第41話 血縁

「血縁……って、私と、走がですか?」

 走ママは少し引きつったような硬い表情のまま無言で頷いた。

「どういう事です? だって私にも私の両親がいますし……」

 フリーズ状態でようやくそれだけのセリフを吐き出した私に、走ママは困ったような微笑みを向けて小さくため息をついた。

「ごめんなさい。突然こんな話で驚いたわよね」

 驚いたというか、訳が判らない。

「順を追って説明するわ。と、その前に、まずはあなたにちゃんと謝らないといけないわね。身勝手な親で本当にごめんなさい」

 そう言うと走ママはソファから腰を上げ、床に正座して私の前に深々と頭を下げた。

「うわ! 何やってるんです! 顔を上げて、いや、ちゃんとソファに座って下さいってば!」

 実の親とも等しい人にいきなり土下座され、髪の毛が逆立つほど驚いた。

 私は慌てて彼女の二の腕を掴むと、半ば強引に抱え起こしてソファに座らせる。

「一体どうしたんですかもう! 何なんです?」

 もう、何が何だかという状況だ。走ママは抱え起こされた姿勢のまましばらく顔を伏せていたけど、大きくため息をついてこちらに向き直った。

「なっちゃん、いえ、奈津希。今から私が言うことをまずは最後まで聞いてちょうだい。質問も文句も後でちゃんと受け付けるから、ね」

 勢いに押されるままうんうんと頷く私を、走ママは決意のこもった目つきで見つめる。

「奈津希、あなたはもともと星川家の娘なの。走の双子の妹なのよ」

「へっ?」

 今度こそ私は発すべき言葉を失った。


「あなたたちが生まれて一年ほどして、走が小児白血病に冒されていることが判ったわ。でも、主人はあの通りとても忙しい人だし、私は双子の子育てと走の看病をこなす心の余裕がなかったの。結局いくらも経たないうちに精神的に疲れ果てて身も心もボロボロ。一時は本当に心中まで考えたわ。そんな時、天野家のご夫婦にある提案をいただいたの」

「……」

 あまりに暗い告白に挟む言葉を見いだせない。

「ご夫婦の提案は、私が走の看病に専念できるように、あなたを天野家に引き取るというものだった。ご夫婦は子供が出来ない体質だとかで、代わりにあなたを実の娘として育てたいとおっしゃったわ」

 走ママは目の前の紅茶を一口飲み、くちびるを湿らせると小さく息を整える。

「私達はその申し出を、藁にでもすがる思いで受け入れたの」

「でも……、父も母も、そんなこと全然」

「ご夫婦は本当に徹底していらっしゃったわ。あなたを特別養子にして、実の娘として本当に慈しんでいらしゃって」

 確かに。

 私は今、まさにこの瞬間まで、自分が養子であるなんて想像すらしなかった。父も母も……母に関してはそろそろ記憶も曖昧だけど……普通に優しかったし、厳しかった。

「本当ならこのことは私達も、天野さんも、あなたには知らせずに墓場まで持って行くつもりだったわ。でもね……」

「ああ……」

 私の口から知らずにつぶやきが漏れた。

 私は、私の一番古い記憶が一体どんな状況だったのか、ようやく思い出した。

 あれは、病院の中庭だ。

 走ママに連れられてお見舞いに行った私は、そこで走ママから新しい母親を紹介され、今日からあなたは天野家の娘になるからと告げられた。

 意味はきちんと理解できなかったけど、ただ走と別れるのが嫌で号泣した私を、いつまでも一緒にいるからといって走が慰めてくれた。それがあのシーンだったんだ。

「一度はあなたを見捨てておきながら、とっても虫のいい話だとは思うわ。でも、私達にとって走もかけがえのない……」

「……走ママ」

 彼女の瞳から涙が流れ落ちる。それを目にした瞬間、私も思わず涙をこぼしていた。

「それ以上は言わないで下さい」

 過去のいきさつは関係ない。私にとっても走は幼なじみだし、血を分けた兄妹でもあるのだ。

「私に出来ることだったら何でもします。いえ、ぜひそうさせて下さい、お願いします」

 私は、そう言って走ママの両手をしっかりと握りしめた。


 骨髄の採集は、走が元々入院していた市大病院の総合医療センターで行われる事になるらしい。

 私が未成年であることから、星川家だけでなく天野家うちの両親の同意も事前に必要らしい。

 母の行方を調べ、同意を取るのにどんなに早くても一週間かそこらはかかるだろうと走ママは言った。

 当然だけど、まずは走と私のHLA型、つまり白血球の血液型が適合するかを調べなくてはいけない。兄妹であれば適合の可能性は高いらしいけど、百パーセント移植可能というわけでもないらしい。

 さらに加えて私自身、採集の当日と翌日は入院することになる。

 迷惑をかける真弓先生や優月さんには間違いなく事前説明が必要だし、どこまで事情を話すべきか、正直悩む。

 もう一つ悩ましいのは走に真実を伝えるべきかどうかということ。

 走は自分に兄妹がいるなんていまだに知らないし、普通、骨髄ドナーの身元は相手には伏せるものらしい。

 走ママとも相談した結果、私が骨随を提供することは走には一切知らせないことにした。

 これが原因でまた変な負い目を持たれても嫌だし、同じ立場に立たされれば彼だって多分同じことを考えるだろうから。

 その後も一時間ほどこまごまと打ち合わせ、走ママはまぶたを真っ赤に腫らしながら、でも、心なしか少しだけ軽い足取りで去って行った。


「あ゛ー」

 私はソファにがっくりと腰を落として脱力する。

「疲れた」

 なんだか、この半日で軽く人生二周分くらいの激動を経験したような気がする。

 走ママの告白は確かに衝撃だった。

 でも、私は走ママのことを恨む気にはなれなかった。

 彼女は私のことを”見捨てた”と言ったけど、母が出て行って以来、不在がちな父に代わってずっと食事の世話をしてくれたのは他ならぬ彼女だ。私が風邪で寝込んだときにはつきっきりで看病だってしてくれた。

