第45話 契約破棄

 手術着に着替え終わったところを見計らったように、宮島さんがやって来た。

「どう? 準備できた?  ちゃんと下着脱いで素肌にじかに着た?」

「はい、でも……」

 答えながらなんとなく気恥ずかしくなって胸元を押さえる。

「なんだかスースーして落ち着きません」

 途端にニヤリと笑われる。

「すぐ気にならなくなるって。どうせ麻酔が効いたら全部剥いちゃうんだから」

「それ、ホントにヤなんですけど!」

「えー、大丈夫大丈夫。私が責任持って剥いたげるし、ドクターが手術室に入ってくるのは”オイフ”って言って、手術部位だけに穴の空いたシーツをかけられた後だから」

「本当ですよね? 絶対ですよね!」

 宮島さんはにへっと笑うだけでそれ以上答えず、私の手首を取って前腕を軽くしごく。

「ねえ、自己血採血の時どっちからが多かった?」

「右です」

 わざわざそう聞いておきながら「うん、やっぱ左だねー、いい血管!」なんて言ってる。点滴を打つ場所に見当をつけているらしい。

「よし、じゃあ移動するよー」

 その声と共にもう一人、ふくよかな男性看護師がストレッチャーを押しながら病室に入ってきた。

「さあ、こっちに乗り換えて」

 言われるままにベッドからストレッチャーに移動する。仰向けに横になったところで身体を巻くように毛布が掛けられ、お腹の上で軽くベルトを締められる。

「んじゃ、レッツゴー!」

 宮島さんのかけ声と共に天井が動き始める。

「おお」

 こうやって寝たまま運ばれるのはなんだか新鮮な感じだ。天井はくるくる動き、いくつも角を曲がったところで広めの部屋に入って停まった。テレビドラマでもよく見かける、蜂の巣のような特徴的な照明器具が視界に入る。

「名前と血液型、言えるかな?」

 確か麻酔医と紹介された背の高い痩せぎすの女性が頭の方から聞いてくる。

「天野奈津希、O型です」

「はーい、じゃあ生年月日は?」

 問われながら、鼻と口を覆う人工呼吸器のマスクをかけられ、宮島さんが私に向かって大きく頷きかけたのを最後に、私の意識は突然途絶えた。

 麻酔が効いてくると、夜眠りに落ちるときのようにだんだんまぶたが重くなってくるのかな、なんて興味津々に思っていたけど、そんなことは全然なく、いきなりガツンとシャットダウンされる感じだった。


「……さん、天野奈津希さん、終わりましたよ」

 声をかけられてぼんやり気がついたのはそれから数分後、と思っていたら、意識を失って三時間近くが過ぎていた。

「どう、目は開けられるかな?」

 問われてどうにかまぶたをこじ開けると、宮島さんが私の顔をのぞき込んでいるのがぼんやり判る。

「無理しなくていいよ。今から病室に戻るからね」

 まだうまく言葉が出ず、ストレッチャーに寝かされたまま来たときと同じルートで病棟に運ばれる。

 ハッとして身体をまさぐると、良かった、手術着はちゃんと着てる。宮島さんが着せてくれたんだろうか。

 なんてことを思っていると、

「おしりの上」

 病室に入ったなり、いきなり下半身を指差された。

「ふぁい?」

「……この辺りにね」

 と、今度は自分の腰を両手の親指で押さえ、モデルさんが胸をそらすような姿勢で宮島さんが言う。

「腰骨のところに四カ所穴があいてるからね。多分数日は痛むと思うけどすぐに良くなるから」

 言われてみると確かに、腰の辺りにズーンという鈍い痛みがある。

「あ、あと、今夜は多分熱が出ると思う。それほどひどくはならないと思うけど、私が宿直だから。何かあったら遠慮なくナースコール押してね」

 ふわふわと頷く私に、宮島さんはマスクの下の目をネコのように細めながら付け加える。

「いい? まだ麻酔が完全に切れてないから、今日はベッドから出てはいけません。トイレに行きたくなったら私を呼ぶこと。恥ずかしがっちゃ駄目だよ」

 例によっていたずらっ子のような表情でそう念を押した宮島さんは、よいしょと思いがけない怪力で私をベッドに移すと、私の頭をくしゃくしゃとかき回し、最後にポンとはたいて病室を出て行った。

 宮島さんはどうやら私を部活の後輩か妹みたいに思っているらしく、扱いがえらくぞんざいだ。全く看護師と患者っぽくない。

 まあ、嫌な気持ちはしないけど。

 ともかく、大きな仕事を終えた達成感で気持ちも軽い。後は、私の骨髄細胞がちゃんと走の役に立ってくれることを祈るばかりだ。

 開放感に浸りながら大きく伸びをすると、枕元のテーブルに置きっぱなしにしたままだったスマホが目に入る。いつの間にか何通ものメッセージが入っていた。どうやら着信もあったみたいで、インジケーターLEDがチカチカと賑やかに点滅している。

 手にとって見ると最新メッセージのタイムスタンプは十時三十分。三十分ほど前だ。

 首をひねりながらアプリを起動すると、送信者は由里子。

「っかしいな。手術だから出れないって言ってたはずなのに……」

 最初のメッセージには”これ見て! 至急!!”とあり、次のメッセージには動画投稿サイトのURLだけが何の説明も無しに貼り付けられていた。

「何だ?」

 まだおぼつかない右手でリンクをタップし再生アプリが開くのを待つ。すぐに動画がスタートし、最初にENAのカンパニーロゴが映し出された。

「おお、ロケットの件、いよいよ告知リリースされたのかな?」

 私が最後に見せられたENAからのメールでは、十一月の半ばにはメディア向けのプレスリリースが出されるとのことだった。そのためのCG製作に必要だとかで、図面やらカラーリングやらの資料を五月雨にだらだらと要求されて由里子がかなりイラついていたのを覚えている。

