終章 ナツのロケット

第57話 サファイヤとトパーズ

 さすがに真弓先生のクレージーな運転でも二百キロという距離の壁は越えられず、病院に到着した時、時間はすでに午後七時をかなり回っていた。

 猛烈に揺れる車の中で脳みそまでシェイクされながら調べた限りでは、この病院の面会時間は午後七時までということらしい。

 つまり、とっくに終わっている。

 ダメ元で一応掛け合ってみて、それでもダメな時はとりあえず近くに宿をとろうと考えていた私は、未だ煌々と明りがついたままの駐車場と、正門脇できらびやかにイルミネーションされたクリスマスツリーにそこはかとない違和感を持った。

「先生、なんだかおかしくないですか?」

「え? 何が?」

 がら空きの駐車場にタイヤをならしながら勢いよく車を乗り入れ、はてと首をひねる真弓先生。

 その時、メインエントランスに明かりが点いた。

 それだけではない。街灯も、ガーデンライトも、とにかく外まわりの照明が一斉に点灯した。

 宵闇に沈んでいた病院の建物は、その途端にまるでライトアップしたみたいにくっきりと浮かび上がった。

「え、何?」

 慌てて車を降りた私は、エントランスから白衣を着た看護師や医師がぞろぞろと出てくるのを見て目を疑う。

 彼らは正面入り口の両側に二列に並ぶと、あっけにとられている私達に向かってにこやかに拍手を送り始めた。

「何、何? 何かのロケ?」

 全く状況が理解できない私は、とにかく話を聞いてみようと一番手前でニコニコ笑っている看護師に歩み寄る。

「あ、あの?」

「あなたが天野奈津希さんかしら?」

 みなまで言わないうちに逆に向こうから声をかけられて面食らう。

「あ、はい、天野ですけど……あの?」

「うちの走くんに会いに来たんでしょ?」

「は、はあ……」

 理由はわかんないけど、なんだか個人情報が全部筒抜けになっているらしい。訳もわからず頷く私に、看護師はさらに魅力的な笑顔を見せた。

「テレビのニュースでね、あなたが今日打ち上げたロケットの特集をやってたのよ」

「あー!」

 なるほど。

 ようやく事情が飲み込めた。

 あの調子のいいディレクターは和歌山県内だけという話をしていたけど、どうやらこっちでも流れたらしい。

「女子高生が病気の友達を励ますためにすごいロケットを打ち上げたって話しかしてなかったけど、走くんが今日はどうしても屋上に上がりたいって駄々をこねるから、みんな、ああ、そうなんだって」

「うわ、やだ!」

 恥ずかしさのあまり赤面して顔を伏せる私の肩を抱いて彼女は続ける。

「奈津希ちゃん、打ち上げ成功本当におめでとう。みんなあなたが来るのを楽しみにしてたのよ」

「え、みんな? それに、面会時間が……」

「それなら大丈夫です」

 年配の男性医師がいきなり話に割り込んできた。

「今日はクリスマスイブですからね。面会時間は特別に延長ですよ」

「え?」

「ほら、サンタは夜が更けてからやって来るものでしょう?」

 そう言って不器用に片目を閉じるといたずらっぽく笑った。


 急遽食堂が開放され、壁の大画面モニターに録画されたニュース映像が繰り返し流される中、私の顔を一目見ようと入院患者がうじゃうじゃ押し寄せて来た。

 単調で退屈な入院生活に突然飛び込んできた私は、消灯時間前の暇つぶしに格好のネタだったようだ。

 特に賑やかだったのが小学生達だ。

 自分のスマホやコンパクトカメラで撮影したロケットの動画を強制的に見せられながらの質問攻めはかなりHPを削られる。ただ、串本から二百キロ離れたここからでも、一秒間隔でフラッシュするナイチンゲールの明かりははっきり見えたらしい。手ぶれの酷い映像からでも、それはしっかり確認できた。

 挙げ句の果てに「お姉さんはかけるさんの彼女さんなの?」と興味津々に聞いてくるませた女子までいる。

 小一時間、まるで修行僧のように怒濤の質問攻めに耐えたところで、襟に二本線が入った年かさの看護師さんがパンパンと手を叩いて宣言する。

「はーい皆さん、まもなく消灯です。お部屋にお帰りくださーい!」

 どうやらだいぶ恐い看護師さんのようで、あれほど大騒ぎしていた子供達がさーっと潮が引くようにいなくなり、後には私と真弓先生、そして看護師さんだけが残った。

「ごめんなさいね。あなたのロケットはここの屋上からもはっきり見えたもんだから。その製作者が来るって言う話が子供達の間にあっという間に広がっちゃって、もうどうにも抑えが効かなかったのよ」

