第49話 黒雲
『確かに、ちょっときな臭い雰囲気になってきたわね』
電話の向こう。開口一番、由里子は苦い物でも飲み込んだような口調でそう切り出した。
港でナイチンゲールの納められた木箱を受け取り、運送会社のトラックに便乗して大学連の射点まで持ち込んだところで、私達は森川研の先輩達からいくつか気になるうわさを聞かされる羽目になった。
確認のため慌てて由里子に電話すると、さすがの由里子もまだ情報を掴んではいなかった。
彼女的にはそれがかなりプライドに障ったらしく、猛烈に不機嫌な口調で『すぐに調べる』とだけ言って切られた。
そのままじりじりと待機すること一時間。戻って来た報告は確かに、その
『和歌山県串本宇宙センターの発表した打ち上げリリースでは、確かに“A-1”という仮符号で試験機打ち上げの予約が入っているわ。打ち上げ予定日は私達と同じ十二月二十四日、予定到達高度も同じ二十キロ。ただ、問い合わせてみたけど誰が持ち込んだ機体なのかは非公開ですって』
「うーん、なんだろう?」
『この情報だけでは何とも判断できないわ。偶然と言い切るにはスペックが似通っているけど』
「……産業スパイとか?」
『うーん。そういう方面に何の配慮もしていなかった点は確かに私の落ち度ね』
「でもまさか素人の部活動に、ねえ」
『私も油断してた。でもまあ、真上に二十キロ上昇できる能力があれば、斜め撃ちなら水平飛距離は軽く倍は行くはずよね? 仮に頭に爆弾を積めば立派なロケット兵器だわ。よからぬ目的のために欲しがる勢力が出てくるのもあり得る話ね』
「やだなあ。
『とりあえず、引き続き私も情報を集めるわ。それより大変なのはもう一方。こっちはさすがに神様でもない限り太刀打ちできないわね』
「……うん」
答えながらうーんと身体をそらして空を見上げる。
今のところ、高い所に薄く刷毛で引いたような白い筋雲が幾本も走っているだけだ。だがその一方で、海から吹き付けてくる風は
『本土への最接近は二十二日午後から二十四日の未明にかけて。台風のコースが不安定なせいでウェザーサポートと気象庁の予報にもかなりの幅があるわ。場合によっては伊豆か房総に上陸の可能性もあるそうよ』
「どうしよう?」
『その決断はあんたの仕事。でも、いずれにしても決めるなら早いほうがいいわね』
「わかった。また何かあればよろしく」
『
まるで無線連絡のようなシンプルさで電話は切れた。
思案しながらランチャーのそばに置かれた待避所代わりの大型コンテナにとぼとぼと戻ると、私の姿を認めた中村君が走り出してくる。
「ナツさん、気分はもう大丈夫ですか?」
「さっきはごめん。風にあたってだいぶ楽になったよ」
思わず赤面しながらペコリと頭を下げる。
乗船前に乗り物酔いの薬を飲み、万一に備えて食事も減らして準備万端だったはずなのに、私はすっかり船酔いしてしまった。たった二時間の船旅なのに、何度トイレに駆け込んだか知れない。
「体調が万全じゃないところに悪いんですが、良くない知らせです。東京戻りの貨物船ですが、予定を早めて先ほど出港したそうです」
「え!」
私は絶句する。
「明日の朝出港じゃなかったの? うー、まいったなあ」
「どうやら、天候悪化を嫌って予定を早めたみたいですね」
「困ったなあ。それじゃあ今さら本土にも戻せないし……二十四日の打ち上げ、大丈夫かな」
「思い切って日程、遅らせましょうか? 仮に台風が早めに抜けたとしても、吹き返しの風で打ち上げできない可能性の方が高いでしょう?」
「いや、それは……困る」
私はそれ以上何も言えずに黙り込んだ。走との約束はなんとしても守りたい。でも、どうすればいいんだろう……。
その時、水平線を見つめて彷徨う視線の先を、漁から戻って来たらしい小型の漁船がゆっくりと横切って行く。
「……漁師の人に頼んでみようか?」
「え?」
「ナイチンゲールを本土に運んでもらえないか、頼んでみようよ」
「ええっ! 本土に戻して、それからどうするんです?」
「まだ考えてないけど、このまま島にいたら二十四日にはまず打ち上げられない。できれば約束の日程は守りたいの」
私の言葉に、中村君は考え込んだ。
どこか遠くででカモメがみゃあと鳴き、気まぐれな風がびゅうと吹き抜ける。
「……判りました。じゃあ、さっそく動きましょう」
しばらくして、覚悟を決めたように大きく頷いた彼は、私を誘うように大きく手を差し伸べた。
だが、半日かけて港じゅうを走り回った成果ははかばかしくなかった。
やはり誰もが台風の接近を気にかけており、加えてやっかいごとに関わり合いになりたくない気持ちが誰の顔にもありありと見て取れた。
右往左往しているうちに、次第に風が強まり、日暮れからは分厚い黒雲が本格的に空を覆い始めた。
「ついに降ってきましたね。もう少しくらい
宿に戻り、食堂で顔を合わせたところで中村君は暗い顔で天を指差した。
「貨物船の判断が正しかったですね。予想以上に影響が大きい……」
