地図

 ビラ配りを終えて、部室に戻る。新入生テストを終えた1年生たちはとても楽しそうに、抱えきれないほどの枚数のビラを受け取って帰っていった。

「来てくれる子、いるかなあ」

「どうか来てくれますよーにっ」

 うちの学校は、部活動の数が多い。運動部は上位大会の常連校も多く、入部を前提に入学してくる子もたくさんいる。文化部も例外ではなく、輝かしい活動実績を誇っている部が多い。そうすると、人気の部は大所帯だがそうでない部は数名いればいい方なのだ。私たちが所属する写真部は、創立当初から同好会として活動していたようで、歴史だけはあるのだが部に昇格したのは2年前。昨年私たち4人が入部したときは、先輩たちも先生も1か月はお祭り騒ぎをしているくらいお大喜びさせたものだった。

「先輩たちから聞く限りだと毎年1人か2人だもんね」

「3人いれば、来年以降の廃部の可能性も低くなる…」

「そのためにも、金曜日はがんばろうね。うふふ」

 撮影体験の文学散歩は明後日の金曜日。午前中で授業が終わるため、午後から活動するにはうってつけなのである。残念ながら、先輩たちは模試があり参加できないそうだ。責任重大、頑張らないといけない。

「明日の放課後、最終確認しようね」

「じゃあ今日は解散!」


 めずらしく明るいうちに学校を後にする。一人になり坂を下ってゆくと、大きな木が見えてきた。カロン、寄ってみようかな、開いているといいなと思いながら道を進む。看板はopenになっていた。店内にベルが響き渡る。

「シュガーさん、こんにちは」

「あら、久しぶりね」

 店内には常連のおじいさんが1人、窓際の席でうとうとしながら壁にもたれかかっていた。シュガーさんはいつも通り微笑みながら、カウンターへ座るよう手招きをしている。

「明後日、体験入部をやってみることになったんです」

 腰を下ろし、ここ数日のことを話す。シュガーさんは、ソーダ水を出してくれた。私が高校生だということもあり、「毎回珈琲を頼むには、まだ早すぎる年齢よ」と言って格安で提供してくれる裏メニュー。ほのかに感じられる爽やかな香りは、季節ごとの果物を使って風味付けをしているらしい。その気遣いによって、この年齢にしてはなかなかの頻度で通うことができているのだ。ちなみに、大好きなカフェラテのスペシャルは、自分へのご褒美として2週間に1度までと決めている。そんな客にも関わらず、また来てくれるのを楽しみにしていると言ってくれるシュガーさんは、女神様に見えてくる。

「とても素敵なルートね。私も参加したいくらいよ」

 さすがに高校生にはまぎれられないわねえ、なんて呟きながらシュガーさんがほめてくれた。ソーダ水の氷がカランと音を立てる。

「駅の近くに、アンティークの雑貨屋さんがあるの。お店には異国のランプや置物がたくさん飾られていて、幻想的でとても美しいわ。星見通りから少し入ったところにあるんだけど」

「あ、駅からは星見通りを歩いて海へ行く予定なんです。見つけたいなあ」

「強く願えば、叶うこともあるんじゃないかしら」

続けて、秘密を教えるときのように小声で「売り物ではない素敵なランプもたくさんあるらしいわ」と話してくれたのだった。


 翌日の放課後、『砂浜のアンドロメダ』に登場する場所を記した手書きの地図を印刷した。これだけあれば、部員分と先生に提出する分、参加する新入生の分も足りるだろう。数台あるカメラも、動作を確認してバッテリーを充電。忘れていることはないかとバタバタしながら準備をした。

 そして金曜日。ホームルームが終わってすぐ早足で来たからか、まだ誰も部室に来ていない。窓から外を見ると、続々と1年生が部活見学に向かって歩いている。時計の針は12時ちょうどを指しており、チャイムが鳴った。集合時間は12時半。誰も来てくれなかったらどうしよう、予定を変更してまたビラ配りかな、まだ部登録までは時間もあるし、なんて不安な感情がぐるぐるとめぐる。遠くから騒がしく足音が近づいてくる。

「さすがにまだ誰もいないかー」

「心臓が口から飛び出しそうだよう」

 ドアが開いて橙子と紫音が緊張した表情で入ってきた。その後ろから、静かに歩いてきた翠の髪の毛が見える。みんな落ち着かない様子で、立ち上がったりカメラを触ったりしている。時間まであと5分を切った。

