第39話 抜けないトゲ

「あの、ナツさん……」

 私の向かいで事の成り行きをぽかんと口を開けて見守っていた中村君が、我に返っておずおずと話しかけてきた。心なしか顔色が悪いのは気のせいか。

「さっきのお金の話、本当ですか? 俺達も少しずつだったら出せると思うんですが……」

「あ、それはいいの」

 心配そうに眉間をよせる中村君を私は慌てて制止した。

「来年度、部費が正式に出るようになってからが本格的な部活動だと思って。今作っているのはうーんと、リハーサルみたいな感じ。完全に私個人の趣味だから」

「でも……」

 こうなるのが嫌だからみんなには言わなかったのに。もう、ぬりかべ先輩の奴。

「むしろ私のわがままにみんなを付き合わせているのが心苦しいの。今でも申し訳ないくらいなのに、これ以上気をつかわれたらホント、困る」

「……いえ、むしろ俺達は楽しんでやってますから。それより、本当にいいんですか?」

「うん。大丈夫、なんとかする。心配しないで」

 それでもまだ疑わしげに聞いてくる中村君に向かって私は無理に口角を持ち上げて笑顔をつくる。

 彼はなんとなく釈然としない表情のままだったけど、とりあえずこの話題を続けるのは諦めてくれた。

「では、本題の方ですが、製作期間を考えるとここ二、三日で方針を決めてもらわないと間に合わなくなる可能性があります」

「うん、わかった。明日まで時間をちょうだい。一晩考えてみるよ」

 明るくそう答えてみたものの、解決の目処はまったくたたない。

 私は物思いに沈んだまま部室のドアを開けようとして、大野さんのカメラがやり取りの一部始終を捉えていたことにようやく気付く。

「テヘヘッ。みっともないところ撮られちゃったね」

 私は照れ隠しにへラッと笑いながら大野さんの脇を抜け、部室を後にした。

 自分一人でちまちまとロケットを作っている時が一番気楽だった。うまくいっても行かなくても自分が結果を受け入れればそれで済んでいたし、迷惑をかける相手も限られていた。

 でも、今ではプロジェクトのメンバーに対する責任もある。私のわがままで始まったロケット作りは、はもはや私一人のものではなくなりつつある。

「ちょっと窮屈かな」

 本音が出た。

 走の方は相変わらずだ。メッセージのやり取りだけは復活したけど、最近になってまた彼からの返事は途絶えがちになっている。そう言えば、この前のメッセージはもう一週間以上も返事がない。

 お見舞いの断固拒否も今まで通り。ほんのひと目、笑顔を見せてくれるだけでこっちはずいぶん安心できるのにな。

「ふう」

 何だか頭の中がモヤモヤする。

 私は憑かれたように階段を上り、屋上に出た。オレンジ色の夕日が街を彩り始めている。

 そう言えば、天文地学部を辞めてから一度も星空を眺めていない。

 私は夕日を背にして手すりにもたれ、のけぞるように暮れなずむ空を見上げた。一番星はまだ見えない。


「ナツ、裏に荷物が届いているから、お願い」

 ガッティーナに戻ると、優月シェフが厨房から顔を出してそれだけを告げ、慌ただしくまた戻っていった。

 客の入りは今のところ少なめ。でも、今日は確か夜から団体の予約が入っていたはず。その下ごしらえで忙しいのだろう。

 私は部屋に戻って制服を脱ぐと、ユニフォームではなくカーキ色のサスペンダーパンツにヨレヨレのMA-1を羽織り、通りがかりに備品ロッカーからハンマーとバール、さらに大型のカッターナイフを取り出し、台車を転がして店の裏手に向かう。

 思った通り、届いていたのはゴツい木箱が二箱。シェフがイタリア修行中に知り合ったパスタ工場の特注品で、毎月一回から二回、定期便のように店に届く。

「んしょっと」

 私は両手に軍手をはめると、木箱のフタを押さえている金具と木枠の隙間にバールの先をねじ込み、ハンマーで反対側を叩いていく。何度かやっていると木ネジがはじけ飛んで金具が外れる。同じ事を四度繰り返し、今度はフタと側板の隙間にバールの先を差し込んでテコのように抉ると、ギッと耳障りなきしみ音をともなってフタが浮き上がってきた。

「よしよし」

 反対側に回り、同じようにフタを抉る。二、三回位置を変えながらバールをねじ込んでようやくフタが外れた。

 中には分厚いダンボール箱が六つ。さらにその中には、梱包材に包まれ、銀ねずみ色に鈍く光るスネアドラムほどの金属製の密封缶が入っている。

 一つ十キロ近い重さがあるから、全部取り出すのは結構な重労働だ。

 木箱の縁によじ登り、慎重に一缶ずつ持ち上げて台車の上に降ろす。

 缶の中身は店で提供する各種のパスタだ。

 一口にパスタと言ってもいろんな種類があり、一般にスパゲッティとひとまとめにして呼ばれる各種のロングパスタのほかにも、貝殻のような形のコンキリエ、蝶の羽のようなファルファッレ、あとはおなじみのマカロニだってパスタの一種だ。

