第44話 抗う力

「念のために聞きますけど、ナツさんって、もしかして空気の流れが見えるんですか?」

 中村くんが呆れ声をあげる。

「まさか、そんな訳ないじゃない」

「その割には……見るからに変な形だと思いましたけど、測定結果はとんでもなく優秀なんですよねえ」

 彼が握りしめているのは風洞実験のプリントアウト。私がヤマ勘で削り出した尾翼の抗力係数がとんでもなくよかった、つまり、空気抵抗がえらく少ないってことらしい。

「大体、尾翼の先端をわざわざこんな波型にする理由が分かりませんし、表面にこんな妙なデコボコをつけた理由は一体何なんですか?」

「うーんと、なんだかその方が飛びそうな気がしたから……ってのはダメかな?」

「ダメというか何というか……」

 そのまま絶句した中村くんの後を森川教授が引き継いだ。

「天野さんはボルテックスジェネレーターを知ってますか?」

「ボル……何ですか?」

「知らないみたいだね。じゃあ、やっぱり天然なんだ」

 そのまま苦笑される。同席した研究室の学生達も顔を見合わせてはクスクス笑っている。

「えー、バカにしてないでないで教えてくださいよー」

「いや、バカになんか……。むしろこういう概念を本能で理解できる方が謎だよ」

 謎って言われても、私だって“なんとなく”としか説明できない。少し凹む。

「すいません。脳筋なんで頭では理解できてません。わかりやすく教えて下さい」

 森川教授は笑いをこらえながらタブレットPCの画面を私に向けた。

「これ、学生向けの講義資料なんだけど……」

 そのままパラパラとパワーポイントの画面を繰っていく。

「一番判りやすいのはこれかな」

「あ、ゴルフボール!」

「そう。ゴルフボールのディンプルはボールの表面に細かい空気の渦を発生させて空気抵抗を減らし、飛距離を伸ばすための工夫だね。同じように、物体の表面に突起やミゾを設けて、意図的に空気や水の渦を発生させる流体力学上の工夫をボルテックスジェネレーターと言うんだよ」

「そうなんですか」

「尾翼の端にある、鳥の翼のような波形形状も同様に空気抵抗を減らす効果があるね。これらは“バイオミメティクス”っていう新しい分野で研究されているものだ。本来、こういう物はコンピューターシミュレートと実験を何度も繰り返しながら形を導いていくものなんだけど」

 そのままニコッと笑顔を向けられる。

「うぅ……」

「天野さん、君が直感で削り出した尾翼の形は間違いなく空力上の最適解だ。航空宇宙工学に携わるものとして、一直線にそこにたどり着く感性センスをうらやましくさえ感じるね」

「……でも、それだけじゃ駄目なんですよね?」

「まあそうだね。だれもが納得できて、かつ再現性のある理屈で説明できない以上、むしろ芸術作品の範疇だ。工学エンジニアリングとは言いがたい」

 思いがけず厳しい批評に顔を伏せる私の肩をポンと叩くと、森川教授は白く輝く歯を見せてにこやかに続ける。

「そう悲観することもないさ。そのずば抜けた感性に理論が追いついてくれば鬼に金棒じゃないか。森川研究室ウチでじっくり学べばいい。歓迎するよ」

「教授、青田買いにはまだ早いですよ」

「バカ、大学は過当競争なんだ。優秀な学生を確保するに早すぎることなんてないぞ」

「あのー、その前に、私の今の成績だと入学すらも危ういんですが、それは置いといてもいいんですか?」

 そう尋ねた途端、全員に大爆笑された。今度こそ本気で凹む。


 というわけで評価は微妙だったけど、私の作った尾翼は神技工大の工房で細かい傷の修正とコーティングが施され、FRPでメス型が起こされた。その後ほんの数日で実際に使う四セットと予備、合計五セットが複製された。

 中村チームが削り出したノーズコーンもCFRPによる成型が完了し、安曇から送られてきたボディやエンジンノズルとあわせ、初めてロケットの形に仮組みされたのは十一月の第一週、半ばのことだった。


「おおー!」

 作業場に感嘆の声が響く。

 設計図や完成予想CGでは何度も見ていたけど、こうして実際の形になってみるとやっぱり印象が違う。

 肝心の中身はまだ空っぽ、その上塗装もされていない。部材パーツごとに白かったり黒かったりするかなりちぐはぐな状態。でも、“ついにここまで来たか”と思わず感動してしまう。

 多分、他のメンバーも同じ気持ちだったみたいだ。自分の手がけた部分を愛おしそうに撫でさすったり、はたまた全体を写真に収めようとスマホを手に寄ったり離れたりするのがしばらく続き、出席者全員が一通り落ち着くまでに十五分近くかかった。

「え、では天野部長、一言お願いしまーす」

 坂本君がおちゃらけてマイクを向ける仕草をした所で、全員の視線がさっと私に集まった。

「あ、えーっと」

 私はつま先を見つめて小さく深呼吸し、顔を上げてみんなの顔を見回しながら頭の中で言葉を組み立てる。

「皆さん、ここまで協力してくれてありがとう。おかげで今日、無事に一回目の報告会を開くことができました。この先は燃料や制御系の組み込みといったとても地味な作業が続きます。納期までホントにホントにタイトなスケジュールが続きますが、どうぞ、もう少しだけ私に力を貸して下さい。完成披露、そして打ち上げ成功の報告会で、また笑顔で皆さんに会えたらいいなと心から願っています」

