第六話 駆除

「は〜」

かんなは力が抜けたかのように、洋袴ようばかまが汚れるのも構わず、土間の土の上に両膝をついた。

立維は小手の打ち込みが終わった後、少しの間残心を取っていたが、妖怪マルウェアが消滅して危険が去ったと判断したのか、軽く血振りをすると太刀を鞘に収めた。

そしてかんなに振り向くと、脱力しているかんなを見てニヤリと笑った。

「何ですか、その笑いは」

「いやなに、大変だったが、色々と得る物はあったなと」

「そうですか。例えば?」

「うん、まあ今は時間が無いから、またいつかな」

かんなは右手を頬に当てて、少し首を傾げた。

「美しいエルフの笑顔とか?」

「またいつかな!」

「…分かりました。私も立維様の魔法を拝見できましたし、とても有意義でございました」

「そうか…だが悪いな、この仮想空間を閉じると、この空間での出来事は全て消える。かんな殿、お主自身もだ」

へ、とかんなは変な声を出してしまった。

「た、立維様、それはどういう…」

「安心しろ、この空間が閉じれば、現実のかんな殿に

「立維様、おっしゃる意味が分かりません!」

立維は意地悪そうに笑うと、部屋に崩れ落ちている雁と、戸口で尻餅をついて震えている市破、それと先ほど投げた脇差を確認した。

「他の皆もだ。全ての物が、それがしが魔法を放った直後の状態に戻る」

「それでは、いま倒した妖怪マルウェアも」

「現実には倒しておらぬ。だが駆除方法は確立した。また宜しく頼むぞ」

そんな、と抗議をしようとしたが、かんなの意識はそこで途切れた。



『おい、かんな、応答しろ!…かんな!立維ぃ!くそっ、どうなってやがる!』

かんなは立維が魔法を放った直後、耳飾りイヤホンから聞こえてきた司令官コマンダーの切迫したような怒声に顔をしかめた。

「こ、司令官コマンダー、どうしました?立維様が戦闘に入ったと先程申しましたが」

『おう!返ってきやがった。おいなに寝ぼけてやがる』

「は?こんな状況で寝てるわけ無いじゃないですか」

『なに言ってやがる、もう拾伍15分は応答が無かったぞ。問題が発生したと判断して、そっちにヴィムを向かわせてある』

かんなは混乱した。つい数秒前にかんながコマンダーに報告し、立維が魔法を発動したばかりではないか。そして妖怪マルウェアは勿論健在だ。

立維は唐突に太刀を鞘に収めると、土間に置いてあった誰かの下駄を左手で拾い、右手で脇差を抜き放ち、左半身で片手脇構えの体勢を取っている。

かんなは正直に言った。

司令官コマンダー、すみません。よく分かりません」

『ああん!?…まあいい、とにかく現状を再確認だ。妖怪マルウェアの駆除はどうなった』

「はい、いまから立維様が」

『いまからだあ!?』

打ち込みに入ります、とかんなが言い終わるより早く、立維が動いた。

左手に持った下駄を妖怪マルウェアの目の前に放り投げ、続いて脇差を妖怪マルウェアの頭上に投擲とうてきする。

その直後、突然下駄が空中で吹き飛び、脇差も妖怪マルウェアの頭に突き刺さる寸前で弾かれた。

(刺さらなかった!)

