4 「聖子、もういいの?」

「聖子、もういいの?」


 三日ぶりの事務所。

 ロビーであたしを見付けた知花が、駆け寄って来た。

 …うーん…朝から可愛い。



「うん。心配かけてごめん。」


「手、大丈夫なの?」


「平気よ。もう、かさぶたになっちゃった。」


 知花と話しながらエスカレーターに乗ると、前方で京介が女に囲まれてた。


「……」


 あたしが知らん顔してると。


「いいの?」


 知花が小声で言った。


「何が。」


「浅香さん。ちゃんと、お礼言ったの?」


「お礼って、何。」


「もう、運んでもらったじゃない。」


「頼んだ覚え、ないもの。」


「聖子。」


「イヤなの。あいつと話すの。」


 エスカレーターが上りきって、あたしと知花がエレベーターの前に立つと。


「あ…」


 京介が、あたし達に気付いて振り返ったのが視界のすみっこに入った。


「…もう、いいのか?」


 らしくない声で、そう問いかけられて。


「…ええ、とっても。おかげさまで。」


 前を向いたまま、そうとだけ答える。


 京介と女たちが待ってたエレベーターに乗り込むと、視界からその塊が消えたおかげで安堵の溜息が漏れた。


「聖子、お礼くらい…」


「イヤ。」


「……」


 あたしの即答に、知花は黙ってしまった。

 何だか、知花に八つ当りしてしまったみたいで、少し反省。



「聖子…」


「ん?」


「確かに、あんなことがあって浅香さんを許せない気持ち…わかる。あたしだって、思い出すと頭にきちゃうもの。ほんと…訴えてやりたいぐらい。」


「……」


「でも浅香さん、聖子のこと本気で心配してくれてる。それは、あたしだってわ分かるよ。」


 あたしは知花を振り返る。


「…じゃ、知花は…倒れたあたしを運んでくれたことで、あの夜のことはチャラにしたら?って思ってんの?」


「そんな!」


「……」


「……」


「もう、いい。」


「聖子。」


 あたしは知花を置いて、来た道を戻る。


 …わかってる。

 大人気ないって。

 でも、どうしても許せないし、信じることなんてできない。

 どうせ賭けに決まってる。


 あたしのこと好きだなんて、嘘に決まってる。



 * * *



「何怖い顔してんだ?」


 一旦ロビーに下りた物の、考え直してルームに行く事にした。

 …でもやっぱりバツが悪くて、スタジオ階であてもなく歩いてると。

 自動販売機の前に立ってる光史が、笑顔であたしに言った。



「…生まれつきよ。」


「体調どうだ?」


「体調はいいけど、機嫌は悪い。」


「…みたいだな。」


 光史は前髪をかきあげて。


「何イライラしてる?この間からずっと。」


 そう言って、長イスに座って隣をポンポンって叩いた。


「……」


 あたしは無言で隣に座る。



「おまえらしくないな。何か引きずるなんて。」


「…あたし…」


「ん?」


「自分が大嫌い…」


「…何があった?」


「知花に…八つ当りしちゃった…」


 うつむいて小さく言うと。


「八つ当りの原因は?」


 光史が、足を組みながらあたしの顔を覗き込んだ。


「……」


「浅香さん?」


「…え?」


 目を丸くして光史を見る。


