第31話 神技工大

 大学の駐車場入り口では大野さんが愛用の一眼レフカメラを構えて待っていた。動画も静止画も高画質で撮影できる優れもの。しかも今日はまた一段と太くて長いレンズが取り付けられている。

 真弓先生の駆る赤いスポーツカーに気付いたらしく、一度ファインダーから顔を浮かし、笑顔で大きく手を振ると再びカメラを覗き込むのが見えた。

「おお、もう始めるのか?」

「はい、昨日のうちにメッセージ送っておきました」

「じゃあ、せいぜい格好良く駐車場に…」

「いいから普通に運転して下さいっ!」

「えー」

 口を尖らせながらも、真弓先生にしてはおとなしく駐車場に乗り入れた。すぐにガードマンが現れ、私は森川研究室に約束がある旨を伝えて差し出された来訪者リストにサインするとネームタグを三枚もらう。

「そちらのタグは本館、別館、学食、すべての出入りに必要になります。お帰りの際にはこちらまでお戻し下さい」

「ふうん、警戒厳重だな」

「はい、本学は最先端の研究施設でもありますので」

 先生はそれ以上は尋ねず小さく頷くと、私の手のひらからつまみ上げたネームタグを首にかけ、さらにもう一枚を走り寄ってくる大野さんにぽいと放り投げた。

「おっと」

 運動神経のいい大野さんは重いカメラバッグを抱えたまま器用に片手でタグをキャッチすると私達に肩を並べてきた。

「私、大学の構内なんて初めて入りますよ」

大野さんがキョロキョロ辺りを見回しながら少しだけウキウキした早口で言う。

「どこかの学祭とかに行ったこととかないのか?」

「ええ、そんな暇があったら山にでも籠もって撮影してましたね」

「…お前は徹底してるな」

「天野さんには負けますけどね」

「え、ちょっと、どうしてそこに私が?」

 抗議の声を上げる私を左右から覗き込むと、二人はにーっと怪しい笑みを浮かべ、私は両脇から挟むようにがしっと腕を掴まれた。

「さあ、行こうか」

「フフフ、行きましょう」

「大丈夫! 自分で歩けますって、なんでそんな宇宙人を連行するみたいにー!」

 理由はすぐにわかった。本館エントランスの吹き抜けには、高さ五メートル、幅三メートルの巨大なバナーが下がっていた。

 そう、言うまでもなく例の“私は夢を諦めない”だ。いつの間にか大学のロゴまでそこに付されている。

「え? え? えー!」

 私は意味もわからず赤面する。

「どうやら、つい最近大学、塾と共通の新入生募集キャンペーンポスターになったらしいですよ」

「大野さん知ってたの?」

「ええ、撮影したの私ですから、だいぶ前に使用許可の問い合わせが来てました」

「先生は?」

「ああ、許諾を出したの私だからな」

「私は? 私の意思は?」

「ないな、そんなもの」

「こんのぉ! おに-っ!」


 案内図によると、森川教授の研究室は本館五階の南セクションにあった。

 でも、そこにたどり着くまでの間、私のHPは容赦なくゴリゴリと削られた。一階のエレベーターホール、エレベーターの中と、まるで私に対する嫌がらせのようにくだんのポスターが貼られている。特に五階のエレベーターホールにはまさかの十枚セットの組み写真が掲示されていて本気で驚いた。

 ポスターに採用された素材の他に、ロケット本体が夕空に上がっていくシルエットやPVでも使われた発射装置を構えたポーズ、いつの間に撮られたのか愁いを帯びた表情で空を見上げているシーン、さらには発射台にセットされたロケットを片目をつぶって睨みつけるように調整している場面などなど。

