第36話 耐久試験
「え、どうしてこんな所にロケットエンジンが?」
「エンジンノズル、の試作品ですけどね」
「にしたってなぜ? どうして?」
「これは、JAXAのSシリーズロケットエンジンの一段目を参考に作った縮小模型です」
「
「とはいえ、素材は本物以上ですよ。外側は超耐熱セラミック、ノズルの表面は炭化ケイ素ですから耐久性はそれなりですし、燃料を入れればちゃんと推力を出します」
答える神阪氏はちょっと自慢げだった。
「弊社は元々陶器、磁器の専門メーカーです。恐らく天野さんに一番なじみが深いのは住宅用の衛生陶器…トイレとか、洗面所の洗面ボウルとか、あれです」
「ああ!」
私はようやく謎が解けて思わずひざを打った。どこかで見たロゴだと思ったけど、そーか、なんだトイレかー。
「最近ではファインセラミックの分野にも進出してまして、ほら、セラミック製の包丁とか、ハイテクなところでは小型スポーツカーのタービンブレードなんかも手がけています」
「おお!」
ということは、真弓先生のあの赤いスポーツカーにも、安曇の部品が使われているってこと?
「で、そろそろ新素材で宇宙分野にも進出したいと考えてまして。ところで天野さんは串本のロケット打ち上げ施設、ご存じですか?」
「あ、いえ」
「紀伊半島の南端にある風光明媚な町ですが、ここに民間の小型ロケット打ち上げ施設が…」
「ああ! 走が言ってたあれだ!」
以前、走は、”日本にはロケットの打ち上げ施設が四カ所もある”って話をしていた。一番歴史のある鹿児島県の内之浦、同じく鹿児島県種子島の宇宙センター、北海道の大樹町、そして最後の一つ、一番新しいのが和歌山県の串本宇宙センターだ。北海道と和歌山の打ち上げ施設はどちらも民間のロケットベンチャーが運営している。
「串本では超小型人工衛星用の固体燃料ロケットを打ち上げています。JAXAから移管されたSS520の派生型がメインですが、最近になって、新型機の開発計画が立ち上がりましてね、できればここに我々も割り込もうという算段です」
「でも、そういうのっていきなり参入なんてできるものなんですか?」
「いや…」
それまで滑らかに説明を続けていた神阪氏がそこで初めて口ごもった。
「…そう簡単ではないでしょうね。私達に欠けているのはなにより実績です」
「ああ、やっぱり…」
私みたいな素人でもなんとなく判る。宇宙関係は信頼性が命だけに、実績のない会社の参入は相当難しそうだ。
「まあ、それはともかく、これから耐久試験をやりますんで、ぜひ見てって下さい」
気を取り直した神阪氏はチャンバーの外に出るよう私を促し、扉を閉めるとゴツい把手をひねってしっかりとロックした。
「よし、始めてくれ」
私は背中を押されてチャンバーから離れ、安曇専務や神阪氏と並んで見学者用のベンチに座る。ここからだと少し見づらいけど、天井から大きなモニターが下がっていてそこにはさっき見たエンジンノズルが大映しになっている。
「ではこれを」
神阪氏が手渡してくれたのは赤いイヤーマフと目の周り全面を覆うゴーグルのような遮光グラス。
「相当な音と閃光が出ます。念のため」
言われて慌ててイヤーマフを装着する。続いて遮光グラスをかけると同時にチャンバーの上に黄色いパトランプが閃き、ズンと鈍い音に続いて壁の一部がゆっくり割れ、隙間から外の闇が見通せるようになった。
ノズルから吹き出る炎と熱を逃がすためだろうけど、壁は小ぶりな花瓶ほどしかないエンジンノズルには不釣り合いなほど大きく開く。車が通れそうな幅で天井までぱっくりと割れた所でようやくパトランプの閃きが停止した。
「では行きます」
まったく聞こえないけど、口の動きとジェスチャーを見る限り神阪氏は多分そう言った。大画面モニターの一番下に出ていた秒読みの数字がチラチラと減り、どこか遠くからイヤーマフ越しにキュイーンという鋭い金属音が響き始める。
見つめる数字がゼロになった次の瞬間、モニター全体が露出オーバーで真っ白になった。
音という感じではなかった。ゴーッという激しい噴射音が形容しがたい圧力と熱をともなって私の身体全体を揺さぶった。
モニターをあきらめて遠くに見えるロケットノズルに目を移すと、吹き出す炎は赤っぽい黄色から見る間に青白く変色し、それにともなってぐんぐんと長く伸びる。
ついには壁の隙間を突き抜けて鋭く闇を焦がし始めた。
「うぁーっ!」
