第58話 インビテーション

 クリスマスイブの打ち上げ本番から一夜明けた冬休みの初日、私は部室への立ち入りを禁じられた。

 ほとんど眠れないまま、よろよろと部室に顔を見せた私に全員が文字通り顔色を変え、年明けまで一週間の強制休暇が満場一致で可決されたのだ。

 ロケット部の部長は私のはずなのに、私には発言のチャンスすら与えられなかった。

 じゃあ仕方ない。バイトでもするかとガッティーナに戻ると、こっちもいきなり有給休暇を言い渡される始末。

「ナッちゃん働き過ぎ。お願いだから少し休んでちょうだい。お客さんとしてだったらいつ来てもいいから」

 シェフにそう言われて店を追い出される。

 精神的な底なし沼に落ち込んでしまいそうなので、本当は一人になりたくなかった。

 でも、この際なので着替えを取りに戻ろうとここ数ヶ月留守だった我が家に帰り、洗面所で鏡を見てようやくみんなの反応が腑に落ちた。

 なんだか私、ゾンビみたいになっていた。

 顔色はひたすら青く、目の下のくまも、まるで特殊メイクかと思えるほどくっきりだった。

(確かにひどいわ、これ)

 思わず苦笑いがこみ上げる。

 そんなわけで、今はリビングに持ち出したこたつに入って背中を丸め、ただぼんやりと音を絞ったままのテレビを眺めている。

 ここの所ずっと生活の中心になっていた部活とバイトがないと私はここまで暇なのか。半分自分に呆れながら、どうしても思いは昨日のことになる。

(走は、私が嫌いになったのだろうか?)

 でも確か、私のことが好きだと言われたような気もする。気のせいかな?

 せっかく約束を守ったんだから、もう少しこう、優しくねぎらってくれるとか、そういう反応があって欲しかった。それなのに……。

(あーヤダ)

 思い返しただけでじわりと涙がにじんできた。

「もう!」

 手の甲で乱暴に涙を拭った瞬間、人気のない家中に突然インターホンが鳴り響いた。

「誰?」

 年末のこの(私以外が)忙しい時期に誰かが訪ねてくる予定はあっただろうか?

 訝りながら受話器を取り上げると、カメラに写っていたのは意外な人物だった。

「えっ、真弓先生?!」

『おう、元気か?』

「って、先生一体何をやってんですか?」

『いきなりご挨拶だな。家庭訪問だよ。前回中途半端になっちゃったからな。リベンジだ』

「えー? ま、開けます、ちょっと待って下さい」

 訳が判らないままとりあえず玄関に走る。ドアを開けると、ミリタリージャケットで身を固め、両手をポケットに突っ込んだ真弓先生がよっと片手を上げた。

「寒いな」

 言われてよく見れば、すぼめた肩には雪のかけらが載っていた。

「うわ、降ってきたんですか? とりあえず上がってください」

「いや、別に玄関ここでいいんだが」

「私が寒いんでヤです。入ってください」

 そう言って強制的にリビングに引っ張り込む。

 とりあえずこたつに座らせると、コンビニで買ったみかんをネットごと差し出し、ティーパックの緑茶を淹れて先生の前に置く。

「インスタントですいません。しばらく留守だったんでお茶っ葉が駄目になっちゃってて」

「気にしない。どうせ言われないと判んないし。……忙しい所に悪いな」

「先生、それって嫌味ですよ」

 ロケット部やガッティーナでのやり取りを知っているのか、先生は肩をすくめて小さく笑う。

 私が自分の湯呑みを持って向かいの席に座ると、先生はやおら居住まいを正してこう切り出した。

「あのな、私は男女のことはさっぱり判らんのだが……」

「確かにその歳で浮いた話一つありませんからね」

「おい! そこはお世辞でも否定する所だろうが」

 露骨に傷ついた顔をする真弓先生。

「……まあ、いい。私は教職に付く前、大学で少しだけ心理学をかじったことがある。で、お前たちのことでずっと前から気になっていたことがあってだな」

「はい?」

「うん。ナツ、お前、“共依存”って言葉を聞いたことはあるか?」

「きょういぞん?」

「ああ。他者の世話を過剰に焼いたり焼かれたり、他人の行動や思想を過剰に支配したりされたりってことが相互に起こる重度の精神的依存関係のことを言うんだ」

 言葉を切り、お茶をズズッとすすりながらみかんに手を伸ばす。

「そんな関係に陥った二人は、はたから見るととても仲が良く見える。そりゃそうだよな。お互いの存在そのものが自分の存在意義だから、片時も離れられないんだ」

 言いながら、先生はみかんのお尻に指を突っ込み、皮ごとパカっと二つに割った。随分豪快な皮の剥き方だ。

「先生、それって……」

「ああ? 変か? 我が家ではずっとこうなんだが」

 一房取り、パクッと食べる。

「じゃなくて」

「判ってる。冗談だ」

 その割にはニコリともせず、あっという間に一個食べ終えると小さく息を整える。

「……お前、物心ついてからずっと走の世話係やってただろ? だから、それがいつの間にかお前の存在意義になってたんだ。逆にあいつが元気になると反動で逆の依存関係が生まれる。どちらも相手との距離を測り間違えてんだよ」

