第42話 スポンサー

「おー、重役出勤ご苦労!」

 部室のドアを開けると、いきなり由里子に皮肉っぽく笑われた。

「おはようございます。あれ? なんだかまぶた腫れてませんか? 目も赤いみたい……」

 カメラ越しに大野さんに指摘される。鋭い。さすがは映像作家の卵。

「ちょっとね、昨日眠れなくて夜更かししちゃって」

 そう言って曖昧にごまかすと、まだ何か言いたげな大野さんから由里子に向き直る。

「何?」

「ええ、ちょっと報告と提案があったのだけど。どうやら中村君の方が先のようね」

 確かに、中村君は資料の束を抱えたままそわそわと腰を浮かしたり降ろしたり。

(ああ、そう言えばこっちの話もあったんだった!)

 走ママの衝撃告白でこっちの問題に頭を使う余裕がほとんどなかった。

「今、いいですかね?」

 私が頷くのも待たずに中村君は丸めていた図面をさっとミーティングテーブルに広げる。

「図面、引いてみたんですよ。ええと、五分の一スケールで」

「これ、まだ直せるの?」

「もちろんです。イメージをつかんでもらうためにザッと描いたものですから」

 四隅をテーブルに転がっていた誰かの文庫本やペンケースで押さえ、まずは全体を俯瞰してみた。

 五分の一スケールで描かれているのに、それでも私が以前に作っていたフルスケールのモデルロケットと同じくらいの大きさがある。

「そっかー、この五倍なのかー」

 我ながらとんでもないものに手をつけてしまったなあと小さく身震いする。

 とはいえ、ここから具体的に性能アップの方策を考えなくてはいけないのだ。顔を引き締めて細かい部分に目を通していく。

「ここ、エンジンと外装ボディの間にけっこう隙間があるね」

「ロケットモーターが相当熱くなりますから。動作に影響しないようにマウントで浮かして二重構造にしてあるんですよ」

「熱で影響を受けるものって?」

「主に姿勢、速度センサーとその配線関係、このあたりですね。あとは姿勢制御のためのサーボが尾翼のここにあります。全部で四つです」

 中村君は説明しながら図面のそこここを指先でトントンと押さえてみせる。

「うーん」

 私は腕組みをしてうなる。理由はわかるのだけど、なんだか美しくない。例によって後頭部がモヤモヤ、チリチリする。

 前に作っていたモデルロケットも、本体外装ボディとエンジンは別だった。ロケット本体が再利用できるように、ロケットモーターの部分だけがカートリッジ式で簡単に取り外せるような構造になっているのだ。しかし、今回の機体は基本的に使い捨てで再利用は考えなくてもいい。

「あの、これさ」

 眺めているうちに、なぜか昨日のパスタ缶が不意に脳裏に思い浮かぶ。こんなに何重にも包装しなくていいのにと思ったことまでもが、今さら天啓のように頭に湧いて来た。

「そうか!」

 私はもう一度図面をにらみつけ、

「二重構造なんかにしないで、機体に直接燃料を詰めちゃ駄目なのかな?」

「えっ!」

 中村君が絶句した。

「え、そんな変なこと言っちゃった?」

「ええ、直接詰めるということは、機体そのものをエンジンの燃焼室にするってことですよ」

「そう。例えば、ロケット花火とかは火薬の回りに新聞紙を巻いてあるだけじゃない。そういうことだよね。どうしてウチの子はそうなってないのかな?」

「いえ、これは大学からもらった図面を参考にして……というか、ロケット花火程度ならともかく、これだけ大きいと、内側からの圧力と熱が半端ないことになりますよ」

「だったら、そういう丈夫な素材で機体を作るっていう訳には?」

「今燃焼室に使われている素材はステンレスのパイプとカーボンファイバーですよ。ロケット全体をこれで作るとなると相当重くなると思います。本末転倒ですよ」

「でもさ、安曇にもらったエンジンノズル、あれってとても軽くて丈夫だし熱にも強いよね? ロケット全体をあの材料で作れないものかなぁ」

「それは、うーん」

 今度は中村君が腕組みをして考え込んだ。

「ちょっとネットで調べてみてもいいですか?」

 それだけ言い残すと、壁際に並べてあるパソコンの方にふらふらと歩いて行った。何だか身体が傾いているし歩調もおかしい。私、そんなに常識外れな事を言っただろうか?

「じゃあ、今度は私の相手をしてもらうわ」

 中村君が退散したところで、すかさず由里子が私の前にどかっと陣取る。

「私はお金の話。これ、見てくれる?」

 細かい収支計算書が私の前に差し出される。

「まあ、おおむね判っているとは思うけど、この前預かったあんたからの出資金が合計で約百万円。この中にはPVの報酬とポスターの版権使用料も含まれているわ。で、この先の経費見積がこっち」

「ええと」

 A4のコピー用紙数枚にわたってびっしりと項目が並んでいた。

「すごいねこれ」

 あまりに項目が多すぎてうまく把握できない。と、由里子は見かねて二、三枚めくるとそこに蛍光ペンでさっと数本の線を引く。

「ほらここ、大学連が共同で使っている大島の発射場までロケットを運ぶ輸送費、船便とトラック輸送の合計ね。さらにその下、これはスタッフの渡航費、あんた、大雑把にしか計上してなかったからまずこのあたりを精査してみたわ。で、総額がこう」