 わざわざ輸入しなくても国内でいくらでもいいものが揃うだろうと私は思うのだけど、そこがシェフのこだわりらしく、わざわざイタリアの工場から船便で取り寄せる。貨物船に乗って地球を半周してくるパスタは厳重に梱包され、この缶の中に、さらに一キロ単位で分厚いポリ袋に真空包装されている。

「どう考えても過剰包装だよ」

 おかげで力仕事を強いられる私は流れる汗を拭いながらブツブツ文句を言う。

 どうせひと月足らずで消費し尽くしてしまうのだから、この密封缶の中に直接パスタが入っていても多分何の問題もない。外箱だって、こんなゴッツい木箱じゃなくていいと思う。その方がずっと軽くて扱いやすいし……。

「ん?」

 突然、こめかみにピリッとくる感触。

「何だろ?」

 何かを思いつきそうな、思い出しそうな予感。私は手を止めてひらめきの神様が降りてくるのをじっと待ったが、それ以上は何事も起こらなかった。

「あー、もどかしい!」

 私は腹立ち紛れに木箱を蹴っ飛ばし、残りの金属缶を取り出す作業に戻った。


 ストッカーに合計十二個のパスタ缶を収納し、持ち出した工具類を片付けてユニフォームに着替える。

 いつものように念入りに手を洗い、人差し指のチクチクした痛みに気付いて目をこらすと、ちょうど第一関節の辺りに太めのトゲがけっこうざっくり刺さっていた。

「うわ!」

 先がどこまで刺さっているか見えないくらいなのでけっこう深いと思う。木箱に登ろうと手をかけた時にやっちゃったらしい。

 ロッカーの上に常備している救急箱をかき回してみてもとげ抜きは見当たらない。代わりにピンセットで試してみたら、出っ張っていた部分が余計に食い込んでどうしようもなくなった。

「シェフ、どこかにとげ抜きってありませんか?」

 厨房に頭だけ突っ込んで気軽にそう聞くと、フライパンを振るっていた彼女の手がピタリと止まった。

「何? どうしたの?」

 (あ、ヤバい)

 この人過剰な心配性なんだと思い出したときにはもう遅かった。

「ちょっと見せて!」

 右腕をがしっとつかまれ、引き戻そうとする所をギギギと音が出そうな怪力で引き寄せられる。

「あー、これ」

 そのまま指先をしげしげと観察され、ようやく解放された手首をさする私に、シェフは厳しい口調で言う。

「病院行ってきなさい」

「えー、でも、たかがトゲくらいで……」

「駄目! 破傷風にかかる可能性だってあるのよ。すぐ行く! 今ならまだ開いているから」

 時計を見るとそろそろ七時。確か団体の予約まであと三十分もなかったはず。

「でも、予約のお客様が……」

「応対は私がやるから大丈夫、ほら、電話しておくから、さっさと行きなさい」

 こうなるとシェフは頑固だ。素直に言うことを聞かないとまるで子供みたいに不機嫌になる。

「わかりました」

 私は渋々そう答えると、ユニフォーム姿のまま、とりあえず上にジャケットだけ羽織って店を出た。

 シェフに指定された病院は幹線道路に出てすぐのコンビニで左手に折れ、少し歩いたビルの二階にあった。

 説明されたとおり、大手駐車場チェーンの看板を目印に歩くと迷うことなく数分でたどり着く。二階の窓に掲げられた”内科・皮膚科”という看板を見上げて確認し、狭いエレベーターで上がると、明るいエレベーターホールにはほのかなアロマの香りが漂っていた。

