伊達政宗と清少納言が来た居酒屋
開店前の居酒屋のカウンターで、詩織は瓶ビールを味わっていた。散歩で疲れた体に染みわたる一杯を飲み干し、店主と名刺の交換をした。自分が求職中であることはなんとなく伏せておいた。
「あんた、有給とって旅行中かい。いいね、サラリーマンって」
「鈴木さんこそ、いいお店をお持ちで」
湘南海岸で会った鈴木智之は、平塚駅のほど近くで小さな居酒屋を経営していた。壁には手書きのメニューと、様々な大きさの魚拓が貼られている。本人が釣ったものだろうか。興味深げに眺めていると、目の前に刺し身の盛り合わせが置かれた。
「つまみにしてくれ。わしも食うからお代はいい」
いただきますと飛びつく前に、詩織は先程の非礼の数々を深謝した。
相模湾で採れたものだろうか、キスやイワシ、アジといった新鮮な青魚の脂が光り輝いて見える。普通に食べるといくら位なんだろうと思いつつ、詩織は質問をした。
「こういう、なんていうんでしょう、過去の文人が携帯電話に入ってる人って、他にいるんですか?」
「この店に、伊達政宗と清少納言が来た」
同じく瓶ビールを手酌でやりながら鈴木が答えた。知らない人が聞けば、泥酔しているのかゲームの話なのか、もしくは両者共にしっかり気が触れているのか判別はつかないだろう。わかることは少ないが、文人のみがいるというわけではなさそうだった。
「やっぱりみんな仲が悪いんですか?」
「わからんが、政宗と清少納言に会った時、うちのは喜んでたなあ。向こうもあんたの姫と違って積極的に喧嘩を売るようなことはしなかった」
「本当にすみませんでした。アンタも謝りなさい」
詩織はカウンターの上に伏せておいたスマートフォンを表に返し、常陸姫に呼びかけた。
「あんなゴキブリ法師といるほうが悪いんです」
「貴族のオタクババアは礼も知らぬか」
鈴木のポケットからも声がした。
「わしが思うに」
鈴木はビールをちびりと飲みながら言う。
「彼らの仲が異様に悪いのは、文人としてのライバルと思ってるからではないだろうか」
「ウジ虫と比べられるなんて失礼でおぞましいです」
「ご主人、あんなもんを高く見積もりすぎですぞ」
ゴミハゲ、クソメスと罵り合うそれぞれ当代随一の知識人たちを無視して、鈴木はイワシを口に運んだ。
「もちろん生前に接点はないが、霊魂になってからなにかあったのかもしれない。まあそれはわしらの与り知らぬところだ」
まあ、それもそうか。イヤホンマイクを抜かなければ今回みたいなヒドイことにならないだろうし、さすがにスマホからは出てこられないだろうから問題はないか。それにしても霊魂とか普通に受け入れるものなんだなあ。詩織は刺し身を完食し、お礼を言った。ビールは一本でやめておいた。
「あんた美味しそうに食べるね」
「美味しかったので、つい。ごちそうさまでした」
詩織は笑顔で応えた。代金を支払おうとしたが、鈴木は受け取らなかった。軒先にのれんを掲げ開店の準備を済ませる。
「旅行が終わったら連絡もらえるかな。もう一度こいつらについて話したいので」
再び礼を言い、詩織は東海道線の下りホームへ向かった。
詩織にとって、鈴木は久々に出会うまともな男だった。坂上の一件から改めて男を白眼視する傾向が強まりつつあった詩織だが、この人は信頼できると直感した。
空は徐々に紫に染まりつつある。今日は箱根の強羅まで行き、温泉旅館で一泊する予定だったので時間的には丁度いい。もし遅くなったとしても、2月のシーズンオフなら飛び込みでも泊まらせてもらえるだろう。
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