第四章 抗う力
第40話 二重星
半ば上の空で店に戻り、ほとんど何も考えられないままホールに入る羽目になった。
ただ、何も考えず脊髄反射的に動いたのが逆に良かったのか、いつもなら毎晩お約束のように一つ二つやらかすポカもなかった。
いつもより無難に接客できたはずなのだけど、やっぱり優月さんの目はごまかしきれなかった。
「ナツ、一体何を悩んでいるの?」
閉店後、差し向かいでまかないをつつきながら、まるで心の底までのぞき込むような透明な瞳で不意に聞かれた。
「あ、えっと」
どう答えるべきか迷い、とりあえず今抱えているもう一つの悩みでお茶を濁す。
「……ロケットの制作費なんですが」
「うん?」
「思ったよりずっとかさむことが判って。父に相談したんですがさすがにポンと出してもらえる額でもなくて……」
「いくら?」
「いえ、それは……」
さすがにそこまで甘えられるはずもない。
「それより優月さん。私、いつまでこの店でバイトできますか?」
代わりにそう問いかける。
「できれば私が大学を、いえ、今の成績じゃストレートに進学できるかなんてホント全然判んないですけど、せめて大学を卒業するまで、あと数年はここに置いて欲しいんです!」
「え?」
いきなりそうたたみかけられた優月さんは鳩が豆鉄砲を食らったように目を丸くしている。
「父と約束したんです。借りたお金はちゃんと働いて返すって。だから……」
「そ、それは、こちらこそ願ってもない話だけど、あなたは本当にそれでいいの?」
「はい! ぜひ!」
ぜひ、というより、絶対働かせてくれないと困るのだ。
大前提として、ここから通える大学にちゃんと合格できるかどうかがまず心配なのだけど、それは今は置いておく。今抱えている問題だけでもうお腹いっぱいだ。
「でも、大学、進学するつもりになったのね」
優月さんは両手のひらを打ちあわせるようにして笑顔を見せた。
そう言えば、ちょっと前まで私は、どこか適当な専門学校か短大に通って近所の小さな会社に就職するんだと思っていた。優月さんにもいつかそんな話をしたことがある。
「あ、いえ、自分でも大それた目標だとは思っているんです、けど」
「けど?」
「……神技工大の研究室を見て、いつかこんなすごい場所で学べたらいいなあと思ったんです。あ、すいません身の程を知らないバカの妄想で」
思わず顔が赤くなる。慌てて顔を隠すように手を振る私のその手を取って、優月さんは優しく微笑んだ。
「……いいんじゃない? 応援するわ。となれば、今よりもお客さんを増やさなきゃ。ナツもホールばかりじゃなくていずれ厨房もこなせるようになって欲しいわね」
「い、いやぁ、それはまた敷居が高いというか何というか……」
私は食べ終わった食器をまとめて慌てて立ち上がる。
優月さんの指導で最近ようやく弁当くらいは作れるようになったものの、ひと様の前に出せるような料理なんてまだまだ全然だ。想像すら出来ない。
そのまま私は逃げ出すように厨房に逃げ込んだ。
入浴を済ませ、店の二階の自分の部屋で大きく背伸びをしながら、小さくくしゃみをする。
「……肌寒くなったなあ」
つぶやきながらベッドにパタリと倒れ込む。シンプルなLED照明で照らされた真っ白い天井が目に入る。
考えてみればもうすぐ冬だ。ここに置かせてもらうことになった時、とりあえずのつもりで自宅から持ち込んだ服もそろそろ季節外れになりつつある。
「いっぺん帰るか」
この先ロケット作りが本格化すれば、ますます忙しくなるだろう。その前に一度自宅に戻って本格的にもろもろ整理をつけておきたかった。
多分、私は当分
父の転勤はまだまだ長引きそうだし、走一家もなかなか戻ってこない。私があの家に住む理由は今のところ、ない。
「それにしても……」
私は夕方の出来事を改めて思い起こした。
あの白髪の医師の言葉がいまだ抜けないトゲのように耳の奥に突き刺さっている。
“二卵性双生児だって聞いたよ”
彼はそう言った。
いくら考えても意味がわからない。私自身の記憶をいくら遡ってみても、走には妹などいなかったと思う。
私が今でも覚えている一番古い記憶は、多分保育園の頃の思い出。
場所はどこかの原っぱ。天気は良く、空気はとても暖かい。
そんな中、何が悲しいのか号泣している私の頭を、走が優しく撫でているシーンだ。
その後もちょこちょこ断片的に覚えていることはあるけれど、どのシーンにも走の妹らしき子供の姿は出てこない。
だとしたら、彼の言う”妹”は一体どこに消えたんだろう。
やっぱり彼の思い違いなんだろうか?
