第48話 スパイラル
翌日、私と中村君は神技工大の学長室を訪れた。
N-4ナイチンゲールの完成報告と最終の工程打ち合わせのためだ。
迎えてくれた学長と森川教授は終始上機嫌で、ナイチンゲールの風変わりな外観がことのほか好評だった。
「いやあ、見るからにレトロフューチャー、SF感が溢れてますなあ」
写真をしげしげと眺めながら学長がそう感想を述べると、
「確かに変わったデザインだね。男性がデザインするとなかなかこうは行かないよ」
と森川教授が応じる。
ここまで絶賛されると、色々制限があって仕方なしにこうなりましたとはますます言い出しにくくなる。
「ところで、ENAのニュース、見たかな?」
ひとしきり盛り上がったところで、今度は真顔で尋ねられた。私と中村君は顔を見合わせるとお互いに目配せをして、短く「はい」とだけ答えた。
発表された事故の暫定報告では、発射当日の朝まで降り続いたみぞれ混じりの雪が液体酸素の配管に分厚く付着し、ロケット本体と地上施設を繋ぐバルブを固着させたことによる動作不良が原因だとされていた。
本来なら切り離しの瞬間に閉鎖するはずの逆止弁がなぜか開いたままで、液体酸素がボンベから逆流し噴出。打ち上げの際の熱で外板の塗料に引火し、高濃度の酸素が炎を増大させて被害が拡大したとも書かれていた。
でも、私達はその発表をあんまり信じていない。
液体酸素はそもそも超低温で、配管を含め回りのあらゆる物を簡単に凍らせてしまうことは最初から織り込み済みだったはずなのだ。
中村君の仮説では、最初から配管には不良箇所があり、そこから徐々に漏れて気化した酸素がロケットの機体内部に充満、エンジンから吹き出した炎で引火し一気に内部の配線や重要部品を焼いたのではないかという。
発射直後、『ENA-1』の機体を包んだ激しい炎の正体は多分それで、その時点で『ENA-1』は実質死んでいたのではないかと私は疑っている。
でも、ライバルの悲劇を好奇心混じりにほじくり返すのは趣味じゃない。
ナイチンゲールのノーズコーンとボディの接合部にいくつかスリットを作り、同じことが仮にナイチンゲールに起きたとしても漏れたガスが充満しないように対策すると、これ以上事故には触れないことをメンバー全員で示し合わせた。打ち上げ本番を前に、余計な外野の雑音に惑わされたくなかったのだ。
同じような理由で、ENAの牟田口氏が改めて提案してきたスポンサー契約も断った。
前回の五倍以上、一千万円を越える金額を提示してきたのには驚いたし、正直くらっとしかけたのは事実だ。
彼らにしても、社長肝いりの記念事業が爆発炎上で終わりではあまりにも縁起が悪い。今さらなりふりなんて構っていられなかったのだろう。
ただ、前回の振られ方があまりにもひどかった。
「厚かましいにもほどがある!」とプンプン怒っている由里子に釘をさされるまでもなく、私は首を横に振り、その決定には誰も反対しなかった。
「ところで」
私は話を元に戻そうと声を上げる。
「伊豆大島の打ち上げ施設、準備の方はいかがでしょうか」
「ああ、その件なら……」
森川教授が手元のプリントアウトをパラパラとめくりながら小さく頷く。
「念のため確認だけど、必要な液体酸素の量は気化分に予備もあわせて約千リットルで間違いないかな?」
「はい」
今度は中村君が頷いた。
爆発した『ENA-1』同様、私達のナイチンゲールも発射の寸前まで液体酸素の充填を行う。打ち上げまでの間にどうしても気化してしまう無駄を少しでも減らすためだ。
ただ、常温の酸素ボンベをマイナス百八十三度近くに冷やすだけのために大半の液体酸素が消費され、実際にタンクの中に入るのはその十分の一にも満たない。お金に困っている私達にはいかにももったいなく見えるのだけど、世の液体酸素を使うロケットはみんなそうだと聞いて無理矢理自分を納得させている。
「射点の整備はうちの学生達で十五日までに終わらせる予定。漁協や町への
にっこり笑って私の目を見る。
「貨物船の予約は?」
「はい、滞りなく」
全長五メートルを越えるナイチンゲールはさすがに手荷物では持ち込めず、木箱で厳重に梱包して貨物船で大島に運ぶ。
液体酸素が入っていない状態では危険物ではなくただの精密機械扱いなので運送上の問題はないのだけど、フェリー航路はないし、貨物船は週に一往復しか運行していない。本当はギリギリまで調整とテストを行いたいところだけど、来週、つまり打ち上げの一週間前には辰巳の東海汽船に持ち込まなくてはいけない。
先発隊の私達はロケットの受け入れのためその翌々日、十二月十九日の夕方には島に渡る予定だ。そして、ロケット部の全員が島に揃うのは打ち上げ前日、二十三日の朝になる。
「ところで……」
森川教授はA3判のプリントアウトを取りだして私達の前に置いた。
「衛星写真ですか?」
「そう。気象衛星ひまわりの最新の画像なんだけど、これ」
