第2話
「今日はこれをやれば終わりだな。」
額の汗をぬぐって、ゆっくりと深呼吸をする。今日もこの町の空気はおいしい。家から持ってきた水筒を一口飲む。これこそが至高の味だと再認識する。親父は仕事の後に飲むお酒以上に美味しいものはこの世に無いと言うが、このキンキンに冷えたお茶に敵うものなんて想像がつかない。
お酒かぁ…。
早く経験してみたいものだ。
木陰で座り込み、そんなくだらないことを考える。これが、最近のルーティンになっている。頬に穏やかな風を感じながら、田舎町をボーっと眺めて過ごすのも悪くない。
唯一の欠点は時間という概念を忘れてしまうことだ。かつては日が傾くまで黄昏れていたこともあった。
僕は勢いをつけて立ち上がり、両手で頬を軽くたたいた。
「よしっ!ラストスパートだ!」
日が完全に落ちた頃には今日のノルマは完全にこなしていた。しかし、僕の一日はこれで終わらない。家族と共に夕食を食べ終えると自室で農学の勉強を始める。
「………」
僕の集中力は凄まじく、一度ゾーンに入ると呼吸することも忘れ、母が定期的に見に来ないと窒息してしまう可能性があるほどだ。
「ゲホッゲホッ。はぁはぁはぁ。」
勉強をするのも僕にとっては命がけのものなのである。
勉強を一通り終えると、僕は一本の剣を握りしめて外へ出る。
これが僕にとってのメインディッシュだ。
そう、剣術の練習である。
農家の後継ぎである僕がどうして剣術の練習をしているのか。それを知る人はいないし、そもそも練習していることを誰も知らないはずだ。そのために夜遅くに練習しているのだから。
練習がひと段落すると、いつもの木の下に座り込み、考え事をする。
夜は比較的真面目なことを。
それは自身の将来についてだ。
両親は僕に農家を継いでもらおうと考えているし、僕もある程度その方向で考えている。しかし、僕には、幼い頃から抱いている夢があるのだ。
それは騎士になることだ。
少年の夢なんて、ひょんなことで生まれて、すぐ新しい夢にとって変えられる。きっとそれが世の中のセオリーみたいなものだ。でも、僕にとってその『ひょんなこと』というのが非常に印象的で深く心に刻み込まれてしまった。そして、その夢は半ば叶えなければならないものとなったのだった。
だいたい十年ぐらい前のことだろうか。
僕は初めて母から町へおつかいを頼まれた。子供にとって一人で外出するというのはどことなく冒険みたいな感じがして、ワクワクするものだ。僕も高揚感のあまりスキップしてこけたことは今でもよく覚えている。誰も見てなくてよかった…。
町へ到着し、言われたものを買い終え帰路につこうとしたとき、路地裏から罵声と叫び声が聞こえた。
今思えば、近くの大人に知らせるのが模範解答だったと思う。しかし、当時の僕はそこまで冷静ではなかった。
すぐさまその声がする方へ走る。そこで僕が目にしたものは、いかにもな感じの不良二人が町の女性に絡んでいた。
「姉ちゃんよぉ。俺たちとどうしても遊べないっていうのかよ。」
「そこまで拒絶されるとさびしいなぁ。」
「やめ…て………。」
声が出ないようにのどを締め付けられている女性の悲痛な顔を見た次の瞬間。
「おい!何をやっているんだ!」
無意識に声が出ていた。
我に返ると、不良たちの怒りに満ちた顔が僕の方に向けられ、初めて現状を理解した。
これは結構やばい。相手は僕より一回り大きい大人だ。勝てるはずがない。
「今、坊やの相手をしている暇はないんだ。」
一歩。二歩。三歩。
不良の一人が僕の方へ近づいてくる。