「駄目だ、思い出せないや」
私は首を振って小さくため息をつく。
家に戻る理由がもう一つ出来た。
どうやら、家中の昔のアルバムをひっくり返してみる必要がありそうだ。
翌日。昨日とは一転、どんよりとした曇り空。はるか太平洋上で発達中の台風を感じさせるなま温かい風が吹き抜ける中、私は自転車で自宅へ向かっていた。
そう、土曜日だけどきっちり部活はある。
昨日のうちに一斉メッセージで少し遅れることは伝えてあるけど、中村君が今や遅しと私の結論を待っている。あんまりのんびり道草を食ってもいられない。
「あれ?」
緩やかな坂道を登り、家が見通せる距離まで来てそこはかとない違和感を感じる。
無理矢理に突っ込まれたダイレクトメールのたぐいがポストから溢れ、受け口からワカメのように垂れ下がっている惨状を覚悟していたから、目の前の景色は意外だった。
何だかずいぶんすっきりしている。
「おかしいな?」
長期不在が丸わかりだと物騒だから、近所の人が気を利かせてくれたのだろうか?
そう思いながらスピードを少しだけ緩めながらに走の家の前走り抜ける。雨戸が閉まっているのは相変わらずだけど、ウチと同じでポストはすっきりだ。
「なんだ?」
家の前に自転車を止め、カーポートを開いてそのまま押し込む。スタンドを蹴って起こしながら前かごに突っ込んでいたディバッグを肩に担ぎ、そのまま庭伝いに玄関に向かう。
裏からポストを覗いても、郵便物が溜まっている様子はない。
「うーん、何だろ」
それはそれで気味が悪い。
以前、ほんの数日留守だっただけの星川家があの惨状だったことを考えても、これは誰かが定期的に手入れをしていたとしか思えない。
「もしかしたら、走ママ、帰ってきているのかな?」
とりあえず後でのぞいてみようと心にメモをして家に入る。
ひと月ぶりの我が家。深呼吸してみると微かによどんだ空気の匂いがする。
「生ゴミは全部処分したつもりだったけどな……」
私は鼻をスンスンいわせながら一階の窓をすべて開け放ち、とりあえず台所と浴室の換気扇を全開にして二階への階段を上る。
幸い、自分の部屋の空気はそこまで陰気な感じでもなかった。
内心ほっとしながらクローゼットを開け放ち、スキー旅行以来使ったことのない大きなバッグに、とりあえず目についた秋冬物の服をどんどん詰め込んでいく。
「そうだ!」
思い立って、本棚からアルバムを抜き出して机の上で開いてみる。でも、赤ん坊時代の写真から一通り眺めてみても、特に不審な所はない。
保育園も年長の頃になるとときおり走の姿も写り込んでいるけど、あの医師が口走っていた走の“妹”の存在はやはり見当たらなかった。
「あとはー」
そう言えば、両親のアルバムは一度も見たことがない。
あるとしたら恐らく父の寝室だろうけど、留守中とはいえ他人のテリトリーに侵入するのはちょっと気が引ける。
だがしかし。
「いやいや、疑惑は解明しないと」
私は強引にへ理屈をつけると、階段の踊り場を挟んで反対側、これまで一度も開けたことのない扉を押し開いた。
「うわっ!」
その途端、腰が抜けるほど驚いた。
部屋の壁一面、航空機のプラモデルがアクリルケースに収められてびっしりと並んでいたからだ。
天井には様々なカラーリングのラジコン飛行機やラジコンヘリが吊られ、ベッドサイドにはアポロ月着陸船を打ち上げたアメリカのサターンⅤ型を筆頭に、古今東西のロケット模型もずらりと立ち並んでいた。