 先生の言葉は私にはとても辛辣に聞こえた。自然、返答も攻撃的になる。

「……もし、それが事実だとして、それっていけないことなんでしょうか?」

 口を尖らせて反論する私に、先生は慈愛に満ちた優しい笑みで応えた。

「誤解すんな。悪いなんて私は一言も言ってない。相手に対する感情を別の何かと勘違いしてしまわない限りは、な」

「あ!」

 ドキッとした。

 もの凄く心当たりが、ある。

「お前自分で言ってただろ? 変な風に惚れてたのかもって。だから、少しだけおせっかいを焼いておこうと思ってな」

「ああ……」

 私は思わず顔を伏せた。

 いろんなことが一気に腑に落ちてしまい、なんだかすごくショックだった。

「走も、そのことに自力で気づいちゃったんだろうな」

 先生は湯呑みの熱で両手で温めるようにしながら小さく息を吐く。

「多分、お前のロケットを見てそのあまりの本格的さに度肝を抜かれたんだ」

「え? でも、最初にそう約束したんですよ」

「知っている。でも、自分で気づいているか? お前がわずか半年でやったこと、どう考えても尋常じゃないんだが」

「そうなんでしょうか?」

「ああ。走はその強すぎる想いが自分に向けられていることの異常さに気づいたんだ。お前が怖くなったんだよ」

 私は唇をかんでさらに顔を伏せる。

「……いや、違うな。誤解するな」

 真弓先生は頭をガシガシとかきむしり、眉間にしわを寄せる。

「すまん。やっぱり私はこういうのは苦手だ。うまく説明できない」

 それでも腕組みをしてうんうん考えながら、

「……心配なんだよ。走は」

「わかりません! だったら、なぜ!」

「だから……」

 先生の口調が急に優しくなった。

「お前は走のために自分の身を投げ出すことを躊躇しないだろ? 我が身のすべてを犠牲にして、何もかもうち捨てて。それでもいいと思っている」

「それのどこがいけないんです?」

「さっきも言ったろ、悪いなんて一言も言ってない。ただ、走がそれを望んでいないだけだ。だから、ことさらお前を遠ざける様な言いぶりになったんだと思う」

「もしかしたら……」

 私は、ふと頭に浮かんだ疑問を口に出す。

「走は、私たちが兄妹だって事に気づいたんでしょうか?」

「さすがにそれはないだろう。だが、奴は奴なりに、お前との関係を必死で再構築しようとしてるんだよ」

「……だとすると」

「そう、お前は正しく振られたんだ」

「………」

「確かにおまえにとってはショックだったとは思う。ただ、今後どんな関係を目指すにせよ、色々仕切り直すにはいいきっかけだと思うぞ」

「……そう、ですか」

 私はすっかり自己嫌悪に陥った。

 これまで私は、走を振り向かせるのに必死で、それ以上のことに全然思いが至らなかった。本当に目の前のことしか見えてなかったのだ。

「すごくみっともないですね、私」

 いつの間にか涙がポロポロ溢れていた。

「どうして?」

「だってそうじゃないですか! 走に対する異常な執着にみんなを付き合わせて、それなのに肝心な所でドン引きされちゃって……」

「理由はどうであれ、あれだけの結果を出したんだ。賞賛こそされ、卑下したり非難されたりする筋合いはない!」

「でも…」

「いいから泣くなよ。前にも言ったが、こういうのはお前の柄じゃないだろう?」

「先生が私を泣かせるような酷いことを言うからじゃないからですか!」

 私はズズッと鼻をすすりながら睨みつける。

「いや、悪かったよ。でも、お前が落ち込んでるって優月に聞いてな」

(あーあ、本当にこの人は不器用なんだ)

