第八話 再発予防

「しかし、妖怪マルウェアも駆除したことだし、これで一件落着かな」

かんなは呆れ顔で立維を見る。

「立維様…妖怪マルウェアを駆除できたからって、事案対応インシデントレスポンスが終わりな訳無いじゃないですか」

「む、そうなのか。不審なメールは確保して、妖怪マルウェアは駆除した。もうこれで安全ではないか」

「それは一時的な話です。また変なメールが来るかもしれませんよ?あと、そもそも何故小間物屋がこんな目にあったか、分かりますか?」

「そんなこと、それかしに分かるはずがなかろう」

立維は真顔で答え、かんなは溜息を付いた。

「まあ、その辺りは市破さまも交えてお話ししましょう。もし良かったらもう少しご一緒にどうですか。先ほどの秘密印シークレットキーのお話もできていませんし」

かんなは市破から奥の間を案内されていた。どうやらそこでもう少し何か話をするらしい。

ヴィムはすでに長屋を辞退し、妖怪マルウェアの攻撃を受けて気絶していた雁は、既に目を覚まして他の丁稚に連れられて台場の方に下がっている。

「良いのか、それは有り難い。しかし事案対応はインデントレスポンス大変なのだな」

立維は草履を脱ぐと、かんなと市破に続いて奥の間に入る。市破が襖を閉めると、三人だけの空間となった。かんなは洋袴の膝をそっと押さえつつ、畳の上に両膝を付くと、両手を左右の腿の上に乗せて市破を見据えた。隙のない正座だった。

「それでは市破様、目の前の脅威は抑え込めましたので、今後の再発予防の話をさせていただきます」

「へ、へい。よろしくお願いしやす」

市破は疲れた表情でキイキイと高い声でと応えた。

「まず、今回の不審なメールですが、いまはこのような怪しげなメールが出回っております。しっかり差出人を確認して、迂闊に開かぬよう、お願いいたします」

「へ、へえ。しかしかんな様、そのメールは材木町の紀伊國屋から来たメールでやした。メールの封印に魔法署名もしっかり付いてやした」

「なぜその魔法署名が紀伊國屋だと思ったのですか?きちんと確認しましたか?」

「へっ!?そりゃあ、あの紋様のは紀伊國屋と決まってまさあ」

「市破様、見た目だけで判断してはなりませぬ。あの魔法署名は恐らく偽物です」

「「偽物」」

市破と立維の声が重なった。

「そうです。今回の魔法署名が本当に紀伊國屋が署名したものなのかどうかは、紀伊國屋の公開印パブリックキーで魔法署名を確認すれば分かります」

公開印パブリックキーで?なぜそうなる」

「立維様、これは先ほどの話に繋がるのですが、秘密印プライベートキーで暗号化した魔法署名は、それと対になる公開印パブリックキーで復号できる仕組みなのです。つまり、秘密印プライベートキーを持っている人だけしか、正しい魔法署名を作ることはできないのです」

立維は唸った。かんなの話について行くのがやっとだったが、何となく分かって来た。

「つまるところ、今回の紀伊國屋からのメールは、魔法署名を偽造した偽物だったのだな。それに気づかずに、市破殿は開封してしまったと」

かんなは頷いた。

「そういうことです。ですから、今後はメールの魔法署名をきちんと確認してくださいまし」

「へえ、分かりやした。今後は気をつけやす」

「あと、丁稚への教育も忘れずにお願いいたしますね」

立維は事案対応がインシデントレスポンスなぜまだ終わりではないのか、やっと実感してきた。今後同じ事が起きないよう、再発予防が必要なのだ。

「そして市破様、実はこれからが本題なのですが」

「へ、へえ、まだ何かおありで」

本題、と聞いて市破は身構えた。

かんなは左のたもとに小さな手を差し込むと、そこから金属の板のようなものを取り出すと畳の上にそっと置いた。

立維は思わずおっ、と声を出し、市破はうっ、と唸った。

「これに見覚えはありますね?」

質問というより、念押しで確認するような口調だった。

もちろん立維には見覚えがあった。仮想空間での解析リバースエンジニアリングで一回、現実世界で一回の計二回、立維の太刀で叩き切ったのだ。

「市破殿、これは何なのだ?」

立維はこの物体が何なのか気になって、市破に問いかけた。しかし、市破は畳を見下ろしたまま、凍りついたように微動だにしない。

部屋に沈黙が訪れ、外の喧騒が微かに聞こえて来る。

沈黙を破って話し始めたのはかんなだった。

「これは、『遺物』です」

「遺物!?遺物とは、あの『遺物の塔』で発見される、魔道具のことか」

「そうですね、市破様」

市破は答えなかった。

市破が答えない理由は立維にも想像がついた。

確か、遺物は全て幕府が厳格に管理していて、魔法奉行の許可無しでは利用できない。

幕府が武士となった者に配る刻印付きの刀の柄もその一つだ。立維は東北藩から配布されたものを使っている。

だが、都にはどこからか密かに入手した遺物が闇市で出回っていた。

(許可のない遺物の売買はもちろん御法度…)

ここで許可無く遺物を扱っていたことを認めてしまえば、市破はお縄ということか。

「遺物は、すべからく今の人間には到底理解の及ばぬ未知の道具。それを迂闊に扱ってしまえば、このような事態が起こるのです」

市破は肩を震わせながら、無言のままこうべを畳の上に垂れた。

「今回の事案は司令官コマンダーからお奉行に報告されます。魔法事案対処組からは、お咎め無しとしていただくよう嘆願しておきます。しかし、再び事案が発生したら」

奉行による直接の裁きという訳か。

市破は額を畳に擦り付けたまま、へへえと返事をしたのであった。

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