「最近、浅香さんと何かあったんじゃないのか?」


「ど…どうして…」


「やけに浅香さんが聖子の周り、ウロウロしてるから。」


「……」


「何か飲むか?」


 光史は、立ち上がって自動販売機の前に立つと。


「お、紅茶の種類増えてるぜ。おまえ、アッサムが好きだっけ。」


 って、ボタンを押した。


「…知花の結婚式の日にね…」


「ああ。」


「あたし、あいつとわかんなくなるくらい飲んでさ…あ、サンキュ。」


 光史が紅茶をくれた。


「目が覚めたら、あいつんちにいた。」


「へえ…」


「あいつ、あずまさんと賭けしてたのよ。あたしのこと落とせるかどうか。」


 右手のキズが、少し痛む。


「あたしがバカだった。知花が結婚して…知花が幸せならいいなんて自分で自分を納得させてるつもりだったのに…寂しくて、あんな奴と…」


 あたしの言葉に、光史は小さく笑って。


「俺さ…」


 口を開いた。


「?」


「俺も、アメリカからこっち、知花に少しばかり惚れてた。」


「…うん。知ってる。」


「だから、おまえの気持ち、わかる。俺も寂しくてさ…あの日、陸と遅くまで飲んで、次の朝目が覚めたら…」


「…覚めたら?」


「隣に知らない女がいた。」


「…知らない女?」


「ああ。拾って帰ってた。」


 光史は苦笑い。


「でも、何か…心地いいんだ。そいつ、結構謎の女だったりするけど…」


 そう言った光史の顔は、何だか今までより優しく見えた。

 …こんな顔するなんて…

 きっと、いい出会いだったんだな…



「…いいね。いい子と知り合えて。」


「おまえ、浅香さんに惚れてんじゃないのか?」


「ばっ…!」


 あたしは目を見開いて。


「ばか言わないで!何であたしが!」


 つい、大声で言ってしまった。


「おまえ、戸惑ってんだよ。」


 あたしが憤慨してるのに、光史は落ち着いた声。


「…戸惑う?」


「今まで男好きんなったことないだろ?だから、調子狂ってんだよ。」


「な…何言ってんのよ…あたしは、あいつのことなんて大嫌い。」


「おまえ、大嫌いな人間のために、イライラするような奴じゃないだろ?」


「……」


 目を泳がせてしまった。


 あたしが…あいつを好き?

 そんなこと、あるわけない!


 あたしは紅茶を一気に飲むと。


「絶対、嫌いなんだから!」


 そう言って立ち上がる。


 そんなあたしを見た光史は、首を傾げてあたしを見上げて。


「ま、そのうち気付くさ。」


 って小さく笑ったのよ…。



 * * *



「よ。」


 あれから数日。

 普通に過ごしてるけど、ずっとモヤモヤしたまま。

 知花は時々何か言いたそうにするけど…それを言わせないのがあたし。

 …八つ当たりした事、謝ってもいない。



 親友って言いながら、あたしは知花に胸の内を明かす事も出来ない。

 本当は、何にどう腹を立ててるのか。


 そして…普通の親友同士なら打ち明け合うであろう、好きな人の事も。



「…知花なら、もう帰りましたよ。」


 ルームを出ると、そこに神さん。

 不機嫌そうに、低い声でそう言うと。


「おまえ待ってたんだよ。飯でも食いに行こうぜ。」


 神さんは、笑顔。


「……」


 …あたしと、飯?

