第29話 退部届

 そのままぽつんと一人路上に取り残された私。

(あれ、トモヒロって私のボディーガード役じゃなかったっけ?)

 思ったけれど、置いてけぼりになる原因を作ったのはほかならぬ私自身だ。仕方ないので学校に向けててくてく歩く。まあ、朝っぱらから襲ってくる人もいないだろうし。

 しかし、なんでこのタイミングなんだろうか。

 昨日聞かされた工科大の学生達もそうだし、今朝のトモヒロだってそうだ。私は私で昔からずっと変わっていないはずなのに、広告ポスターが体裁良く膨らませた私の虚像に群がって、今、目の前にいる本当の私を誰も見ようとしていない。

 トモヒロの告白を私が素直に受け止められなかったのは多分そのあたりなんだろうな。ちゃんと私の目を見て同じことを言われたら、もしかしたらもう少し考えたかも知れない、なんて思う。それにしても。

「悪いことしちゃったかなぁ」

 多分トモヒロは傷ついただろう。

 結局は同じ結論だとしても、もう少し柔らかい断り方はあったように思う。あるいは思わせぶりな態度でとりあえず答えを先送りにする、とか。

 そういう他人への優しい気遣いというか、テクニックというか、そう言う部分が私には決定的に欠けている。

 由里子が前に言っていた通りだった。私、恋愛感度鈍すぎだ。

「でも、困ったなあ」

 トモヒロが私のことを気にしていたらしいことは由里子にはとっくの昔にお見通しだったわけだ。

 だとすれば、由里子は彼が玉砕することも当然予想していたはず。それなのに、なぜ彼にわざわざこのタイミングで発破をかけるようなことをしたんだろう? それがよくわからない。

 おかげでまた部室に顔が出しにくくなった。

「いや、まてよ」

 不意にちょっと変なことを思いついてしまって立ち止まる。

 由里子が天文地学部に入ったきっかけは、周りが男子部員ばかりなのに嫌気がさした私が引きずり込んだからだ。今までずっとそう思っていた。

 でも、実はそれだけが理由じゃ無かったとしたら…?

 トモヒロは走に誘われて私より少し後に入部して来た。由里子が入部したのはさらにその後のことだ。

 仮に、トモヒロが自分で言ったようにその当時から私のことを気にしていたとしたら、走に誘われたのは本当の入部理由だろうか?

 そして、由里子が入部したのは?

 ただ、たとえ入部動機が何にせよ、走がいるうちは(本人が自覚していたのかどうかは置いておいて)トモヒロと私の間で走がうまく防波堤になっていた。おかげで、幼なじみ四人、なんとかバランスを保ちつつ、まあまあ仲良くやってきた。

 でも、この夏からの走の長い不在はそのバランスを決定的に崩した。

 適当でマイペースな部長のトモヒロを影からよく支え、副部長としてある意味上手に操縦してきた由里子がその不安定アンバランスさに気付かないはずはない。

 彼女はきっと最善の手段でバランスを修正し、安定を取り戻そうとするだろう。

 では、どんな形で? 彼女の理想はどこにある?

「…このままじゃ駄目かもしんないな」

 私は由里子が文化祭の前にちらっと言っていたことを今さら思いだした。

『ロケット作りとうちの部活は馴染まない』

 由里子は確かにそう話していた。


「で、どうしてこうなる?」

 翌日の放課後。

 今年に入ってもう何回目の呼び出しだろう?

 私は狭い生徒指導室で背中を丸め、机の上に並んだ二通の封筒を見つめていた。

 一通には見覚えがある。私自身が書いたから。そしてもう一通。

 表書きにはどちらも、“退部届”と書かれている。

「いきなり何の説明もなくこんな物を出されても困る」

 真弓先生は困惑を通り越し、もううんざりといった表情がありありと浮かんでいた。

「一つ、聞いてもいいですか?」

「ああ」

「もう一通は誰なんです?」

 その瞬間、真弓先生の眉がピクリと動いた。

「何だ? お前達、示し合わせて出したわけじゃないのか?」

 どうやら先生にとっても意外だったらしい。

「…もう一通はトモヒロだ」

 ああ。やっぱり。それで納得できた。

「先生、大丈夫です。私が先に辞めれば彼は辞めません。多分、私と顔が合わせづらいとか、そんなゆる~い感じだと思います」

「じゃあ、お前の方はもう少しまともな理由だとでも?」

「ええ、熟慮の結果です」

 私は大きくかぶりを振った。

「どうしてだ? 私としてもこれまで最大限お前に便宜をはかってきたつもりだが?」

 真弓先生は困り果てたような、信頼していたペットに裏切られたような、なんとも微妙な表情でそう取りなしてきた。

「はい。それにはとても感謝しています。でも…」

「でも?」

「私のやっていることが部の方向性とだんだんずれてきているのは先生もよくご存じじゃないですか?」

「…」

 口をへの字にした先生の表情が何よりはっきりとそれを物語っていた。

「このまま私が勝手を続けると、みんなに迷惑がかかります。せっかくみんな仲良くやっているのに…」

 わかりやすい話で言えば、例えば私がこれまでロケット作りに費やしたお金は、これまでの天文地学部のささやかな活動予算を遥かに上回っている。

 実際は私自身がPV出演で得た収入をつぎ込んでるから部に経済的な負担はかかっていない。それでも、主に由里子が担当している経理事務的な作業量は間違いなく跳ね上がっているし、詳しい事情を知らない一般の部員がその様子だけ見れば、私一人が自分勝手に部の予算を食い潰しているように誤解するだろう。