「うーん。困った」
私も負けずに暗い表情でそう答える。島からの脱出はこれで一層難しくなった。
食堂の片隅、旧式の液晶テレビでは台風情報が流しっぱなしになっている。
宿の客は私達を除けばどうやら数人だけのようで、ビール片手に夕食をつまみながら、誰もが気がかりそうに画面に見入っている。
”……季節外れの台風三十一号は、勢力を徐々に強めながら、きわめてゆっくりとした速度で北上を続けています……”
男性アナウンサーの良く通る声が人気のない食堂に虚しく響く。
「今度の台風はクリスマス台風とか、サンタ台風って別名もあるそうですよ。観測史上最も遅く本土上陸する台風になりそうだとか……」
「……迷惑」
ボソッとつぶやく私に、中村君は心底困り果てたような歪んだ笑顔を向けた。
一縷の望みをかけた翌朝、起きてみると天候はさらに悪化していた。
旅館の玄関から一歩外に出ただけで横殴りの雨が激しく降り注ぎ、あっという間に全身びっしょ濡れになる。
せっかく陸揚げしたナイチンゲールも、結局ずっと待避所のコンテナにしまい込んだままだ。
電装系が水浸しになるのが怖く、屋外に出すことはおろか、梱包を解くことすらままならない。
落胆して部屋に戻り、濡れた服をまとめて洗濯室に持っていく。洗濯機はあいにく全台使用中で、乾燥機が一台だけ空いていた。
とりあえず乾燥機にまとめて突っ込み、タイマーをセットして食堂に降りていく。
すると、他の客はもう誰もおらず、中村君がただ一人、テレビの前でぼそぼそと食事を取っていた。
「おはよー」
「ああ、お早うございます」
見れば、朝なのにまるで死んだ魚のような生気のない目をしている。
「……ナツさん、なんだか死んだ魚みたいな目をしてますよ」
目を合わせるなりいきなり言われた。どうやら私も同じような見た目らしい。
「台風は北風の影響でほとんど停滞しているそうです。少なくとも今日、明日いっぱいはこんな状態が続いて、その後は進路次第でもっとひどくなる可能性があるとか」
「うわ……」
考えられる最悪に近い状況だ。
「島にこのまま滞在してもしようがない気がしますが、定期便のジェットフォイルも今日は全便運休だそうです」
「うわ……」
それしか出てこない。
「もう一つ、調布行きのセスナも天候調査中で、多分飛べないだろうと言われました」
「……最悪だね」
よりにもよって、なんでこのタイミングで台風なんだろうと本気で天を恨む。もはや、打ち上げどころか島から出ることすら難しくなってしまった。
「とりあえず、森川研の皆さんが何軒か先の旅館に泊まってますから、これから様子を伺ってきます」
「え、じゃあ私も……」
「いえ、ナツさんはまず朝ごはんを食べてください。”腹が減っては戦はできぬ”ですよ」
中村くんは二カッと無理矢理っぽい笑みを見せながら立ち上がる。
「じゃあ、後ほど」
そのまま軽く会釈すると、厨房からちょうど顔を覗かせた仲居さんに空の食器をトレイごと渡して食堂を出ていった。
「お客さん、朝食はお召し上がりになりますか?」
「あ、はい」
呼びかけられ、思わず反射的に返事をすると、さっきまで中村くんが座っていた席にすとんと腰掛ける。
目の前のテレビでは、朝からテンションの高い女性気象予報士が、真っ赤な雨傘を片手に解説を始めたところだった。
「はいどうぞ」
言葉とともに目の前に湯気のたつ味噌汁と白ご飯が置かれ、軽く炙られた魚の干物と漬物も添えられる。
促されるままにとりあえず箸をとって見たものの、いろんな考えが頭の中でぐるぐると渦を巻き、食欲がちっとも湧いてこない。
目前に迫っている台風は言うに及ばず、串本の正体不明のロケットも相当気になる。
由里子が悔やんでいたとおり、私達はクリティカルな情報を気軽に外に出しすぎたかもしれない。
CGを作ってやるからと言われ、ENAの牟田口氏から求められるままに簡単に設計図を渡してしまったし、それがどう使われ、最終的にどう処分されたかなんてまったく確認もしていない。
そのデータが変なところに流れていれば、ナイチンゲールのコピーを作るなんて案外たやすいことにも思える。
(でもなあ、構造はかなり特殊だし、ボディに使われる炭化ケイ素のパイプは国内では安曇窯業にしか作れないって聞いてたし、たとえ図面があっても果たしてマネなんかできるのかな……)
それに、もし仮に最悪の予想が的中し、何者かがナイチンゲールのレプリカを製作したとして、わざわざ私たちの打ち上げ予定日に自分たちの打ち上げをぶつけてくる理由がまったくわからない。
この件は、何から何まで本当に謎だらけだ。
(だめだ。食欲わかない)
私はあきらめて箸を置き、まるでそれで台風を消し去ってしまわんとするかのように、念を込めて目の前の液晶テレビを強くにらみつけた。
---To be continued---
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