第三章 プロジェクト「ナイチンゲール」

第30話 プロジェクト「ナイチンゲール」

 物理技術部の前嶋部長は上機嫌だった。

「いやさ、この前の打ち上げ以来、うちでもロケットやりたいって騒ぎ出す連中がいて調整に悩んでたんだよ。やってみても良かったんだけど、今から初めても君の所には到底勝てそうもないし、そもそも生徒会が重複した活動を認めてくれそうにないし。あいつら引き取ってくれるんだったらこっちは願ったりかなったりだよ」

 元天文地学部の一年生は言う。

「ほら、文化祭のあの日、俺、ナツ先輩の打ち上げを見て痺れたんですよ。ロケットの回収もめっちゃ楽しかったっす。俺、工学そっちはさっぱりっすけど、目だけはいいんで、ええ、両目とも2.0っす。望遠鏡も扱い慣れていますし。何があろうと先輩のロケットを見失うことはないっす。大船に乗ったつもりでいてくれていいっすよ」

 元映研の二年生は笑う。

「天野さんは被写体としては最高ですよ。ころころ表情が変わるし、何よりその目がいいですよね。え? もちろんロケットも最高です。あのオレンジ色が青空に吸い込まれていく瞬間は本当にたまんないですね。また撮ってみたいってずっと思ってました」


 ぬりかべ先輩の取りなしもあり、他所からの部員引き抜きについてはまったくトラブルを生まずに済んだ。

 天文地学の坂本君は私と由里子が意図的に流した噂話を端から笑って私にくっついて来た。

 元々映研は解散予定だったため、カメラを担当していた大野さんは二つ返事で移籍に賛成してくれた。

 さらに、一番揉めるだろうと思っていた物理技術の前嶋部長はいつの間にか私のシンパになっていて、移籍してきた三人以外にも、打ち上げ要員としていつでも全面協力すると約束してくれた。

 みんなロケットの魅力に取り憑かれた、ある意味頭のおかしいメンバーばかり。

 こうして航空宇宙飛翔体研究部、通称ロケット部は、部室棟の一角でささやかに活動を開始することになった。


「えーと、とりあえずの活動目標は地上から上空二十キロまで到達可能なロケットの開発です。このロケットは、夜間、三百キロ遠方から目視できることを二つ目の要件とします。強力なLEDとか、そういう装備も必要になると思います」

 部発足初めてのミーティング。私はメンバーを前に改めて簡単な自己紹介をした上で、部活動の目標を説明する。

「しつもーん。ちなみにそのスペックは一体何のためのものですかー?」

 坂本君が声を上げる。この野郎、知ってるくせにわざと聞いたな。そう思って睨みつけるけど、知らん顔してニヤニヤ笑っている。

 私は小さくため息をつくと、すべてを話すことにする。いずれはばれる話だ。隠し事はできるだけない方がいい。

「この中の何人かはご存じですが、実は、私のクラスメイトがこの夏から入院しています。白血病だそうです。入院先ははっきりわかりませんが、おそらく三重県の津市、海岸からさほど遠くない場所にある病院のようです。東側が海で、水平線が見える場所です」

 初耳だったのか、大野さんと元物理部技術部の三人、山本君、佐藤君、中村君は口を開けたまま目を丸くしている。

「そこで、私はクラスメイトに私の、いえ、私達のロケット打ち上げをぜひ見て欲しいと思ってこのスペックを決めました。私達の学校からそこまで、およそ三百キロ離れています。地球は丸いですから、そこから私達のロケットを見ようと思えば、最低でも十キロ、余裕を見て二十キロくらいの高さに打ち上げないと水平線に隠れて見えないんです」

 私はそこで一度言葉を切り、みんなの顔を見回した。さすがに元物理技術部の三人はすぐにスペックの意味を理解したらしく、大きく頷いている。

「元々素人の私が頑張ってそれだけの性能のロケットを打ち上げることが出来れば、彼も同じくらい治療を頑張ってくれるんじゃないかな…と、そんな風に思ってます」

「そのクラスメイトって、ナツ先輩の彼氏ですか?」

(バカ、わざわざ聞くな!)

 思ったけれどもしょうがない。

「幼なじみです。生まれてからずっと一緒に育ちました。彼氏とかじゃないけど、多分、私の一番…」

 そこで言葉に詰まる。走は、私の何だ?

