第6話 休日(2)

「今日は助かったよ。ありがとう」


 本屋での買い物を終えた俺達は、そのままビルを後にするのではなく、四階まで降り、カフェでお茶をしていく事にした。


 席はそれなりに埋まっていたが、空席はいくつか存在しており、俺達はその一つにテーブルを挟んで向き合う形で今座っている。

 注文はすでに済ませ、現在はそれが届くのを待っているという状況だった。


「まぁ、俺もこんな機会でもないと、こんなとこまで来ないし、何より楽しかったから、その、えーっと、気にするな」

「あぁ、そうだな」


 俺の若干しどろもどろな返しがおかしかったのか、千里せんりが笑いながら、そううなずく。


「しかし、前に言った通り、ここのお代くらいは出させてくれ。そうしないと、こちらの気が済まない」

「分かった。そういう事なら、ここは素直におごられておくよ」


 千里はこういう所は頑固がんこだから、どうせ断っても押し問答になるだけなので、俺もあえてその申し出を拒否しようとは思わない。もしもっと高い店なら、その限りではなかったかもしれないが。


「それにしても、その手の本って結構するんだな」


 大きさやページ数もあるので、一概に普通の本とは比べられないのかもしれないが、俺からしてみれば、気軽に手に出来る値段では明らかになかった。


「需要の問題や発刊数も、値段には無関係ではないのだろう。刀の本よりダイエットとかの本の方が、どう考えても需要はありそうだしね」


 そう言って、千里が苦笑を浮かべる。

 はたから見たら、高い買い物に映るという自覚はあるのだろう。


「まぁ、お金の使い方は人それぞれだし、別にいいんじゃないか」

「ありがとう。ところで、隆之たかゆきは何にお金を使うんだい?」

「お金か……」


 そう言われても、すぐには思い浮かばない。趣味という趣味も別にないし、外食も出来るだけしないようにはしているし……。


「遊びかな?」


 カラオケとかボーリングとか映画とか。そこまで浪費をしているわけではないが、どこで一番お金を使っているかと聞かれれば、やはりそこしかない。


「そうか。物ではなく、隆之は行動にお金を掛けているんだね」

「いや別に、あえてそうしているわけじゃないぞ。結果的にそうなってるというか、他に使うところがないというか」


 あれ? なんだが、急に寂しい気持ちになってきたぞ。趣味の一つもないなんて、本当に大丈夫か、俺。


「お飲み物になります」


 軽く落ち込む俺を、少し不思議そうに見やりながら、店員のお姉さんが、それぞれの前に飲み物を置いていく。


 ちなみに、俺はアメリカンを、千里はキャラメルラテを頼んだ。


「ごゆっくりどうぞ」


 店員がいなくなるのを見計らい、千里が口を開く。


「なかなかいい店だな」

「俺も数回来ただけだけど、結構おしゃれな内装で、女子が好きそうな感じ、だよな」


 実際、以前鈴羽と一緒に来た時は、かなりうれしそうだった。


 カップに手を伸ばす。そのまま口まで運び、一口含む。熱く、少し苦いものが、口からのどへ流れ込んでいく。

 やはりというべきか、大学近くのあのお店のものにはどうしてもおとるものの、普通に美味おいしいアメリカンだ。


「甘そうだな」


 千里の飲む、キャラメルラテを見て、俺はそう言葉をこぼす。


「確かに甘い。けど、そういうものだと思って飲めば、美味しい飲み物だよ」

「なるほど……」


 頷き、アメリカンをもう一口飲む。


 そう言われても、なかなか自分で頼む気にはなれないな。喫茶店では苦い物を頼むのが、俺のルールというか、決まりみたいなものになっている。


「少し飲んでみるかい?」

「うーん……」


 千里のその申し出に、俺は少し悩むそぶりを見せる。

 まぁ、飲まず嫌いも良くないし、試しに飲んでみたい気はするけど……。


「いいのか?」

「あぁ。問題ない」


 もう一度、千里に確認を取った後、カップを手に取る。そのフチに口を付け、中身をすする。


「あっま……」


 苦味も多少あるにはあるが、どうしても甘味の主張が強過ぎて、すぐにその姿を追えなくなってしまう。甘味、恐るべし。


「やはり隆之の口には合わないか」


 苦笑を浮かべ、千里がキャラメルラテを口に運ぶ。


「いや、美味しい。美味しいだけど、俺には甘過ぎるというか、強過ぎるというか……」

「隆之は舌が大人だからな。こういうものとは相性が悪いんだろう」

「舌が大人って……」


 まぁ、言いたい事は分かるけど。確かに、俺は辛さや苦さに強い。わさびが多目の寿司も平気で食べられるし、カレーの辛口も全く問題なく食べられる。鈴羽からはよく「せんぱい、舌大丈夫ですか? 馬鹿ばかになってません?」と言われるが、大きなお世話だ。




