第38話 足りない

「いらっしゃいませ!」

 ドアベルの音に、職業的本能で応えながらくるりと振り返ると、そこに立っていたのは真弓先生ともう一人。

「え? 由里子?」

 怪訝に思う気持ちが表情かおにあらわれていたのか、由里子は露骨に顔をしかめる。

「何よ 私が来ちゃ迷惑?」

「いやいやいや、ちょっと、いえ、だいぶ意外だったから」

 私は慌ててとりなしながら二人を席に案内する。

「由里子が寄り道なんて珍しいよね。いつだって“家のご飯が一番、外食は浪費だ”って言ってたのに」

「私だって自分から好き好んで来ようなんて思わないわよ。だいたい……」

「……私が誘ったんだ」

 真弓先生は体ごと私たちの間に割り込むように口を挟むと、

「お前の仕事を邪魔する気はない。店が終わるまでおとなしく食事してるから後でちょっと付き合え。あ、私は“本日のディナー”で」

「シェフ特製サーロインステーキは?」

「バカ。まーだそのネタで引っ張ってんのか。由里子も同じものでいいな」

「え? 私はせっかくだからサーロインステーキの方が……」

「こ、この店のメニューにそんなものはない! こいつの出まかせだ」

 慌てる真弓先生の姿に笑いを噛み殺しながら、私は小さく一礼して厨房に走る。

「シェフ、三番にディナー二つ入りました!」

「……高校生くらいかしら。若いお客さんは珍しいわね。お友達?」

「いえ、腐れ縁の幼馴染です」

 お互い一言ずつのやりとりですぐ仕事に戻る。

 今日のガッティーナは満員御礼、シェフも私もそれ以上無駄口を叩いている暇はなかった。

 脇目も振らずひたすら給仕に没頭し、あ、なんだかちょっと暇になってきたかも、と気づいた時にはもう閉店時間を過ぎていた。


「うわー、今日は働いたなぁ」

 腰を拳でトントンと叩きながら思わず口走ると、

「昨日サボった分も取り返さなくちゃだからね」

 優月シェフに痛いところを突っ込まれる。

 テヘヘと苦笑いしながら振り向くと、彼女はスライスしたチャパタとオリーブオイルの載ったトレイを持って立っていた。

「はい、スープも持ってきたげるから先に座ってて」

「はーい」

 トレイを受け取り、エプロンとスカーフを外しながらふと三番テーブルに目をやると、由里子があまり見かけない不思議な表情で私を凝視している。

「なに? ちょっと着替えてくるからこれ……」

 そのまま返事も聞かずトレイを手渡すとロッカールームに駆け込む。実はさっきからずっとトイレをがまんしていた。そろそろ限界だ。

 手洗いを済ませて手早く私服に着替え、かかとのないふかふかのスリッパに履き替えると、立ちっぱなしでパンパンに張ったふくらはぎが少しだけ楽になった。

 ロッカールームを出るとホールの照明はいつもの半分くらいのほの暗さに絞られ、真弓先生と由里子の待つテーブルだけがポツリと明るく照らし出されていた。

「残りの洗い物は私がやっとくから。今日は休憩もなかったし、もう上がってちょうだいな」

「あ、でも」

「打ち合わせがあるんでしょ? なんだったら二階のリビングを使ってもいいわよ」

 結局、ありがたく甘えることにして目線で二人に問いかける。

「ここでいい。なるべく早く帰りたいから」

 由里子は小さく首を振る。真弓先生も同意するように小さく頷き、

「お前も座れ」

 と、自分の隣の椅子をポンポンとはたく。

「じゃあ」

 まかないのトレイを自分の方に引き寄せながら腰を下ろすと、向かいの由里子が改めて私の顔をのぞきこんできた。

「何? やっぱり何か付いてる?」

 慌ててスマホを取り出してカメラを起動しようとする私を押しとどめ、由里子は感心したようにつぶやいた。

「あんた、真面目に仕事していると見違えるわね」

「……それ、褒めてるの? けなしてるの?」

 由里子はそれには答えず、カバンからノートとシャーペンを取り出しながら小さく深呼吸すると、

「明日からあんたのマネージャーと資金管理を担当するから。とりあえず有り金全部、耳を揃えてよこしなさい」

 と、右手を差し出した。

「え? ど、どういう?」

独身まゆみせんせいからあんたが危機だって聞いたわ」

「でも、天文地学部はどうするの?」

「あんたが出て行ったことでトモヒロがようやく覚醒した。どうやらショック療法になったみたい」

 少し複雑な表情で由里子は言う。

「だから、あっちはしばらくはあいつに任せといて大丈夫」

「……そ、そうなんだ」

「それに、あんたのピンチは年末まででしょ? そのくらいならなんとかなるわ」

 そう言われて正直ホッとした。

 神技工大や安曇の協力が得られると言っても、様々なスケジュールの調整はこっちの役目だ。自分たちで調達しないといけない資材や機材もまだまだ山のようにある。

 ロケット部の部員はそれぞれの分野で人並み外れたスキルを持った連中ばかりだけど、残念ながらロジスティックを担当できるスキルは皆無だった。

 そこは私がなんとかしなくちゃと思ってはいたもの、バイトと撮影に時間を取られ、そっちに時間を割く余裕が今までまったくなかったのだ。

「あんたは大船に乗ったつもりでせいぜい資金稼ぎに精を出してなさい。足りてないんでしょ?」

 今さら言われるまでもない。今一番頭の痛い問題だ。

 開発するべきロケットが予想以上に大型化したおかげで、文化祭のPV、学習塾のポスターモデル、そしてガッティーナここのバイト代。すべてつぎ込んでもまだまだ全然資金が足りない。