「…だが、どうするつもりだ?」

「真弓先生、確か、うちの学校の部活は同じ先生が二つまで顧問の掛け持ちが出来るんですよね?」

「何でそんなことを知っている?」

「ぬりか…真壁元生徒会長に伺いました」

「何、奴の入れ知恵か!」

 真弓先生の眼光がさっと鋭くなる。でもここで引き下がるわけにはいかない。

「真弓先生、先生は今のところ天文地学部しか担当されていらっしゃらないですよね?」

「あのなあ、前々から何度も言っているとおり、私はこれでも忙しいんだぞ」

「私がこのまま天文地学にいても、部を飛び出しても忙しさはさほど変わんないと思いますよ?」

「うーん」

 真弓先生は天井を見上げて唸ったきり動かなくなった。

 実を言うと、ぬりかべ先輩の後押しでもう生徒会の内諾は取れている。部室のあても無いわけじゃない。他ならぬぬりかべ先輩が占領しているあの狭いながらも豪華なスペースは本来正式な部活動に充てられるべき場所だし、数ヶ月後に受験、そして卒業の迫る先輩自身、さすがにそろそろ映研を解散する頃合いだとも話していた。

「…お前、一体何を企んでいる?」

「はい、新しい部活を立ち上げようと思います」

「何部だ」

「はい、航空宇宙飛翔体研究部、通称“ロケット部”って言うのはどうでしょう?」

「あのなあ、部活はお前一人じゃ出来ないんだぞ。最低でも創設メンバーは五人が必要だ」

「天文地学から私と、一年生がもう一人、物理技術部から三人、映研から一名、合わせて六名。あと、走も、学校に戻ればきっと入部してくれると思います」

 私は、自分の出した退部届の上に創部願と六人分の入部届を重ねて先生の方に押しやった

「うぬぅ」

 そのまま真弓先生は黙り込んだ。

 

 実は昨日、私は学校に着くと同時にぬりかべ先輩を呼び出して創部について諸々の手続きを教えてもらい、その実現可能性についても検討してもらっていた。その上で、放課後は映研の部屋を貸してもらって由里子と長い時間話し合った。

 さすがに策士を自認するだけあって、由里子は私の考えを正確に見抜いて来た。それでも私の退部についてはなかなか同意してくれなかった。

 彼女的には、トモヒロが私に対する未練を断ち切って部長職に専念してくれればそれでよく、部内にもやもやしている不公平感については自分の力でどうにかできると踏んでいたらしい。

「ただでさえ少ない女子部員がこれ以上減るのは困るのよ。それに、ナツと私が仲違いしてあんたが部を飛び出したなんて噂になったら最悪、部を割ることになるわ。あんた、自分の人気と影響力を過小評価しすぎてる」

 その見方は私にとって衝撃だった。

 私は最初から一人で部を離れようと思っていたし、それにだれかを巻き込もうなんて考えたこともなかった。

「いやいや、ないよ。だって私は自分のわがままでロケット作ってるんだよ。そんなの誰が好き好んで手伝うの?」

「あんたねぇ」

 由里子は眉間を押さえて大きなため息をつく。

「あんたがやってることはそりゃ確かに自分勝手かも知れないけど、それでも他人から見れば十分新鮮だし、目的うんぬんよりもあんた自身を純粋に手伝ってあげたいと思う人間が結構いるってこと。証拠は私、私自身よ」

「あ…」

 由里子が部活の範囲を越えて私に肩入れしてくれていることは気付いていた。でも、そうか…。

「ありがとう。ごめん」

 何だか涙が出そうになる。でも、部を割ることは私の本意じゃない。それにもうひとつ大事なことがある。

「私が辞めないとトモヒロが辞めるかも知れないよ」

 今度は由里子がショックを受けた顔つきになる。

「いや、さすがにそりゃないでしょ。あいつずっと部長やりたがってたんだよ」

 でも、一見ヘタレに見えるプライドの高い男の子がこんな時どんなことを考えるのか、私はよく知っている。そう、走だ。

 そして走とトモヒロは本質的なところでよく似ている。

「由里子、私がみっともなく見えるように噂を流してくれないかな。走がいなくなったから部活に飽きて勝手に辞めちゃったとか」

「それでいいの? きっと悪く言われるわよ」

「それが目的。できるだけ嫌われた方が天文地学部に迷惑かけなくて済むから」

「…あんた、走のためにそこまでするの? 何で? そのくせ恋愛感情はないとか、ちょっと信じられないわ」

 由里子はあきれ果てたという顔つきでそう言うと、ガタリと音を立てて立ち上がった。

「わかった。退部は認めるわ。本意じゃ無いけど噂も流す。でも、それでもついて行きたいって奴が出たときには面倒見てあげてね」

 私は無言で頷いた。

 そして気付く。やっぱり由里子はトモヒロのことが好きなんだ…と。


「天野奈津希、君はそれでいいのか?」

 戻って来たぬりかべ先輩に部屋を借りた礼も含めてなりゆきを簡単に報告すると、眉を歪めながらぐいと顔を寄せて訊いてきた。

「いいも何も、私がやりたいのはただ自分のロケットを走に見せることだけです。それが彼との約束だから。その為だったら何だってします」

「…その信念がどこから来るのか俺もよくわからんが…まあいい、俺も協力は惜しまないつもりだ」

 その言葉に偽りはなかった。翌朝、彼に手渡された茶封筒の中には創部に最低限必要な私以外四人分の入部届が入っていた。


---To be continued---

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