第55話 境界を越えて

「あー、疲れた疲れた。やっぱり私こういうの柄じゃないんですよー。もー」

 音声さんにピンマイクを外してもらいながら、私は誰にともなくグチる。

「いやー、そんなことないですよ。良かったですよー。バッチリ、クールに編集しますからねー」

 ディレクターはいかにも業界人らしい軽い調子で右手を差し出すと、

「んじゃあ、私は急ぎますのでお先に」

 と断りながら駆けていった。

 このインタビュー素材は和歌山の地元テレビ局で短く放映されるほか、いずれ大野さんがカメラマンとして秋からずっと張り付いている神奈川ローカルのドキュメンタリーや動画サイト公開にも使われるという。

 ともかく、本日一番気が重かったスケジュールが、宮前先輩のおかげでまあまあ順調に消化できて嬉しい。

「……ナツキ、本当に、助かった」

 ところが、照明が消された途端まるで空気が抜けたように素に戻った宮前先輩は、大きく伸びをする私の背後から消え入るような声でつぶやいた。

「いやぁ、私こそ、ありがとうございました」

「安心した。ナツキが相手だと、無理せずに、会話が、できるから」

「いやいや、何言ってるんですか!」

 私は慌てて否定する。

「ところで先輩。こんな所まで来ていただいて良かったんですか? 年末はお仕事忙しいんじゃ……」

 途端にむっとしたような上目遣いでにらみ返された。

「私は、そんな、恩知らずじゃ、ない」

「え? でも」

「ナツキは、私の、大恩人。このくらいは、当たり前」

「えー、それは逆ですよ。だって先輩のおかげでいろんな所から認知してもらえたんです。神技工大や安曇窯業だって、先輩が歌ってくれてなかったら私みたいなド素人、普通は……」

「それは、ちがう!」

 先輩は拳を握りしめ、思わずはっとするほどの大声を上げた。

「ナツキがいたから、私は、歌える。それに、今日みたいな、時、いつも、ナツキを、イメージしてる」

「うそ、え、それって?」

「ナツキだったら、こんな時、どうする? どんな表情で、何を話す? いつも、思い浮かべながら、演じてる。ナツキの真似を、してる」

「えぇー!」

 驚くと同時に、よりにもよって私なんかがお手本なのかー、と逆に申し訳なくも思う。

 彼女の本質は、今も引っ込み思案で口下手なあの頃と何も変わってないのだ。

 私は自分の弱点をなんとしてでも克服しようとするその努力に感心すると同時に、少しだけ安心もしていた。

「……ところで、他人から見ると私っていつもあんな感じなんです?」

 宮前先輩のいかにも落ち着いて堂々とした立ち振る舞いが、本当に私のコピーなのだとしたら……。

 先輩のように実力と実績が伴ってこの風格ならまだ許される。

 私ってどんだけ傲岸不遜わがままに見えるんだろうと心配になってきた。

「フフフッ」

 先輩は不意に私の腕をとると、しがみつくようにして耳元に口を寄せてきた。

「大丈夫。さっきも、会った瞬間、思った、けど」

「は、はい、なんでしょう?」

「ナツキ、変わった」

「え、老けた?」

「……じゃ、な、く、て!」

 突然の急接近に戸惑い、思わずボケでごまかそうとする私に向かって、先輩はいかにも心外だという風に口をとがらせ、小さくため息をつく。

「初めて、会った時、あなたを見て、まるで野良猫のよう。そう、感じた。強がって、どこか、不安げな……」

 よく見てるんだな、と感心する。

 確かに、あの頃の私はどこか虚勢を張っていたように思う。

 それまでべったり頼り切っていた万能の精神安定剤かけるを突然見失って、本当にどうしていいかわからなかった。

 なんとか取り戻そうと足掻いていた。

「でも、今は、違う」

 目を丸くする私に、

「まるで、野生のチーターのよう」

「え?」

「荒野に、独りで立つことに、もう、恐れを、感じていない。でしょ?」

 そう、言い切った。

 思わずハッととした。

 宮前先輩の言葉は、私が今まで自分でも意識していなかったことを私に気づかせた。

 先輩と始めてあった頃、私はまるでじりじりと焼かれるような焦燥感に突き動かされ、何もわからないまましゃにむにロケットを作っていた。

 そこにあったのは、病気に押しつぶされそうになり、自暴自棄になっていた走をなんとかして振り向かせたい。逢いたい。そして、私の言葉を聞いてほしいという渇望。

 でも、私は今、あの頃のような焦りを感じていない。

(いつからだろう? 走に骨髄を提供した頃から? それとももっと前から?……)

「ごめん。気を、悪く、した?」

 いつの間にか黙り込んでしまった私を、先輩は心配そうな顔つきでのぞき込んでくる。

「あ、大丈夫です。ちょっと寝不足で。ぼーっとしちゃった、かな?」

 慌ててつくり笑顔でごまかす。

「じゃあ、また、後で」 

 別の仕事で一端串本を離れるという先輩を見送りながら、私は本格的に考え込んでしまった。


 午前中一杯で予定されていたポスター撮影は、結局午後まで食い込んでしまった。

 原因は主に私。

 カメラマンに求められる表情がなかなか作れなかったからだ。

 例の“私は夢をあきらめない”の新シリーズなので、それほど愛想を振りまく必要はない。でも、カメラマンが求める“強い決意を秘めた表情”がどうしても“考え込んだ表情”や“思い詰めた表情”になってしまうのだ。

