中
何かが芽生えているのだとはっきり自覚させられたのは、文化祭の最中だったと思う。
文化祭の二日目。普通科の友達のクラスがやってる軽食店を訪れた僕は、なりゆきと交渉の結果、僕もコスプレして校内で店の宣伝をして回ることになった。たまに父さんの友達が経営してるジャズバーでピアノを弾いて小遣い稼ぎしてるとはいえ、飲食代タダってやっぱり魅力的だよね。ここのドーナツ美味しかったし。
で。
「なんで私まで着なきゃいけないの……」
着替えスペースのカーテンの向こうで、さっきに続いて二度目になる科白を
心底困惑しうんざりした顔が、ありありと目に浮かんでくる。多分、遠い目をしてるか目を逸らすかしてると思う。
想像した水野さんの表情が面白くて、先に着替え終えて待っていた僕はつい笑みがこぼれた。
「タダってそれなりに見返りが必要なんだよ、水野さん。ドーナツのためだよ」
「う……そりゃまあ、ここのドーナツ美味しかったからもう一個食べたかったけどさあ……」
「食い気に負けたなら、それなりに働かないとねえ」
「……私にコスプレさせる交渉をしたのは、倉本君だったと思うんだけど……」
おや鋭い。でも君だって結局は了承したじゃないか。責任転嫁は良くないよ。
それに、僕の興味本位だけじゃないんだよ? 僕の友達が、水野さんにもコスプレで広告塔になってほしいって頼んできたんだから。それを聞いて、じゃあ水野さんにコスプレしてもらうのは面白そうだよね、いっそ写真を撮って斎内に送ったら楽しいことになるよねきっとって思っただけ。ちょっとした悪戯だよ。どうせこの程度じゃ、水野さんと
だって水野さんと斎内はお互いに気づいてないだけで両思いだけど、幼馴染みゆえの居心地の良さとか二人の性格とかあって、まだ告白のタイミングを掴めないでいる。どちらかが勇気を出して告白しようとしない限り、急展開なんて考えにくい。少しくらい刺激を与えてあげたほうがいいくらいだよ。
「よっしゃ、できたで」
「あ、ありがとう……」
カーテンの向こうで、着替え終了の声がする。水野さんを着付けを担当してくれた女子は作品の出来に満足のようで、そのはしゃぎように感化されてか、水野さんもまんざらでもないみたいだ。単純な人だなあ。
さて、水野さんはなんのコスプレをさせられたのやら。僕は白い軍服もどきだったけど、このコスプレ喫茶、なんでもありだからなあ……エジプト風の衣装、中世ヨーロッパのピエロ、中国のお姫様。どこから調達したのか、不思議なくらいだ。
あ………………。
二人が出てくる音につられ、視線をそちらに向けて。僕は目を瞬かせた。
矢絣文様の黄土色の小袖、濃緑の袴。結った頭には黄土色のリボン。当然のように編み上げブーツを履いて、手には小袖と同じ黄土色の巾着を持っている。
要するに水野さんは、誰もが大正ロマンと聞いて真っ先に思い浮かべそうな女学生スタイルなわけだ。
可愛い……。
僕の胸の中にまず、その一言がこぼれた。
港での花火大会の浴衣姿は綺麗だと思ったけど、今日の袴姿はまた印象が違う。普段着ない服を着た高揚感なんてない、気恥ずかしさが先立つ表情と雰囲気。袴の裾を握る仕草や僕に向ける眼差し、ゆがめられた唇も、こっちを見ないでくださいと言わんばかりだ。
でもそんなこと、できるわけがない。自然と、胸の中だけじゃなく瑞野さん自身に対しても言葉が出てきた。
「水野さん、よく似合ってるよ」
「あ、ありがと……
「うんホンマ、めっちゃ似合ってるわ! 大正ロマンもののイケメン青年将校さんやで」
水野さんの着付けを担当していた女子は両手を頬の横で合わせ、うっとり顔で言う。その声と雰囲気のテンションの高さで、僕は夢見心地から少しだけ元に戻った。
「ええなあ。倉本君と水野さん、こないして見たらホンマお似合いやわあ」
「いやいや、
「そうかな。青年将校と婚約者じゃない?」
「倉本君!」
ああ面白い。予想どおりの反応で嬉しいよ、水野さん。
水野さんがきっと睨んできたけど、あんまり怖くないから笑って流してみる。それも水野さんの着付けをしていた女子――原田さんにはウケたみたいで、『ホンマに仲ええなあ』と笑っている。
うーん、少々やりすぎたかな。これ、下手するとおかしな噂を流されるパターンだよね。水野さんをからかうのは好きだけど、恋路を邪魔したいわけじゃないし……やっぱり水野さんのコスプレ写真を斎内に送って、ちょっと危機感を煽ったほうがいいかもしれない。彼、がたいはいいのにヘタレだし。
でも……そこまでしてあげるのもなあ…………なんかしっくりこないというか、違和感があるというか。やらなくていいような気がしなくもない。
「ほな、倉本君。これ持って水野さんと一緒にあちこち回ってきてや」
と、原田さんがいかにもお手製といったふうの看板を僕に差し出してきた。コスプレに力を入れ過ぎて力尽きたのか、こっちはどうにも雑だ。切り取った白い段ボールの面にマジックで大きく書いただけって……道理で僕を使いたがるわけだよ。
そんなこんなで着替え部屋から出て、色んな人に注目され声をかけられながら二人で校内をうろついているうち、前へ進めないくらい周りに人が集まってくるようになった。
女の子たちの波からどうにか逃げたところで、僕は少し離れたところにいる水野さんを振り返った。
水野さんは友達を見かけたのか、楽しそうに談笑してる。友達共々、僕に見られてることにまったく気づいてないみたいだ。
…………今のうちかな…………。
僕は軍服もどきのポケットからスマホを取り出すと、水野さんに向けた。彼女も友達も気づいてないうちに、水野さんのコスプレ写真を撮って斎内に送る作業を済ませる。
…………これで送信完了、と。ついでに
さて、あとは僕のスマホから水野さんの写真を消せば――――
そこまで考えながら指を動かしていた僕は、それなのに指が止まってしまった。
水野さんの写真は、二枚撮った。一枚目は構図としてそんなに良くなくて、改めて撮りなおしたから。二枚目は割といい出来で、斎内にはそっちを送りつけた。
だから二枚ともスマホから消してしまわないといけないのに、斎内に送りつけなかった出来が良くないほうも消してしまうのがどうにも惜しい。一枚目だけ消して、二枚目はほうはこっそり保存しておけばいいような気がする。
おかしいな。僕は割と即断即決も有言実行もできるのに。一枚の写真を選択してゴミ箱をタップするだけの作業が、こんなにも難しい。
「……」
まずい気がする。何がどういうふうにかわからないけど、この執着の兆しはよくない。それだけは確信できる。
これは、水野さんと話をしすぎたからかな……梅雨からこっち、彼女によく僕のほうから話しかけるようになってたし。からかうと面白いからって、注目しすぎたのかもしれない。
水野さんや斎内をからかうのにこの写真を使う予定なんてないし、友達の写真を保存しておく趣味なんて僕にはない。要らなくなったものは、捨てないといけない。
そう自分に言い聞かせることに、僕はこのとき、どういうわけか苦労した。
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