第37話 覚悟

 あたりまえと言えばあたりまえの結末だけど、シェフにはものすごく怒られた。


 私はずっと電話するのを忘れていて、ようやくそれを思い出したのは帰り道。車がそろそろ海老名サービスエリアに差し掛かろうというあたりだった。といっても思い出したところでバッテリーの切れたスマホじゃ連絡の取りようもなかったのだけど。

 結局、ガッティーナに帰り着いたのは午後十一時半を少し過ぎた。

 私が店に横付けされた真っ白い高級車から運転手にともなわれて降りてきた時にはさすがにシェフも驚いていたけど、車が走り去った後「ちょっと来なさい」と腕をつかまれ、有無を言わさず店に引っ張り込まれた。

 その後の展開は予想通り。言い訳をする間もなく、実の両親にもここまで叱られたことはないレベルのハードなお説教が始まった。

 腕組みをしてそばでニヤニヤ笑っている真弓先生もどうやら一切フォローする気はなさそうだ。

「帰りが遅くなってごめんなさい。連絡しなくてごめんなさい」

 そう言って私は素直に頭を下げた。

 どうやら警察に捜索願を出す直前だったらしく、夕方まで私と一緒にいた真弓先生も呼び出され、シェフに事情を聞かれていたらしい。というか、なんでちゃんと連れて帰ってこなかったのかと八つ当たりされていたみたい。

 気まずい十数分が過ぎ、ようやくお小言がやんで顔を上げた次の瞬間、私はシェフにぎゅっと力一杯抱きしめられた。

「!」

「お願いだから、突然いなくならないで…」

 耳元で、涙交じりの声でそうつぶやかれた途端、なんだか憑き物が落ちたみたいに急に心が軽くなった。

(ああ、そうか)

 シェフが、私と亡くなってしまった自分のいとこの姿をどこか同一視していることはたぶん間違いない。

 でも、それがどうだというのだろう。

 実の親以上に心配して叱ってくれたのは事実だし、それが私に向けられているのも間違いようがない。

 それでいいじゃないか。そう、思った。私を抱きしめるその腕は優しく、柔らかだったから。

「ごめんなさい、優月ゆづきさん」

 私はその日、一緒に暮らすようになって初めて、彼女の名前を素直に呼ぶことができた。


「ナツさん、ふらっとどこかにいなくなったと思ったら、またとんでもない話をもぎ取って来ましたね」

 中村君が呆れたような声を上げる。

 どうやら、早くも昨夜の行方不明騒ぎは部員たちの耳にも入っているらしい。

(チッ、真弓先生めー)

「真弓先生から電話がかかって来たときには驚きました」

 大野さんも胸に手をあてて思い出すように言う。

「いつもクールというか、眠そうと言うか、やる気なさそうにしてるから。あれだけ慌てた真弓先生って珍しいですもんね」

 ああそうか、真弓先生なりに心当たりを当たってくれたのか。

「みんなも心配かけてごめん。ちゃんと無事に帰って来たから」

 高校二年生にして、まるで迷子の小学生を見るような哀れみのこもった目つきで全員から見つめられ、恥ずかしさと情けなさでもう、顔から火が出そうだ。

「あ、そうそう、これ!」

 照れ隠しに安曇の神阪氏から預かってきたエンジンノズルの資料とUSBメモリーを取り出すと、ぐいと中村君に押しつける。

「とりあえず、手描きでも何でも図面を送ってくれたらすぐ作ってくれるって」

「わかりました。もうおおまかなプランは出来てますんで、すぐに連絡してみます」

 言いながら頷いた中村君は、物理技術部三人組を誘ってパソコンに向かおうとする。早速データの確認をしたいらしい。

「あ、ちょっと待って、これも…」

 カバンをごそごそと探って神技工大のIDタグを机の上に並べた。

「全員分あるから。自分のカードを取ってね」

 顔写真入り、偽造防止のためホログラムシートに印刷されたそれは見るからに高級感が漂っていて、それぞれ自分のタグを手に取っては嬉しそうにためつすがめつしている。

「じゃあ、私、真弓先生に呼び出されてるからちょっと行ってくる」

「あ、ナツさん、戻って来たら図面確認して下さいね」

 中村君がそう付け足したところに、

「またお説教ですか」

 坂本君が割り込むように余計な突っ込みをぶっ込んで来る。

「“また”って何? うるさいな、その通りだよっ!」

 そのまま脳天気にヘラヘラしている坂本君の顔をぎっと睨みつける。それでも、まったく堪えてなさそうでニヤニヤ笑いは崩れない。

(こいつめ、いつか絶対に仕返ししてやる)