 山のようにリテイクを積み重ね、ようやくOKをもらった時にはもうげっそり疲れ果てていた。

「はい、これ」

 熱いココアの入ったマグカップを手渡されながら私はため息をつく。

「ねえ、由里子」

「何?」

「私って、薄情なのかな?」

 両手のひらでマグカップを包み込むようにしながら聞いてみる。

「は? いきなり何わけのわからないこと言ってんの?」

「いや、ほら……」

 そのまま、宮前先輩に言われたことを繰り返す。

「基本的には何も変わってないの。もう半年近く走には会えていないし。でも、私、最近は最初の頃みたいに不安な気持ちになることはない。これって、精神的に何か問題があるんじゃ」

「はぁー」

 眉間を押さえながら由里子は長く息を吐く。

「あんた、バッカじゃないの?」

「バカとはなんだ!」

「だってそうでしょ? 全然連絡も取れず、先行き不安だらけだったあの頃と、病気がどんどん良くなっている走に明日には会えるっていう現在いまを比べる方が間違ってる」

「うーんと、そうじゃないの。そうじゃなくてね」

 どう説明したらいいのか、少し悩む。

 状況が明らかに良くなっているのだから精神状態も良くなって当たり前という理屈は確かにその通りなのだけど、私が気になっているのはそこではない。

 走の容態とは無関係に、私自身が、前より走に執着しなくなっていること自体が問題なのだ。

(あ、でも、これって問題、かなあ?)

 腕組みをしてうーんと頭をひねる。

「ま、とりあえず明日になれば何かしらの結論は出るんじゃない?」

 一方由里子は楽観的だ。まあ、しょせんは他人ひとごとという気安さがそう言わせるのだろう。まったく相談のしがいがない。

「ところで、由里子はこの後どうするのよ?」

 なんだかむっとしたので私からも突っ込んでみる。確か、助太刀を買って出てくれた時の計画では年末までという話だった。

「ああ、言ってなかったかしら? 私、天文地学部、辞めたの」

 そのまま目を伏せて髪をいじっている。

「……どうして?」

「うん……」

 由里子にしては珍しく口ごもり、やがて意を決したように顔を上げた。

「今だから言うけど、私が天文地学部あそこに居たのは何か面白いことができそうだったからなのよね。でも、あんたと一緒にロケット飛ばしている方がもっと面白いって気がついたから」

「えー」

 なんだか面はゆいような申し訳ないような気持ちになる。

「でも、トモヒロどうすんのよ」

「あー、うー」

 由里子はうなり声を上げながら頭をガシガシとかきむしり、肩を落として私の隣にどすんと腰を落とす。

「あの時は色々気使わせて悪かったわね。でも……」

「でも?」

「うん。ちょっと、違う世界の住人になっちゃったかなって感じ」

 ふうと大きく息を吐き、背中を丸めて遠くを見る由里子。

「え?」

「私達、会社作っちゃったでしょう? おかげで色々仕事が増えて、勉強との両立だけでもう一杯一杯」

 判る。というか、状況は私もそれほど変わらない。

 それでも、私の場合は自分のわがままがいつの間にか部活動になり、それがさらに会社の仕事にシフトしただけでタスクの総量はそれほど変わっていない。ただ規模が大きくなっただけだ。

 でも、由里子は法人化にともなって事務量が爆発的に増えた。

 部室の机には未処理の書類が積み上がり、彼女が毎日遅くまで残業(?)している姿を見るのは胸が痛い。今や誰がどう見てもれっきとしたブラック企業だ。

「それに、神技工大や安曇みたいな学外の関係者と付き合うようになったおかげで、感覚がいつの間にかふつうの高校生とはずれちゃったのよね」

「ああ……」

 ただ、真摯に学ぶことだけが求められ、それ以外のすべてに大人の無条件のサポートが約束される学生という身分と、大きな援助の見返りに常に成果が求められる今の立場との差は思ったより大きい。

 私も、由里子も、いつの間にかその境を越えつつあるという自覚だけはあった。

 多分、それがプロというものだろう。

 宮前先輩が一足先に飛び込んだ厳しい世界の入り口に、今、私達も立っている。

「ま、ヤツが大学を卒業して、社会に出たらまた話が合うようになるかもね。それまではちょっと距離を置くつもり」

 そう自嘲気味につぶやくと、サバサバした表情でブンと顔を振る。

「……それでも、待つつもりはあるんだよね?」

「まあね」

 彼女は全く悪びれずに即答した。

「そんなことはいい。それより今日の主役はあんたよ。そろそろ覚悟はいいかしら?」

 彼女の視線に誘われるように見上げた先には、みかん色のロケットが陽光を浴びてキラキラと輝いている。

『予備冷却が完了しました。まもなく液体酸素の充填を開始します。バッジレベルⅢまでの作業人員は、速やかに安全エリアまで退避してください。繰り返します……』

 アナウンスが響き渡り、シュゴーッという激しい音と共に液体酸素の供給が始まった。

 超低温で凍り付いた水蒸気のつぶがキラキラと舞い上がり、青空に溶けるように消えていく。

 気がつくと、ずっと吹き荒れていた強風はすっかりおさまっていた。


---To be continued---

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