 由里子に指摘されて以来ずっと考えているけどいまだに答えは出ない。

 みんな邪推するけど、走に対して胸がときめいたりしたことは本当に一度もない。でも、もし走に何かあれば絶対に一番に駆けつけたいと思っているし、走の為なら自分の命だって差し出すことに何のためらいもない。

 こういう関係って、どう表現すればいいんだろう。

 そんなことを考えて話がまとまらなくなった。仕方ないのでちょこんと頭を下げて話を締めくくる。

「…すいません、個人的な話にみんなを巻き込んでしまって」

 いきなり場が静まりかえった。

 あー、ヤバいなこれ。良くない流れ? 私は叱られるのを覚悟して目をぎゅっとつぶり、頭を低くする。

 これまでの部活を辞めてまでロケット部に移籍して、そもそもの目的が私の極めて個人的な話からスタートしてるとかいきなり聞かされたらそれは怒るだろう。

 ところが怒鳴り声はいつまで経っても聞こえてこない。恐る恐る目を開けてみると、元物理技術の三人は早速専門用語が飛び交う討論を始め、大野さんは目をうるうるさせて私を見つめていた。そもそもの発端になった坂本君はニヤニヤ笑いを崩さないまま私の顔を覗き込んでいる。

「あれ? あの、みんな怒んないの?」

「へ? どうしてです?」

 議論が一段落した中村君が逆にキョトンとした表情でこちらを見返す。

「え、だって、個人的な事情にみんなを巻き込んでるんだよ?」

「ああ、その辺は気にしませんよ。どうせ作るんだったらただの数値目標を上げられるより、人情話の方がやる気が湧くじゃないですか」

「そんなもんなの?」

「ええ、それより天野部長、これ、いつまでに開発します? そういう事情なら当然早いほうがいいですよね?」

「ぶちょ…ああ、そうか。えーっと、無理を承知で言うと、クリスマスまで…厳しいかな?」

「おー、厳しいですねえ、俄然やる気が湧いてきましたよ」

 中村君は厳しいと言いながら笑っている。

「天野さん、この話、プロジェクト名を決めませんか?」

 大野さんが提案する。確かに、なんとなく開発するより名前が決まっている方が呼びやすい。

「そうね、順番から行くと開発コードはナツ-4型ってことになるんだけど」

「これ、打ち上げは夜明け直前か、あるいは日没の直後がいいですよね。観測地点に太陽が昇ってなくて、上空二十キロではロケットが太陽光を反射すると、LEDを仕込むだけよりもぐっと視認性が増すと思います」

「夕方と夜明け前か…ねえ、“小夜啼鳥サヨナキドリ”ってどうかな?」

 大野さんがみんなの顔を見回しながらようやく笑顔を見せる。

「何ですか?」

「ええと、“ナイチンゲール”って名前の方が有名? 名前の通り、日没直後と夜明け前にきれいな声でなく小鳥の名前なの」

「いいですねぇ、Nー4型“ナイチンゲール”!」

 こんな勢いで突っ走るようなノリでいいのかなあと思う間もなく、プロジェクト“ナイチンゲール”はスタートした。


 そして夕方。みんなが帰った部室で私は一人頭を抱えていた。

 当たり前の話だけど、プロジェクトがスタートしたからと言って、すべてがするするとうまくいくわけじゃない。

 むしろ今回のプロジェクトは最初から難題が山盛りだ。

 まず二十キロも打ち上げできるロケットの目処がいまだにまったく立っていない。加えて、打ち上げ場所の当てがない。

 これまでの経験が生かせるモデルロケットの延長で大型化を進めるのがベストの選択だとは思うのだけど、大型エンジンの購入に必要な二級ライセンス以上の保持者とつながりが持てない。

 部長として、このままぼんやり立ち尽くしているわけにも行かず散々悩んだ末、やっぱりモチはモチ屋に相談と、先日名刺をもらった森川教授の研究室に電話をかけてみた。

「もしもし、先日お会いした翠風高校ロケット部の天野と申します。森川教授はいらっしゃいますでしょうか?」

『申し訳ありません、森川はあいにく会議中で…』

 秘書さんらしき女性が電話を受けてくれるが、やっぱり相当に忙しい人らしい。

「そうですか。では、改めてまたお電話いたし…」

『ちょっと待って! もしかしてロケットの天野さんってあの天野さん?!』

 電話の向こうで誰かと小声で話していた秘書さんがいきなりハイトーンで尋ねてきた。突然の大声に耳がキーンと鳴る。しかも何を言っているのか意味がよく解らない。

「あの?」

『失礼しました。“私は夢を諦めない”のモデルさんですよね?』

(あー、また出たよ)