「いえ、私ごときでお役に立てば……」

 死んだ魚のような目つきで社交辞令を口にする私に苦笑しながら、彼女は真弓先生と小さく目配せを交わす。

「二階のサンルーム。走くんが待ってるわ。行ってあげて」

 そのまま手を引かれて立ち上がると、食堂の入り口で促すように背中を押された。

「じゃあ、ごゆっくり。メリークリスマス!」

 そこまでお膳立てをされてしまっては乗らないわけにもいかない。

 私は苦笑いしながら廊下の突き当たりのエレベーターでひとり、階上に上がる。


 食堂のちょうど真上にあるサンルーム。

 長期入院の患者達が室内でも十分な日光浴ができるように配慮された部屋らしい。ただ、日が沈んだ今は利用する人影もなく、明かりも消されてしんと闇に沈んでいる。

「走? いるの?」

 次第に暗闇に目が慣れてくると、窓際に車椅子に乗った人影が見えてくる。

「走? 明かりつけていい?」

「ごめん、つけないで!」

 その声は間違いなく走だった。

「どうして?」

「月を、見てるんだ」

 東の空には、満月をわずかに過ぎたばかりの月が昇ってきたばかりだった。

 部屋に満ちたひんやりとした空気を乱さないようにゆっくりと歩み寄る。

 薄手のニット帽を目深にかぶった懐かしい横顔が、青白い月の光を浴びてほのかに輝いていた。

「久しぶり。元気になったんだね」

 私はできるだけゆっくりと、努めて静かな口調でそう呼びかけた。緊張して、ちょっとでも気を抜くと声が裏返ってしまいそうになるのだ。

「うん、どうにか死なずに済んだ」

 走の声もかすかに震えていた。彼もまた緊張しているのだろう。

「私のロケット、見てくれた?」

「うん」

 彼は小さく頷き、そのまま私の方に顔を向けた。目深にかぶった帽子と逆光のせいで彼の表情まではよく見えない。

「……ナツ、だいぶ痩せたね」

 宮前先輩にも同じことを言われた気がする。

「ハハ、やったね。ダイエット成功だよ」

 おちゃらけてみたものの、走の反応は予想とは違っていた。彼は小さくため息をつくと、ほんのかすかに首を横に振ったのだ。

「……になってまで……」

「え、何?」

 聞き返す私に走はなかなか答えなかった。長い沈黙が続き、やがて彼はぽつりと言葉を発した。

「ナツ、本当にありがとう」

 でも、私の方は見ずに視線を月に戻す。車椅子のタイヤがかすかにキュッと音を立てる。

「君のロケットは凄かった。実を言うとあそこまで本格的な物だとは思ってもみなかった」

「い、いやぁ」

 思わず照れ隠しに頭をかく私。でも、彼は相変わらずこちらを見ようともせず、視線を月から外そうとはしない。

「君の励ましは僕の力になったよ。何度もくじけそうになったけど、そのたびに君がくれるメッセージと、何より君が行動で示してくれた勇気、困難に立ち向かう姿は本当にまぶしかった。素直に憧れた」

 ベタ褒めだ。でも……。

 何だろう。褒めてくれているはずなのに、彼の発する一言一言に、なんだか不穏なイメージが漂う。

「もちろん君だけじゃないけど。父さんや、母さんや、病院の先生達、それに何より、僕に二度目の骨髄を提供してくれた見ず知らずのドナー。誰に対しても感謝の言葉しかない」

 思わず顔が火照る。彼はドナーの正体を知らない。それでも、こうやって感謝されると素直に胸が暖かくなる。

「何度でも言うよ。ありがとう。本当にありがとう。今の僕がこうしていられるのはナツ、君のおかげだ」

「……そう言ってくれると私も本当にうれしいよ」

「でもね」

 彼はそこで言葉を切り、車椅子ごとこちらに向き直った。

「……でも、ナツ、君はここまでする必要はなかった。そう思う」

「え?」

「君は、君自身の人生を、一度しかない高校生活を、もっと楽しむべきだ。こんな厄介なお荷物ぼくに関わっていないで、もっと自分の本当にやりたいことに全力で取り組むべきなんだよ」

「どういうこと? 別に私は……」

「ナツ、君は今回のことがなかったら、自分でロケットなんて作ろうと思った?」

「うーん、どうかな。やっぱり、ロケット作りは元々走の夢だったからね。本当はそばで見ていたかったかも」

「だろ?」

「あ、でもね、今はそれだけじゃないよ。助けてくれるみんなもいるし……」

「ナツ!」

 彼は私の言葉を強い口調で遮ると、深いため息をつく。

「ナツ、僕はね、君が約束通り本当にロケットを作れるなんて思ってなかったんだ」

「え?」

「思うに任せないイライラと絶望を、君に無理難題を吹っかけることで紛らわしたかっただけなんだ。自分自身のどす黒い感情を君に叩きつけ、君が絶望するのを見て憂さ晴らしをしたかっただけなんだ。多分」

