砂浜

 家に着いて制服から着替えてベッドに横になる。『夕暮れ時の魔女』の噂を聞いてから約1年。いろいろと探し回って偶然発見したカロン。店主は上品できれいなシュガーさん。もしかしたら、この人が魔女なのかと思いしばらく通っているけれど残念ながらそんな気配は無い。違う喫茶店に行ってみることもあるけれど、カロンの雰囲気が好きで気がつけば…。なんだか自分だけの秘密基地ができたみたいで気に入ってしまったのだ。


 母の声が一階から聞こえた。ごはんの準備ができたから早く来てほしいらしい。階段を降りて席に着く。今日のメインディッシュは春キャベツを使ったロールキャベツ。いただきます、と口に運んでいると妹が話しかけてくる。

「お姉ちゃん、写真部の勧誘はどんな感じ?」

「あー、明後日から勧誘開始なの。新入生テストが終わるまでは勧誘禁止なんだって。何人かはすでに廊下に貼ったポスターを見て質問に来てくれたけどね。部登録が再来週だからそれまで頑張らないと」

「そうなんだ、私も早く高校生になりたいなあ。なんだか楽しそうだもん」

 部登録、再来週。何気ない会話で思い出して考えてしまう。ほとんどの先輩たちは6月末の作品展で活動終了、秋の文化祭で完全に引退になる。そうすると確実に夏休みからは私たち2年生が主体となるのだが、いかんせん人数が少ない。4人しかいない私の代で後輩が入らないことは近い未来の廃部を意味する。それだけは避けなければならない。なんだかどこにでもよくある話だけども。

「何かいい方法ないかなあ」

「楽しそうな雰囲気出すのが一番じゃないのか。バーベキューとか合宿とか企画して。若い人たちの間でSNS映え流行っているんでしょ」

 ビールを飲みながら父が言う。会社の若い人にいろいろ教えてもらってSNSを始めた父は、食べ物の写真を掲載することにはまっているようで撮り方をよく聞いてくる。

「うーん、写真部は別にSNS映えを狙っているわけではないんだよなあ」

 でも、イベントを開催するのはいいかもしれないし明日部員に相談してみよう。食後のアイスをかけたじゃんけんをしながらぼんやりと考えていた。


 いつも通り、なかなかにつらい坂を上ってゆく。パン屋の赤い屋根が近づいてくると、手を振る姿が見えてくる。

「瑠璃―!おっはよー!」

「おはよ、橙子はいつも朝から元気だね」

 待ち合わせているわけではないのだが、ここで合流することが多い橙子は数少ない写真部の同輩だ。明るくて楽しいことが好きな彼女は部内のムードメーカー。先輩たちに声をかけられて意気投合してそのまま入部したという勢いのある子だ。

「勧誘なんだけどさ、何かイベント作ったら興味持って入ってくれる子増えないかな」

「えー、楽しそうじゃん!私絶対参加!」

「参加だけじゃなくて企画から私たちがやるんだよ」

 そんなことを言って笑っているうちに学校に着く。じゃあまた放課後ね、と言ってそれぞれ教室へ入っていく。席について外を眺めて、桜の花びらもあと数枚で終わってしまう様子に少し寂しさを覚えた。


 放課後になり、第二校舎へ向かう。古い床が歩くたびに音を立てる。階段を上った一番奥が写真部の部室だ。木のドアを開けようとすると、まだ誰も来ていないようで鍵がかかっていた。鍵、どこに入れたっけと考えながらバッグを覗いていると、

「あ、鍵…開けるよ」

 聞きなれた声がした。

「翠、ありがと」

 幼馴染の翠は写真部唯一の男子だ。口数が少なく物静かな彼は、図書室の守り人と呼ばれるほど本が好き。比較的自由に活動することができるからという理由で入部している。さすがにここ数日は部登録のこともあるから顔を出してくれることが多い。

「聞いてー!先輩たち、今日課外なんだって」

 そう言いながら橙子が入ってきた。

「私たちで準備頑張らないとね。キャンディー配るなんてどうかなあ?」

 橙子の陰からひょこっと出てきて優しく笑う彼女は紫音。小さくてかわいらしい見た目にふわふわしている言動、しかし成績は学年トップクラスというギャップを持つ。きれいな空を撮ることが趣味らしく、カメラに詳しい。