 紙に丸い癖が残っているところを見ると、わざわざ業務用の大判プリンターで出力されたものらしい。

「ああ、これは試作品ですね。最終的に今のポスターに決まる前に何種類か提出したデータの一部です」

「それぞれのポスターに書かれている正の字は何なんだろうな?」

「さあ、それは何とも」

「やっぱり採用されたポスターの数字が一番大きいな。人気投票かな」

「うわ、もう約束の時間だよ、ほらほらもー、二人とも急いで急いで!」

 組み写真を前に腕組みし、あーだこーだと評論している二人の背中をぐいぐい押してせかす。エレベーターホールからロの字型に伸びている廊下のちょうど反対側、南東側の日当たりの良い一角が森川研究室だった。

「こんにちわー、翠風高校ロケット部でーす」

 ぐいと扉を引きあける。と、なぜか目の前の床にベッタリ土下座をしている男子学生につんのめりそうになって慌てて立ち止まる。

「あた!」

「痛て!」

 まるでお約束のように後ろの二人が私の背中に次々と顔をぶつけて小さく叫ぶ。が、それどころじゃない。

「何! 一体何なんですか?」

 見ると、森川教授が腕組みをし、困り果てた顔をして部屋の奥に立っていた。

「やあ、よく来てくれたね」

 一応歓迎の挨拶はしてくれたけど、何ともシュールな歓待スタイルにこちらも何と言って返せばいいのかわからない。

「あの、とりあえず、それ、止めて頂けませんか?」

「申し訳ありませんっ!」

 男子学生は顔を上げようともしない。

「だから何?」

「オレ、あの日、天野さんを追いかけて…」

 私の顔から血の気が引いた。

「まさか!」

「すいません! そのまさかなんです!」

 さすがに足元がふらついて、私は大野さんに抱えられるように手近の椅子にへたりこんだ。

「あんな事になるなんて思わなくて。本当にちょっと声をかけるだけのつもりだったんです。まさか天野さんがあんなに足が速いなんて思わなくて、つい本気で追いかけちゃって…」

「…実はあの後、ガッティーナのオーナーに事の次第を詳しく聞いてね」

 ずっと腕組みをしていた森川教授が口を挟んだ。

「君自身にとても興味を持ったのも確かなんだけど、君に怪我をさせた犯人をどうにか見つけられないか、なんとか力になりたくて、こっちでも知恵を絞ってみたんだ。エレベーターホールのあの写真…」

「そ、そうですよ、何であんなみっともない物がここにあるんですかー?」

 私は半分悲鳴のように問う。本当に恥ずかしくて顔から火が出そうだ。

「相手は大学生くらいの男性だって聞いたから、学生の提案で餌を巻いたんだ。君をしつこく追いかけるくらい執着しているのなら、未公開写真が大量に展示されていると聞いたら絶対に食いつくだろうと思ってね」

 森川教授の隣ではメタルフレームメガネの青年がうんうんと頷いている。彼がアイディアを出した張本人らしい。

「だから、画像データが絶対にネットに出回らないように注意しつつ、神技工大ウチの学生連中に頼んでネットに拡散してもらった」

「じゃあ、この人は…」

「ああ、こいつはウチではなく、横浜市内の私大の学生だ。写真を盗みに来たところを研究室の学生が確保した…」

「許して下さい! オヤジが厳しくて、 警察に逮捕されたりしたら…バレたらオレ、殺されます!」

 男子学生は床に額を擦り付けながら苦しげに声を絞り出す。

「何都合のいいことを言っているんだね君は! 下手をすれば君自身が天野君の命を奪いかねなかったんだぞ!」

「…森川先生、もういいです」

 私の一言に室内は静まり返った。

「もう絶対にやらないって約束してくれるんなら被害届は取り下げます」

「天野君!」

 森川教授の制止を無視して言葉を続ける。

「こういうことに関わり合っている時間がもったいないんです。だから、もうお帰りください」

「本当にいいのかい?」

 森川教授が言葉の意味を確認するように私の顔を覗き込んでくる。

「構いません」

「そうか…ええと安斎君、彼の身元を確認して誓約書を取っておいてくれ」

 森川教授はちょっとだけ不本意そうな表情で秘書さんを呼ぶと、さらに二言、三言、小声で指示を出してから私に向き直った。

「じゃあ、ここは後にして、まずは学長室にでも行こうか」

「え! 学長室!」

「そ、学長室。今回の企みの張本人だ」


 偉い人の部屋というとなんとなくマホガニーの壁にウォールナットのテーブルがどーんと置いてあって、一角にはクリスタルの灰皿が置かれた豪華な応接セット、というイメージでいたので、壁一面にNASAの管制室ばりの大型モニターがずらりと並んでいたり、ゲームセンターのような体感型筐体が据えてあったり、この部屋はなんだか色々と予想外だった。