「そ、そんなことないでしょ? だって……」

 声がかすれる。唇がわななくのをどうしても止めることができない。

「ごめん。僕はそんなに出来た人間じゃない。自分の昏いわがままで君の人生を歪めた。本当はそんなことをしたかったわけじゃない。でもね……」

 走はそのまま黙り込むと、再びくるりと私に背中を向けた。

「走……」

 私は思わずそんな彼に駆け寄ると、そっと体に触れてハッとした。

「走、きみ……」

 その肩は、まるで泣いているように細かく震えていた。

「……ナツ」

「何?」

「前にさ、はくちょう座アルビレオの話をしたよね。覚えてる?」

「うん」

 私は力強く頷いた。ペルセウス流星群の夜、彼が説明してくれた言葉は、今も一言一句違わずに覚えている。わざわざ私たちの会社の名前にしたくらいだ。思い入れがあるに決まってる。

「“もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です”……」

 走はいきなり朗々と、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の一節をとなえはじめた。

「“眼もさめるような、青宝玉サファイア黄玉トパーズの大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました”……僕が一番好きなフレーズだよ。でも……」

「うん」

 私は、なぜ彼がいきなりアルビレオの話を持ち出したのかわからず、ただ頷いた。

「僕が入院してからの発表で、アルビレオはやっぱり二重星じゃないことがはっきりしたんだ」

「え?」

「天文学者の観測によると、二つの星は実際には七十光年も離れていて、それぞれ異なった方向に猛スピードで動いているんだ。だから、いずれ二つの星は……」

「……それって……」

「僕らも、いつまでも宮沢賢治の書いた童話の中のアルビレオのように、お互いを自分の絶対的中心に置いて、ただその周りをくるくるまわってるだけではダメなんだと思う」

「ねえ、走、君は一体何の話をしてるの?」

「……ナツ、君が病弱な僕のために、ずっと自分を犠牲にしてきたことはよくわかっている。物心ついた時からずっと、君は僕を自分の中心に置いてくれた」

 確かにそれは事実だ。でも、多少文句は言ったにしても、本心からそのことが嫌だったわけじゃない。

「でも、僕はたとえこの先の一生をかけたとしても、君のこれまでの献身に釣りあうだけの物を返してあげられるかわからない。僕は、そのことをようやく思い知ったんだ」

「そんな! 私は別に走のことを負担だと思ったことも、それを貸しだと思ったこともないよ。ロケットのことだって、確かにきっかけはアレだけど、やってて本当に楽しかったし、仲間が助けてくれたし、今は私自身がやりたいからやってるんだよ」

「……でもさ、ナツ。僕らの関係はどこかいびつなんだ。家族でもないのに朝から晩までずっと一緒で、病人の付き添いまで任せてたなんてやっぱり間違っていると思う」

「そんなことないよ! だって私は……」

 思わず真実を告げそうになり、慌てて口をつぐむ。

 もし、私達が実の兄妹だという事実を走が知れば、骨髄を提供したのも私だとすぐに気づかれてしまうだろう。今の流れでもしそんなことになったら、彼は余計に私のことを負担に感じてしまう。

 このことは、走と私の両親を別にすれば、真弓先生と優月シェフ、そして由里子だけしか知らない。

 これ以上誰に知らせるつもりもない。

「……私達、幼なじみだよ。そのくらいは当たり前……」

「そうじゃないんだ!」

 走は強引に私の言葉をさえぎった。

「嫌なんだ。できれば僕はナツとはずっと対等の関係でいたい。甘えて依存した密接すぎる関係はもうやめにしたいんだ」

「それって……」

「うん」

 走は大きく頷いた。

「今までのままじゃいけないんだ、関係を変えたい」

「え、ちょっと待って」

 私は走の話の展開について行けず慌てて制止する。でも。彼は止まらなかった。

「ナツ、僕は君が好きだ」

「えっ! ちょっと」

「だからこそ……」

「ちょっと待ってってば!」

 まるで立ちくらみのように目の前がチカチカする。

「今は、距離を置こう。アルビレオのサファイヤとトパーズのように、僕らは別々の道を行くんだ」

 その瞬間、目の前が真っ暗になった。


 その言葉に私がどう答えたのか覚えていない。

 気がつくと、私は真弓先生の車の助手席にうずくまっていた。

 ぼんやり前を見ると、闇の中に“東京143㎞”と書かれた緑色の標識が浮かび上がり、猛スピードで後方に吹っ飛んでいく。

「おい、そろそろ話してくれよ。一体何があったんだ?」

 何度目かの質問に、私はのろのろと体を起こし、前方の暗闇をにらみつける。

「振られちゃいました」

「え? だっておまえ達は……。それに、あいつにはときめかないってずっと言ってたじゃないか」

「ずっとそう思ってたんですけどねー」

 ふうとため息をつく。

「私、やっぱりちょっと変な感じに走に惚れてたみたいです」

「そうか」

 先生はただ一言だけ返すと、アクセルをさらに踏み込んだ。


---To be continued---

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