 私はそう心に決め、ひとり部室を出た。

 今日も天気がいい。見上げる青空は雲一つなく群青色に澄み渡り、秋の深まりをはっきりと感じさせる。

 まるでそのまま吸い込まれそうな空を見上げながら、私はまるで貧血のようなクラクラする目眩と、同時に得体の知れない不安を感じていた。

「くふぅー」

 思わずため息が出る。

 私はぎゅっと目を閉じて息を整えると、改めてゆっくりと目を開き、両手でパンと自分の頬をはたく。

 走との約束まであと二か月足らず。

「間に合うよね、多分」

 私は心中に沸き起こる黒雲のような不安を打ち消すようにそうつぶやいた。


「さてと、言いたいことは山ほどあるが…」

 相変わらず窮屈な進路指導室。真弓先生は左手で右肩を押さえ、ごりごり鳴らしながらそう切り出した。

「狭いですよねー、この部屋。このデカいロッカーを外に出せばもう少し余裕が出来るのに…」

「そりゃ無理だ。ウチの過去の進学実績記録が入ってる。個人情報の塊だぞ。そこいらに放り出して置くわけにはいかないだろ?」

「そっかー、今時ペーパーで情報管理なんて遅れてますよねー」

「まあな……て言うかおい! 無理やり話をそらそうとするんじゃない!」

 あっさりバレた。

「まあ、反省はしているだろうから今さら小言を言うつもりはないが、せめて事前に一言報告が欲しかったな。今のお前は自分一人で好き勝手にロケットを作っているわけじゃない。学内、学外も合わせて何十人もの関係者を束ねたプロジェクトの要なんだぞ」

「あー、やっぱり、そういうことになるんですよねぇ」

私はため息をついた。

「勿論だ。自分の夢に赤の他人を付き合わせるんだ。当然そのくらいの責任は持ってもらう」

「……誰かに替わってもらうというわけには」

「おい、お前ありきでいろんな人が手を貸す気になってるんだ。今さら根っこからひっくり返すようなムチャ言うな!」

「やっぱそうですよねー、もしかしたらそうなのかなーって薄々…」

「薄々言うな! 今この瞬間にキッチリ自覚しろ」

「……はい」

 不承不承うなずく私を睨みつけていた先生は、小さく息を吐き、腕組みを解いて薄く笑う。

「いい経験だと思え。お前の年齢でこんな機会チャンスに恵まれるなんて普通あり得ない話だぞ」

「それはわかります。でも……」

 状況は私も理解はしているつもり。でも、考えれば考えるほど際限なく湧き出してくる不安で私の頭ははちきれそうだ。

「まあ、不安なのはよくわかるよ。でも、そろそろ覚悟を決めろ。私も腹をくくることにした」

「え?」

「実を言うと校長や優月にもキッチリ念を押されているからな。だからと言うわけではないが、私の力の及ぶ限りはサポートしてやる。感謝しろ」

 そう言って先生は照れ隠しのようにニカッと笑った。

「あ、ありがとうございます!」

 私は机におでこがくっつくくらい深く頭を下げた。走がそばにいない今、遠慮なくグチをこぼせる人が身近にいてくれるだけでもずいぶん心強い。

「で、状況はどうだ? おとなが調整したほうがいいタスクは今どの程度ある?」

 一旦方針が決まると話が早い。さすが“侠気おとこぎのマユミン”とあだ名されるだけのことはある。

「はい。では…」

 私は内心の漠然とした不安も含め、思いつくままに抱えている課題を吐き出した。

 キャンパスノートを広げ、私の取り留めのない話をうなずきながら聞いていた先生は、私の話が一段落したところでシャーボをカチッと鳴らして赤ボールペンに切り替えると、書き留めたいくつかの項目にキュッとアンダーラインを引いた。

「とりあえず、神技工大とウチの部員の顔合わせは私が仕切る。安曇窯業との調整は校長も交える話だからこれも一旦引き取ろう。とりあえずお前はまず、大至急作業の工程表を仕上げること。それから、例のテレビの取材…」

「それも引き取ってもらうわけには……?」

「往生際が悪いぞ。広告塔をつとめるのもお前の役目だ。とりあえずそうだな、有能なマネージャーをつけてやるから頑張れ」

 先生は再びニヤリと不敵に笑うと、左腕の腕時計にふと目を留めて「おお!」と小さく呟く。

「悪い。そろそろ職員会議の時間だ。後でガッティーナに飯を食いに行くから、その時にまたな」

 先生はガタガタとパイプ椅子を鳴らしながら慌てて立ち上がると、すれ違いざまにポンと肩を叩いて部屋を出て行った。

 一人取り残された私は、今まで真弓先生が座っていた向かいの席を見つめ、さらにその奥にある窓からあかね色に染まりつつある夕空を眺める。

 ただ、同じように空を見上げながらも、さっき部室を出る時に覚えた目眩のするような孤独感はもう感じなかった。


---To be continued---

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