「うわお」

 私が覚悟していたよりさらにコストがアップしていた。

「ちなみに、機体の材料と製作コストは神技工大と安曇さんの所で持ってくれる前提だから、それはコストに入れてない。でも、燃料に使うポリエチレンと液体酸素の購入費は別途必要だから、とりあえずこんな感じで材料費に積んでおいたわ。あんた忘れてたでしょ」

「う、うん」

 私はどんどんうなだれる。

「で、結論から言うと、余裕を見てあと二百万、どうにかして欲しいの」

「にひゃく!」

 ショックで思わずしゃっくりが出そうになった。

 父にお願いしている金額は成人式の振り袖を諦め、出世払いで返済する約束で百万円。由里子の要求にはそれでもなお百万円ほど不足する。

「それ、もう少しなんとかならない?」

「無理ね。何ともならない」

 由里子は冷徹に首を振る。

「こういう開発ものにはイレギュラーがつきものだから、そこまで考えれば本当はもっと余裕が欲しいくらいよ」

「う、うーん」

 由里子は机の上に広げていた計算書を寄せ集め、トントンと揃えながら小さくため息をつく。

「一応言っとくけど、これ以上傷口が広がらないうちに撤退するのも一つの決断よ。検討する気ないかしら」

「それは絶対ない、かな」

「……頑固ね」

 ふーっと大きく息を吐き、由里子はポケットからスマホを取り出す。

「じゃあ、魔王を召喚するしかないか」

「魔王?」

「真壁先輩よ。提案に気乗りがしなかったから待てって言ったんだけど、背に腹は代えられないわね」

「え、何?」

「あ、ちょっと待って」

 相手が電話に出たらしい。由里子は右手で私を制しながらスマホを耳に当て、二、三言短いやり取りしただけで電話を切った。

「……あいつの持ってくる話、はっきり言って私はあまり気に入らない」

「どうして?」

「あんたがどんな気持ちでロケット作っているか、これでも理解しているつもりだから」

 由里子の話が終わらないうちに部室のドアが開き、ぬりかべ先輩が巨体をかがめるようにのっそり入ってきた。

「天野奈津希、約束通り提案を持ってきた」

 ぬりかべ先輩は右手に持った茶封筒を振り上げながらそう言うと、中からA4サイズのホチキス止めした資料をさっと抜き出してドアの脇にいた坂本君に手渡す。

 全員の手に資料が渡ったところで、彼は重々しく宣言した。

「君達のロケット、“プロジェクト・ナイチンゲール”にスポンサーを見つけてきた」

「「え!」」

 ロケット部全員の声がきれいに揃った。


「今回スポンサーに名乗りを上げてくれたのは、大手IT企業、株式会社ENAだ」

 確かに、資料の表紙には見慣れた会社のロゴが大きく染め抜かれている。

「横浜でこの会社を知らない人はまずいないと思うが……」

「サッカーチームを持っている会社っすよね」

 坂本君が勢い込んで口を挟む。

「そう。ちなみにENAは今年の年末で創立十周年を迎える。この先宇宙事業へ参入する計画もあり、これを機に文字通り”デカい花火”を打ち上げたいと考えていたそうだ」

 ”デカい花火”という表現に由里子の表情が微妙にゆがむ。

「打ち上げのタイミングも悪くない。クリスマス、十二月二十五日は偶然だがこの会社の創立記念日でもあってね、相当に大きな宣伝効果も期待できる」

 ああ。由里子が気を遣ってくれた理由がなんとなくわかった。

「スポンサーフィーは二百万円。条件は、機体に会社のロゴを大きく入れること、打ち上げの様子をネット配信する権利をENAが独占すること、それから、打ち上げボタンをENAの社長が押す瞬間も含め、ネットで世界配信することの三点だ」

 その瞬間、部室はシンと静まりかえった。

 全員が私の顔を緊張した表情で見つめているのが見なくても判る。

(あー、なるほどね)

 私は小さく咳払いすると、全員の顔を順番に見渡しながら、意識してゆっくりと言葉を紡ぐ。

「……私は、それでもいいと思うよ」

 言葉を切り、自分に納得させるように小さく頷く。 

「私達の挑戦がよその会社の宣伝のための下請けっぽくなっちゃうのは確かに残念かも知れないけど、それで資金が潤えばみんなもずっと楽になるし……」

「ナツさん! 本当にいいんですか? あなたがこれだけ身を削って苦しんだ成果なのに、ちょっと関わっただけの他人に発射ボタンを押させて、それで……」

 中村君が自分のことのように激しく憤慨する。

 嬉しいなあ。私のために怒ってくれる人がこれだけいるって判っただけでもよかった。

「……私にとって、大事なのはイブにロケットが無事に打ち上げられて、それを遠くで病と闘っている幼なじみにきちんと見てもらえることだけ。それだけでいいの」

 口を歪めて悔しそうな顔をする由里子。私は彼女を慰めるように静かに続ける。

「誰が発射ボタンを押したとしても、それで私達のチャレンジが無意味になる訳じゃないよ」

 顔を強ばらせた坂本君にも言い聞かせるように、

「今回の経験は、私達の中に確実に残る。いくらお金を積んでも、その経験は買えるようなものではないと思うから」

 最後に、ぬりかべ先輩の目をまっすぐに見つめる。

「このお話、受けます。よろしくお願いします」

 私はそう言って深く頭を下げた。


---To be continued---

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