 その後、ケーキを一つずつ完食し、千里とは最寄り駅で別れた。


 一人電車に揺られ、壁に体を半身に預けながら、ドアの向こうを見る。


 時間はまだ夕方と呼ぶには少し早い時間帯、これからどこかに遊びに行くつもりはないが、それでもこのまま家に帰るのも惜しい気がする。とはいえ……。


「だーれだ?」


 突然目の前が何かにおおわれ、視界がふさがれる。

 いや、だから、声で分かるっての。


「止めろ、鈴羽。こんな所で」

「おー。マジなやつですね」


 声の調子から俺の本気が伝わったらしく、鈴羽が若干あせった声を上げ、俺から離れる。


 視線を横にやると、そこには案の定、鈴羽がいた。


「奇遇ですね」


 そう言って、鈴羽はにぃっと歯を見せて笑った。


「なんでいるんだよ」

「友達と遊んだ帰りです。せんぱいは?」

「俺もお前と同じだよ」

「おー。またまた奇遇ですね」


 オーバーリアクションで、再び同じ台詞せりふく鈴羽。


 電車の中で吊り革も持たずに、よくそんなふらふらと動き回る事が出来るな、こいつは。その内、こけるぞ。マジで。


「こんな所で会ったのも何かの縁。これからせんぱいの――」

「断る」

「まだ何も言ってないのに」

「言わんでも分かるわ」


 そして、この後の展開も残念ながら分かる。


「えー。いいじゃないですか」

「遠出して疲れるんだよ、こっちは」

「何、ジジくさい事言ってるんですか。そんな事じゃ、花の二十代は乗り切れませんよ」


 なんだよ、花の二十代って。その言い回しがむしろ、ジジくさいわ。


「じゃあ、せんぱいは何もしなくていいんで、せんぱいの家行ってもいいですか?」

「来てどうするんだよ?」

「あ、適当にくつろいでるんで、お構いなく」

「お構いなくじゃねーよ。その言い方だと、すでにもう来ちゃってじゃねーか、俺の家に」


 せめて上がってから言え、そんな台詞は。


「たく、マジで騒ぐなよ。騒いだら即行帰らすからな」

「はーい。騒ぎませんし暴れません」


 手を上げ、元気よくそう宣誓をする鈴羽。


「……」


 心配だ。あまりにもしっかりとした態度過ぎて、逆に心配だ。


 電車が次の駅に到着し、車内の乗客がわずかに入れ替わる。とはいえ、その数は本当に数人程度で、車内に変化はあまりなかった。


「ところでせんぱい、今日は何して遊んできたんです?」

「何してって……。本屋行って、喫茶店でお茶して、解散? みたいな?」

「の割には、手ぶらじゃないですか。何も買わなかったんですか?」

「いや、今日は俺の、というより、友達の買い物に付き合っただけだから」


 別にあえて買わなかったわけではないが、欲しい物も特にはなかったので、結局何も買わずに俺は両方の本屋を後にした。まぁ、俺の買うような物はどこの本屋でも大抵手に入るため、あの店自体にあまり用がないといえば用がないのだが。


「ふーん……。デート?」

「ばーか」


 言って、鈴羽の頭を軽く小突こづく。


「そういうお前は、何してきたんだよ?」

「私ですか? 私は友達と適当に色んなお店ぶらぶらして、クレープ食べて、ぶらぶらして、ケーキ食べて、ぶらぶらして……」

「食べてぶらぶらしてばかりじゃねーか」


 というか、エンドレスか。エンドレスなのか、このローテーションは。


「女の子の買い物なんて、そんなもんですよ。男性みたいに、欲しい物見つけてすぐ買う、なんて事は、確かにたまにはありますけど、そんな事はホントにまれです」

「なんとなくそれは理解してるが……」


 理性と感情は別というべきか、理解は出来ても納得は出来ないというべきか……。


 その時だった。突然、音と共に電車が減速、その後、停車をする。


「わ」


 予期せぬ揺れだったからだろう、それまで器用にバランスを取っていた鈴羽の体が大きくふらつき、前に倒れる。


「――っと」


 危うく、扉に突っ込みそうになった鈴羽の体を、俺は自分から迎えに行き、抱き止めた。


「大丈夫か?」


 胸の中をのぞき込み、そう鈴羽に尋ねる。


「はい……」


 驚きからまだ立ち直れないのか、いつもの鈴羽からは想像出来ない程か細い声が、胸の中から聞こえてきた。


 そして、車内にアナウンスが流れる。


『信号が変わり次第、発車致します』


 信号か。だったら、もう少しすんなり停車させろよな。


「せんぱい」

「ん?」

「あの、そろそろ、離して頂けると有り難いありがたいんですが……」

「あっ、悪い」


 無意識に俺は鈴羽を抱き締めていたらしく、その体をいつの間にか拘束するような形になっていた。


 腕を開き、鈴羽を解放する。


「どうも」


 軽く頭を下げ、鈴羽が俺から離れる。


「もう、せんぱい。ダメですよ、いくら女の子にえてるからって、私の体をいきなり抱きしめたりしたら」

「ちげーよ。お前が転びそうになったから、俺は……」


 とんだ言いがかりだ。


 こうやって、痴漢ちかん冤罪えんざいは出来ていくのかもしれない。まったく恐ろしい所だ、電車という空間は。


「冗談です。ありがとうございます、せんばい。おかげで助かりました」


 そう言って、鈴羽はにこりと笑った。


「あぁ。どういたしまして」


 そして、再び電車が動き出す。


「あ、動いた」


 鈴羽のそんな呟きを余所よそに、俺は扉の外に目をやる。


 流れる景色に薄く映る俺の姿。その顔は、まだ陽が落ちる時間には程遠いはずなのに、わずかに赤く、また表情も幾分いくぶんゆるんでいるように見えた。




【あとかぎ】


 ここまでお読み頂きありがとうございます。

 元気で可愛い後輩は好きですか? 私は好きです。はい。


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