「どーれどれ?」

 牟田口氏が大きなスクリーンを前に得意そうな表情でロケットプロジェクトの概略を語っている。ところが、動画CGに切り替わった瞬間、私は思わずぽかんと口を開けた。

 自分の目が信じられず、左手でなんどもまぶたをぬぐう。

「なんだこれ?」

 画面に映し出されているのは、ボディ全体が濃いブルーに染められた見知らぬロケットの姿だった。

「え? あれ?」

 オレンジ色の炎を吹き出してぐんぐん上昇していくロケットは、フェアリングの形も全体のプロポーションも私達のナイチンゲールとはおよそ似ても似つかない。

 ナイチンゲールの最大の特徴である流れるような尾翼のデザインはなぜか無骨な矢羽根型に変更され、しかも四枚ではなく三枚羽根だったりする。

「なんで? どうして?」

 思わず声に出る。でも、ここには疑問に答えてくれる人はいない。

 私はスマホを取り落としそうになりながらわちゃわちゃと動画アプリを閉じ、由里子の残りのメッセージに慌てて目を通す。

”今朝、予告なく突然この動画がアップされました”

ロケット部わたしたちへの事前案内は一切ありませんでした。CGでロケットのデザインが異なっていることをENA広報部に問い合わせましたが、今のところはっきりとした説明はありません”

 さらに数分後のメッセージ。

”つい今しがたENAのサイトに以下の内容がアップされました”

”ロケットの制作は東都工大航空研究部”

”打ち上げ日は十二月十日”

”打ち上げ場所は北海道、大樹町……”

「なん……」

 それ以上は言葉にならなかった。

 力の抜けた手のひらからスマホが床に滑り落ち、カツンと硬い音を立てた。


 夕方、由里子が真弓先生と一緒に見舞いにやってきた。

 私はといえば、放心状態からいまだ十分には回復しきれず、ベッドに横たわったまま、備え付けのテレビをボーッと眺めているところだった。

 ENAロケットプロジェクトのニュースはネットだけではなく地上波でもかなり話題になり、夕方のニュースはどの局でも大きく取り上げられていた。

 ENAの社長が東都工大の学長らしき人物とがっちり握手を交わしてまばゆいフラッシュの放列を浴びているシーンが繰り返し放送され、局によってはネットで配信された打ち上げの予想CGがそれに続く。

 でも、私達のことに触れた局は皆無だった。

「ENAに問いただしに行ってきたわ。牟田口氏は顔も見せなかったけどね」

 いつもクールでほとんど表情を変えない由里子が、思いっきりの仏頂面で吐き捨てるように言う。

「結論から言うと、ENA側からの一方的な契約破棄。どうやら最初から私達と東都工大を両天秤にかけていたみたい。で、牟田口氏が様子を見に来て、こっちを見捨てることにしたらしいわ」

「……」

「ま、一方的な通告だから、契約上これまでに受領したスポンサーフィーは返さなくてもいいっていうのが唯一の救いかしらね。迷惑料としてありがたくもらっておくわ」

 私は小さくため息をついた。

 スポンサーフィーの残りがなかなか振り込まれなかったのはそういう理由だったらしい。結局、私達が得たのは初回の五十万円っきり。もちろん無いよりは百倍もましだけど、当てにしていた製作資金は手に入らなくなった。

「……由里子、お金、足りそう?」

「あんたの思いつきのおかげで製作コストがだいぶ下がったけど、それでも十分じゃないわ」

「だよねえ」

「だよねえ、じゃないわよ! 人ごとみたいに。あんた、こんな無礼なことされて腹が立たないの?」

 憤慨したように詰め寄ってくる由里子。

「これって裏切りよ、う・ら・ぎ・り!」

 鼻先が触れんばかりに顔を近づけ、そう強調される。

「腹がたつと言うより、がっかりしたって気持ちの方が強いかなあ」

 私は彼女から顔をそらすと枕に頭を預け、窓の外の夕焼けをぼんやり眺める。

「これまで奇跡的に恵まれていただけで、こういう反応がやっぱり普通なんだって思った。私みたいな素人がロケットなんて、誰がどう見ても無謀な挑戦には違いないんだよ」

「いや、だからそれは――」

「いいよ」

 私はもう一度小さくため息をつくと由里子に向き直る。

「もう一度父に頼んでみる。成人式の振袖だけじゃなく、ウェディングドレスも諦めなきゃだけど」

 血の繋がった親でないことを知ってしまっただけに、借金の無心をするのはいよいよ心苦しい。彼にはそこまでする義理などないのだ。

「っていうか、今から結婚の心配なんてまだ早いか。先に相手を探せって話……」

 そう冗談めかしてテヘっと笑うと、デコピンで返される。

「いてっ」

「あんたには旦那かけるがいるでしょ。そのためにこんな痛い思いまでしたんじゃないの?」

 その隣で真弓先生が顔をゆがませる。

 ああ、そうか、由里子は知らないんだ。 

「それは……ないかな」

 目を丸くする由里子から再び目をそらし、すっかり漆黒に染まった空に視線をさまよわせた。


---To be continued---

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