第28話 告白

「申し訳ありません!」

 反射的に声が出た。

 幸い配膳を終えたばかりだったので銀色のトレイには何も載っていなかった。でも、その分甲高い金属音がフロア中に長く響き渡る。

 談笑していた店内のお客さんが全員そろって沈黙し、不気味な静寂が支配する中で私は冷や汗を流しながらお詫びの言葉を叫ぶように絞り出すと、慌ててトレイを拾い四方に向かってただペコペコと頭を下げた。

「ごめんなさい! すいません!」

 それだけを呪文の様に繰り返すと、後ろも見ずに厨房に逃げ込んだ。

「どうしたの?」

「あの、ディナーのお客さん、私がロケットガールだって…」

 私の顔色とそれだけの説明でシェフは何事かを察したらしく、コック帽を取ると「ナツはここにいて!」と一言だけ言い残してフロアに出て行った。

 私はまだ動悸のおさまらない左胸を重ねた両手で押さえ、どうしてあれほどうろたえてしまったのか考えていた。

 頬の傷を隠すため、いつもより少しきつめにメイクをした結果、私の顔が私鉄の駅に貼られている例の“私は夢を諦めない”のポスターにいくらか似てしまったのはまあ仕方ない。なんたって元が同じなんだから。でも、ここまで過剰反応してしまったのは間違いなく先日の事故が原因だと思う。自分でも気がつかなかったけど、不審者に追いかけられたことと事故の記憶が私の頭の中で変な風に繋がって変なトラウマになってしまい、いまだにうまく折り合いが付いていないみたいだ。

(困ったなあ)

 多分、同じように声をかけられることは今後も増えるだろう。そのたびに文字通り飛び上がってしまっては身体が持たない。

 そんなことをうだうだ考えながらそーっとフロアを覗くと、ちょうとこちらを向いたシェフと目が合った。シェフは小さく手招きをすると、心配ないよとでも言うように笑顔で頷いてくれる。それでようやく少しだけ気持ちが落ち着いた。

「どうも、お騒がせしてすいませんでした」

 おずおず、という感じでどうにかお客様の前までたどり着き、改めてぺこりと頭を下げる。

「いや、こちらこそ驚かせて申し訳なかったね」

 白髪の男性は鷹揚に笑顔で頷く。よかった。とりあえず怒ってはいないみたいでホッとする。

「実は大学うちとあのスクールはずいぶん前から人材交流をやっていてね、その関係であのポスターも学内のあちこちに貼られているんだよ」

「え!」

「しかも、結構男子学生に人気があってね、けっこうな枚数剥がされて持ち去られたらしい」

「それは…」

 うーん、一体どう答えたらいいのか、返事に困る。

「しかもあのロケット、小道具かと思ってたら全部自作の本物なんだってね。驚いたよ。君、いずれうちの大学に来る気はないかね?」

 ワインの酔いもあってか、男性は上機嫌にそうスカウトまでかけてきた。

「でも、お客様の学校は確か工学系では?」

「そう、神奈川技術工科大。宇宙関係の学科もあるよ。ほら…」

 と、向かいに座る大柄でひげを蓄えた浅黒い肌の男性に右手を向ける。

「航空宇宙システムの森川君だ」

 なんとなく見覚えがあった理由が判った。走が目指しているのがまさにこの先生の研究室で、動画投稿サイトで何度かこの先生の一般向け講義を見せられたことがあるからだ。

 内容は興味がなかったのでまるで記憶にない。ただ、まるでヨットマンみたいに日焼けしていて、一体何の研究をしているとこうなるんだろうと不思議に思ったことだけははっきり覚えていた。実際に目の前で実物を見てもやっぱり学校の先生とは思えない。

「でも、私、理系科目が壊滅的で…」

「なーに、君、まだ二年生だろ? 今から頑張れば間に合うって」

「うち、AO入試もやってるから」

 森川先生も口を挟んでくる。

「このまま打ち上げ実績を重ねれば、それだけでもいけるかも知れないよ」

 いやいや、それはいくら何でも煽りすぎ。むしろそういう声は走にこそかけて欲しいなあと思う。

「ま、よかったら今度一度見学においで」

 と名刺を渡される。何となく貫禄あるなあと思っていたら、白髪頭の肩書きが学長でまた驚いた。

 結局、二人は閉店間近まで上機嫌でワインを飲み、多めのチップまで置いていってくれた。


「良かったじゃない。この際、本気で工学部を目指してみるって言うのはどう?」

 閉店後、フロアの掃除を済ませたところでシェフと差し向かいでまかないを頂く。というか、現在私の家はここなので普通に遅めの晩ご飯だ。

「うーん」

 私ははっきり返事できずに唸る。

 将来、走はきっとあの大学に入るだろうと思う。一方、私の頭で手が届く大学だと思ったことは一度もなかった。地元ではそこそこ偏差値の高い大学で、現時点の私の成績では多分D判定にも引っかからないだろう。

