアドバイスが出来ないだけではなく、心優しい天ちゃんに気をつかわせてしまった。これは猛省しなければ。


「うふふ」

「え? 何?」


 突然、口元を押さえて笑いだした天ちゃんに、俺は慌ててそうたずねる。

 なんだろう? 俺今、天ちゃんに笑われるような事したっけ?


「ごめんなさい。香野先輩はやっぱり優しいなって思って」

「優しい? 俺が?」


 一体、何をどうしたら、そんな結論にいたるのだろう?


「だって、今も私の質問に一生懸命答えてくれて、それなのにまだもっといいアドバイスが出来ないか悩んでくれてるじゃないですか」


 やばい。マジで恥ずかしい。どうやら天ちゃんには、俺の考える事など全てお見通しらしい。


「香野先輩がそういう人だからこそ私は、こうして先輩には気軽に悩みとか愚痴ぐちとかを話せるんだと思います」


 そう言って天ちゃんが、ハニカムように笑う。


「天ちゃんはいい子だなぁ」

「もう。そうやってすぐ子供扱いする。先輩と私、二歳しか違わないじゃないですか」

「いや、め言葉だよ?」

「誉めてません」


 そうして、少し頬をふくらませて抗議の姿勢を見せる天ちゃんだったが、残念ながら威圧感とは程遠く、ただ可愛いだけだった。




「せんぱーい!」


 翌朝、大学の校舎内を一人で歩いていると、背後から聞き覚えのある絶叫が聞こえてきた。


 振り返り、迎撃を試みる。


「うるさい」

「あて」


 案の定、小走りでこちらに突っ込んできた鈴羽すずはひたいに、その勢いを利用してチョップを食らわす。反動で鈴羽の体がわずかにのける。


「騒ぐな。走るな。目立つな」

「そんな。私の存在全否定じゃないですか!」


 自覚はあるのか。


「それより聞いてくださいよ!」

「聞いてやるから音量を下げろ」

「はい!」


 おい。


 とりあえず、鈴羽を連れて次の目的地に向かう。


「で、なんだよ。そんな慌てて。大した事ない話だったら、ダブルチョップだからな」

「そうだ。せんぱい、大変なんです。財布がからなんです」

「……」


 よし。これはダブルチョップ確定だな。


「ちょ、待って。待ってください。私にとっては死活問題なんです。だって、お小遣こづかいまで後五日、私はこれからどうやって生きていけばいいんですか?」

「知るか。弁当でも作れ」

「そんなー」


 情けない顔で情けない声を出す鈴羽。


「というか、自業自得だろ」


 自分の財布の中身を考えずにお金を使い過ぎた、ただそれだけの話だ。


「確かにそうですけど……」

「大体、昼飯なら、家にある菓子かしパンでも持ってきて食べればいいだろ?」

「ウチ、菓子パン食べないんです」

「そうか。じゃあ、諦めろ」

「ひどいっ」

「金なら貸さんぞ。トラブルの元だからな」


 正直、千円程度なら惜しくはないのだが、そういう問題ではない。それに一度その手の事をしだすと、キリがなくなるので、どちらにしろ止めた方がいい。


「金は貸さんが、今日の分の昼食代くらいは出してやってもいい」

「ホントですか!」

「ただし、条件かある」

「条件?」


 俺の提案に、鈴羽が首をかしげる。


「明日からは、ちゃんと自分でなんとかする事、今後はこうならないように気を付ける事、そして――」

「まだあるんですか!?」


 まだも何も、ここまでは条件というか、言うまでもなくやらなければならない当たり前の事を言っただけで、むしろここからが本番だ。


「図書館で調べ物をするからそれを手伝え」

「図書館で? そんなのネットですればいいじゃないですか?」

「……」


 これだから現代人は。


「まぁ、今時はそうなんだが。書籍には書籍の良さもあるんだよ。まず正確性が違う」

「正確性?」


 頭の上にクエスチョンマークを浮かべた鈴羽が、首を激しくかたむける。


「出版をしてるという事は、それなりにチェックがされてるって事だろ? つまり、ただネットに垂れ流れてる情報よりかは、間違いが少ない、可能性が高いというわけだ」


 とはいえ、間違いがないわけではないし、チェックがしっかりとされていない場合も少なからずあるので、一概いちがいに安全・安心とは言いがたいが。


「なるほど。という事は、今せんぱいは図書館に向かってるんですね」

「まぁな」


 ちなみに、二時間目の授業は俺も鈴羽も受けない予定なので、時間はたっぷりある。


「ところで、図書館でせんぱいは何を調べるんです?」

「来週提出するレポートの資料を、出来るだけ多く集めておきたいんだ。内容は五感について」

「五感って、あの視角とか聴覚の五感ですか?」

「そう。その五感。とりあえず、五感の相互関係を軸にレポートを書こうと思ってるんだけど、これがまた上手うまくまとまらなくて」


 方向性や漠然ばくぜんとした全体像はなんとなく頭の中に浮かんでいるのだが、それをレポートという形に落とし込む作業に今俺は手間取っている。

 まぁ、ただ体裁ていさいを整えるだけなら、時間を掛ければどうとでもなるので、そこまで焦っているわけではないが。


「大変そうですね」

「だから、こうしてお前に頼んでるんだろ? まさしく猫の手も借りたいってやつだ」

「つまり私は、せんぱいにとって猫くらい可愛いと、そういう事ですね」

「お前はまだ、自分の立場が分かってないようだな」

「すみません。死ぬ気で頑張がんばります」


 さて、後はこの殊勝しゅしょうさがいつまで続くかだが……。

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