闘わなきゃ。そう頭では考えているのに、体が指一本も動かない。
四歩。五歩。
そして、とうとう僕の目の前まで来た。こぶしが握られる。女性の叫び声が響く。僕は目をつぶる。歯を食いしばる。
「痛ぇーーーーーー!」
と僕が叫ぼうとするよりも先に、突風が吹いた。
なぜかこぶしは飛んでこなかった。
目を開けると、不良は吹き飛ばされ、気を失っていた。
僕が突風を起こす超能力を手に入れたのか。
そんな馬鹿なことを考えていると、背後からいかつい声が聞こえた。
「大丈夫かい?」
声から予想するに、身長2メートルで筋肉マッチョの大男。そして、顔には鋭い眼光。といった感じのイメージだ。
そして、振り向く。
僕の予想はほぼ正解していた。体格はほぼ僕の言った通りであったが、一番大事な顔がとても優しそうで、笑顔がとても素敵だった。小動物や植物を大切にしてそうな感じだ。なんだか体と顔のバランスが取れてない。
「けがはないかい?」
その大男は剣を懐にしまいながら、そう尋ねる。
「うん、大丈夫。ありがとう…。あなたが僕を助けてくれたの?」
僕は怪訝に大男に尋ねた。
「あと少しで殴られていたからね。少々手を出させていただいたよ。別に怪しいものではないから安心して!」
図体に似合わぬ優しい物言いだった。彼は倒れた女性の方へ歩み寄り、無事を確認したのち、女性を笑顔で見送った。
そして、今度は僕の方へ近づいてきた。
「君はこの町の子供かい?」
「ち、違う。僕は母さんに頼まれたお買い物をしに外からここに来た。そしたら女の人が困ってたから。母さんは困ってる人がいたら助けなさいって言ってたから…」
そこまで言うと、視界がにじみ始めた。安堵感が湧いてきたのだろう。
大男は優しく僕の頭をなで、「すごいなぁ。」「よく頑張ったなぁ。」とありきたりだが、優しく声をかけてくれた。きっとこの人は多くの人を助ける仕事をしているのだろう、と幼いながらも直感した。
空の色もオレンジに変わり、カラスの鳴き声が響き始めた。僕は大男に町の高台に連れてこられた。
「ここは私の一番のお気に入りの場所なんだ。知っているのは君と私の娘しかいないんだぞ。」
その景色は圧巻だった。町の街灯がぽつぽつとつきはじめ、淡い光が薄暗い町の中で輝き幻想的だった。
「そういえば、君の名前を聞いていなかったね。ここで会ったのも何かの縁だし、自己紹介をしようじゃないか。」
泣き止んだ僕は、改まって紹介するのが少し恥ずかしく感じた。
「ぼ、僕はシーシウス…」
どこか満足げに彼はうなづいた。
「あなたの名前は?」
ためらいがちに、僕は尋ねた。
「うむ。名前を尋ねたら、こちらも言うのが礼儀ってやつだな。私の名前はライサンダーだ。よろしくな、シーシウス。」
その名前はどこかで聞いたことがあるように感じた。
「じゃあ、そろそろ帰るか。これ以上遅くなると危ないしな。途中まで送っていくぞ、少ね…いや、シーシウス。」
そうだ、ライサンダー、それは国を守護すると言われている騎士団の団長の名であった。でも、それを口に出したら彼とは会えない、そんな気がした。
「お~い。聞いてるか?」
うまく機転を利かせないと。
「あ、あのっ!」
突然発せられた言葉に彼は驚いたような表情を見せた。
「な、なんだい?」
「僕もあなたみたいに強くなりたいです。今日みたいな思いは絶対にしたくない。だから、僕をあなたの弟子にしてください!」
今から考えれば、この男との出会いが僕に夢を与えてくれたのだった。そして、その夢は今は亡きライサンダーのためにも叶えなければならない夢になっていたのだ。