私は思わず声を上げていた。私がこれまで打ち上げたモデルロケットの噴射炎とはまったく比べものにならないものすごい迫力だ。
そのまま、どのくらい見とれていただろうか。
顔が輻射熱に灼かれてチクチクと痛み、乾いた唇を無意識に舐めた瞬間、唐突に轟音と圧力が消えた。
煤をまとった黄色い炎が二、三回、ポッポッと不安定に揺らめき、消える。
実験中ずっと響いていた甲高いモーターのような金属音がどんどんと音程を下げ、やがて完全に聞こえなくなる。
燃料の供給を絶たれ、それまで真っ白に輝いていたロケットノズルは急速に暗いオレンジ色に変化し、光を失って元の白っぽい色に戻っていく。
口を開けたままその様子をぽかんと見ていた私は、不意にイヤーマフをコンコンとつつかれて我に返る。身振りで促されるままに遮光グラスを外し、イヤーマフを取った。
肉眼で改めて見ると、キンキンと金属を爪で弾くような音を立てながら冷えていくエンジンノズルは、まだわずかに発光しているように見える。
ふとモニターに目をやると、秒読みはぴったり200を表示して停止していた。
「いかがでしたか?」
圧倒され、問われてもすぐには返事が出ない。
「あの…」
喉がカラカラでそれ以上声が続かない。慌ててゴクリとつばを飲むと、改めて口を開く。
「…何だかバカみたいな感想ですけど、とにかく凄かった、です」
イヤーマフを握りしめる両手がじっとりと汗ばんでいるのに気付き、何気なくスカートにこすりつけながらもう一度付け足す。
「こんなのを見ちゃうと、私のロケットなんてまるでグリコのおまけ程度で…」
「いえいえ、我々企業と天野さんのように制限に縛られた個人を同列に比べちゃ駄目です。それに、D型エンジンで六百メートルを達成したって聞きましたよ。それだって相当なものです」
「はあ」
誰にそんな話を聞いたんだろう。まだ半分痺れたままの脳みそでぼんやりそんなことを考える。
「今回のデモは試作品の耐熱性確認も兼ねてましたから、なるべく高い温度が出るように酸素とアセチレンガスの混合気でテストしました。まだテストデータを見てませんが、炎の温度は恐らく三千五百度を少し越えたことでしょう」
「三千五百!」
もう、なんだか色々凄すぎる。私は自分のやってきたことが急に取るに足らないことのように思え始めて何だか凹んでしまった。
「で、いかがです? このエンジンノズル、あなたのロケットに使ってもらえそうですか?」
「え?」
不意打ちの質問に、私は今度こそ言葉を失った。
「どうして私、なんですか?」
私は当然の疑問を口にする。確かに多少目立った自覚はある。それでも私は既製品のロケット燃料を使ってささやかなロケットを何度か打ち上げただけの素人にすぎない。
「それは、貴女が私の息子を救ってくれたからよ」
神阪氏、ではなく、背後から答は返ってきた。
「最後の決め手になったのはそれ。実のところ、貴女のほかにも、私達は小型ロケットを研究しているいくつかの大学をリサーチしていたのよ。実際ついこの前までは東北の工科大学に声をかける方向でほぼ決まりかけていたわ」
「失礼ながら、動画投稿サイトのPVを見るまで、私達はあなたの存在をまったく知りませんでした」
神阪氏がやわらかく微笑みながら補足する。
「ただ、天野さんの話を持ち込んできたウチの若手がめずらしく力説しましてね。大手の企業スポンサーを掴んで潤沢な資金で開発をしている大学より、有望なアマチュアに援助すべきだ、と。その方が後発の我々が大きな発言力を確保できますし、今どき動画投稿サイトやSNSを使えばプロもアマチュアも世の中への情報発信力にそれほど違いはありません」
私は改めてぬりかべ先輩の企みに呆れると同時に、ある意味畏敬の念を感じずには居られなかった。あの時点でそこまで狙っていたとしたら相当な策士だ。
「その点、あなたのチームは発信力という点では抜群でしたね。動画サイトから学習塾チェーンのキャンペーン広告と、ネットとリアルをうまく使ってキャラクターを売り出していく手法はアマチュアにしては洗練されていましたし、事実、若い世代に支持され始めています」
「いいえ、そんなの思いっきり買いかぶりです。実は行き当たりばったりで…」
外からだとそんな風に見えるのかとちょっと驚く。
あるいは、偶然だと思い込んでいたのはすべてぬりかべ先輩の仕込みで、知らないのはまんまとはめられた私だけ?