 居心地悪そうにもぞもぞしながら困り果てている先生の表情を眺めているうちに、感情の爆発は次第に落ち着いて来た。

 私はティッシュボックスを抱え込むと数枚まとめて引き抜いてちーんと鼻をかみ、さらに涙を拭いて大きく深呼吸した。

「……すいません。もう落ち着きました」

「あー、まあ、こっちこそなんかすまん」

 落ち着きなく両手をテーブルの上に出したり下げたりを繰り返すと、先生は抱えていたザックからバインダーを取り出してテーブルの上に置く。

「本当は別件の打ち合わせで来たんだ。ちょっと込み入った話になるが、どうする? しんどかったらまた日を改めるが」

「いいですよ。せっかく来ていただいたんですから。それにこれ以上面倒な話もないでしょう?」

「いやー、そうでもない」

「え?」

「でも、ま、いいか」

 先生はそう独り決めすると、バインダーから一枚のプリントアウトを抜き出して私の方に滑らせた。

「我が校に交換留学制度があるのは知ってると思う。毎年数人がアメリカの高校に転入し、代わりに向こうからも学生を受け入れている」

「はぁ」

 確かに、夏休み前に行われた文理選択の説明会ガイダンスで軽く説明された気がする。

 ただ、通常は三年生が対象で、しかもスポーツ特待生とか、国際科の成績上位者が夏休みを挟んで短期間留学するイメージだ。進学先を海外に検討しているエリートさんがお試しで海外経験を積む、一種のご褒美的システムという話だったはずだ。

「で、ちょっと時期的にせわしないんで微妙なんだが、今朝、向こうの学校から名指しで招聘状が届いた。できればクリスマス休暇明けからすぐ来て欲しいと。期間は来年夏休みまでの約半年間。けっこう長いな」

「へえー」

「おい、他人事みたいな反応するなよ」

「は?」

「だから、お前を名指しなんだって」

「へ? どうして?」

「動画投稿サイトでしばらく前から話題になってんだよ、お前。知らなかったのか?」

 知らないも何も、全くの初耳だ。

 先生はポケットからタブレットを取り出すと、ほらと動画アプリを立ち上げ、昨日の打ち上げのムービーのサムネイルを表示する。

 よくよく見れば、関連動画には私もよく知るロケットガールのPVに加え、文化祭のときのライブ映像や夏に花火で失敗した所から昨日までのダイジェストムービーまである。私は素材提供した覚えがないから、きっと由里子かぬりかべ先輩あたりの暗躍だ。

「再生回数見てみろ。凄いことになってる。それにコメントの半分が海外だ、ほら」

 見れば今朝早くの公開にもかかわらず、もう一万回近く再生されている。

「まあ、ネットじゃ相変わらずお前の正体は謎のままだけど、それを向こうの学校にわざわざ売り込んだ人間バカがいるんだよ」

「一体誰です? そんな余計なことをするのは!」

「ま、十中八九校長だろうな」

「はぁー」

 私は気勢を削がれて思わずひっくり返る。

「なんでも、夏にネバダ州のでっかい砂漠で全米高校対抗ロケットフェスディバルっていうのがあって、うちの提携校がそれに参戦予定なんだと。でも、肝心のスキルを持った学生が確保できなくてずいぶん困ってたらしい」

「えー!、それって個人情報漏洩どころかもはや人身売買じゃないですか!」

 私は呆れ果てた。

「それに、私一人じゃあれだけのロケットなんて絶対作れないですよ。ナイチンゲールはみんながいたから出来ただけで、私の技術なんてホントにたかが知れてます」

「ああ、それは判っている」

 地味に傷つくコメントをさらりと返す真弓先生。

「なら、どうして?」

「うちの連中を超える天才的な知識とスキルを持つ学生エンジニアは何人もいる。さすが宇宙大国アメリカだな。だが、コーディネーターというか、プロデューサーというか、主張の強いメンツを束ねて一つにするスキルが決定的に欠けているそうだ。おかげでプロジェクトは今や空中分解寸前だとさ」

「それが私に?……」

 言いかけた所で再びインターホンが鳴る。

(今日は来客多いな)

 よっこらせと腰を上げてモニターを覗くと由里子に加えて大野さんまでいる。玄関を開けると、「メリークリスマス! あんたどうせ何も食べてないでしょ。行き遅れのケーキとパーティーバーレル、ちゃんと燃料ワインも買ってきたわよ!」

 と一気にまくし立て、玄関に大人っぽいデザインのくるぶし丈ブーツがあるのに気づいて私にいぶかしげな視線を向ける。

「あ、やべ! 本物の行き遅れ……」

「誰が行き遅れだバカ!」

 リビングからのっそり顔を出した真弓先生は、由里子が抱えていたスパークリングワインをめざとく見つけると、途端にまなじりを釣り上げる。

「未成年がこんなもんどうするんだ! 没収だ没収」

 そのままボトルを奪い取ると、「まあ上がれ」と自分の家でもないのに上機嫌で戻っていく。

「ナツ、どうして先に言わないのよ!」

「知らないわよ。由里子が予告もなしにいきなり来たのがいけないんでしょ!」

「だって、落ち込んでるって聞いたから、せめて私が慰めてあげようと思ったの」

「あ、私もいますよ」

 なんだか急に賑やかになってきた。

「何やってんだ、そんな寒い所にいないで早く入れ」

 タダ酒を確保して妙に上機嫌の真弓先生に促され、私は肩をすくめると二人をリビングに招き入れた。


---To be continued---

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