 どうやら、あのポスターは私が思っているより遥かに広い範囲にばらまかれているらしい。

「…はい、その天野です」

『わかりました! 明日の午後であれば万難を排して時間をお作りします。どうぞお好きな時間にお越し下さい!』

 秘書さん、本当にそれでいいのかと思いつつ、便宜をはかってくれるのは素直にありがたい。午後三時に訪問することにして電話を切る。

「ふう」

 ため息をつきつつ何気なく壁の時計を見上げると、もうバイトの時間が迫っていた。

「うわ、忙しい」

 慌ただしく鞄に筆記用具やノートを放り込み、部屋に鍵をかけると職員室にダッシュする。

「天野奈津希入りまーす」

 ドタバタと職員室に入り、キーラックに鍵を返してまたドタバタと部屋を出ようとしたところで呼び止められた。

「天野、待て!」

 振り向くと真弓先生だった。

「先生! 私ちょっと時間がヤバいんです」

 私はいつでも逃げられるようその場で足踏みをしたまま答えると、出口の方向に秒速五センチメートルくらいでこっそり移動する。

「送ってやるからじわじわ逃げるな。ちょっと話がある。来い」

「えー」

 思惑をあっさり見抜かれ、仕方なくその場駆け足を止めると真弓先生の席に歩み寄った。

「これ、どう思う?」

 先生は両面コピーのA4コピーをぽいと私に放る。受け止めて目を通して見ると、FAXで送られてきたらしき荒い解像度の企画書で、左上に地元ローカルテレビ局のロゴがある。

「お前のロケット作りが各所で話題になっているそうで、できれば夕方のローカル番組で十五分くらいの特集を組みたいそうだ。例の進学塾がスポンサーになる予定もあるが、どうする?」

「いやです」

「即答だな」

「いやです。これ以上変な風に顔が売れたくないです」

「学校としては、学業と部活の両方に積極的な校風をもう少しアピールしたいんだが」

「なおさら駄目じゃないですか。私の成績、ご存じでしょう?」

「おお、それなんだが、お前、何かやったか?」

 いきなり耳元に顔を寄せ、ささやくように問われてドキッとする。

「カンニングとかやってないですよ」

「いや、それは疑ってないが、成績上がってるぞ」

「ええ!」

 この前の中間テストでは文化祭のあおりでほとんど勉強時間が取れなかった。前日に適当に教科書とノートを読み直したくらいだったので、本当に成績が上がっているとすれば奇跡に違いない。

「そんなわけでOKしておくぞ。じゃあ送ってやる」

「いやいやいや、OKじゃないですって」

「じゃあ送ってやらん」

「うわ、ひでーっ! 鬼!」

「鬼で結構。私はわが校の名誉のためには鬼にもなろう」

「でも、また襲われたらどうしてくれるんです!」

「だから、その対策も兼ねてるんだよ」

「…全然訳がわかりません」

 真弓先生は得意げな表情で指先をピンと伸ばし、ふてくされる私の額をチョンとつつく。

「そうだな、仮に、普通のライオンと白いライオンが居たとする」

「はあ」

「両者に何かトラブルがあったとして、話題になるのはどっちだ?」

「…白い方?」

「そう。誰もが気にかけていて、迂闊に手を出すと大騒ぎになると判ってちょっかい掛けてくるのは確信犯かただのバカだ。それだけでも相当の抑止力になる」

「じゃあ先生は私に白いライオンになれと?」

「ああ、それに、情報が中途半端に露出してるから隠れている所を見たくなる。だったら何もかも晒してやれば変な探りを入れてくることもなくなるだろう?」

「その場合、晒されるのは主に私のプライベートなんですけど…」

「そう、私のじゃないから気が楽だよ」

「…悪魔ですね」


 結局、ガッティーナに送ってもらうことを条件にテレビの取材を受けさせられることになった。

 仕方ないのでせめて密着取材に関しては外部のカメラマンではなく大野さんの撮影でお願いしたいと条件を出し、それも部活の一環ということでなんとか飲んでもらう。

 あとはもう一つ、明日の森川研究室への送迎もお願いし、「そんな大事な話を直前に言うなよー」とブツブツ言われながらもどうにか同意してもらった。

 こうして、ロケット部の初日は暮れていった。


---To be continued---

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