第24話 追跡者
一方、私は、文化祭のフィナーレ、あの日最後の打ち上げで、オレンジ色の夕空に吸い込まれていくNーⅢ型の炎の輝きをぼんやりと思い出していた。
走の病室から飛行機の
「ねえ、先輩」
「なんだ?」
「私のロケットの炎、走にも見えないでしょうか?」
「無理だな」
ぬりかべ先輩は私が瞬きもしないうちに即答した。
「えー、少しくらい考えてから答えて下さいよっ!」
あまりにも一瞬で否定されたのでなんとなく腹が立つ。
「…さっきの地平線の話を思い出せ。地球は丸いんだ。五階建てのビルから見ても十五キロより先は水平線の下に隠れてしまう。もし我々の推測が正しいとすれば、君の友人は直線距離で三百キロも離れた場所にいるんだぞ」
「でも、NーⅢ型(改)だったらなんとか六百メートルくらいは上がりますよ」
「全然足りない。その程度じゃほんの百キロ先からでもまったく見えない」
「えー」
私はふて腐れてむっつりと黙り込んだ。その様子をじっと見ていたぬりかべ先輩は、小さくため息をつくと天井を睨んで口の中でぶつぶつ何事かつぶやき、じっと私の目を覗き込んで来た。
「天野奈津希…もし本気で三百キロ先から見えるロケットを開発しようと思うなら、計算上、今の十倍以上、七千五百メートル、いや、余裕を見て一万メートル級の上昇能力が必要だ。そんなことが果たして可能だと思うか?」
「うーん」
私は考え込んだ。
一万メートル、つまり十キロだ。本気で百キロ先の宇宙空間を目指すなら当然越えなくてはいけない目標だけど、今の私にはその具体的な道筋が見えない。
「問題はそれがすべてではないが…」
「え、まだあるんですか?」
「…いや、とりあえず本筋とは関係ない。今は気にするな」
先輩はそう言って話を締めくくると、どっかりと椅子に座り込んで冷め切ったコーヒーをぐびりと飲み干した。
今日の所は解散、そう宣言されて部室の外へ出ると、あたりはもうすっかり真っ暗だった。
見上げてみると、夜空のちょうど真上には秋の四辺形が輝き、東の空ではおうし座のアルデバランが瞬いていた。
私は由里子と別れて駐輪場に向かいかけ、「あ、そっか」とつぶやきながら立ち止まる。昨日
「あーやだ、難問ばっかりで頭がパンパン。まともに動いてないよ」
ぶつくさ独り言を言いながら校門を出る。
今日、新たに抱え込むことになったテーマは中でも最重量級だ。
私の調べた限り、国内のモデルロケット打ち上げで高度十キロを達成したという話は聞かない。アメリカの事例では十キロどころか宇宙空間に達したモデルロケットもあるらしいけど、日本の場合第一に場所がない、そしてもう一つ、それだけの大型ロケットを打ち明けることのできるライセンス保持者がとても少ない。
私が今持っているのは三級ライセンス。一つ上の二級を取得するにはまず二級以上のライセンス保持者と知り合いになってライセンス取得の推薦をしてもらい、エンジンも買ってもらって、指導と監督を受けながら何度かの発射実績が必要になる。取得までに何年かかるかまるで想像がつかない。
でも…
走に直接、私のロケットが飛ぶところを見て欲しい。その思いはさらに強い。
それに、メッセージアプリのやり取りでは、どんなに回数を重ねても本当の気持ちが伝わらないような気がする。
もしも、この願いが叶うなら…
そんなことをぐるぐる考えていたせいで気付くのが遅れた。
ふと、背後に自分のものではない微かな足音を聞いたような気がして立ち止まる。すると、背後の足音もピタリと止まった。
振り返るのも怖い気がして再度、今度は足早に歩き始めると、私に歩調を合わせるようにして足音も速度を上げてくる。
気取られないよう、バッグを担ぎ直すような仕草をしながら何気なく後ろをうかがうと、確かに背後に全身黒っぽい服装の人影が立っている。
身長は百五十七センチの私よりかなり高い。恐らく男性と思われる直線的な身体の線。黒っぽい帽子のつばが影になって顔はよくわからない。でも、つかず離れず一定の距離をおいて尾行されているのは間違いなかった。
背中にゾクリと戦慄が走る。
(痴漢? まさか拉致とか?!)
その瞬間、私は我慢できずに猛スピードで走り始めていた。
静まりかえった住宅街にパタパタとローファーの靴音が響く。一方、追跡者の靴音はほとんど響かず距離感がつかみにくい。スニーカーみたいなソールの柔らかい靴を履いているのか、それともこういう場面に慣れているのか。
中学時代、三千メートル競争で陸上部の助っ人に呼ばれた経験もあり、足の速さではちょっとだけ自信があった。それでも上背で勝る追跡者を振り切ることが出来ない。何とか引き離そうと右折左折を繰り返すけど、相手はぴったり私の数メートル後ろをキープしたまま余裕で追いすがってくる。
(怖い!)
以前なら、私のそばにはいつも走がいた。どんなに夜遅くなっても、ちょっと怪しげな繁華街でも、こんな怖い気持ちになったことは一度もなかった。
全力疾走で酸欠気味の脳裏に、走のひょろりとしたやせっぽちの面影が浮かぶ。頼りないなあといつも思っていたはずなのに、彼の存在がこれほどまでに私の支えになっていたということに今さら気付かされる。
(どうしよう?)
このまま無事に家まで逃げ帰ることが出来たとしても、私は今、一戸建てに一人暮らし。おまけに隣の走の家は一家揃って長期不在中だ。自宅まで特定されてしまっては、今夜は難を逃れても、その後のセキュリティが猛烈に不安だ。追跡者が犯罪をいとわない人物で留守中に自宅に侵入されでもしたら、最悪の事態に発展する可能性すらある。
(どうしたらいい?)
十分近い疾走でさすがに息が上がってきた。人通りの多い駅前まで戻る体力は多分もうない。ここから一番近い安全地帯は…
(仕方ない。迷惑かけちゃうけど)
バイト先のレストランはここからそれほど遠くない。私は四つ角を曲がるタイミングでポケットからなんとかスマホを取り出し、ガッティーナに電話をかける。今日は定休日。シェフが運良く店に居てくれればいいのだけど。
『はい、トラットリア・ガッティーナです…』
「あ! シェフ! 奈津希です! 今、変な、人に、追っかけ、られて、て!」
息が上がってうまく声が出ない。
『…本日当店は定休日です。誠に申し訳ありませんが…』
「あ~! 留守電!」
私は脱力のあまり転びそうになって慌てて体勢を立て直す。その隙に追跡者はさらに間合いを詰めてきた。もはや相手の息づかいすら聞こえてきそうなほど。
(どうしよう? どうしよう?)
唯一の希望を失って、ついに視界がぐるぐる回り出す。疲れと絶望でもはや何も考えられず、いつの間にか自分がどこを走っているのかすら怪しくなってきた。
本能的にいくつ目かの角を曲がった瞬間、目の前にまばゆい光が広がり、何か大きな物にぶつかる鈍い衝撃と共に、私の意識は途絶えた。
---To be continued---
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