「キャンディーはちょっとうちの部らしくはないかなあ」

「えー、瑠璃ちゃんまでそんなこと言うの?」

 紫音が首をかしげながら別案を考えている様子を見て、昨日のことを思い出した。

「あのさ、例年最初の活動が歓迎会のカラオケでしょ。それよりも先に、勧誘期間中に撮影体験するなんてどうかな」

「うちの写真部って地味で活動してるかもわからないって言われがちだもんねー。こんなに愉快な先輩たちが待っているっていうのにさー。確かに実際に体験してもらえば私みたいな子がくるかもしれないね」

橙子が口をとがらせつつあれこれ言っていると、めずらしく翠が口を開いた。

「文学…散歩…」

「?」

 3人が頭にクエスチョンマークを浮かべている様子を見て、翠はゆっくりと説明を始めた。

「本に登場する場所を実際に訪れてみることをそう言うんだ。この街をモデルにした物語、いくつか知ってるから…」

「そこに行って写真を撮れば、先生たちに私たち写真部の知的さもアピールできるわけね!私、行く!」

 一番意外な人が食いついてしまったが、確かにいいアイディアかもしれない。やみくもに撮影地を決めるより、もっともらしい理由がある方がやりやすい。

「じゃあ、今日中に案をまとめて明日先輩と先生に見てもらおうよ」

 翠を中心に意見を出し合い、無事にこの企画案が完成したのだった。


 3人と別れ、坂を下ってゆく。木の陰の道の奥に、うっすらと洋館の明かりが見えた。企画が通ったらシュガーさんに話聞いてもらいたいなあ、なんて思いながら家へと急いだ。


 翌日、先輩たちがそろったのを見計らってプレゼンをした。実際は企画案をわいわい話しただけなのだが、紫音が「こういうのってプレゼンって言うんだよね。なんだかわくわくどきどきしちゃうね」なんて言い出したのでこういう状況になった。

 結果を言うと、満場一致で案は可決された。ただ、予想していた通り先輩たちは受験や就職を控えているため、準備も参加も難しいようで、2年生が主体となって行うことになった。顧問の先生からも、自主的な活動として安全に注意してやる分には構わない、しっかり勧誘しなさいとのお言葉を頂戴することができた。

「そうと決まれば、明日配るビラを作らなきゃ。瑠璃、絵描けるよね?」

「瑠璃ちゃんの絵、好きー」

 2人に囲まれてしまったので、描くしかない。橙子はレイアウトで紫音は写真、翠は撮影ルート、そして私が絵を。アナログとデジタルを使い分ける橙子の監督の下で作業はどんどん進んでゆく。めずらしく翠が楽しそうに鼻歌を歌っている。

「翠、なんだか楽しそうだね」

「文学散歩…1回やってみたかったから。海、楽しみだね」

 そう、今回の行き先は海がメイン。この街をモデルにした小説『砂浜のアンドロメダ』は、海沿いの駅から海までをつなぐルートで物語が進んでいくのだ。いくつか他にも選択肢はあったのだが、この小説は恋愛モノで2年ほど前に人気俳優が主演で映画化されて話題になったのが記憶に新しいし、この街の若い子にとって知名度は抜群。文学散歩だけど堅苦しくない、さらに海沿いには撮影地もたくさんある。それを理由に決めたのだった。活動名は翠が推す文学散歩ではなく、簡単に『撮影体験』となったけれども。

「でーきたっ!私、先生に見せてくるね」

「印刷もできたらしてきちゃうね」

 橙子と紫音が部室を出て行った。翠は椅子に座って本を読み始めている。先輩たちはもうみんな帰ってしまった。人数が少ないと、部室はこんなにも広く感じるものなのか。窓から少しだけ見えるグラウンドでは、野球部が後片付けをし始めている。

「男の子、入ってくれるといいね」

 何気なく、そんな言葉がもれた。小さいころから知っている翠がこの部活に入ってくれたのは嬉しかったのだが、他に男子がいないと気にかかることもあるのではないかと心配だった。

「うん。瑠璃…ありがとう」

 そう言って一瞬上げた視線をまた本へ戻した。

「ただいまー!オッケーもらって印刷してきた!」

「職員室にいた先生たち、いっぱいいーっぱいほめてくれたんだよ」

 2人の手にはたくさん印刷されたビラが抱えられていた。

「ありがとね。いよいよ明日だよ、がんばろうね」

 明日の健闘を祈って、解散。辺りはもう暗くなり始めていた。


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