と、ボールペンの先で太平洋の一点を示される。
「実はここに台風が発生している」
確かに、小さな渦巻き雲が見える。小さい割に台風の目がクッキリとしていて、どうにも禍々しい雰囲気が漂っている。
「うわ、もう十二月なのに……」
思わず愚痴が出る。
地球温暖化のせいなのかはわかんないけど、確かにここ数年、季節外れの台風が増えてきた。
さすがに十二月になってまで日本列島に上陸するケースはまれだけど、伊豆大島くらいなら多少警戒する必要がありそうだ。
「気象庁の詳細予報はまだ出てないからアメリカJTWCのデータになるけど、ほら、結構日本の近くまで近づく可能性があるらしいんだよ」
教授はテーブルにさらにもう一枚のプリントアウトを重ねる。
見慣れない形の台風進路予想図だったけど、確かに小笠原諸島あたりまでは予想針路のエリアに含まれている。
「まあ、現時点で打ち上げに影響があるとは思えないが、念のため頭の片隅には置いておいて欲しい」
「わかりました」
無言で頷きながらも、そこはかとない不安を感じずにはいられなかった。
「ちなみに、森川先生はどうされるんですか?」
「あ、
「うちのふねぇ?」
驚く私の様子がよほどおかしかったのか、教授は腹を抱えて笑った。
「ああ、ゴメンゴメン、私はヨット部の顧問をやってるんだ。実際には風を受けて走るヨットではなく、クルーザーだけどね」
「あー、なるほど」
わたしは大きく頷いた。
「やっと納得しましたよ。なんでいつもそんなに日に焼けてらっしゃるのかずっと不思議だったんです」
「打ち上げの後、もし興味があれば天野さんも乗せてあげるよ。お天気次第だけどね」
「……すいません。お気持ちだけいただいておきます」
私はその誘いを丁重にお断りする。
私は大抵の乗り物は平気なのだけど、唯一船だけは苦手なのだ。車やバイクでどれだけ激しく身体を揺すられても全然平気なのに、あの異様にゆっくりと身体全体が上下する感じにはどうしても馴染めない。
「ま、いつも鳥浜のマリーナに停泊しているから、一度のぞきにおいでよ」
「はあ」
それ以上むげに断るのもはばかられ、なんとなく言葉を濁しているうちに打ち合わせはお開きになった。
「ナツさん、最終確認終わりましたよ!」
中村君が嬉しそうにそう宣言すると、大量の付箋が張り付いた分厚いチェックシートをドサリとテーブルに置いた。
これで全パートのチェックリストが揃った。
「これで心置きなくリリースが打てるわ」
厳格で妥協のない進捗管理ですっかり鬼軍曹のニックネームが定着した由里子も久しぶりにホッとした表情を浮かべる。
明後日には梱包して港に運ぶという、まさにギリギリのタイミングだった。最悪、完成披露はなしという可能性もあっただけに、この安堵感たるや半端ではない。
「これで牟田口の鼻を明かせるわね」
相変わらずこだわっているのか……と全員が苦笑する中、由里子は私に小さく目配せをする。何かしゃべれということだろう。
私は小さく咳払いをすると、メンバーの顔を見渡しながらゆっくりと立ち上がる。
「えーと、皆さん、今日まで本当にありがとう。この”プロジェクト・ナイチンゲール”は、最初は私の単なる妄想とわがままから始まった話でした。それが、ここまでみんなの協力を得て、最後には投資までしてくれて……本当に、本当に、心の底から感謝します」
拍手を受けて深々と頭を下げる。
最終的に、
ロケット部の全員も進んでなけなしの貯金を投じ、最初は私の単なるわがままから生まれたナイチンゲールは、今やロケット部だけでなく神技工大や安曇窯業を含め、数多くの関係者をその渦に巻き込んだ夢の結晶となった。
神技工大は最初の枠組みを大きく変えて、ナイチンゲールの利用権から”独占”の文字を外してくれた。
おかげで安曇窯業とは正式なビジネスとして、小型観測用ロケット開発の業務請負契約を結ぶという流れになりそうだ。
さらに、昨夜入った走ママからの電話も私の心を軽くしてくれた。私の提供した骨髄がうまく定着し、走は一時期の危篤状態から急速に回復し始めたのだという。
私は頭を起こし窓の外に広がる澄み切った冬の青空を見上げる。
これで無事クリスマスイブの打ち上げを迎えることができれば、すべてがうまくいく。
そう無邪気に信じることができそうな澄み切った空だった。
「ところで、島の方はどうですか?」
大野さんに尋ねられ、私はさっき受信したメールのプリントアウトをテーブルに広げる。
「森川研究室先発隊からの報告では、事前準備はすべて完了、前回のENAの事故を受けて急遽組み入れた液酸配管回りの再チェックも今日には終わるそうです。今のところすべて順調……」
「そっか。だとすると、後は……」
「天気、ね」
由里子が唸るようにつぶやいた。
---To be continued---
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