 もう、どう考えてもおかしいでしょ。

 あいつの事だ…って思うと、余計モヤモヤが膨らんだ。

 それでも、知花の旦那だから…断るのはやめた。



「おまえ、何食いたい?」


「…何でもいいです。」


 神さんの問いかけに、ぶっきらぼうに答えると。


「じゃ、香津に行こ。あそこのナマコ美味いんだよな。」


 あたしの仏頂面とは裏腹に、神さんは笑顔。

 …昔は全然笑わない人だったのに。

 年取ると…

 …ううん。

 知花と、子供達のおかげ…か。


 しばらく黙って歩いてると、神さんは行き着けらしいその店の暖簾を指差して。


「酒好きにはたまんない店だぜ。」


 って笑った。


「いらっしゃ…あ、神くん、予約してた?」


 お店の中に入ると、店の主人らしき男の人が神さんとあたしを見て。


「おっ、奥さん以外の女の子は初めてだね。」


 って神さんを茶化した。


「座敷空いてる?」


「空いてるよ。一番奥の間に上がって。」


「おまえ、生でいい?」


 キョロキョロと店内を見渡してる所に神さんに問いかけられて、慌ててうなずく。


「じゃ、すぐに生二つ。あとでナマコも。」


「あはは、わかってるよ。」


 歩き出した神さんについて、座敷に向かう。

 …なかなか、風流なところだな。

 長い廊下、庭はちょっとした庭園になっている。



「いい店だろ。」


 座ってすぐ、神さんが言った。


「うん…」


「高原さんに連れて来てもらったんだ。」


「神さんでも外食することあるんだって、ちょっと意外。」


「昔は全然できなかったんだけどな、好き嫌い多くて。でも、知花が食えるようにしてくれたから。」


「知花って、本当にいい女よねー…」


 あたしが気の抜けた声でつぶやくと。


「おまえも負けてないぜ?」


 神さんは鼻で笑った。



「…で、今日は…どうしたんですか。」


 座ってすぐにビールが到着。

 あたしは神さんと乾杯しながら問いかけた。


「ま、美味いもんが並んでからだな。」


 …絶対、あたしにとっては嫌な話だ。

 だったら、美味しい物なんて食べてる場合じゃない。

 そう思うけど…



「うわ、何これ。美味しい。」


「だろ?ここの料理、知花の次にハズレがねーんだよな。」


「なるほど。あたしも今度母さん連れて来よう。」


 神さんおススメのナマコもそうだけど…

 魚の煮付けも、季節の蒸し野菜も、上品な味のお吸い物も、あたしの大好きな肉料理も。

 どれも絶品!!


 神さんがビールから日本酒に変えた頃、あたしは…少し自制しようとしたんだけど…


「うはー。マジで美味いな。」


 目の前で美味しそうに飲まれると…


「…じゃ、あたしも少しだけ…」


 ま、相手は神さんだし。

 間違いなんてないから…いいや。って事で。

 日本酒を口にした。



「まだ許せないか?」


「…え?」


 香津で食べて飲んで…二時間ぐらいが経った頃。

 話題は、SHE'S-HE'Sのアルバムの話から…急に変わった。



「確かに、あいつがした事はサイテーだけどな。でも、今のあいつは本気で聖子に惚れてると思う。」


「……」


 そんな事言ったって。


 持ってた御猪口を置いた。

 まるで、あんな事があったのに飲むのか。って目で見られてる気がした。

 そして、あんな事があっても飲めるなら、許してやれよ。とも。


 …本当は分かってる。

 そんな事になるほど、飲んだあたしも悪かったって。

 でも…あたしは、どんな顔であいつに抱かれたって言うの?

 知花の事だけを、ずっと好きだったのに。

 酔っ払って、どんな顔してあいつに抱かれてたって言うのよ…


 考えるだけで、おぞましい。



「でも、ま…女にとっちゃ一大事だろうからな…」


 その言葉に、あたしの中の何かが切れた。

 知花の初めてを…無理矢理奪ったクセに…!!