 小学校からこれまでに溜め込んだお年玉を全部吐き出しても目標には届かない。

 電話で父に相談すると、成人式の振り袖をあきらめるのならという前提で、百万円程度なら貸してくれると請け合ってくれた。

 恐らく父にとっては、普段私をほったらかしにしている罪滅ぼしくらいの感覚なのだろう。

 でも、それだって後でバイトしてちゃんと返すというのが条件。まったく世知辛い世の中だ。

 というわけで、少なくともあと三年ほどガッティーナここで働き続けることになりそうだ。

「あ、そうだ。私、真弓先生に聞きたいことがあったんです。ロケット部わたしたちに部費は……」

「残念だが、そんなものない」

 即答だった。

「えー、そんなー」

「そんなもこんなもない。部費は毎年四月、新入部員の数が固まった時点の部員数を元に配分される。ロケット部は創部が秋になってからだったからな。そもそも部費の配分を受ける資格がない」

「ううー、そんな落とし穴が……」

 私はその場に崩れ落ちる。唯一の希望があっさり潰えた。

「先生、それはおかしくないですか?」

 一方、由里子は眉をつり上げて猛然と食ってかかった。

「部費を支給しないということは、部の活動を認めないと言うことですよ? 一方で創部を認めていながら、もう片方で活動を否定する。そんな矛盾、放っていていいものなんですか?」

「だから、そもそも年度の途中に部を新設したという前例がないんだ」

「ということは、想定外のケースなんですよね? 制度に穴があるとしか思えません。断固見直しを要求します!」

「それを私に言うなよ。部活動の管理は生徒会の管轄だ。学校側がどうこう言える話じゃないんだよ……」

「わかりました。生徒会ですね。フフフ」

 由里子は小さく笑みを浮かべると、まるで獲物を見つけたチーターのようにペロリと舌なめずりをする。

 怪しげに光るその瞳で見つめられた途端、私の背中に悪寒が走った。

(由里子、やる気だ)

 その予感はすぐに現実になった。


「天野奈津希」

「ひっ!」

 いきなり背後から呼びかけられて飛び上がりそうになった。

 慌てて振り向いて見ると、犯人はぬりかべ先輩。

 私は中村チームの持ってきた設計プランに没頭していて先輩が部室に入ってきたことにまったく気付かなかった。

 ロケットの重量がどうしても減らせず、目標到達高度を下げるか、さらにロケットを大型化するかの決断を迫られていたのだ。

 もちろん到達高度は一ミリだって下げられない。かといって、本体を大型化すれば製作コストが今以上に跳ね上がる。

 そうじゃなくても予算が足りないのに、これ以上一体どうすればいいんだろう?

 いっそ夜のお店でバイトするか、それともマグロ漁船にでも乗り込むか……と、究極の選択まで考え始めたところだった。

「生徒会に無理をねじ込んだそうだな」

「は?」

「現会長が泣きついてきた。ロケット部きみたちに脅迫されたって……」

「ああ」

 由里子だ。昨日の様子で何かやりそうだとは思っていたけど。

「いえ、多分部費を出して欲しいとお願いに行ったんだと思います」

「多分? 君じゃないのか?」

「いえ、話は聞いています。部費、もちろん出してくれますよね」

「うーん。そのことなんだが……」

 ぬりかべ先輩らしくもない切れ味の悪さ。

「学校から預かっている予算はすべて各部活に分配済みなんだ。一円の余りもない」

「えー、ロケット部の創部を認めておいて……ですか?」

「うーん、そう言われると痛いんだが」

「文化祭の時にあれだけ協力したじゃないですか? あと、学習塾の時も」

「その分君にも実入りがあっただろう? あれだけあれば十分……」

「全然足りません。百万円単位で足りません」

「え!」

 ぬりかべ先輩は絶句した。

「天野奈津希、君は一体何を作ろうとしているんだ? 巨大ロボットか何かか?」

「やだなあ。ロケットですよロケット。到達高度二十キロのハイブリッドロケット。先輩もよくご存知じゃないですか?」

「それは……そんなにコストがかかるものなのか? これまでのロケットとは桁が二つくらい違わないか?」

「確かに。私も計算してみてぶっ倒れそうになりました。今回は、発射場までの部員みんなの遠征費とか、そういうもろもろのコストも入ってますから」

「うーん」

 ぬりかべ先輩はしばらく考え込み、ふと、顔を上げて私の顔をのぞき込んできた。

「天野奈津希、参考までに聞くが、君はこのロケットにそれほどの自己資金をつぎ込んで本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫かと聞かれると正直、とってもしんどいですとしか言えません」

 ここで格好をつけても仕方がない。私は本音をぶっちゃける。

「もし失敗したとしても次を作る余裕はありません。高校生の分際で三桁万円の借金を抱えるのも正直怖いです。もう、清水の舞台から飛び降りる覚悟で……」

「……そうか」

 ずいぶん長い時間沈黙した後、ぬりかべ先輩は低く唸るように答えた。

「この件は私に預からせてくれないか。少し時間が欲しい」

 それ以上は何も言わず、来たときと同じように足音も立てずに出て行った。


---To be continued---

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