机の上には恐らくフルスクラッチで作りかけの火星探査機の模型まである。
「うわー、知らなかったなあ!」
母が出て行ってからは父以外、だれもこの部屋に入ったことはない。もちろん私だってこれまではそうだ。
我が家には相互不可侵のルールがある。個人のテリトリーにはお互い、何があっても立ち入ってはならないことになっている。
私はこれまで、父が私のプライバシーを尊重してくれているものとばかり思っていたけど、実際はこういう理由だったんだ。
「なーんだ」
まあ、たばこも吸わない、それほどお酒も飲まない父にとってこれが唯一の気晴らしだったんだろうなと思うと、何だかおかしくなった。
どうりで、私がいきなりロケットを作ると言い出してもまったく動じなかった訳だ。
私はクスクス笑いたくなるのをなんとかこらえ、本来の目的を果たそうと本棚をざっと見渡す。でも、アルバムっぽいものはまったく見当たらない。
「っかしいなあ」
机の引き出しには鍵がかかっている。もしそこに隠してあるとすればお手上げだ。
「あとは……」
部屋をザッと見渡し、反対側の壁にあるクローゼットを開く。
父のスーツや礼服が何本か掛かっているその足下に、奥行きが短く幅が妙に広い四段のタンスが作り付けられていた。本来なら和服か何かをしまっておくものらしく、全体が桐材で作られている。
上から順に開けていくが、最初の三段は空だった。昇華して豆粒のように小さくなった防虫剤がぽつりと置かれているばかり。
「ここもハズレかな」
たいして期待せず一番下の段に手をかけると、ここだけ手応えが微妙に違う。
「む!」
両手を添えて慎重にゆっくりと開く。そこには、大きな分厚い紐付きの茶封筒が一つだけ入っていた。
「なんでこんな所に?」
持ち上げようとするとずっしり重い。
どうやらアタリだ。でも、なんで?
ドキドキする胸を抑えながらゆっくりと紐を解いていく。ようやくフタが開き、中から出て来たのは予想通り。紺色のベルベットで表装された古風なアルバムだった。
「ふうーっ」
私は大きく深呼吸すると、もう少し明るい場所で中を確認しようとアルバムを持ち上げる。
「!」
途端、どこかに挟んであったらしい長3サイズの茶封筒がはらりと足下に落ちた。
厳重にセロテープで封印されて中身は判らない。
「なんだこれ?」
何気なく拾い上げようと腰をかがめ、不意に階下でドアホンが鳴っているらしいことに気付く。
「あ、はーい!」
誰だろう? 私は拾い上げた封筒をアルバムと重ねて机に置くと、慌てて部屋を飛び出し階段を駆け降りると玄関ドアを押し開けた。
「ナツ、久しぶりね」
「あ、走ママ!」」
そこには、しばらく見ない間にひどくやつれてしまった走の母親の姿があった。
「すぐにおいとまするから、お構いなく」
そう遠慮する走ママを有無を言わせずリビングに引っ張り込むと、とりあえずはヤカンを火にかける。
いつもの茶筒を振ってみると妙に軽い。こんな時に限ってお茶っ葉は品切れだ。仕方ないので食器棚の奥からもらい物の紅茶缶を引っ張り出して開封し、ガラスの急須に計り入れながら走ママに呼びかける。
「ママ、紅茶は大丈夫だっけ?」
「ええ、でも本当にいいのよ」
「やだなあ、私とママの仲じゃないですかー。遠慮なんてしないで下さいよー」
考えてみれば、いつも私が星川家に押しかけるばかりで、走ママがウチの敷居をまたいだのはこれまでほんの数回あったかどうか。遠慮しちゃうのもまあしょうがないなと思う。
