第47話 墜落
あっという間に十二月になった。
吐く息が白くなり、通学時にはマフラーを首に巻いた学生の姿が次第に目立つようになった。
私達はと言えば、連日の深夜作業で全員が次第にやつれ始め、製作がようやく完了したのは十二月十日、くしくも、ENAのロケット打ち上げの当日朝のことだった。
「あ゛ー、さすがに死んだ。今日は授業サボろうかな」
真面目な中村君が珍しくそんな弱音を吐く。それくらい彼の担当パートは難航していた。
高圧コンプレッサーを使った加圧テストで配管からのエア漏れ箇所がどうしても特定できず、紆余曲折の末、配管のすべてを新しい材料で作り直して、今朝、ようやく解決したという。
配管に使ったステンレスパイプの
「すいません。おかげでずいぶん余計な時間と
疲れた顔でそう謝られて、誰が彼を責められるだろう。
「気にしないで。お疲れ様。今日は短縮授業だからもう少しだけ頑張って」
熱いコーヒーを紙コップに注いで手渡しながらそう言ってねぎらう。
広げられている寝袋は二組。どうやら今日の徹夜組は坂本君と中村君だったらしい。
私もたまには付き合うと申し出るのだけど、みんな頑として私に徹夜をさせてくれない。
私のバイト代が製作費に直結しているのでお前はむしろそっちを頑張れと言われる。けど、彼らなりに気をつかってくれているのがひしひしと伝わってくるからなかなか不満も言いにくい。
「じゃあ、これ、朝ご飯に食べて」
この段階に至っては、情けないけど私が手伝えるのはせいぜいこの程度だ。
「うわ! おい坂本、お前も起きろ!」
中村君がそれまでの眠そうな様子から一変、目をらんらんと輝かせてランチボックスに飛びついた。
実を言うと、優月シェフの特訓を受け、最近ようやく私もそれなりの料理を作れるようになってきた。
半分人体実験みたいな感じだけど、この人たちは毎回ペロリと食べてくれるので、一応人類の口に合う程度には美味しいらしい。
「ナツ先輩。美味しいっす。最高っす!」
寝袋から半分這い出し、芋虫状態でサンドイッチをパクつきながら坂本君がベタ褒めしてくる。
「調子いいなあ、あんたは何を食べても”最高”しか言わないじゃない」
彼の前にも湯気の立つ紙コップを置きながらそうからかうと、「心外っす。俺はいつも本当のことしか言わないっすよ」と憤慨している。
「とりあえず、制御システムの統合テストも含めてほぼ完了しました。メンテナンスカバーを閉じたらいよいよ完成ですね」
お腹を満たしてようやく人心地ついたらしい中村君が満足げな表情で立ち上がると大きく胸を張る。
前回の報告会ではいかにもつぎはぎ然としていた機体も、純白の断熱塗料が塗られ、朝日を浴びてロケット全体がキラキラと輝いていた。
明るいみかん色のノーズコーンからは、銀色に輝くステンレスメッシュのチューブで覆われた耐熱電線のネットワークが何本も湧きだし、ボディ表面に複雑な幾何学模様を描くと、同じくみかん色の尾翼に吸い込まれている。
炭化ケイ素のボディはそのままロケットモーターのケースでもあるため、機体の内部に配線を納めることができない。自然、配線はボディ表面をうねうねと這い回る形になり、それが独特な尾翼の形と合わせ、ナイチンゲールに生物的とも言える不思議ななまめかしさを与えていた。
「凄いね」
思わずつぶやきが漏れる。
「……そうですね」
中村君も感慨深げに頷いた。
「はいはーい、始まるよ」
大野さんの声をきっかけに、思い思い雑談をしていた私達は前方のスクリーンに目を向けた。
今日は他校での教育研修会とかで、午後は真弓先生を始めほとんどの教師が学校を留守にしている。
これ幸いと午後一杯視聴覚室の使用許可をもぎ取った私達は、ネットで配信されるENAの打ち上げを視聴すべく、久しぶりに全員で待機していた。
画面には、既にENAのロゴがカンパニーカラーのブルーをバックに大きく映し出され、”配信開始までしばらくお待ち下さい”のキャプションがゆっくりと点滅している。
「間もなく配信開始です」
操作卓でパソコンを操作していた中村君がそう告げると同時に、ロゴが消え、画面には一面真っ白な雪原の風景が映し出された。
“みなさんこんにちは! こちらは、北海道大樹宇宙センター、ENA特設射点です。今朝までちらついていた雪もすっかりあがり、現在の天候は快晴、気温は摂氏マイナス三度。風もなく、絶好の打ち上げ日和ですっ!”
