5 「…知花。」

「…知花。」


 プライベートルームに一人でいた知花に声をかけると、知花は見てた譜面から顔を上げて。


「少しは機嫌直った?」


 笑顔で言った。


 ここ数日、話しかける事もしなかった。

 知花から声を掛けられても、視線を合わさずに返事だけ。

 そんなあたし達を、みんなは心配してたみたいだけど…特に何も言わなかった。



「…この前はごめん。あんな言い方して…」


「ううん…あたしもデリカシーなかったなあって。」


「…あたし…」


「ん?」


 知花の隣に座って、背筋を伸ばす。

 今まで…口に出せなかった想い…



「あたし…ずっと好きな人がいたんだ。」


「えっ…」


 告白された知花は、目を丸くしてあたしを見た。


「…ごめんね。好きな人はいないって、ずっと嘘ついてた。」


「……」


 知花は少しだけしょんぼりした顔になったけど、ゆっくり立ち上がると。


「ちょっと待ってて。」


 そう言って、お茶を入れ始めた。

 その姿を見て、あ…やっぱりあたし、知花の事大好きだな…って再認識した。


 あたしは緊張すると、声が掠れる。

 知花…気付いてくれたんだ。



「はい、どうぞ。」


「…ありがと。」


 目の前に出された紅茶を一口。

 その温かさにホッとしながら、あたしは口を開く。


「あたしって、こんなキャラだしさ…好きな人の事で思い悩んでる姿って、誰にも知られたくなくて。」


「……」


 知花は困ってるような顔で、カップを両手に持ったまま…無言。


「好きで好きで…だけど告白なんて絶対無理で…」


「…どうして?」


「どうしてって…ほら、ね?あたしなら告白しちゃいそうって思ってるでしょ?」


「あ…」


 知花はハッとした顔であたしを見た後、小さく『ごめん』とつぶやいて俯いた。


「本当はさ…あたし、告白も出来ない弱虫なんだよね…」


 告白なんてしたら…

 あたし達の関係は崩れる。

 知花のそばにいたいあたしは、気持ちを飲み込むしかなかった。


「…そうこうしてる内に、その人…結婚しちゃってさ。」


「えっ…」


「あ、言っとくけど、神さんとかあずまさんとかセンじゃないからね。」


 咄嗟に身近にいる既婚者の名前を上げる。


「誰かのものになったその人の事…諦めなきゃいけないって分かってるんだけど…封印してるはずの気持ちは膨らむ一方で。」


 …そう。

 あたしの知花への想いは、状況がどうであれ、そばに居れば居るほど…大きくなった。


 ダメな面を見付けても、それすら愛しくて。

 ああ…あたしがそばで守ってあげなくちゃ。って…思わされた。



「そんな時に、あいつとの事があって…何て言うか…」


「……」


「最初は、あたしにしては珍しく…楽しく話せる男が現れたって思ったの。なのに…目が覚めたらあんな事になってて…」


 知花が悲しそうな目であたしを見る。

 …そんな目しないでよ。

 って、あたしがさせてるんだけどさ…


「すごく、腹が立ったし…情けなかった。あたし、何してんのって。あいつの事、絶対許せないって思った。でも…記憶が無くなるほど飲んだあたしにも、非は…ある。」


「…聖子、無理しなくていいよ。あたし、無神経な事言ったけど、やっぱり…」


「ううん。あたし、あいつと話してみようと思う。」


「…え?」


「あいつの事、何も知らないし…もし何か誤解があるままだとしたら、後味も悪いしね。」


「……」


 あたしが少しだけ口元を緩めて言うと、突然知花が…


「…え…っ?」


 横から、あたしを抱きしめた。


「…ち…知花…?」


 ふざけてあたしから抱きしめたりする事はあるけど…