 そのままちょこんと頭を下げる。拍手が湧き起こり、ちょっとだけ目頭が熱くなった。

「あ、ナツ、乾杯の前にちょっといいかしら?」

 ジーンと感動しているところに、由里子がスーツ姿の男性を伴って近づいてくる。

「こちら、EMAの牟田口室長。そして彼女がプロジェクトリーダーの天野です」

「あ、どーも。直接には初めまして」

「こちらこそいつもお世話になっています」

 お互いを紹介されてなんとなく頭を下げる。と、牟田口氏が急にぞんざいな態度でロケットを指差した。しかも親指で。

「天野ちゃん、こいつはちゃんと飛ぶの?」

「え?」

「いや、ちゃんと飛ぶよね? ウチもお金入れてるんだから、きっちり仕事してもらわないと困るよ」

「はあ」

 何でこんなことをいきなり言われるのかと由里子を見やると、牟田口氏の背後で顔の前に両手を合わせてこっちを拝んでいる。

(うまく合わせろってこと?)

 目で問うと、うんうんと大きく頷いてくる。 

「大丈夫だと思いますよ。ハイブリッドは技術的には十分枯れてますし、神技工大からの技術支援もいただいていますから」

 しかたない。とりあえず無難に答えてみる。

「思いますって…不安だなあ」

 私の返事が気に入らなかったらしく、牟田口氏は露骨に顔をしかめる。

「まあ、俺、本当は東都工大ロケット研みたいな一流どころに依頼するつもりだったんだけどね。ただ、社長がえらく地元にこだわるからさぁ」

(あー、あんまり好きになれないタイプ)

「あ、はい、期待に添えるよう精一杯頑張ります」

 次第にささくれ立ってくる内心を押し隠し、愛想笑いの大盤振る舞いでそれに答える。

「そう、じゃあよろしくね」

 牟田口さんはなぜか最後まで私の目をちゃんと見ようともせず、軽い口調のままそう言い残すとそそくさと離れて行った。

 私は顔に張り付いた愛想笑いそのままで、由里子の二の腕をがしっと掴む。

「ユリ、ちょっといいかな?」

『痛い! ナツ、痛いから!』

 ささやき声で抵抗する由里子を無視して壁際に引っ張り込むと、

『由里子! 何のあの人?』

 私もささやき声で抗議する。

『ああいう人なのよ。スポンサーでしょ。我慢しなさい』

『むう』

 気に入らないなら最初っからロケット部ウチになんて頼まなきゃいいのに、何だか納得がいかない。

 結局牟田口氏は神技工大の関係者や学習塾チェーンの広報さん達とも一言も言葉を交わさないまま、一人でさっさと部屋を出て行った。

「あ゛ー! 何だか気分悪い!」

 私はロケットのノーズコーン近くに冷やしてあったシャンメリーの瓶をむんずと掴むと、憂さ晴らしに天井に向けてポンと勢いよく栓を飛ばした。


 翌日、私は骨髄採取のため市大病院に入院した。

 事前に検査や自己血の採血で何度も通っているので担当のドクターとももう顔なじみだ。

 着替えのバッグを持って病棟のナースセンターに行くと、そこにはもうコーディネーターのお姉さんが待ち構えていた。

「どう? 変わらず健康体かな?」

「はい、もうバッチリです」

 右手でVサインを出すと彼女は笑顔で頷きながら抱えていたバインダーを開く。

「じゃあ、今から入院ね。本日中に採血とドクターからの説明を受けてもらいますから、明日は一日暇になるかな。あさってが本番、回復に二日、合計五日間の入院だけど、問題ないかしら?」

 私は大きく頷いた。

 入院は二日間程度と思っていたので最初は驚いたけど、どうやら病院によって細かい方針が違うらしい。

 でも、躊躇なんてしていられない。走の状態はあまり良くないと聞いている。これ以上遅れると命に関わるとも。

「じゃあ、ナースに病室に案内してもらうわね。私も後で行くから。看護師さーん」

 呼びかけにショートカットの一番若いナースがさっと振り向くと小走りでやってきた。

「お、ナツ、来たわね」

「来たよ」

 言葉を交わしながら拳を軽く打ち合わせる。宮島さん、彼女ともすっかり顔なじみだ。

「そうそう、明日の夕飯は食べられないから、今日はがっつり食べてね」

「はい。他にも何か覚悟しておくことってありますか?」

「フフフ、浣腸」

「え! やだ。聞いてない」

「やだ、じゃないよ。完全麻酔だからね。途中で出ちゃうよりいいでしょうが?」

「うへ! 花の乙女に何てことを!」

「今さら恥ずかしがってどうすんの。それにどうせ手術中はマッパだしね」

「えー! マジ! それも聞いてない!」

「ふーん、じゃあ、手術、止めておく?」

 宮島さんはいたずらっ子のような表情で尋ねてくる。でも。

「いえ、それはないです」

 私は即座に断言した。

 適合検査の結果、コーディネーターさんから私の骨髄が走に移植可能だと聞かされて、涙が出るほど嬉しかった。同時に、走と兄妹だったことを神様に感謝した。

 生まれつきの重病と今も闘い続ける彼のために、私が今、出来ること。

 それは彼に、病に強く抗う力を分け与えてあげること。

 私の骨髄が、彼の身体の中で新しい血液を生み出し、いつの日か、彼が病を完全に克服する未来を私は夢想する。

 そのためだったら何でも出来る。

 どんな困難があろうとも、彼のためなら不敵に笑って立ち向かおう。

「ん、いい表情してるわね」

 私の顔をのぞき込んでいた宮本さんは、満足そうに頷くと私の頭をクシャリと撫でた。


---To be continued---

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