 二人で一緒の大学に行けたらいいな…とは思う。

 でも、さすがにそれは高望みのしすぎだろう。

「私はきっとそこら辺の短大か専門学校にでも通って、いずれありふれた普通のOLにでもなるんだと思いますよ」

「あら、そうかしら?」

 本人が言ってるのに、まるで信用していない口ぶりでシェフは笑う。

「そうそう、ところで、夕方のあの子だけど…」

 すっかり忘れてた。トモヒロ。

「明日の朝、迎えに来るって」

「え、ここに住んでるって話しちゃったんですか?」

「いいえ、登校前に朝の仕込みを手伝ってもらうからって話したから」

「あー、なるほど」

 その説明であればまんざら嘘でもない。毎朝ランチ用のミニパンを焼く手伝いをすることになっているから。

 シェフは仕事柄もあって調理に関してさすがに厳しく、最初は包丁を握る手つきすらおぼつかなかった私も、(半分くらいはランチメニューの材料から分けてもらって作るけど)ここ数日でようやくお弁当が自分で詰められるようになってきた。この調子でいけば、ホームステイが終わる頃には私もきっとプロ並みに料理が作れるようになっているような気がする。いや、さすがに期待しすぎ?

「まあ、余計なお世話かも知れないけど、そろそろ心の準備だけはしておいた方がいいわね」

 スープを飲み干し立ち上がりかけたシェフは、またそんな謎かけみたいな事を言う。

「進学のことですか?」

 話の流れ的に絶対間違いないと思ったのに、シェフは「はずれ」と言いつつ本当におかしそうに笑った。


 翌朝もよく晴れていた。雲一つ見当たらない空はどこまでも高く澄んでいる。

(あー、もうすっかり秋だなー)

 空を見上げながら深呼吸し、ドアベルをカランと鳴らして外へ出ると、そばの電柱の脇に隠れるようにしてトモヒロがスマホをいじっているのが目に入った。

「おはよ」

 声をかけるとえらく驚いた様子で、取り落としかけたスマホを慌てて胸ポケットにしまうと手のひらを太ももにこすりつけている。

「何? そんなビックリしなくてもいいじゃない」

「あ、いや…」

 なんだか妙な違和感がある。トモヒロって前からこんな奴だったっけ。

「何? 言いたいことがあるんだったらどうぞ」

「え? ああ、まあ…」

 結局煮え切らないまま、トモヒロは私の前に立って歩き始める。が、またすぐに立ち止まる。

「どうしたの?」

 急に振り向いたトモヒロは、ゴクリとつばを飲み込むとしばらく言いよどんでようやく口を開いた。

「あのさ」

「はい」

「突然こんなこと言われると驚くかもしんないけど…」

「うん?」

「それに、走がいないところで言うのもちょっと卑怯な気がするんだけど…」

 だんだん話が読めてきた。そっかー、シェフが言ってたのはこっちの方だったのか。

「お前のこと、前から気になってて。ぶっちゃけ言うと好きなんだけど、よかったらつきあってくれないか?」

 止める間もなく一息で言われた。

(まいったなー)

 最初の感想はそれだった。

「ひとつ聞いていい? どうして私なの?」

 そこが本当に不思議だった。

「自分でこんなこと言うのも変だけど、私は普通の男子が好きになりそうな“女の子”じゃないよね。おしとやかでも女らしくもないし、料理も出来ないし…」

 改めてクラスの彼氏持ち女子を脳裏に思い浮かべてみる。確かにみんな女子力せんとうりょくが高そうだ。一方、私は性格が基本的に女らしくない上に、オシャレでもないし、現在の主な業務はロケット作り。ここまで来るともう、男女の枠すら越えて間違いなく奇人変人のたぐいだ。

「…女子として気になり始めたのは高校に入ってからなんだけど」

 ところが、トモヒロは私の目を見ようとはせず、そのままくるりと振り返って歩き出してしまう。

 まあ、早朝の往来に二人して立ち尽くしているのも変だけど、せめてこっち向いてくれないかな。話がかみ合わないよ。

「お前、最近急にきれいになったというか、他の女子と比べてもダントツに輝いて見えるようになったんだよ。だから…」

「んぁ!…そんなこと初めて言われたよ」

 走にすら言われたことなかったので大いに照れる。いや、それだけなら純粋に嬉しいんだけど。

「それに、駅にお前のポスター、あるだろ? あれ見て他の男子が結構騒いでたんだ。だから早くしないと誰かに取られそうな気がして…」

 私は数量限定のお買い得品か。思わずそんな感想ツッコミが出かかったけど、そこはぐっと我慢する。

「…早い遅いの問題じゃないんだけど…ごめんなさい」

 結論は最初から決まっている。今の私は恋にうつつを抜かしている場合じゃない。

「そうだよな。やっぱり走か…」

 一瞬ピタリと歩みを止めたトモヒロは、そう自嘲気味につぶやくと背中を向けたままハハハッと乾いた笑い声をたてる。

「待って! そうじゃないの」

 私はトモヒロの前に走り出ると、彼の目を見ながら釈明する。

「少なくとも走に恋愛感情を持ったことはないよ。というか、これまで男の子を異性として好きになったこともない。多分私、そういう感性センスが欠けてるんだと思う」

「でも、それでもお前の一番は走なんだろ?」 

 私は無言で頷く。今の私にとって、すべての行動原理は走。それだけは絶対に間違いないと言い切れる。

 トモヒロはそんな私の表情を悲しげな目つきで見やると、そのまま目を伏せ、

「…悪い、先に行く」

 それだけボソリと言い残し、私を残して走り去った。


---To be continued---

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