 こんな風に、知花から…想いのこもった抱擁なんて…



「…聖子、ごめんね…」


「…何…何謝って…んの…」


 やだ…

 心臓が…


「あたし、聖子の事…強いって思ってたし、恋してる事も…気付けなかった…」


「……」


 気付けなくて当然よ。

 て言うか、あたし…ちゃんと隠し通せてたんだな…

 …良かった。


「あたしは、聖子がいなかったら…ここまで来れなかったし、幸せにもなれなかった…」


「なー…何言ってんの?」


「本当よ?あたしの幸せは…聖子がいてくれたから…だもん…」


「……」


「なのに…ごめん…あたし、親友として…全然役立たずで…」


「…知花…」


 知花の背中に手を回す。

 柔らかい赤毛に頬を寄せると、ふんわりといい香りがした。


「…あたしは、知花の自慢の親友でいたくて…勝手にこんな性格になっちゃったんだから…」


「あたしが、そうさせたんだよね…?ごめんね…聖子…」


「バッカ。何言ってんの?」


 笑いながらも…目には涙が浮かんでしまう。

 ああ…

 あたし、余計な事言っちゃったかな…


「…聖子、大好き…」


「……」


「大好きよ。だから…これからは、もっと…あたしの事も頼って…?」


「……」


「頼りない親友かもしれないけど…あたし…聖子の事、本当に本当に、大事だから…」


 知花から…

 夢のような言葉が…


 あたしは感動に震えながら、知花の背中に回した手に力をこめた。


「…あたしだって…知花の事、大事で大事で…大好きでたまんないよ…?何なら…愛しちゃってるもん…」


 涙交じりの声で、少しふざけながら言ってみる。

 すると、知花は顔を上げて。


「…あたしだって、愛してるよ。」


 あたしの目を見て…そう言った。


「……」


「あたしの親友として、聖子以上の人はいない。だからあたし…もっと聖子のために何かしたいの。」


「…知花…」


 左目から、涙がこぼれて。

 それを見た知花は、優しくあたしの頬に触れた。


「…今まで、ずっと強い聖子でいてくれてありがとう。でも今からは…弱い聖子もあたしに見せて?」


 ゆっくりと、引き寄せられる頭。

 されるがままにしてると、あたしの顔を胸に抱いて…頭を撫でてくれる知花。


 …何なの…これ。

 何なの…


 知花の『愛してる』が、あたしのそれとは違うとしても。

 あたし…最高の言葉をもらったよね。


 今まで、弱いあたしなんて、見せたくなかった。

 だけど知花はそれを望んでたなんて…



「浅香さんと話してみるって決断…すごい。でも、それも一人で悩んでたんだよね…手伝えなくてごめんね…」


 頭上から降って来る知花の声。

 あたしのために何かしたいって…思ってくれてるだけで嬉しいよ。


「…神さんから、何か聞いた?」


 少し怖い気もしたけど、香津での一件が気になって…弱々しく問いかけると。


「聞いた。」


 珍しく、知花が少し怒気を含んだ声になった。

 ん?と思って顔を上げると。


「千里から、聖子を誘って香津こうづに行ったって聞いて、怒っちゃった。」


「え…な…なんで…?」


「あたしだって、一緒に行きたかったのに。」


 ぷう、と頬を膨らませる知花。


 あたしは、その知花の顔を見て…


「ふふ…ふふはは…あはははははは!!」


 何だか…

 すごくスッキリした気持ちで、笑う事が出来た。


「もうっ…そんなに笑う?」


 知花が唇を尖らせる。

 …あーあ、もう…

 神さん、心配だろうなあ…こんな可愛い子がさ。

 まあ、知花はあたしだから安心しきってるのかもだけど…

 あたし、知花に関しては本当、いつケダモノになるか分からない心理状態なんだからね…?