 加えて最上階のこの部屋まで移動する途中にも私のHPは再び容赦なく削られ、

「さて、せっかくお越し頂いたんだからこれにサインを…」

 と銀色の極太ペイントマーカーを手渡され、大伸ばしされたポスターを指さされた時点でもはや私のライフは尽き果てた。

「とっても恥ずかしいです。調子に乗っている自分の姿が傍から見るとこんなに痛い物だとは思いもしませんでした」

 私は火照った頬を両手で冷やしながらため息交じりにつぶやく。

「そうかなぁ、私はこの写真、結構気に入っているんだけど」

「考えすぎだ。お前は昔からだいたいこんな感じだ」

 大野さんと真弓先生から容赦なくコメントされ、ニコニコしている学長の目の前で自分の写真ポスターにサインをさせられた時点でもはや開き直るしかなかった。

「わかりました。もうどうにでもしてください!」

 私は柔らかい革張りのソファーにどっかりと腰を落とし、ぷうと頬を膨らまして一同をねめつける。

「では、ご本人からもOKが出たところで…」

 森川教授はさも当然といった表情で、全員に製本された企画書を配る。

 厚さ五ミリほどの白い表紙の小冊子。表紙には“高校・大学高度連携プログラム概要”の文字。

 なんだ、私の意志とは関係なくもうお膳立ては済んでいるんだ。そう思い、なんだか釈然としない気持ちになる。ところが続く学長の言葉はそれを否定する。

「お手元の冊子は来年度から本学で運用を予定している新しいプログラムについての要約です。なんだか天野さんが釈然としない顔をされていますので念のため申し上げておきますが、今回のために新たに作った資料ではありませんよ。既に本学の理事会で決定したお話です」

 どうやら見抜かれていた。私は顔を赤くして慌てて居ずまいを正す。

「えー、最初にちょっとだけ難しい話をしておきますと、本学を始め日本中の大学は、世界的にも類を見ない少子高齢化のあおりを受け、今や存続の危機を迎えております。いわゆる学校あまり、学生不足という現象ですね」

 確かにそれは聞いたことがある。高校でも事情はだいたい同じで、でなければ私みたいな何の取り柄もない人間が翠風ウチみたいな進学校に入学できるわけがない。

 昔の翠風をよく知る父親が本気で首をひねっていたのは今でもしっかり覚えている。素直に娘の幸運を喜べよ、そう思ったし。

「対策として、例えば入学のハードルをぐんと下げてだれかれ構わずウェルカムという方法もありです。事実、地方の私立大学はそれで一時的に息を吹き返したところもありますが…」

 それもネットのニュースで見た記憶がある。海外から名目だけのの留学生を大量に迎え、どうにか定員を満足させている学校も多い。ただ、それには大きな問題がある。その学校の魅力が失われるのだ。

「教育水準は目に見えて低下し、学生がより楽に入学できる大学に流れて没落、結局閉校のやむなしに至った、そういうケースは枚挙に暇がありません」

 学長はそこで言葉を切り、居並ぶ一同を見渡す。私も茶色っぽいその瞳で見つめられ、落ち着かない気分になる。この人は何を言いたいのだろう?

「そこで、我々はまったく異なる対応を取ることにしました。それがこの…」

 白い表紙をポンとはたくと、自信ありげににっこり笑いながら続ける。

「…高校・大学高度連携クロスオーバープログラムです」


---To be continued---

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