その後は修行の日々が始まった。とは言っても、僕が一方的に町に出没し、ライサンダーを見つけ出し、彼にしつこくお願いすることからだった。
「しょうがないなぁ。少しだけだぞ。」
そう言わせることができたら僕の勝ちだった(ほとんどライサンダーが折れていた)。そして、いつしか毎週日曜日が修行日みたいになった。僕は彼から多くのことを学んだ。剣の握り方に始まり、騎士に欠かせない馬の乗り方まで。この時の僕は明確な目標もなかった。ただ、日々たくましくなっていく自身の肉体と華麗になる剣術。己の成長を感じるのが楽しかっただけだった。
そして、こんな日々が二年ほど続いたある日。
ライサンダーが珍しく真面目な顔をして、僕に一本の剣を手渡した。
「シーシウス、君はきっといつか誰かのために剣を振らなければならない日がくる。そして、きっとその誰かは私にとってもこの世で一番大切な人だ。そして、君が彼女を救ってほしい。きっと彼女は深い悲しみの渦の中にいるはずだから。」
その日の修行はその言葉で締めくくられた。
そして、その言葉が、僕に対する師匠の最後の言葉となった。
まるで自らの最後を予期していたかのような、そんな言葉だった。
今でもその言葉の真意は全く分からない。
彼と僕の共通の大切な人とは誰なのだろう。
でも、確実に一つだけ言えることがある。
それは、僕はライサンダーの後を追って騎士にならなければならないということだ。そして、それは運命のように決められていることのように感じる。
僕がライサンダーに出会ったその日から。
こうして僕は一人で修行を続けてきた。ライサンダーから教授してもらったことを反芻しながら。
そして、18歳となり、ようやく僕は騎士を選出するための大会である『セレクション・オブ・ナイツ』に参加する権利を取得できた。
「さて、どうしたものかな~。」
夜空に煌々と輝く月に尋ねる。
今、僕の悩みの種はどう両親に大会に参加することを伝えるかであった。
大会に出場さえできればある程度上へ進める自信はある。
それ以上に難しいのは、両親の許可をもらうことだ。両親にはこの夢の話を一言もしていない。この農家の後継ぎである僕がそんなことを言い出したらこの農家は誰が継ぐのだろうか。考えれば考えるほど悩みは増える一方だ。
大会まであと二日。
遅くても明日の夜にはここを出発したい。
「よし、明日の朝起きたらすぐに言おう。」
そう決めると、抱えている悩みを切り刻むかのように剣を振り続けた。
翌朝。
母親の声で目が覚める。いつもは太陽の光と共に起床するのだが、今日はなんだか騒がしい。いつもより二時間ほど早い起床となってしまった。
再び眠りにつこうとするのだが、目を閉じると数時間後に両親に打ち明けなければならない話の内容が頭に入ってきて全く眠れそうにない。ただでさえ、昨晩はそのことを考えていてよく眠れなかったのに、最悪だ。
母さんは何をしているのだろう。
こんな朝早くからやらなければならない仕事でもあるのだろうか。
そこまで家の家計は厳しいのだろうか…。
そんなことを考えているとますます気が重くなる。
「せめて今朝だけでも手伝うか。」
僕は鉛のように重くなった心を奮い立たせ、ベッドから体を起こした。ドアを開けて階段を降りると、親父の声も聞こえた。
何だろう。
両親が二人そろって早起きとか、僕の記憶の中では初めてだ。
二人がいる部屋のドアの前まで来ると、このドアを開くのが非常にためらわれた。もしかしたら子供が聞いたらいけない話をしているのかもしれない。
ガチャ!