 足音が近づき、ゆっくりとドアが開く。

「あの…撮影体験に来ました」

 緊張した面持ちの1年生が2人、そこには立っていた。

「わー!来てくれたー!ここ座って!はいどうぞ!地図追加で印刷しないと!」

 興奮した橙子がバタバタと案内しているうちに、数名、また数名と1年生が現れて、最終的には8人も集まったのだ。私たち部員が普段使っているカメラと、先生が貸してくれた数台のカメラ、なんとか8台あってよかったと心から思った。

「こここここんにちは、今日はありがとうごじゃっ」

 緊張しすぎてガチガチになっている紫音が、代表で挨拶をする。それを見た1年生からは思わず笑みが漏れ、和やかな雰囲気になった。簡単に自己紹介を済ませ、学校のそばにあるバス停へ向かう。男の子も1人来てくれたようで、翠が嬉しそうに話をしている。バスに乗ること10分、目的地の駅に着いた。

「じゃあ、まずは予定通りごはんにしましょー!」

 駅に併設されたレストランへ入る。広めの店内で500円ランチが人気だと、先生から教えてもらったのだ。

「Aランチ6つ、Bランチ6つお願いします」

 食べながら話をしていると、まだどこの部に入るかを迷っている子が多いようだ。今日の体験の影響は大きそうだ、どうにか頑張ろうと私はひそかに強く決心した。


 1年生は2グループに分かれてもらい、そこに2年生が2人ずつ付く形でルートをめぐることになった。最初は星見通りにある、アクセサリー屋を目標に歩いてゆく。

「素敵な瞬間を見つけたら、とりあえずシャッターを切ってみようね」

 使い方を教えながら歩いてゆく。最初は遠慮がちに撮影していた子たちもだんだん積極的に被写体を探しているようだ、

「先輩、このアクセサリー屋さんにあんなに有名な俳優さんが来たと思うとなんだかわくわくしちゃいますね!」

「ほんと、まさかこんな近くで撮影していたなんてね」

 先輩、と呼ばれて少しくすぐったい気持ちになる。

「ここでは、主人公が恋心を確信する場面なんだ…。ネックレスを手にとって見つめる相手の横顔に、今まで感じなかった気持ちに気がつく…」

 みんなを集めて翠が説明してくれる。そうそう、物語の後半でそのネックレスをこっそり買った主人公が、砂浜で星空を眺めながらプレゼントするんだっけ。

 店主の方には事前に撮影の許可を得ることができていたので、挨拶をして他のお客さんの邪魔にならないように店内へ入る。アクセサリーを撮ることに凝っている子もいれば、映画の人物になりきって撮影をしている子もいる。撮りたいものはみんな様々だ。

 そういえば、シュガーさんから聞いた雑貨屋さんってこの近くなのかな。探したいって言ったらわがままになってしまうかな。いろいろ考えてはみるけれど、好奇心には勝てなかった。

「あのね、翠。この近くに雑貨屋さんがある…かもしれないんだ。この通りの近くってことしかわからないんだけどね」

「雑貨屋…、瑠璃、そこに行きたいの?」

 まっすぐこちらを見て翠に言われると、嘘はつけない。シュガーさんとの話を思い出すと、ついつい笑みがこぼれてしまう。

「少し前に、ある人からそんな話を聞いたんだけど、なんだか気になっちゃって」

「…………………。探してみよう、橙子と紫音にもそう伝えて」

 長い沈黙の後、翠が了承してくれた。

「ありがとう!」

 スキップしたくなる心を抑えつつ、2人のもとへ向かう。無事、2人も1年生たちも「楽しそう」という理由で快く提案を受け入れてくれたので、予定よりも少し時間をかけて星見通りを散策することになった。


 シュガーさんが気に入るってことは、きっと素敵なお店なんだろうなあ。お店の人、どんな人か聞かなかったけど、怖い人じゃないといいなあ。いろいろ妄想は膨らむけれど、まずは、お店を見つけないと。

 何気なく隣の列へ目を移すと、翠と目が合った。気のせいかもしれないが、私を見て、ふわりと、少しだけ笑ったように見えた。

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