パソコン、十二単の少女、菅原家

 夕方の自室。赤ワインを飲みながら詩織は考えた。なんで土曜日の夕方に家で一人酒しなければいけないのか。というかあいつを辞めさせるか私が辞めるか。悪いことをしたわけではないが、顔を合わせづらい。どちらが悪いかといえば。


「…勝手に期待した私が悪いのか?」


 唐突に自己嫌悪に陥る。これは私が会社を辞めるパターンだ、と詩織はため息をついた。何しろ向こうは売り上げトップを誇る営業部のエース。こちらはいくらでも替えのいる事務職。通勤の苦労を考えれば、退職金をもらって近場に勤めるのも悪くない。めんどくさいからそうしよう。

 ノートパソコンを開き、求人情報サイトの閲覧を試みる。


 普段はスリープ設定になっているパソコンが、この日はなぜか電源が落ちていた。電源ボタンを押して、スマートフォンをいじりながらパソコンの立ち上がりを待つ。ワインをどぼどぼとグラスに注いだ。

 必要以上にスマホをいじる癖はなかった。電車に乗っていてもボーッと風景を眺めながら音楽を聴くくらいしかすることがなかった。通勤時のラッシュで押しつぶされそうになりながらスマホをいじっている人を見て、軽い苛立ちを感じることはあった。苛立ちの理由はわかっている。そこまでしてつながっていたい相手がいないことからくる、ただの逆恨みだった。


 詩織はパソコンの画面に目をやった。なぜかいまだに画面は黒いまま、薄っすらと自分の顔を反射している。インジケータランプは点いているので電源は入っているが、画面だけが黒い。反射している画面の中で、何かがひらひらしている。手のひらだった。


「おーい、見えてますか?」


 ぼそぼそとパソコンから若い女の声がした。動画を全画面再生にしていたのか、それとも酔っているのかと詩織は戸惑い、3秒ほど考えたあと、パソコンの強制終了を試みた。


「ちょっとま、待ってください!」


 再びパソコンからくぐもった声がし、雛人形で見るような、色艶やかな十二単をまとった少女の姿がはっきりと映し出された。

 詩織は震える手でワイングラスを机に置き、眼鏡をかけてつぶやいた。

「これ…やっぱり動画…だよね」

「動画じゃないです。詩織、見えてるなら返事をしてください」

 いまや声ははっきりと聴こえ、画面の中の少女は明らかに詩織に対して呼びかけていた。

 これはどういうことか。テレビ電話機能はこのパソコンには備わっていないはずだった。ワインの手伝いもあり、詩織は応えた。

「き、聴こえます。見えます。だ、誰?」

 画面の中の少女は、十二単を引きずるようにして立ち上がった。どう考えても身の丈にあっていない。少女は、今や普通に起動したパソコン画面の目の前まで近づき、早口に喋りだした。


「私は多分、あなたの遠い遠いご先祖様。名前は、とりあえず常陸ひたち姫とでも呼んでもらえれば。知ってるかどうかわからないけど、お父さんは菅原孝標すがわらのたかすえ。ずっと前のおじいちゃんは右大臣。わかりやすくいうと菅原道真」


 こんな少女にご先祖様と言われましても。詩織は口を開け、閉じ、また開けて、

「あの」

 というしわがれた声を出した。

「なに?」

「テレビ電話?」

「違います」

 少女は笑った。詩織はツバを飲み込んだ。口の中がカラカラだった。

「あの」

「なに?」

「け、検索?したいんですけど」

「はーい」

 言うなり少女はパソコン画面の右下へ吸い込まれるように、3頭身ほどの大きさに縮まった。あーこういうイルカのキャラが、昔いたなあ。あれ邪魔だったなあ。うまく動かない指と頭で文字を入力する。

【幻覚 パソコン 十二単】

 3頭身の少女がうつむき、肩を震わせていた。笑っているようだった。

 当たり前のことながら、現在の状況を教えてくれるものなど何一つヒットしなかった。詩織は先程少女が口にした中で、唯一知っている人物を調べることにした。


【菅原道真】


 すぐに情報が広げられた。学問の神様としても知られる、偉大な人物だったらしい。歴史にうとい詩織が名前を知っているだけあって、ものすごい情報量である。

「右の方の別フレームに『菅原氏』ってあるでしょう。それをクリックしてください」

 十二単の少女がフレームとかクリックと言うギャップに戸惑いながらも、何も言わずに詩織は従った。

「そのページの真ん中の辺に書いてある『更級さらしな日記』の作者、それが私です」

 少女は照れたような笑みで自分を指さしていた。

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