「あのー」

 正面のガラス扉にはもう休診の札が下がっている。だけど中にはまだ明かりがついていて人の気配があった。

「すいませーん」

 入り口から顔だけ突っ込んでそう呼びかけると、診察室から白髪頭の男性医師がひょいと顔を出した。

「優月ちゃんの所の子だね。聞いてるから入りなさい」

 手招きされるまま、おずおずと足を踏み入れる。

「こっちにおいで。どれどれ」

 診察室に入った途端、分厚く、暖かな手のひらで包み込むように腕を取られ、診察台の上に載せられる。

「何でやったの?」

「はい、海外から来た荷物の梱包を解いていて、いつの間にか……」

「あー」

 なるほどと言うように小さく頷き、医師は続ける。

「優月ちゃんの判断が正しい。木箱はねー、けっこう化膿すること多いよ」

「そうなんですか? 放っておけばそのうち抜けるかと」

「まあ、ごく浅いときはそれでもいいけどね、ほら、けっこう深いよ、これ」

 言いながら尖ったピンセットでトゲの頭近くをちょいちょいとつつかれる。

「う!」

 思ったより響く。

「頭がめり込んでるね。仕方ない。ちょっとだけ切開するよ。看護婦さん」

 その声に、背後に控えていた若いナースがすっと近寄ってきて、背中越しに私の腕をガッチリ押さえた。スレンダーな体型に似合わず凄い力で、途端に私はピクリとも動けなくなる。

「ちょっとだけ痛いよー」

 医師はそう言いながら消毒綿で傷口の回りを念入りに拭う。と、やにわにメスを私の指に押し当ててきた。

「あっ」

 プツリと何かがはじけるような感触と共に皮膚に一文字の亀裂が走る。

「うわー、けっこう太いね」

 医師の声は何だか嬉しそうだ。ピンセットの先がトゲの頭をかすめるたび、ズキズキと痛みが脳天まで響く。

「あた、いたっ!」

 と、次の瞬間、何かズルリと抜かれる感触と共に、すっと指先の圧迫感がなくなった。

「はい、看護婦さん、消毒してあげてー」

 声と共に私の腕はようやく解放された。そらまめのような形のステンレスのトレイにカチリとピンセットが置かれ、医師はその先をボールペンで示しながら私に笑いかける。

「ほらー、けっこう深かったでしょう。そのままにしておいたら後で相当腫れたと思うよー」

 確かに、そこには長さが一センチ近くもある黒っぽいトゲの姿があった。

「こんなの刺さってて痛くなかったの?」

「うーん、あんまり。私痛みに鈍感なんです」

 そう答えてナースに呆れられてしまう。彼女はテキパキと消毒を済ませ、「接客業ならあんまり仰々しいのは嫌よね」とか言いながら楕円形のつるっとした絆創膏を貼られる。そこそこ厚みがあるのに、不思議なことにほとんど貼り跡が目立たない。

「うわ、凄いですね、これ」

「そうでしょう」

 私は絆創膏を褒めたのに、なぜかナースが得意げだ。

「じゃあ、順番が逆になっちゃったけどカルテ作るからこっちにどうぞ」

 そのままナースに誘われて待合室に戻り、差し出された問診票に記入していると後ろから医師がのぞき込んできた。

「ほう、君は天野奈津希君って言うのか。ん、んん?」

「院長、セクハラですよ!」

 ナースに叱られて少しだけ距離を開けながら、それでも白髪頭の医師は相変わらず首をひねっている。

「ああ、朝日台三丁目に住んでるの? じゃあ星川さんって知ってるかな?」

「ええ!」

 私は思わずペンを取り落としそうになる。

「星川家はお隣ですけど……それが何か?」

「いや、星川家の男の子、私がまだ総合病院に勤務していた頃に担当したことがあってねー、まだこーんなに小さかったけど」

 と言って両手を広げて三十センチくらいのサイズを示す。いくら昔でもそんなに小さいわけはないと思うけど、どうやら走がお世話になった先生らしい。

「そうですか。その節は走がどうもお世話になりました」

 とりあえず代わりにお礼を言っておく。

「やっぱり顔見知りか。で、どう? 元気でやってるかい?」

「……え、ええ」

 事実を告げるべきか迷い、つい曖昧にごまかしてしまう。

 でも、医師はそれには気付かずうんうんと頷きながら糸のように目を細めると言葉を続ける。

「そう言えば、彼が入院しているときに妹さんがよく見舞いに来ていたよね」

「え?」

「彼女も元気かな? いやあ、懐かしいなあ」

 私は答えに詰まり沈黙した。

 走に兄妹きょうだいがいるという話は聞いたことがない。幼なじみの私が言うのだから間違いない。

「兄妹ですか?」

「そう、二卵性の双子だって聞いた……よ」

 私が変な顔をしているのにようやく気付いたのか、彼は曖昧に語尾を濁し、慌てた表情でパタパタと顔を仰ぐ。

「いや、もしかしたら別の子と勘違いしたかな。なんせあの頃私は独立の間際でバタバタしててね」

「それがここ、ですか?」

「そう、もう十年以上になるんだなあ。私も白髪が増えるはずだ」

 そのままハハハッとわざとらしく笑い、医師はそそくさと診察室に引っ込んでしまった。

「天野さん、お会計、よろしいですか?」

 ナースにそう呼びかけられるまで、私はその場で呆然と立ち尽くしていた。


---To be continued---

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