すべては最初から計画されていたことなのかも。
(いや、さすがに疑心暗鬼になりすぎかな?)
「そう。軽いリサーチのつもりで息子に声をかけたらもう貴女のことは知ってたわ。それどころかいつの間にか駅貼りポスターはくすねてくるわ、ストーカーみたいに貴女の後をつけ回すわ。まあ、私が話を振らなかったらこんなことにならなかったのかも知れないけど…」
神阪氏の言葉を継いで、専務はわずかな後悔の念を滲ませながら言う。
「…貴女が被害届を取り下げてくれたおかげであのバカは犯罪者にならずに済んだわ。その一点だけでも感謝すべきでしょう。その上で、条件はおあつらえ向きに整っているし。貴女が神奈川の大学との相互利用契約を結んだという情報がとどめの一押しになったわね」
「あのー、そのあたりの情報は一体どちらから?」
どうも私に関する個人情報がどこかからダダ漏れしているような気がする。
「ええ、神技工大の森川君は私の大学時代の後輩なんですよ」
「あー」
私は小さくため息をつく。世の中って狭いものだ。つくづくそう思った。
帰りの車の中で、私は考え込んでいた。
神技工大の件も、そして今日の安曇さんの件も、本当なら素人に毛が生えたような私に持ち込まれる話じゃないような気がする。
私だって小学生じゃないから、どちらの提案も相手の思惑がグルグル渦巻いているというのはわかる。
企業や大学みたいなガチのエンジニア集団と比べ、私の方が扱いやすいと思われているのも仕方ない。
(まあ、どこからどう見てもチョロそうな小娘だしなぁ)
私は細い自分の二の腕をさすりながら心の中で自嘲する。
ただ、それでも今の私にとっては十分ありがたい話だし、私の夢に最短ルートで手が届く、力強い助けになる。
そうなんだけど…。
「天野さん、どうされました? ご気分でも?」
うんうん唸りながらふさぎ込んでいたのを心配したらしい。呼ばれてふと顔を上げると、バックミラーの向こうで運転手さんが心配そうに眉をしかめていた。
「よろしかったら、近くのサービスエリアにお寄りしましょうか?」
「あ、すいません。ちょっと考え事をしていただけで。気分は良好です。トイレも大丈夫です」
「…そうですか。だったらよろしいのですが…」
小さく安堵のため息をついた運転手さんは再び前方の暗闇に目を向ける。
その横顔を眺めながら、私は出口のないもやもやとしたこの気持ちをこの年上の女性にぶつけてみようかと、ふと思う。
「運転手さん、ちょっとグチってもいいですか?」
「はい、私で良ければ」
「仮に、明らかに私には分不相応な援助の申し出があったとして、それは素直に受けてもいいものなのでしょうか?」
「それは、天野さんに何か重たい責任や義務を負わせるものですか?」
ちょっとだけ首をかしげ、運転手さんはそれほど悩む素振りも見せずにそう返してきた。
「あ、いえ、それなりに期待はされていると思いたいですけど、責任がどう、といった話は特にないです」
「だったら、受け取っておけば良いのではないでしょうか?」
運転手さんの返事は明快だった。
「それって、なんだかずるいような気がするんですけど」
「ずるい…? 一体誰に対してですか?」
「誰? うーん、お天道様?」
私の答えに運転手さんは小さく笑い声を上げる。
「天野さん、あなたはまだ高校生です。年上の大人と交流した経験があまりございませんよね?」
「はい、まあ。両親にすら放置されて育ちましたから」
「であればよいご経験かと。若く、やる気と才気に溢れた人を助けてあげたいという気持ちは、私くらいの年齢になると誰しも抱くものです。遠慮される必要はどこにもありませんよ」
「そういうものなんですか?」
「そういうものなんです!」
そう断言する運転手さんの目には笑みが溢れていた。
---To be continued---
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