それ以上の声をかけあぐね、どうしようかと思ったところでヤカンが甲高くピーッと鳴いた。
気まずい沈黙が長く続かなかったことに内心ホッとしながらお湯を少しだけ注ぎ、ゆっくりと茶葉が開くのを確認して残りのお湯をザッと勢いよく急須に満たす。透明なガラスを透かして茶葉がくるくると回転し、お湯が見る間にきれいな琥珀色に染まっていく。
「はい、どうぞ」
これまたもらい物のティーカップに角砂糖を添えて走ママの前に置くと、私も向かいのソファにストンと腰を下ろした。
「あ、えっと」
走ママは私の視線に慌てたように左右を見回し、自分で持ってきた紙袋を私に差し出す。
「これ、郵便が溜まってたから取り込んでおいたの。DMなんかは処分しちゃったけど……」
「あー、やっぱりママがやってくれてたんだ。ありがとうございます!」
のぞいてみると、袋の中にはお菓子らしき箱も入っている。
「お土産、ブランカのシェルレーヌ。焼き菓子だけどできるだけ早めに食べてね」
「え、じゃあ今開けましょうよ。ちょうどよかった」
バリバリと包装を開くと、中に入っていたのはマドレーヌ。
「わ、嬉しいなあ。さっそくいただきます」
パクリと一口かじってみると、バターの香りが濃厚で紅茶にとても合う。
「うわー、美味しい」
しばらくは夢中で味わう私の姿を小さく微笑みながら見つめていた走ママだけど、不意に小さく咳払いして表情を引き締めた。
「ナツ、実は折り入って話したいことがあるの」
いよいよ来たか。
私は紅茶で口の中の甘みをゴクリと喉の奥に追いやり、座り直してひざに置いた両手をぐいと握り込む。
「走のこと、ですよね」
走ママは無言で頷いた。
「はっきり言うわ。経過はあまり順調じゃないの」
「そ、それって」
「安心して。今すぐにどうこうという話ではないわ。お医者様達も必死でやって下さっているし。でも……」
「でも?」
私は息を殺して問いかける。
「移植した骨髄細胞がまったく定着しないの。かなり有望なドナーさんだったんだけど」
「……そうなんですか」
「生着不全って言うんですって。ただ、このままだと状況はとても悪くなるわ。一刻も早く新しい骨随の再移植をしないといけないんだけど、ドナーが見つからないの」
「……」
走のことがあって私も少し勉強した。
造血幹細胞の移植は白血病を劇的に改善する治療法だ。ガン化した患者の骨髄細胞を放射線や薬ですべて殺し、空き家になった骨髄に健康な第三者の幹細胞を移植する治療法。うまく定着すればいずれ新しい細胞が増えて正常な血液を作り始め、白血病はゆるやかに治癒する。
でも、うまくいかない場合、患者の身体は血液を生み出す能力と免疫力の両方を失ってしまう。今の走はまさにその状態だ。
「ナツ、お願い。走のドナーになって欲しいの」
私は走ママの言葉を信じられない思いで聞いた。
「でも、十八歳以下のドナーは禁止されているって……」
少なくとも、私が読んだ本にははっきりそう書いてあった。
「ええ、普通はそうね。でも、ごくまれに例外が認められることがあるの」
「例外?」
「そう。ドナーがどうしても見つからない場合、血縁者に限って年齢制限が緩められるのよ」
「え?」
---To be continued---
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