 …こんなに親友として愛されてちゃ、そんな事出来ないけどさ…



「だって…っ、あはははは。もう、知花可愛い。愛し過ぎる~。」


 今まで通り、ふざけて抱きしめる。

 だけど気まずい後だから、たっぷり愛の言葉も使いやすい。

 あたしは本気で言ってるけど…冗談にしか聞こえないよね。



 …うん。

 いいんだ。

 これで。



 …いいんだ。



 * * *



「浅香さん?んー、一度も喋った事ないなあ…」


 とりあえず、本人と話す前にリサーチを開始してみた。

 まこちゃんはスタジオ階に入り浸る人だから…もしかしたら、あいつと接点あったりするのかなと思ってたんだけど…


「僕、挨拶しても目も合わせてもらえないし、嫌われてるのかもって思ってたんだ。」


 ああ…何だろ。

 いいイメージ湧かない。


「でも、父さんと話してる時にそれを言ったら、『京介は俺達にも目を合わせず会釈ぐらいしか出来ない超人見知りだ』って。」


 …神さんが言ってた事、本当なんだ…


「でも、いい大人が挨拶も出来ないほど人見知りって…どうなの。」


 あたしは唇を突き出して首をすくめたけど。


「うーん。だけど悪いイメージはないかなあ。」


 まこちゃんは、笑顔で首を傾げた。


 …なんて言うか…

 あたしの親友たちは、なんでこう…可愛いかな。

 まこちゃんなんて、男なのに。

 あたしより可愛いって何それ。



 それから、からかわれる気がして嫌だったけど…光史にも、聞いてみた。


「俺はズバリ、嫌われてる気がする。」


 二人きりのルーム。

 光史はシンバルの手入れをしながら、あたしの『浅香京介と仲いいの?』に答えてくれた。


「え。何で。」


「…おまえと仲いいからかな。」


「何よそれ。」


「いやマジで。」


「……」


「でも俺は好き。」


「…は?」


「浅香さん、いい人だぜ?」


「……」


 何をもってそう断言するのか。

 だけど、我が幼馴染の言う事は…


 意外と確かだ。


 いつも。



「…光史は…あいつがあたしの事好きだとか思ってんの?」


 不貞腐れたように問いかける。

 なんで…神さんも光史も、そんな風に言うのかな。

 そりゃあ、知花の結婚式の日…楽しくは話したけどさ。

 そんなの言ったら、光史も、陸ちゃんもセンもまこちゃんも。

 みーんな、あたしを好きって事に…



「え?そうじゃないのか?」


「は?何でよ。」


「普段は目を合わせてくれない浅香さんが、おまえの事だとしっかり目を見て話してくれたから。」


「なっ…」


 光史の言葉に、なぜか赤くなった。

 自分でも驚いて…眉間にしわが寄る。


「なっ…何それ…いつ…いつあいつと話したのよ…!!」


「…おまえが弦で手切った時。医務室出たら浅香さんがいた。」


「あっ!!」


 そうだー!!


「あんた余計な事をー!!」


 ずっと言ってやろうと思いながら、言いそびれてた(て言うか忘れてた)!!

 わざわざあいつに、あたしのお守を頼むなんてー!!


 ポカポカと光史を叩く。

 …赤くなってる気がして、それを誤魔化すためでもあるんだけど。


「いっ…いてててっ。バカ、おまえ力あり過ぎ…おいっ。」


 額を張り倒される感じで距離を取られた。

 光史は頭をブンッと振って。


「俺、余計な事なんてしてないぜ?おまえのためだと思ってした事だからな。」


 何なら…少し説教口調で、斜に構えて言った。


「……」


「それに、おまえ倒れて浅香さんに運んでもらったんだろ?全然余計な事じゃねーじゃん。」


「それはー…でも!!」


「何なんだよ。面倒くせーな。あれを余計な事って言うなら、何で浅香さんがどんな人かなんて聞いて来るんだよ。」


「う…っ…それ…は…」


「好きとまではいかなくても、気になってんだろ?」


「だ……」


「浅香さんの事、気になってるんだよな?」


「……」


 念を押すように二度も言われて。

 あたしは…口をつぐんだ。


 気に…なってるかって言われたら…



「…ねえ。」


「あぁ?」


 光史は本気で少し面倒くさかったのか、いつもより口調が乱暴になってる。

 ここは…

 仕方ないから…素直になろう…。



「…もし、さあ。」


「何。」


「もし…本当に、あいつがあたしを好きだとしたら…あたし、どうしたらいいのかな。」


「はあ?おまえバカ?」


「…うわ、ムカつく。その言い方。」


「だって、バカだろ。そう悩む時点で気になってんだろ?イヤなら『どうしたらいいか』なんて考えねーよ。今までおまえがふって来た男同様、『興味ない』で終わりだろ。」


「……」


 あ。と、口が開いたままになった。

 そうだ…あたし、今まで言い寄られても、当然誰にも興味が持てなくて。

 告白されたら『興味ない』ってバッサリ。

 それでもしつこく頑張って来る人に関しては…大嫌いになってた。


 …身近にいたじゃない。

 我が従姉、瞳さんの旦那になってる…東さん。

 しつこく言い寄られて、ほんっと苦手だった。


 だけど…



「…あいつの事も…苦手っちゃー苦手なのに…」


 自分で自分に問いかける。

 実際、顔も見たくないって思って…暴言を吐いた。

 知花に八つ当たりした事を反省しなかったら…あいつと話してみようって気にはならなかった。

 …神さんに余計な情報を入れられたからってのもあるけど。



 …余計な情報…

 あたし、いつも人がしてくれる事に対して『余計な事』って言ってしまってる。

 でもそれって、あたしを想ってしてくれてる事の方が多いよ…

 あー…

 あたしって…

 心まで鉄の女だー。



「…浅香京介を調べて来る。」


 そう言って立ち上がると。


「調べるって……ま、自分の納得いくようにやれよ。」


 光史はあたしの背中をバーンと叩いた。


「いたっ!!」


「さっき12発殴られたお返し。」


「…細かい男は嫌われるわよ。」


「そうか。それなら俺もたまには努力してみよう。」


 幼馴染の不思議なコメントを背に、あたしは無言でルームを出た。



「……」


 …光史が努力?


 例の…拾って帰った女の子の事かな…?

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