ドアを開けようかどうか迷っていると、突然向こう側からドアが開いた。
「わぁ!ど、どうしたの?」
ドアを開いたのは母さんだった。僕も当然驚いたが、ドアを開いたら人が立っているのだから母さんの方が何十倍も驚いただろう。
僕は気を取り直して、どうしたのかを尋ねた。
「ご、ごめん。なんだか騒がしいから何かあったのかと思って…様子を見に来たんだ。」
母さんはやれやれといった感じに僕のことを見た。そして、観念したように言った。
「今日、あんた家を出るのだろう?」
「うん。」
……え?今なんて言った⁇
「そのためにこれを父さんと作っていたんだよ。」
そう言って母さんが僕に見せたのは一着の服、というよりも訓練服のようなものであった。
「最近あんたが寝た後、起きる前に二人で作っていたんだけどね、まさか最終日でバレるなんてね…。」
「いや、ちょっと待って!僕いつ母さんたちに家出ることなんて言ったっけ?」
「まさかお前、隠しているつもりだったのか?」
親父が新種の生物を発見したかのように言った。
「毎日のように夜外出するし、外から声は聞こえるし。果てはあんた自分の部屋のカレンダーに大きく丸つけて『ナイツ・オブ・セレクション』って書いてるじゃない!母さんたちだけじゃなくて近所の方もみんな知ってるわよ。」
バレバレだったようだ。
両親を驚かせる予定だったのに僕が驚かされるなんて想定外だった。なんか必死に隠そうとしてたのが恥ずかしい。ここまでバレバレだとベッドの下に隠してある例の本もばれているんじゃないかとドキドキする。
そして、母さんは遠い目をして話を続けた。
「きっとあんたは悩んでいるんだろ?もし自分が騎士になるなんて言い出したらこの家はどうなるのかとか考えているに違いないわ。確かにあんたがいなくなったら家は後継ぎがいなくなって大変なのは認めるわ。でもね、子供に好きなことをさせるのが親の一番の仕事だと思うし、あんたが幸せになることが私たちにとっての幸せでもあるの。だから、遠慮なんかせずに思いっきりチャレンジしてきなさいよ!」
母さんの声は震えていた。
「そういうことだ。」
簡潔ではあるが親父は力強く言った。
本当に良い両親に恵まれたと心底思った。
「それで、この訓練服はセレクション当日に着るために作ったの。この町は田舎だから服屋さんなんてないからね。少しでもあんたの役に立ちたいって思って作ったの。見てくれは悪いかもしれないけど、衝撃にも耐えられる強度に、汗をしっかり吸い取るようにするとか機能の面には自信があるから。ぜひ使ってね!」
そして、母さんは僕にその訓練服を手渡した。何だかその訓練服は重かった。でも、その重さはなんだか心地よい。まるで服を通して両親の気持ちを認識しているようだ。
両親の期待と不安が詰まった世界で一着の訓練服。
僕は無敵になったような気がした。
そして、僕は口を開いた。
「いいの?僕、セレクション受ければ絶対合格するよ?なんかそんな気がするんだ。多分、一度この町を出てしまったらもう帰ってくることができないような。それでも母さんたちはわがままな僕の言うことを聞いてくれるの?」
両親はお互いの顔を見あって呆れた顔をした。
「ははっ。何をやるにも自信がなかったお前がそこまで言うんだから相当自信があるんだろうな。でも、俺はうれしいよ。お前がそんなことを言えるほどに成長したことを実感できた。それだけでもお前を行かせる理由は十分だよ。」
親父は僕の目を見つめて言った。
「それじゃ、朝ご飯の準備をしようかしら!最後の朝食になるのかもしれないなら、豪勢な朝食にしましょうね!」
母さんはいつものように気合を入れるために腕まくりをして台所へ向かった。水道から流れる水に紛れて母さんが鼻をすするような音が聞こえたのは気のせいだったのかな。
そして、僕は朝食を食べ終え、出発の準備を整えた。
時計の針が午前十時を指した。町を出ようと家を出るとなぜか見送りに町の住民が外に出ていた。ぱっと見、町の住民のほとんどがいる。ここまで広まっていたのかと改めて実感させられる。これからいろいろ気をつけないと…。
「あんた、忘れ物はない?」
「うん、ないよ。それじゃ行ってくるね。」
別れの挨拶はこれ以上ないほどあっさりしていた。もう母さんの顔は見れなかった。胸が締め付けられて歩くこともままならなくなりそうだった。だって、母さんの顔は涙でぐちゃぐちゃだったんだから。母さんの僕を呼ぶ声を僕は最後まで無視し続けた。
僕の最後の親不孝を許してほしい。
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