 ダン


 勢いよくテーブルに手をつくと、自分でも驚くほど大きな音がした。

 それでも、目の前の神さんは、驚いた風でもなく…

 真顔で、あたしを見る。



「…神さんも、あいつと同じだもんね。」


「は?」


「知花の事、無理矢理だったんでしょ?」


「…ああ、そう言われると、そうだな。」


「だから庇うのね。」


「……」


 神さんは面倒くさそうに前髪をかきあげる。


「だから、簡単に許せなんて言うんでしょ。知花だって、そう。自分が無理矢理されたのに…結果幸せだから、それとこれとは別みたいにさ…」


「……」


「何なのよ…許せるわけ、ないじゃない…」


 あたしの中の、ドロドロした気持ちが…出したくないのに口から出て行く。

 知花の大事な人に。

 知花を非難する言葉まで。

 ああ…もう…



「…き…だったのに…」


「…?」


「好きだったのに…知花の事、ずっとずっと、ずーっと、神さんよりも前から、誰よりもあたしが、知花の事、好きだったのに!!」


 ダン


 両手をテーブルに置いて、突っ伏す。

 溢れた想いを、知花にじゃなく…その最愛の人に向けてしまうなんて。

 ああ、あたしバカだ。

 ほんっとーに、バカだ。



「…おまえ、それ本気で言ってんのか。」


 頭上から降って来る声は、少しだけ驚きも含んでた。


「…嘘でこんな事言えると思ってんの…」


 顔を上げないまま、あたしはつぶやく。


「ずっと…知花だけ見て来た。だから…知花が幸せならそれでいいって思う反面…苦しくて悲しくて…知花が泣くたびに…神さんの事、憎くて…」


「……」


「…こんな気持ち…知られたら友達でいられなくなる…だけど…そばにいたら…独り占めしたくなる…」


「……」


「この気持ち…隠して…抑えて…抑えこんで……」


 …なのに。

 抑えきれなかった。

 こんな事で、溢れてしまうなんて。


 一度口をついてい出てしまった想いは…止められないって初めて知った。



「…京介がさ。」


「……」


 あたしが突っ伏したまま、想いを吐き出してると言うのに。

 神さんは、構わずあいつの名前を出す。



「…あいつ、急にアメリカの事務所でスタジオミュージシャンやるって言い始めてさ。」


「……」


 え?


「また気まぐれで物言いやがってって笑ってたんだけど、今日高原さんがルームに来て…京介が抜けてもいいのかってさ。」


「……」


「ま、俺らはツアーの予定もないし。あいつが気が済むようにすればいいとは思ってるけど…」


「……どこまで勝手な男なんだろ。バンドの事も考えないで。」


 ゆっくりと体を起こして、おしぼりで涙を拭く。

 …何だか、少しスッキリしてる気がするのは…気のせいかな…



「…あいつってさ、すげー誤解されやすい奴なんだよな。」


「そーですか。」


「すげー人見知りで、未だに俺と二人で飯も行けねーし。」


「……」


 さすがにそれには眉間にしわが寄った。

 あいつと神さんって、バンドメンバーでしょ。

 ご飯ぐらい…


「それに、俺もあの時は頭に血が上って殴っちまったけど、よくよく考えたら…京介が酔っ払った女とやるとは思えねーんだよな。」


「…いつも女いっぱいいるから…わざわざ酔ってる女となんかやらないって事…?」


「あー、確かにいつも女連れて歩いてるけど、あいつ、目も合わせられねーんだぜ?」


「……」


 ん?

 どういう事?


「…取り巻き…よね?」


「女達の方が、誰が京介を落とすかって必死になってる系のな。」


「……」


「ルームでアズと賭けしてたのだって、アズと俺からしてみれば『また京介が酔っ払って大口叩いてる』ぐらいにしか聞いてなかったしな。」


 パチパチと瞬きを繰り返す。


「それに、あいつ言ってたんだぜ?」


「…何を…」


「七生聖子って、いつも凛としててカッコいい女だけど、本当は誰かに守って欲しいんじゃねーかなって。」


「……なっ…に、それ…」


 そんなの…

 そんな事って、ない!!


「あたしは…っ!!」


 立ち上がりそうになった所を、神さんの手で制される。


「京介自身はやったって言ったけど、おまえは覚えてない。そのうえ、最近の京介の言動を見ると…やましさたっぷりなんだ。」


「そりゃ、やましいに決まってるじゃない!!」


「いや、だから…嘘ついてますって顔だよ。」


「…嘘?」


「だから、確かめてみろよ。」


 神さんはあたしに向かって人差し指を向けると。


「京介が本当に酔っ払ったおまえとやったのか。そしてー…本気でアメリカに行く気なのか。」


 以前見た鋭い目が、あたしを射抜いた。


「……」


「あいつ、一度大事にするもの見付けたら、ずっと大事にする奴だと思う。」


「…どうしてそう言えるの。」


「今まで大事な物がなかったからだよ。」


「……」




 それから少しして、あたし達は香津を出た。


「あの…」


 前を歩く神さんの背中に、声を掛ける。


「あ?」


「…あの…あたしが言った事…」


「…知花への気持ちの事か?」


「……」


「心配しなくても言やしねーよ。」


 ホッとして溜息を吐くと。


「どーりで…おまえって最強のライバルだって思ってたんだよな…」


 神さんは、あたしを振り返って額に軽いパンチをして来た。


「…知花の最愛の人に最強のライバルって言われるなんて、光栄だわ。」


 あたしも、同じように神さんの額にパンチを繰り出す。



「惚れろとは言わねーけど、京介の内面、少しだけでもいいから覗いてやってくれ。」



 ライバルから放たれた言葉は、不思議とあたしを動かした。

 鉄の女と言われたあたしの、弱い側面を見てたあいつ。



 …見せてもらおうじゃないの。

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