ブルーのヘルメットをかぶった若い女性リポーターが、かわいらしいアニメ声でそうリポートする。
カメラがゆっくりとパンすると、真っ白い大地と水色の空を背景に、濃いブルーのロケットが天を睨んで屹立しているのが見えてきた。
白い水蒸気の雲が機体の中段からもくもくとあがっているほかは、画面の風景に大きな動きはない。
「まだ液酸の充填が終わってないみたいですね」
液体酸素はマイナス百八十三度。この時期、最高気温が零度を割ることが多い大樹町であっても、酸素は充填するそばから気化して空中に逃げていく。恐らく、打ち上げの直前ギリギリまで充填が続くはずだ。
「ところで、向こうのシステムもハイブリッドなんですか?」
大野さんの質問に中村君が頷く。
「確か、燃料はブタジエンゴムとアルミ微粉末の混合です。僕らのロケットよりも相当パワーが出る組み合わせですね」
「どのくらいの高度まであがるんでしょう?」
中村君より先に、答は画面の向こうからもたらされた。
“今回のロケット、『ENA-1』は、東都工科大学が開発した小型、超高性能のロケットです。高度百キロメートルの宇宙空間に手が届く、世界最小のロケットシステムです”
「……だってさ」
そうか、向こうは宇宙に手が届くのか……と少しだけうらやましくなる。ENAがうちを切った理由の一つにはそれもあったんだろうなとぼんやり思う。
“間もなく、秒読みが開始されます。発射ボタンを押すのは、ENA代表取締役社長、榊原紀子。今、管制室に姿を見せました”
ブランド物のスーツに身を包んだ溌剌とした女性が画面の中央でにこやかに微笑んでいる。途端に由里子がフンと不満そうに鼻を鳴らす。
「そうか、このおばさんが私達を裏切ったのね」
どうやら由里子はいまだにENAに対する怒りが鎮まっていないらしい。
“いよいよ発射六十秒前です”
そのアナウンスと共に、合成音声らしい硬い女性の声で秒読みが開始された。画面のこちら側でも全員がかたずを飲む。由里子に言わせれば”宿敵”の『ENA-1』だけど、さすがに秒読みが始まってしまえば無事に上がって欲しいと素直に思う。
“三十秒前ですっ!”
アニメ声のレポーターも緊張しているらしい。声が素に戻っているのがおかしくてクスリと笑ってしまい、坂本君にいぶかしげに睨まれる。
「おかしいですね。なんだか液酸の充填が停止してないように見えます」
中村君が不思議そうに声を上げる。でも、秒読みは止まらない。
“十秒前”
何だか胸騒ぎがする。
“五秒前”
「あ!」
こめかみにピリッと響く頭痛に思わず声を上げてしまい、全員にぎょっとした顔で見つめられる。
“三、二、一、点火!”
瞬間、『ENA-1』の機体がまばゆい炎に包まれ、次いでゆっくりと上昇し始めた。
「成功?」
誰かが小声でつぶやく。その間にも『ENA-1』は上昇を続け、中継カメラがゆっくりと上を向き始めた。
「いや、やっぱり変です!」
機体の中央付近からチロチロと炎が上がり始め、それは瞬く間に長く伸びる横向きの火柱となってロケットの姿勢を激しく崩す。
「やだ!」
もはや『ENA-1』は誰が見ても正常ではなかった。胴体から吹き出る炎に押されるように急激に向きを変え、あっという間に頭を地上に向けて落下し始めた。
「指令爆破! いや、もう間に……!」
画面は爆炎でオレンジ色に染まり、次いで一面のノイズがスクリーンを埋め尽くした。
音声回線からは激しい轟音がとどろき、怒号とも悲鳴ともつかない意味不明の叫び声が響く。
数秒後、画面は今度こそ真っ暗になり、すべての音が消えた。
「回線が切断されたようです」
どれだけそうしていただろう。中村君がぼそりとつぶやき、操作卓に指を落とす。窓を覆っていた暗幕がゆっくりと開き始め、視聴覚室全体が明るい光で満たされた。
「あの……」
夕日を浴びて、ようやく石化から解放されたように大野さんが声を上げる。
「今の映像……、失敗でしょうか。それに皆さんは無事なんでしょうか?」
「原因は分かりませんが、多分、酸素配管回りのトラブルですね」
中村君自身が今朝まで苦しめられていたのとまさに同じ部分だ。
「映像からの推測ですが、バルブがきちんと閉じなかったか、打ち上げの衝撃で配管が破損したか……いずれにしても液体酸素が大量に漏出したみたいですね」
横向きに吹き出していた火柱が多分そうなんだろう。でも、あれ?
「でも、中村君、前に酸素は単独では燃えないって……」
「ええ、でも、『ENA-1』の機体には塗料が塗ってありましたし、ある程度高温になれば外板に使われているアルミだって結構燃えますから」
中村君はライブ中継が行われた別の動画投稿サイトを巡回し、打ち上げのライブ映像がどこかに残っていないかと探し始める。
「それに、たとえ炎が出ていなくても、あれだけ猛烈な勢いで酸素が噴き出したら、姿勢を崩すには十分だったと思いますよ……っと、あ、あった!」
スクリーンには再び事故の瞬間が映し出される。
「こっちはもう少し後まで配信されてますね。ああ、管制棟は無事だ。どうやら人的被害は出てないみたいです」
「よかったー」
私は安堵のため息をついた。一瞬由里子に凄い目つきで睨まれた気もするけど、私にとってロケットの事故は人ごとではない。私だって最初はひどい目にあったし、明日は我が身かも知れないのだ。
「ナツ、あんた、お人好しが過ぎる!」
「いや、でもさ、人の不幸を……」
言い訳をしようと私が口を開きかけた途端、由里子のスマホが震え始めた。彼女はさっと画面を眺め、露骨に嫌そうな顔をしてバシッと終話ボタンを押した。
「出なくて良かったの?」
「嫌よ。なんで今さら」
吐き出すように言うと、私に着信履歴を見せた。そこには、“ENA牟田口”とあった。
---To be continued---
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