 本当の母親と同じくらい(いや、実際本当の母親なんだけど)お世話になっているのは間違いない。

「でもなあ」

 そのままソファの背に頭をもたれさせてぼんやりと天井を見る。

 むしろ、この後、父にどう接すればいいのか判らなくなった。

 母が突然出て行った後も、私を育て、半ば放任ではあったけど暖かく見守ってくれた父。

 走ママは今回の話をするにあたって当然父にも相談しているだろう。私に真実が知れることを父はどう思ったのだろうか。

「何だか話をするのが照れくさいような……」

 そこまでつぶやいて、父の机の上に置きっぱなしにしていたアルバムに思いが至る。

「そうだ!」

 階段を二段抜かしで駆け上がり、父の部屋に飛び込む。紺色の分厚いアルバムは封印された怪しげな茶封筒と共にそこにあった。

「やー、緊張する」

 さすがに走ママの放った爆弾ほどの威力はないだろうけど、それでも、他人の秘密をのぞき見するような気がしてドキドキがなかなかおさまらない。

「よし、いくぞ」

 勢いづけにそう口に出すと、えいやっと表紙をめくる。

 最初の数ページは恐らく結婚当初のものだろう。

 若かりし日の父が、像のぼやけかけた印画紙の中で照れくさそうにはにかんでいた。

「うーん、若い若い!」

 今や生え際に白髪の目立つ疲れたおじさんも、こんな若々しい時期があったんだなあと少し感動する。

 そして、

「おー! これは!」

 若い。そして美人。黒髪ロングの正統派。清楚な美人さんだ。

 ただ、私の記憶の中の母は、もっと険のある表情で、笑っていてもどこか目つきが怖かった。こんなに柔らかく微笑んでいる所なんて見たことがなかったから、ちょっと見違えてしまう。

 でも……

「似てないな」

 思わずつぶやきが漏れる。

 当然だけど、母の面影は今の私とは似ても似つかない。

 直接聞けないから想像することしかできないけど、母が出て行った理由の一つは多分これだったんだろうなあと思う。

 赤ん坊の時ならばともかく、成長していけば親子の違いは嫌でも際立ってくる。そのままでいれば、いずれ私は無邪気に母に尋ねただろう。「どうして私はパパにもママにも似てないの」……と。

「うーん」

 唸りながらパラパラとページを繰っていく。所々、おそらくは母の手描きで日付や短いコメントが書き込まれているけど、私が生まれる直前の写真でも母のお腹はすらりとしている。

「確かにこれは隠したくなるよなあ」

 むしろ、今の今までまったく気にしなかった私がアホなのか。

 結局、アルバムは私が生まれた時期を最後に、その後は空白の台紙が数枚挟まれているばかりだった。

「さて、と」

 アルバムを閉じ、私は謎の茶封筒に目を向ける。

 セロハンテープでベッタリ「米」の字に封印された封筒には特に何も書かれていない。だが、年月を経て風化したセロハンテープは手で少し触るだけでペロリと剥がれ、糊の跡だけが茶色くシミになって残る。

 引っ張ってみるとカサカサに乾燥した糊にはまったく粘着力がなく、簡単に封を開けることができた。が。

「何じゃこりゃ」

 中には、まったく同じように厳重に封印された茶封筒がもう一つ。こちらは外気にさらされていなかったせいか今もしっかりしている。

「念入りだなあ」

 爪を立てて封の部分を引っぺがし、どうにか開けてみると中にはまたもや茶封筒。

「うわ! 何これ? まさか呪いのお札でも入ってるの?」

 私はさすがに面倒くさくなってペン立てからハサミを取り出すと、封筒の頭をジャキンと切り落とした。最初からこうすれば良かった。

「ったく過剰包装にもほどが……」

 そう文句を言いかけて、頭の中で何かが小さくスパークした。

「あ!」

 何かが閃きかけ、次の瞬間線香花火のようにすーっと消えていく。

「ああー!」

 何か大事なことだったような気がする。

 でも、頭を振ってみてももう何も出てこない。私はしばらくそのままの姿勢で待ったけど、結局あきらめ、手の中の封筒を机の上で逆さにする。

 バサリと裏返しに滑り出してきたのは2Lサイズの写真が数枚。

 一番上の一枚を手に取り、表に返してみると、そこには生まれたばかりの双子が並んで新生児ベッドに寝かされている姿が写っていた。

「フフフッ。かわいー」

 思わず笑みがこぼれる。

 一人は水色のガウン、一人はピンク色のガウンを羽織っている。走の足に巻かれたネームタグには”星川ベビー(男の子)”、私であろう赤ん坊のネームタグには”星川ベビー(女の子)”と書かれていた。

「あらら、こりゃまた決定的な証拠だわ」

 私自身のアルバムの最初のページにも同じ写真があったけど、回りがトリミングされ、走の姿はもちろん、余計な情報は慎重に取り除かれていた。

 多分、これらの写真は養子縁組の後で星川家から提供されたものなのだろう。私にわずかでも不審を抱かせないように慎重に事を運んだ両親の苦労には頭が下がる。

 とはいえ、走ママの突然の来訪がなかったら、この写真を目にした私は相当混乱しただろうと思う。

 私は目を閉じてゆっくりと深呼吸する。

 大丈夫。私は落ち着いている。

 思ったよりもずっと冷静にこの事実を受け入れている自分が自分でも少し意外だった。


---To be continued---

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