かんなは弾かれた脇差の軌跡を追い、それが自分に向かっていることに気づいた。

かんなはとっさに反応できず、息を呑んだその直後、

「小手えええ!」

いつの間にか間合いを詰めていた立維が、妖怪マルウェアの右手の甲に上段からの強烈な小手を打ち込んでいた。

かんなの意識が立維の気合いと妖怪マルウェアの右手に移った直後、飛んできた立維の脇差がかんなの両脚の間の地面に突き刺さり、かんなは跳び上がった。

妖怪マルウェアは音もなく崩れ落ちていった。もはや人型を留めていない。

妖怪マルウェアが視界から完全に消え去ると、立維は残心を解いて血振りをした後、太刀を鞘に収めた。

「あれ?もう終わり…?」

かんなは拍子抜けした。立維が魔法を発動してからあっという間の出来事に思われたからだ。

「まあ、そうだな」

立維は曖昧に答えると、かんなの欧国風の洋袴を貫いて土間の地面に突き刺さってしまっている脇差に気づいた。

「おお、すまぬ、弾かれてお主の方に飛んでしまったとは」

「い、いえ、不可抗力です。怪我はありませんから」

二人の会話を尻目に、土間に転がり落ちていた市破は、店の外に出ようと戸を開いた。

だが、戸を開いた途端、外から入ってきた細身で濃い藍色の着物を着た侍にぶつかり、逆に店内に押し戻された。

男の髪は真っ白だった。白と言うか、白銀だろうか。倭国人は全ての人間が黒髪である。明らかに外国人だったが、帯刀を許可されているようで、見た目は侍そのものだった。

「あ、ヴィムさん」

「おう、かんなちゃん、無事か…あ?」

かんなにヴィムと呼ばれた男は、店内にいたかんなの洋袴の足の間の地面に、脇差が突き刺さっているのに気付いた。

ヴィムは白い眉を吊り上げて、近くにいる立維を睨み付けた。

「おい、てんめえ」

ヴィムは一歩前に出ると腰に挿した太刀に手を添えた。立維はその動きを見て、ヴィムがあらぬ誤解をしていることに気付いた。

「ちょ、ちょっと待てヴィム殿、待たれよ」

「待つかよ。てめえ、司令官コマンダーの呼びかけに応答しねえと思ったら…」

「おい、誤解だ、落ち着かれよ」

「俺たちの…」

ヴィムは言葉を区切ると、かんなを一瞥いちべつした後、立維に向かって叫んだ。

「俺たちのかんなちゃんに、なに狼藉ろうぜき働こうとしてんだぁ!」

俺たちの!?かんなちゃん!?

立維の頭に疑問符が溢れたが、いまは考えている余裕は無かった。

「誤解だ!かんな殿、説明してくれ!」

二人の視線がかんなに向く。

かんなは人差し指を顎に当てて少し思案すると、悲しげな表情を浮かべて話し始めた。

「ヴィムさん、先ほど立維様のお力で、何かの物体に感染してしまった妖怪マルウェアを無事に駆除することができました。でも」

「でも?」

ヴィムが詰め寄る。

かんなは横を向いて悲しげに俯いた。

「でも、その後、立維様が仕事の報酬として、私の身体を差し出せ、と」

「てんめえぇぇぇ!」

「嘘だあぁぁぁ!」

完全に血が上ったヴィムは、太刀の鯉口を切って立維を見据えた。

「そして、私が断ったら…この脇差で私の衣服を…」

「切る!」

ヴィムが立維を袈裟斬りにしようと抜刀した時、耳飾りイヤホンから司令官コマンダーの怒鳴り声が聞こえてきた。

『てめえら、いい加減にしろい!ヴィム、状況報告しろ!あとかんな、悪戯はほどほどにしやがれ』

かんなは、はーいと返事をすると、場都合ばつが悪そうに肩を縮めて笑った。

ヴィムは慌てて刀を下ろすと、大きく溜息をついて室内を見回す。

司令官コマンダー妖怪マルウェアは見当たりやせん。店内はさほど荒らされていやせん。店内には、あっしら三人と小間物屋の主人、あと気絶している丁稚がいやす。あと商品の棚の近くに、何か壊された薄い板のような塊がありやす。帳場には隔離装置サンドボックスが転がっていて、そこからメールがはみ出ていやす」

『あいわかった。かんな、立維殿、怪我は』

かんなは地面に刺さったままの立維の脇差を引き抜きながら言った。

「二人とも怪我はありません。私の洋袴が少し切れちゃいましたが」

その途端、耳飾りイヤホンからざわめきが聞こえてきた。恐らく今回の事案の参加者達だろう。

『なんと』

『かんなちゃんホントに大丈夫か』

『かんなちゃんの大事な一丁羅が』

『そんなこたあねえだろ』

『俺が様子を見に』

『おめえら少し落ち着け』

(大丈夫かこの連中…)

立維はかんなから脇差を受け取りながら、内心で呆れた。

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